125話 魔王シンと青い人
〈SとZ〉
何もない部屋。
空虚で、ひとり虚しく待ち続けた。
誰もやってこなければ、扉は開かない。
ここはどこだろうか。と、記憶を思い返してみるが、顔がいくつもある人間のようなそれが、こちらをのぞいている。
不気味だった。
女か男もわからない。
異形の翼を生やした、悪魔か天使かもわからない。
その生物は手招きしている。
『はやくコチラへ……』
気がつけば、彼はベッドの上をのたうちまわり、発狂していたそうだ。
彼が、最初に発したのは……
「俺は死んでいるのか」
……だったそうだ。
生死の境を彷徨い、愛する人を見失い、転生を繰り返した彼は、正気を失っていた。
発狂、震え、意味のわからない発言。
どれもが、病気とみなされるが、それは呪いである。
禁忌を犯したことによる。
罪と罰である。
正しさの是非が問われる。
無知は罪か。
正義とは何か。
その問が、心を抉るようにぶつけられる。
胸に手を当てれば、心臓の鼓動を感じられる。
ドクドクと脈打ち、生きていることが実感できた。
彼は、正常を取り戻したが、重度の病気と判断され、医者に隔離されたのだ。
自殺を可能としてしまう紐や、鋭利なものは、全て取り除かれ、安全な便器と窓が一つしかない灰色の部屋に閉じ込められる。
壁を何度も叩き、何度も出せと叫んでは、迫ってくるはずのない死に怯え、食事の時間になると駆り出される。
シン以外にも入院している患者は多数いた。
そこで、彼はとある人物と出会う。
その人物は、やせ細っていた。
頬はこけ、腕は皮と骨だけのように細い。
生きているのが不思議なくらい。
彼は、弱っていた。
パズルの服を着ていたが、どこのブランドかもわからない。
話しかけようにも口下手なシンは、彼が食べ終えた皿を運んでやることしかできなかった。
足が悪いのか、車椅子で生活をしていた。
いつも青いマスクをしていた。
看護師に、彼はどこの大学なのか。
と聞いてやると、京都大学らしかった。
数学を専攻しているらしく、頭の回転が速い。
物事を抽象的に捉え、分解するのが得意だ。
わずか十歳にして、六分儀を自作し、夏休みの生活の自由研究で表彰された。
だが、彼は何の面白みも嬉しさも微塵も感じないようで、友人のソラくんに譲ったという。
天才少年だった彼は、とても好奇心旺盛で、どこまでも追求する。
疑問は気の済むまで、考え、答えがわかるまで、諦めない。
看護師の話を聞き、シンはその青い人に尋ねる。
「死ぬのが怖いんだ。
死にたくない。
どうしたらいい」
青い人は、答える。
「死ぬのが怖くない人なんていない。
今生きているんだから、僕は今に集中することにしてる。
僕は、恋愛小説や、ファンタジーが好きなんだ」
彼は、『次元の旅』という著者もわからない本をシンにくれたという。
シンは、夢中になって読み、いくつかのページが、とびとびや「■■」になっていることに気づいた。
例えば……
「■■■」とは、もしかしたらあの■次元に触れた存在かもしれない。
黒く塗りつぶされていた。
脈絡のない文章。
ヘブライ語で書かれているので、翻訳する必要があった。
どこのページにも、■次元というワードが目立った。
極めつけは、白く塗りつぶされた著者の名前。
おそらくは、白インキマーカーだろう。
彼は、一ヶ月の入院を終えた。
何を思ったのか。
忽然と姿を消し、所在がわからないという。
彼の名前は、日下部シンである。