104話 序牙衝
〜イギリア メーラ・ジャッロヴェルデの酒場にて〜
「――咆哮のヴェクターだったな」
黒の胴着に黒帯。
形は空手道着に近いが、袖や裾は戦闘に適した独自の仕立てだ。
髪は茶色く短く、澄んだ青い瞳をしている。
白い肌は戦士らしからぬ印象を与えるが、その引き締まったしなやかな筋肉が、道着からチラリと覗いている。
腕を組んでヴェクターの様子を見ている。
時折、横を見やりながら何か考え込む仕草も見せる。
そして彼は、ヴェクターの肩をトントンと二度叩いた。
反対方向を向いていたヴェクターが振り返る。
「なんだよ。俺は取り逃した」
「ケルベロスの魔人に逃げられた」
「ゼクロスも電気石が繋がらない」
「一体全体、これはどういう状況だ?」
苛立ちに任せ、ヴェクターは発砲する。
酒場に悲鳴が響く。
だが、負傷者は出なかった。
ベルモントが素早く腕を掴み、銃口を安全な方向へと逸らしていたのだ。
「何者だ? 度胸があるな。恐れを知らないのか? 俺を案内しておいて、ただで帰る気はないだろう。そうだろ、ベルモント?」
「それに、先ほどから魔力が感じられねえな。どうやってる? 魔力とはオーラのようなものだ。意図的に隠しているのか? それとも、極端に低いか、あるいは……ないのか?」
「その質問には答えられない。俺はマカ=ベルモントだ」
ヴェクターは、したたかに笑う。
「そうか……本当なんだろうな?
だがベルモントという名は聞いたことがない。貴様、この辺りじゃ有名なのか?」
「なに、そう大したことはない。兄がいるがな」
「最近少し体がなまってきてな。相手をしてくれないか? 天王子……だったな?」
「構わないが」
二人は酒場の視線を浴びつつ、近くの荒地で向かい合った。
「ベルモントだったな。武器を持っていないが、俺で何を試す?」
ベルモントはゆっくりと黒い包帯を拳に巻き付けていく。
手の甲を覆う黒い四本の線が現れたとき、彼の雰囲気は一変した。
拳を掲げ、その仕草は「これで十分だ」と告げていた。
「……なるほど。面白い奴だ。来い、ベルモント」
ヴェクターが腹の底から声を響かせる。
彼の手には拳銃があった。
「遠距離と近距離か。一見分が悪いが……」
「恐怖は拳を鈍らせる。だが、俺の拳にはそんなものは存在しない」
銃声が轟き、薬莢が次々と地に落ちる。
ベルモントは驚異的な速さで弾丸を躱していった。
それはもはや人間の動きではない。
「ふふ……何者だ? ああ、先ほどの動きもそれか。随分と俺を楽しませてくれるじゃないか」
ヴェクターは金色の銃を二丁抜き放つ。
「マルクマイオン直伝のツインリボルバーだ」
「あの王か……興味深い」
銃声がさらに重なる。
ベルモントは避けるどころか、弾丸に拳を合わせて弾き落とした。
その光景にヴェクターは確信する。
――この男、只者ではないな。ホウコウの魔法を使ってもよかったか
「俺の番だ」
「――序牙衝」
ベルモントの拳が宙を殴り抜いた。
そこには弾丸もヴェクターの姿もない。だが……
「貴様、それほどの実力を隠していたか」
凄まじい風圧がヴェクターを襲う。
大地を抉り、砂塵が吹き荒れる中、ベルモントはなお拳を繰り出し続けていた。
ヴェクターは腕を交差し、耐え抜く。
「終わりだ。俺はアルキメデス魔法学校へ向かう」
「準備運動ってところだな。楽しかった」
「言ってくれるな。何よりだ……ベルモント、貴様も来るか?」
「俺は兄を探している」
「会えるといいな」