2、悪役ディアナ
前世の記憶を取り戻した私は謹慎を言い渡された。
部屋に戻って殿下とテューダー令息への謝罪の手紙を書き終えると、雪崩れ込むようにベッドに横たわった。
今日一日の疲れがどっと押し寄せた。私はその後、まるで死んだように眠ってしまった。
目が覚めた時には翌日の昼過ぎ。
なぜ誰も起こしてくれなかったのだろうと思ったけれど、そうだ私は謹慎中なのだった。
もう、やんなっちゃうよね。
私があのー、えっとー、ね、小説の悪役で……主人公と結ばれるヒーローが婚約者のランドルフ殿下で、私はなんか……こう悪いことして嫌われて最後は処刑されるんだもんね。
……あれ?
「記憶が曖昧になってる?」
昨日まで鮮明に覚えていた前世の記憶は一晩でほとんど忘れてしまった。
前世の私はどんな顔でどんな名前だったかとか、どんな仕事をしてて家族は何人いたかとか……そういう記憶が全て消えてしまった。
そして前世で読んだ小説の内容も、ざっくりとしか記憶にない。処刑されるってことは鮮明に覚えてるけど、その原因はさっぱり忘れてしまった。
「そもそも前世の記憶なんてものが夢だったのかも」
ぶつぶつと呟きながら、ベッドから降りて鏡の前に立つ。
威圧感たっぷりの長身に派手な顔立ち、髪は漆黒の縦巻きロール、十歳なのに厚化粧、ケバケバしくて露出の高いドレス……。
曖昧な記憶の中から、突然小説の悪役の挿絵の姿が頭に浮かんできた。
「……!」
その挿絵と鏡に映った私……完全に一致。
今の私は確かに悪役のディアナ・ベルナールだ。
前世の記憶も夢じゃないんだ。ここは小説の中の世界で間違いない。
そして問題は、詳細な記憶がほとんど曖昧になってしまったことだ。
「お嬢様、お食事です」
先程呼び鈴で目覚めたことを知らせたから、部屋付きのメイドのニナが昼食を持ってきた。
「ありがとう。お腹すいてたの」
私がそう話しかけると、ニナは驚いたような顔をした。
「どうしたの?」
「い、いえ……! お嬢様にありがとうと言っていただいたので、感激してしまいまして……!」
ニナはキラキラした目でそう言った。
今までのディアナだったら、ありがとうなんて言わないし、むしろ文句ばかり言っていたものね……。過去の自分に呆れる。
私はあんなに我儘だったのに、ニナは嫌な顔ひとつせずに身の回りの世話をしてくれた。心優しくて有能なメイドだ。これからは、もう困らせないようにしよう。
そう決意したのち、私は食事に手をつけながら今後のことを考えた。
私はこのポンコツな記憶を頼りに、処刑エンドを回避しなといけない。
確かあの小説ではランドルフ殿下が十六歳だった。ということは私には猶予があと六年あるってことだよね。
小説のシナリオが始まるまでに、なんとか軌道修正して悪役を脱しないと……。
でもどうやって……?
どんな悪事をしでかしたのか覚えてないし、どうしてそんなことをしたかも覚えてない。
これってもう防ぎようがない。
バン!
ぐるぐると考えを巡らせていると、いきなり部屋の扉が乱暴に開いた。
扉の前に立っていたのは、弟のギデオンだ。
「姉上、反省してるなんて嘘ですよね。下手な演技見にきましたよー」
我が弟は勝手に部屋に入ってくるなり、ふてぶてしい。
彼こそが、公爵家の次期当主ギデオン・ベルナール。
深紫色でふわふわした癖っ毛、生意気そうな猫目に泣きぼくろ。九歳の割には長身だし顔つきも派手。醸し出すオーラがディアナとかなり似ている。
だけど彼は実の弟じゃなくて、本当はハトコなんだよね。
私が殿下の婚約者に選ばれたことで公爵家の跡取りがいなくなった。だから昨年、傍系から養子として屋敷にやってきた。
最初は私だって弟ができて嬉しかったし、可愛かった。だけどギデオンのやつ、次第に本性を表してきた。いちいち突っかかってくるし、小馬鹿にしてくるし、両親の前ではいい子ちゃんぶってるし……一言で言うとムカつく弟だ。
だけど以前のディアナだって我儘で嫌なお姉さんだっただろうから、おあいこね。
「ギデオン、ノックぐらいしなさいよ。あと、今食事中だから後にして」
私は淡々とそう応えた。
以前のディアナだったら声を荒げて騒ぐところだけど、そんなことしたってギデオンが面白がるだけだ。
「……ふーん、本当に大人しくなったのか。殿下に帰られたのがそんなにショックだった?」
ギデオンはニヤニヤしながら近付いてくる。
こいつ私を煽ってるな……。
その手には乗らないわよ。もう騒ぎを起こす悪役ディアナは卒業するんだから。
「殿下は怒って当然だわ。ご友人を侮辱されたんですもの……」
ああ、自分で言って涙が出そうになる。本当に昨日の私は馬鹿だった。
「ハハハッ、そうだな。殿下に愛想尽かされてざまぁみろって感じだよ。もう誰も姉上なんて相手にしないさ。姉上はもともと友達がいないけど、これからもずっと一人ぼっち確定だな」
友達がいない……一人ぼっち……。
「……まあ、姉上がどうしてもって言うなら次期当主のこの俺がなんとかしてやってもいいけど。俺は姉上と違って顔が広いから」
「……」
友達がいない……か。
「だけどその前に俺に頭を下げて『なんでも言うこと聞きますギデオン様』って言え……」
「はっ、そうか!」
大事な事に気がついた。
ディアナにはずっと友達がいなかったんだ。
だから悪役ディアナが悪事に手を染めた時、きっと誰も止めなかった。そしてディアナ自身も誰にも相談できなった。
ディアナが悪役になってしまった要因の一つに『友達いなかった』ことも考えられるわ。あくまで憶測だけど。
「おい、聞いてんのか」
「え? 何?」
しまった。全然聞いてなかった。
「ッチ、馬鹿にしやがって……!」
「もう何怒ってるのよ。ええっと、友達の話でしょ? あなたの言うとおり、私には友達がいないわ」
「……はあ?」
「だから友達を作る努力をしようと思ってる」
小説のシナリオが始まるまではまだ六年ある。今までのディアナだったら、友達よりもチヤホヤしてくれる取り巻きが欲しいって思っただろうけど、今は違う。
生死がかかってるんだ。
悪役ディアナ・ベルナールを孤独にしてはいけない。
友達を作ろう!
「とにかくギデオン、あなたのおかげで大事な事に気づけたわ。ありがとね」
ムカつく弟だと思ってたけど、たまにはいい事言うわ。
そう感心してギデオンの手を取って笑いかけると、彼は目を丸くして固まった。
なんだかいつもより顔が赤い気がする。それに手汗もすごい。びしょびしょだわ。
「ちょっとあなた……」
大丈夫? と聞こうとした瞬間、ギデオンは私の手を振り払った。そしてフラフラと後ろに下がって距離を取られた。
「ば、ばばばか! いきなり触るなよ、気持ちわりぃな!」
「なっ」
ひどっ!
そしてギデオンはぶつぶつ言いながら部屋を出て行った。
素直に感謝の気持ちを伝えたかっただけなんだけど、あんなに嫌がるなんて。
よっぽど私のことが嫌いなのね。
今までは自己中で最悪な姉だったことは認めるけど、ここまで拒否されると……ちょっと寂しい。
だけど落ち込んでいても仕方がない。
とにかく友達大作戦を決行しないと!
まずは謹慎期間が終わったら、同世代の令嬢令息を招待してお茶会を開こう。そして今まで迷惑をかけた人たちにはきちんと謝ろう。
お菓子を食べて楽しくお喋りしたら、誰か一人ぐらいはお友達になってくれる……かもしれない!