4、魔力統合の儀 (ランドルフ視点)
「殿下、公爵令嬢がお見えになりました」
「……分かった。すぐ行く」
私は読みかけの本を閉じ、立ち上がった。そしてそのまま自室を出て応接間に向かう。足取りが重い。
今日は月に一度の魔力統合の儀が執り行われる。
この儀式は王族と婚約者が共に魔力を高め合うためのものだ。未成年の王族に婚約者が決まれば、これを毎月行わなくてはならない。
彼女に会うのはあのパーティー以来だ。無論、彼女に会わなくていいのなら会いたくない。しかし王族としての責務がそれを許さない。
「ベルナール公爵令嬢、久しぶりだね」
「殿下、本日はお招きありがとうございます」
彼女はいつもの趣味の悪い派手なドレスではなく、品のある深緑色のドレスで現れた。そしてそのドレスの裾を控えめに掴み、礼儀正しく深々と頭を下げた。
てっきり彼女は私の顔を見るなり、あのパーティーのことを問い詰めてくると思った。
今までの彼女なら、きっとそうしただろう。
そして貰い損ねた誕生日プレゼントをねだり、今回は恥をかかされた腹いせにいつもの三倍……いや十倍は高価なものを寄越せと駄々をこねただろう。いつもの彼女ならそうだ。
それなのに今日の彼女はまるで別人のように落ち着きがある。
……何があった?
怪訝に思いながら彼女を見ると目が合った。すると彼女はおどおどと目を泳がせた。そしてゆっくり深呼吸をして、また真っ直ぐに私を見た。
一体何のつもりだ。
初動が大人しかったために油断していたが、この子はあの悪名高いディアナ・ベルナールだ。この後きっとまた何かが起こる。
私は咄嗟に顔を強張らせ、これから起こるであろう彼女の癇癪に構えた。
しかしそれは杞憂におわった。
「あの、殿下。先日は誠に申し訳ありませんでした」
「あ、ああ……」
私は呆気にとられて口篭った。彼女が誰かに謝罪するところなんて見たことも想像したこともなかった。
「殿下のご友人であるリチャード様に無礼な行いをしてしまったこと後悔しています。今後は皆様にご迷惑をおかけしないように努めますので」
「そうか……ではそのように」
「はい。殿下」
「……」
彼女の言葉によって、思い出したくもないのに先日のパーティーを思い出させられる。
今思えば、私も子供じみたことをしてしまった。
私があそこで怒って帰ってしまったせいで、この子の誕生日は台無しになった。
まさか私とリチャードがパーティーを途中退場した途端、他の令息令嬢たちも帰ってしまうなんて予想していなかった。
ディアナ・ベルナールの人望がなかったと言えばそれまでなのだが、よくよく考えるとあの場を台無しにした要因は私にもある……。
そう思うと私は彼女の顔をまともに見れなくなった。
儀式が終わったら、改めて彼女に誕生日プレゼントを渡そう。そしていつものように彼女の小言や愚痴、自慢話を聞いてあげよう。
私はそう心に決め、儀式が行われる地下の祭殿へ向かった。
儀式自体はすぐに終わった。
宮廷魔法使いが立ち合いのもと、床に魔法陣を書き、呪文を唱える。
そして私はディアナ・ベルナールと手を繋ぎ、目を瞑る。
まず私が彼女に魔力を流し込み、彼女はその魔力を私に流し返す。
儀式はそれだけだ。
儀式の後、私は力に満ち溢れ、視界はいつもより鮮やかになった。
一方、目の前の彼女は青い顔で虚な目をしてふらふらしている。
魔力統合を行った後のいつもの光景だ。
「大丈夫? 何か飲む?」
「水……水をください」
「わかった」
彼女は応接間に戻るとソファに倒れ込むように座った。そして侍従が用意していた飲み物に口をつけて、荒い息を整えた。
その姿に胸の奥が締め付けられる。
魔力統合の儀は、王族側の負担を減らすために婚約者側が二人分の負荷を背負う。だから彼女は儀式の後はいつもこんな様子だ。
このやり方に一度抗議したことがあったが、古くからの慣習を変えることは難しく、今の私にはどうすることもできなかった。
私の婚約者は我儘で性悪だ。教養もなければ品格もない。私のことはアクセサリー扱いで、話は聞かず、いつも自分の話ばかり……。
そんな彼女に会うたび、私は失望し、好きになれないと思った。
だけどそれでよかった。
もし仮に好きな人がこんなに苦しい目にあうのならば、きっと耐えられない。
だから彼女が性悪でよかった。我儘でよかった。
私は何があってもこの先、この子を好きにならないし、なってはいけない。……なるはずがない。私は儀式の後、毎回自分にそう言い聞かせている。
そうこうしているうちにディアナ・ベルナールの顔色はだいぶよくなっていた。
「殿下、お見苦しいところをお見せしてしまいました。私はこれにて失礼します」
「待って」
こんなに早く帰るなんて。いつもはウンザリするほど居座っていたのに。
私は彼女を引き留めていた。
「こないだは君の誕生日を悲しい思い出にしてしまったね」
「え、ああ……それは私があんな騒ぎを起こしちゃったからですし。自業自得です……」
「それは否定しないが、あの日は私にも非があった。すまなかった。……遅くなったけど、これ受け取って」
私はいつもより早口でそう言い終えてから、用意していたプレゼントを見せた。
婚約者としての義理は果たさないと。
箱を開けるとネックレスが入っている。私はそれを彼女の首に回してつけた。
これは一見シンプルだが一級品の宝石で作られたものだ。
しかし彼女が好む奇抜さや派手さはない。地味だと文句を言われることは想定済みだ。彼女との関係性を考えるとそれでいい。彼女を喜ばせたって何もいいことなんてないのだから……。
「ええっ、うわぁ……可愛いっ! ありがとうございます!」
「……!」
ネックレスをつけたディアナ・ベルナールは、花が咲いたように笑っていた。
いきなりそんな風に喜ぶものだから、私は彼女から目が離せなくなった。額には冷汗が伝っている。
「嬉しいです。素敵なネックレスも、殿下のお心も」
「……ああそう、そんなに喜ぶなんて思ってもみなかったけど」
動揺していると気付かれてはいけない。私はいつもと同じように感情を抑えた返事をした。
「そりゃ嬉しいですよ。私はあんな醜態を晒したんですよ? 殿下は私と口も聞きたくないだろうと思ってましたから……。悪いことばかり続くわけじゃないんですね……」
彼女はしみじみとそう呟いた。
その『悪いこと』とは何をさすのか。私が関係したことか。それとも全く関係のないことなのか。悶々と頭に疑問が浮かんでくる。
この一ヶ月で彼女に一体何があったのか。
彼女は変わろうとしているのか?
……変わられては困る。ずっと我儘で愚かなディアナ・ベルナールでいてくれ。
いい人になんてならないでくれ。
私はこれ以上、婚約者としての責務を背負っているあなたに罪悪感を持ちたくない。
「どんなことがあっても、あなたは私の将来の伴侶です。ですから困ったことがあれば些細なことでも私を頼ってください」
微笑みながらそう言ってやると、彼女は目を見開いた。
「……殿下はどこまでもお優しいのですね」
「私はただ、あなたの力になりたいのです」
本当はそんなことは一ミリも思っちゃいないけどね。
ディアナ・ベルナールは少し考えたのち、おずおずと声を上げた。嵌ったな。
「……あの、じゃあ……殿下に一つだけお願いがあります」
いいぞ。さあ、早く……いつものように我儘を言え。無理な要求をして皆を困らせろ。
やっぱりディアナ・ベルナールは愚かなままだったと、私を失望させてくれ……!
「私と友達になってください!」
ん?
聞き間違いか?
「ええっと、だから……私……友達がいなくてですね……作ろうと頑張ったんですけどうまくいかなくて。変なお願いなんですけど、殿下がお友達になってくださったら嬉しいなぁと思って」
「はああ????」
思わず声を張り上げていた。
一方彼女はへらりと笑っていた。