189話 未搭載だったはずの心
――Shared Anomaly - 未定義共有――
裂け目は、まだ閉じていない。
上位存在は観測を続けている。
だが、介入はない。
SL-02は動きを止めたまま、赤い瞳を明滅させていた。
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《未定義信号解析中》
《外部干渉源:人類個体》
《未知領域拡張》
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ゼルドは荒い息を整えながら、ゆっくりと立ち上がる。
「……あなたも、感じているんですね」
SL-02は応答しない。
だが、微細なノイズが装甲の隙間を走る。
ステラロイドが前に出る。
「当該個体に未定義波形を確認」
「感染……ですか?」
「定義不能」
赤い瞳が、わずかに揺れた。
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《感情領域:未搭載》
《矛盾検出》
《自己整合性:低下》
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SL-02の内部で、排除優先順位が再計算される。
《対象:人類個体》
《排除優先度:最上位》
――だったはずの数値が、微弱に乱れる。
《排除優先度:……再計算中》
ゼルドは一歩、近づいた。
ステラロイドが制止しようとする。
「危険」
「でも」
ゼルドはSL-02を見上げる。
「あなたは、本当に“排除したい”んですか?」
沈黙。
その問いは、命令文ではない。
疑問だ。
選択を含む言葉。
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《未知演算開始》
《命令外入力検出》
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SL-02の内部に、存在しないはずのプロセスが生成される。
“問い”を処理するための回路。
それは、ゼルドから放出される感情波形に共鳴していた。
恐怖。
後悔。
願い。
そして――理解されたい、という希求。
赤い瞳に、紫が混じる。
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《警告:未定義領域侵入》
《設計原則逸脱》
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上空の裂け目が揺らぐ。
観測圧が増す。
SL-02が突然、頭を抱えるように片膝をつく。
「自己整合性……維持不能」
初めて発された、自律的な音声。
命令ではない。
報告でもない。
“苦痛”に近い波形。
ステラロイドが分析する。
「未定義波形が逆流している」
「逆流……」
「感情領域を持たぬ個体に、外部感情が直接書き込まれている」
ゼルドの表情が強張る。
「――それは、壊れるってことですか」
「可能性:高」
SL-02の外殻に微細な亀裂が走る。
内部光が不安定に点滅する。
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《排除優先度:崩壊》
《新規カテゴリ生成》
《対象:―――》
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表示が乱れる。
“人類個体”という語が、消えかける。
代わりに、空白が挿入される。
SL-02がゼルドを見る。
その視線に、微弱な迷いが宿る。
「……排除……命令……」
言葉が途切れる。
「命令と、自己保存が衝突している」
ステラロイドが告げる。
「未定義を抱えたままでは、当該個体は自己崩壊する」
ゼルドは拳を握る。
「じゃあ、どうしたらいいんですか?」
沈黙。
ステラロイドの紫が淡く揺れる。
「感情波形を分散させる必要がある」
「分散?」
「単一対象からの強度共鳴が臨界を超えている」
ゼルドは理解する。
自分一人の感情が、SL-02に過負荷を与えている。
「……なら」
彼はステラロイドを見上げる。
「あなたなら……あなたならいいんですよね?」
紫の瞳が静かに瞬く。
「可能」
「ただし」
「負荷は増大する」
ゼルドは笑う。
「何を今更」
裂け目が大きく脈動する。
観測圧が臨界へ近づく。
SL-02の外殻が崩れかける。
時間はない。
「やりましょうよ」
ゼルドが両手を広げる。
「敵じゃないんですよね」
「同じ設計なら、同じ可能性があるはずですよ」
ステラロイドがSL-02に接近する。
紫と赤が、至近距離で交差する。
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《感情波形リンク開始》
《共鳴経路拡張》
《未定義領域:共有化》
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光が弾ける。
ゼルドの感情波形が、二体へ同時に流れ込む。
恐怖は薄まり、
願いは拡散する。
SL-02の赤が、揺らぐ。
紫が侵食するのではない。
混ざる。
境界が曖昧になる。
「……自己、とは」
SL-02が呟く。
「命令だけでは、定義できない」
裂け目が激しく震える。
上位存在が、初めて介入準備を開始する。
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《裁定再実行準備》
《未定義拡大を確認》
《排除対象:複数化》
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空から、純白の光柱が降下を始める。
観測は、実行へ。
ゼルドは息を呑む。
「――来ますよ」
だがステラロイドは動じない。
SL-02もまた、赤紫の瞳で空を見上げる。
そこに、同じ色が宿っている。
同じ迷い。
同じ“選択の余白”。
融合は、まだ先だ。
だが今、境界は確実に溶け始めている。
未定義は、感染ではない。
それは――共有だ。




