119話 沈黙の積乱雲
〈サイレント・テンペスト〉
ここに来て、ユニムが相対するのは幸運志知の男であった。
ユニムも当演武大会において、人気だったが、目の前の人物はユニム以上の人気を誇っていた。
「開始」
審判の声が聞こえたその時だった。
顔のすぐ左を何かが通りすぎた。
これは……
後方を振り返ると、地面が濡れている。
相手は水属性らしかった。
ならば、炎で焼き尽くすまで「岩漿化」と口から一言零す。
みるみるうちに、手が赤黒くなっていく。
一般的に、溶岩とは地表に出たマグマが冷えて固まることを指す。
ユニムが言った「岩漿」とは、中国語や古い学術用語で「マグマ」の意味として使われる。
準備はできていた。
何度もイメージする。
脚を狙われたなら、腕を狙われたなら、頭部を狙われたらどうするべきか。
考え、一連の動きを頭の中で繰り返す。
「想像」が実際の動きに影響することは知られているが、十分間何もしなかったグループ。
仮にアルファとする。
ベータのグループには、十分後に行うことについて頭の中でイメージトレーニングを行ってもらう。
すると……グループベータは飛躍的な成長を見せたのに対し、アルファには何も起きなかったそうだ。
これは、一流のスポーツ選手の練習やプロの楽器演奏者の間でも取り入れられている。
その真似事をユニムはやってのけた。
相手が弦を引く。
『来る』
直感でそう感じた。
相手は目を瞑る。
なんの真似か、天に向けて矢を放つと再び構える。
ユニムは一瞬の隙を見逃さなかった。
ゼレクスの「破天衝・紅蓮」を溶岩で再現する。
名づけるなら「破天衝・岩漿」だろうか?
だが、達していなかった。
ユニムの拳は「岩漿化」できていなかった。
彼女が自然の魔法が苦手であることが、裏目に出た瞬間でもあった。
大地・岩を学んでいなければ、この力は使えないのだ。
特に、溶岩に含まれる、二酸化ケイ素や鉄、マグネシウム、アルミニウムの元素を知っていなければ、溶岩を想像だけで作り出すことは非常に難易度が高く、ユニムは苦難していた。
ユニムの溶岩には、粘り気がなかった。
溶岩の魔法で、噴火という技があるが、二酸化ケイ素の含有量が少なければ、少ないほど、噴火は穏やかになっていく。
見越していたかのような、相手の動き、独特な歩行。
地面を蹴り、斜めに下がる。
ユニムが追いかけようとする。
必死にくらいつくが、その選択が間違いだったと気づかされる。
先程、相手は天に向けて矢を射った。
なんの変哲もない。
無意味な行動かに思えた。
大きな間違いである。
彼は、威嚇をしていたのではなない。
雲を生成したのだった。
第二の弓が空に構えられ、自然の魔法で操作されている。
ものの見事な自然の魔法の応用である。
ユニムは思った「『自然聖命の書』の百六十四ページに書いてあった……」
一般的な雲の生成方法。
条件は三つだ。
①水蒸気・量が多ければできやすい。
②冷却・露点温度に達しなければならない。
③凝結核・ほこり、煙、塩、火山灰が必要となる。
彼は、凝結核を空に放ち、人工雲を作ってみせた。
気象学における。
十種雲形と呼ばれる十種類の雲。
高さによる三層の分類。
最下層、【下層雲】は、地上から、二千メートルの間で発生する。
特に入道雲と呼ばれるその雲は、雷雨・豪雨・竜巻などをもたらす巨大な雲である。
一般的には積乱雲と呼ばれる。
一見、問題はないかに思われた。
しかし、ユニムは相手の力量を知らされることとなった。
もし、雷が落ちても、空劫障壁があるのだから、問題ないだろう。
“だって、防げるのだから”
ふつうはそう考える。
だが、ユニムは焦っていた。
魔法の同時使用など、賢者にしか成し得ない。
マグマとプラズマ、どちらも全く性質が異なる自然の摂理だ。
右手を岩漿にする。
そして、左手を蒼雷にすれば……
頭の中で、化学式を組み立てて、それぞれの腕に付与する。
無詠唱でなら、できていただろう。
ユニムは、現在詠唱でのみ空劫障壁を使えるとされる。
使えば、雷をも防ぐ、分厚い空気の層だ。
どうすればいいのか。
目の前からは、水の矢が雨のように降り注ぐ。
空からは、落雷と豪雨。
ユニムの体はひとつだ。
もし、もう一人自分がいれば……
よくよく考えてみれば、プラズマは使えなかった。
雷は水を伝導させる。
ならば、炎や溶岩で水を蒸発させるまで。
再び構えると、見覚えのある動きをした。
言葉は発さなかった。
ただ、拳を一振りして、風を起こした。
その技、『覇龍参衝』の『序牙衝』であった。
完全でない部分や、動き、所作が、竜辰に見劣れする。
だが、確かに風を呼び起こしていた。
大きく振りかぶったかと思えば、右のフックが炸裂する。
そして、ユニムは言い放った。
「――序牙衝・霄風」