1、後悔してももう遅い
私こそが世界の中心だと信じていた。
私以外の人間は所詮引き立て役。見目麗しい婚約者は私の物語のちょっとしたスパイス。そう信じていた。
その上、欲しいものはなんでも手に入れないと気が済まなかった。そのためなら他人を傷つけても構わないとさえ思っていた。
私はそんな我儘な少女だった。
ディアナ・ベルナール。それが“今世”での私の名前。
――パァン!
パーティー会場の広間に鳴り響いた音と共に、突然私が私でなくなった。
それはつまり……今までの自分の中に、もう一人の自分が入ってきたというか……そう、要するに前世の記憶が蘇ったのだ。
そして気付いてしまった。
この世界は前世の私が好きだったロマンス小説の世界で、私はそのお話に出てくる意地悪で我儘な悪役令嬢ディアナだということを……!
そして今はその物語が始まる前の幼少期。この時からディアナは性悪で、このまま成長すれば悪事に手を染めて、最後は処刑される運命だ。
前世の記憶と共に、そんな重大なことを思い出してしまった。
人に意地悪をしている最中に……こんな最悪なタイミングで……!
人を叩いた右手がヒリヒリと痛い。
だけど被害者である目の前にいるこの少年はもっと痛かったに違いない。……ああ、どうしたらいいの。
よりにもよって我が公爵邸で開かれた私の十歳の誕生日パーティーで、こんな騒ぎを起こすなんて。
……五分前に戻りたい。
あの時私が「誕生日パーティーなのに何故ランドルフ王子殿下は来ていないの!」と癇癪を起こしさえしなければ。
暴れている私を諭そうと声をかけてくれたのは、殿下の親友のリチャード・テューダー様。だけどそれはディアナにとって火に油を注いでいる行為だった。
なぜなら、記憶が戻る以前の私はリチャード様を嫌悪していたから。
だから彼に「殿下はお忙しいのです。ですが必ずお見えになります。それまで僕とお話しながら待ちましょう」と言われた時、はらわたが煮えくり返った。
「貴方何様のつもり?! 殿下のことを一番知っているって顔して! 腹立たしいわ! 今日の主役は私なのよ!」
バシン!
と……こんな調子で頭に血が昇った私は、彼が差し出してくれた手をいきなり叩いてしまったのだ。それもかなり強く。広間中にその音が響くぐらい……。
そしてなぜかその衝撃で記憶が戻ってしまったのだ。
はあ……後悔してももう遅い……。
悪いのは完全にディアナ――そう私だ。
我に返って周囲を見渡すと、招待された同世代の令息令嬢達が皆ドン引きしている。当たり前だ。
「ディアナ! また何かやらかしたのか?」
「ああ、なんてこと! テューダー家のご令息に……!」
騒ぎに駆けつけた公爵夫妻――両親は血の気が引いた様子であわあわしている。
「えっと……あの……」
前世の記憶が戻ったばかりだからか、上手い言葉が出てこない。この状況をどうやって切り抜ければいいの?
しかし最悪なのはこれからだった。
「一体なんの騒ぎですか」
こんなタイミングで私の婚約者であるランドルフ・ルーブ第二王子殿下が会場に到着してしまった。
……もう最悪の極みだ。
端正で大人びた顔つきと輝く艶やかなブロンド髪を持つ彼は、まさに絵に描いたような王子様。そして何より立ち振る舞い全てが洗練されている。騒ぎを起こす私とは正反対の人間だ。
そんな彼こそ、小説の中で活躍するヒーロー。主人公と恋に落ちる王子様だ。といっても主人公と出会うのは今から六年後だけど……。
今の彼は、残念な婚約者と愛のない結婚をさせられそうになっている可哀想な少年だ。
私は公爵家という家柄と、生まれ持った魔力が殿下と相性抜群だと言う理由だけで婚約者に選ばれた。残念なことに、王子の婚約者選びの際に相手の性格は考慮されなかったのだ。
だからランドルフはいつも直接文句を言ってくることはないが、ディアナとは極力関わりたくないといった様子だった。
一方ディアナは王族の婚約者という地位に魅了され、ランドルフ自身のことはアクセサリーぐらいにしか思っていなかった。だから言わずもがな、お互いの間に愛なんて存在しなかった。
「ランドルフ、君の婚約者は噂通りの素敵なレディだね」
リチャード様はそう言って冷笑した。もちろん素敵なレディだなんて完全に皮肉でしかない。
この言葉の本来の意味は「君の婚約者はクソ野郎だね」ってことぐらい私にも分かる。
白くて綺麗だった彼の手は、痛々しいほど赤くなっている。ああ、本当に申し訳ない……。
リチャード様は大きな瞳でこちらを睨み、そして自身のピンク色の長い髪を靡かせながらランドルフ殿下に駆け寄った。その姿は男装している美少女なのではないかと錯覚してしまうほど可憐だ。
彼ら二人が一緒にいると、華やかな絵画の一場面のようになる。
だからこそ以前の私『悪役ディアナ』は気に食わなかったのだろう。
自分より輝く存在が。
そして自分より殿下に親しい存在が。
女であっても男であっても、気に入らない存在には意地悪しないと気が済まない。
自分こそが世界の中心なのだと信じて疑わなかったから……。
ほんと笑っちゃうよね……。
辺りは騒然としている。
「……ベルナール公爵令嬢、今日は君の誕生日をお祝いできそうにないね」
ランドルフ殿下はゴミを見るような目でこちらを見ている。
彼の発した声があまりにも冷淡だったから、自業自得だけど心臓がギュウンと絞られるような心地になった。
「悪いけど今日は帰らせてもらうよ」
ランドルフ殿下はそう言って踵を返した。リチャード様もそれに続いた。
すると周囲の令息令嬢たちも続々と彼らの後を追って帰ってしまった。
「待って……! 待ってよ!」
呼び止めたってこんな性悪令嬢の話に耳を傾ける者はいない。
しばらくすると後ろから誰かにぽんと肩を叩かれた。振り返るとそこにはお父様がいた。
ああこれは、きっと今からお説教タイムが始まるんだ。
私は歯を食いしばって叱られるのを待った。だけどお父様の表情はいつもと変わらず、今から子供を叱る態度には見えない。
「はあ、大事になってしまったな」
「……申し訳ありません」
「まあいい。今回のことはいつもみたいにパパが陛下に話をつけておくさ。だが、もうこれ以上は騒ぎを起こさないでおくれよ」
「はい……」
お父様はやれやれと肩をすくめた。
あれ? もっと怒られると思ったけど……。
拍子抜けしていると、今度はお母様が口を開いた。
「ディアナちゃん、はいこれ。殿下とテューダー令息に送る謝罪のお手紙の下書きよ。これを今日中に書き写しておくのよ」
お母様は慣れた様子で丁寧で完璧な謝罪文が書かれた紙を渡してきた。こんなもの用意してるなんて、私ったら今までどんだけ悪さしてきたの……。我ながら呆れるわ。
「お母様、謝罪の手紙ぐらい自分の言葉で書きますわ」
「えぇ……そうなの? 貴女がそんなこと言うなんて。どうしちゃったの?」
がくっ。お母様にとって私は謝罪もできない娘だったのね……。
「今回の件は……さすがに私から何かしら処分を下さないといけないな。許しておくれ」
「はい。当然ですわお父様」
処分という言葉に自然と身構える。
「そうだな……じゃあ……」
お父様は顎に手を当てウーンと唸った。
私は何を言われても受け入れようと決心していた。
「ディアナは本日より三日間部屋で謹慎とする! しっかりと反省すること!」
「……? ……承知しました」
たった三日の謹慎……それだけ???
私はまたも拍子抜けした。