117話 パン粉
〈ブレッドクラム〉
ユニムは、自然と目が覚めた。
気持ちのいい朝だった。
日差しが差し込み、小鳥の囀りは朝が来たことを伝える調べのようだった。
両の目を擦り、大きな欠伸をする。
天に向けて、二本の腕をまっすぐ伸ばし、目尻に雫が溜まる。
視界がはっきりとしてきたので、辺りを見回すと、ネゼロアとナディアちゃんが二段ベッドで寝ている。
一緒に朝食を取りたかったが、起こすのも悪いと思い、足音をたてないようにして、扉をゆっくり開ける。
一階から、騒がしくも賑やかな話声が聞こえる。
ユニムは吸い込まれるようにして、一階へと向かう。
現在の時刻は、朝の七時だ。
壁を歩きながら、不思議に思っていた。
ゼレクスとの戦闘中は無我夢中で、疑問にも思わなかった。
魔導演武に挑んでいた時、どこからか「セレストのようだ」
と、聞こえてきた。
誰の声かはわからず、視線を向ける暇もなかったので、演武が終わった後に確認してみるが、その場には、ポツンと一席空いており、結局誰なのかわからなかった。
その空いた席のすぐとなりに、クロノスこと黒剣士が座っており、手を振ると気づいたのか。
愛想笑いを浮かべては、サムズアップをしていた。
ところで、その発言が意味していたのは、ゼレクスが、あのブルースカイおじいさんと同じ戦い方をしているのだと、ユニムは解釈していたが、ナディアの話を聞く限りでは「あなたよ」と言われ、初めて自分が、氷帝と同じような動きをしていることに気づき、その発言の真意がわかった。
演武が終了して、横たわるゼレクスを可哀想に思ったが、握手をされ、力は半人前とは言え、竜辰に認められたことが嬉しかったそうだ。
聞くところによれば、氷帝のセレストは自由自在に、まるで手足のように氷を操り、時に歩く大地を、時には水面を凍らせて、冬将軍を招いたり、海上歩行することが可能だという。
ユニムは「恐るべしなのだ」と独り言を呟き、かの賢者ブルースカイの凄さを知ることになったわけだが、会場のどこにも姿が見当たらなかったそうだ。
雷帝のゲルブこと、トライデンス然り。
林帝のヴェルデこと、グリードグリーン然り。
彼らは、せっかちで、留まるのが得意ではないのだと、勝手に思っていた。
そんな訳がないが……
絵画やステンドグラス、丸太より大きな柱が聳える壁を歩き、一階に向かう。
壁から床に移り、大理石の床をしばらく進むと、ひとりの人物と目が合った。
彼は、ダダイ=ⅡKであった。
『ふたつとひとつ』
一瞬戸惑ったが、頭の中に男性の低い声が流れ込んできた。
後ろを振り返る。
その最中、ダダイとすれ違う。
指先から五指の丁度第一関節のあたりまで、マメができているのが見て取れた。
弦楽器、特にギターやベースを演奏する者は、体が環境に適応しようとし、マメができるという。
その手が、彼の楽器の練習量を物語っていた。
もう一度、ダダイを見る。
『いつくるの? まあ、返事はないんだろうな』
どこへだろうか。
声の主は、ダダイに間違いなく。
ユニムは知らないが、その音の正体は、天民が使うとされる「思考電波」だ。
ユニムは考えたが、わからなかった。
もしかすると、彼は何か重大なことを知っていて、そのとある場所に、神物があるのではないか。
とも考えたが、AはBでも、BはCでも、AがCとは限らない。
ダダイは天民以上。もしくは、賢者。
賢者はプラネットパズルに詳しい、もしくは、関与している。
だが、ダダイとプラネットパズルを繋げてしまうのは、あまりにも安直だ。
学問における、幾何学と現象学は、反対に位置する。
数学的アプローチを行う幾何学。
感覚的アプローチを行う現象学。
どちらも、問いが同じなら、答えも同じだ。
だが、辿り着くまでの道筋が違う。
異世界学問の中でも、随一の難解さを誇る超越的現象学。
哲学的観点によるプラネットパズルに対する解釈はひとつではないだろう。
そんなことを考えながら、ユニムは、食堂の六つの椅子が並ぶ、カウンターに座る。
昨日は、暁と二人席に座ったが、カウンターも料理の調理風景を拝むことができ、いい匂いが漂ってくる。
目を凝らしてみると、椅子は木製で、木目が目玉のようだった。
これは、ウエストウッドである。
目を合わせてももちろん声は聞こえないが、アルドラインで見た根っこの手は、不気味だった。
ユニムが苦手とする「自然の魔法」
木のイメージが強いが、他にも……風、土、砂、石、竜巻、動物や昆虫の操作……など。
応用が利く。
その効力は幅広く。
合わせ技で使う者は、非常に強力だ。
ユニムは、懐から「自然聖命の書」を取り出して、数ページめくってみるが、記されている言語はもちろんのこと、方法も化学という学問に基づいており、魔法の構造を理解する必要があった。
事細かに書き記された文章が、ユニムの頭を悩ませる。
頭を抱えては、辞書を引き、翻訳していると「サービス」と言って、料理長が差し出したのは、二枚のとんかつ定食だった。
ラックルピッグを用いた、ヒレカツとロースカツの合い盛であり、ソースで「FIGHT」の文字が書かれている。
ラックルピッグは幸運を呼ぶとされ、非常に縁起がいい。
丁寧に切られたとんかつの端を、フォークで突き刺し、濃厚な脂の乗った肉と、サクサクの衣を口の中で遊ばせていた。
噛めば噛むほどに、口の中に肉汁が広がり、ユニムは自然と表情が綻ぶ。
おかわりはライスだけした。
タギ稲からとれるタギ米は「豊穣の叙事詩」に登場する米で、古来より、神聖な食物として、親しまれてきた。
特に、とんかつもカレーライスも、アダマス王国には、人気の店があり、予約をしても、一年間待たされるという。
ユニムは、カツカレーなるものを聞いたことがあったが、そもそも、何語かわからないので、カレーであることすら知らない。
隣の演武参加者が、カツカレーを食べていたが、料理長が間違えたのか。
もしくは、まかないの一種だと思っていた。
しばらくして、ナディアとネゼロアがすっぴんでやってくる。
ネゼロアは余程顔に自信がないのか、布で顔を抑えては、カレーライスを口に運ぶ。
ナディアは、肌のきめ細かさが際立っていた。
まるで、陶器のようであり、ユニムは同性でありながら、見惚れていた。
ナディアが冗談で「惚れちゃった?」と言うと、ユニムはかぶりを振った。
ユニムは「そういえば」と、思い立ったように音を立てて、席を立った。
視線を浴びたので、恥ずかしそうに座り直すと、ナディアに自然の中級魔法を訊いた。
すると、ネゼロアが蘊蓄を語り始めたので、カツを勢いよく頬張った。
話半分に聞いていたが、ほとんど昆虫や蜂に関する話で、聞いていてうんざりだったそうだ。
一番最後に「で、妙なことにマスタングは……」
と、聞こえてきたので、質問攻めにしたが、演武の時間が来てしまったようだ。
マスタングとネゼロアに関係性があることがわっかたが、マスタングが繁栄蜂最強であることをユニムはいまだに知らなかった。