もう一度あなたに
強い雨が降りしきる中、男は崖淵へ向かっていた。追手がすぐそこまできている。好都合だ、と男はほくそ笑む。
第二王子とその近衛兵数名は森を進み、ついにその男を囲んだ。
男は焦る様子は微塵もなく、虚な目で王子に語りかける。
「あれから三年経ちましたね、殿下」
男はローブを外し、雨に濡れた前髪を掻き上げた。
「あの子のこと、覚えておられますか?」
男は意味深な笑みを浮かべると、王子の瞳が揺れ、いまにも泣き出しそうな顔つきになった。
主人の異変に勘づいた近衛兵たちが、即座に男を魔法で拘束して諌める。
「無礼であるぞ!」
バチン、と近衛兵たちが風の鞭で男を打つ。一度、二度、三度目で男は血を吐いて倒れた。あと一度打てば気を失い、もう一度打てば絶命するであろう。
近衛兵が鞭を持った腕をもう一度振り上げた時、王子はその手を制して止めた。
「……よい。こやつとはまだ話すことがある」
「ですが殿下……!」
「頼む」
王子のその悲痛な表情を見ると、近衛兵は何も言えなくなった。
雨の音が激しくなる。
光の縄で拘束されて座り込んでいる男に、王子は自ら目線を合わせた。
「あの人のことを忘れたことなど、ひと時もない」
王子が低い声でそう答えると、男は憎悪の表情を見せた。
「ハハッ、それなら話が早いです」
「何?」
「あの子にもう一度会えますよ。今まさに条件が揃いました。王族の血肉、変異の血肉、そして今日はあの子の生誕の日……時を戻す術の条件が揃ったのです」
「……気でも狂ったのか」
「いいえ正気です。この術を使えば、今から十年巻き戻すことができます」
「……そんなこと、できるはずがない」
「やってみせます。私は今度こそディアナと理想の世を実現させなければならないので」
「黙れ、気安く彼女の名を呼ぶな」
「まだ婚約者気取りですか? 貴方が処刑したんですよ。分かってます?」
「黙れと言っている! お前が彼女に関わらなければこんなことにはならなかった……!」
王子は男の胸ぐらを掴んで詰め寄った。
その瞬間、男は待っていたかのように自身の残された能力を解放した。
男の体は強い炎につつまれ、瞬く間に灰と化した。そして王子もそのまま炎の塊に飲まれた。
すると辺りは眩い光に満ちて、すべてが巻き戻った。
王族の血肉。
変異の血肉。
そしてその者たちと深く関わりのある死者が生誕した日。
この条件のすべてが揃えば、時は十年巻き戻る。
別の時空へ行ってしまった死者の魂は呼び戻され、再びこの世に降り立つ。