第八回 黄公子受難
さて、都一番の大金持ちである黄周は頭を悩ませていた。
黄周の家の庭には、大きな梅の木がある。
「父上、どうかしたんですか?」
一人息子の黄竣が尋ねると、黄周は窓の外を見つめたまま言った。
「今年、あの梅の実がなるかどうか、それが気になってな」
黄家の庭園に植えてある梅の木は古木である。その周辺には池があり、前後に橋が架けられて壁は高く、建物は雄大で堂々とした風格に満ちている。
中庭には休憩用の建物や築山、植木、花畑のほかに様々な大きさの池があった。
『 木を植えていない庭は髪の無い絶世の美女同然であり、池の無い庭は顔の無い絶世の美女も同然である』
このような言い伝えがあるほど、富裕層にとって庭園に木や草花を植えたり池を作ることはとても重要な意味があった。
「今年は冬に木を切りすぎたようですから、去年のようにはならないでしょう」
黄竣はそう答えたが、黄周は首を振った。
「ああ、私もそう思っているよ。ところで……」
黄周は振り返って息子の顔を見ると、厳しい声で言った。
「もうすぐ北西にある成風町で祭礼がある。その祭礼の準備のための荷物をお前に運んでもらいたいのだ、去年まで積み荷を運んでくれていた陸さんが加齢のためにもう若い衆に任せたいそうでな。
他に手の空いている者を探したのだが皆忙しくてな、お前に頼むことにしたのだ。積み荷とこの手紙を持って行って、李知春という商人を訪ねるように」
黄周はそう言うと黄竣に手紙を渡した。
「はい」
黄竣はそう言うと手紙を懐に入れて庭を出て出発の準備を整えた。
そうして次の日、黄竣は李知春に渡す手紙と積み荷を乗せた荷台を引いて北西にある成風町を目指して出発していった。
黄家の屋敷から成風町までの距離は結構あり、普通に行けば丸三日はかかるような距離だった。
しかし、黄竣の引く荷台には車輪が四つあるため普通の二倍の速度で進むことができ、途中で道に迷うこともなかったので一日で成風町の近くにある成風山へたどり着いた。
「よし、この成風山を越えれば成風町までは目と鼻の先だ」
黄竣はそう呟いて気合いを入れると、成風山を越えることにした。
「おや?」
山道を歩いていると、桑の木が立っているのが見えた。そしてその木の枝には小さな鳥の巣があり、雛が親鳥に向かってピーピーと鳴いていた。それを見た黄竣はとても幸せな気持ちになった。
「うん、これは縁起がいいな」
黄竣はそう呟くと、小さな木を見つけてそこで野宿することにした。
その日の夜、焚火を見ながら黄竣がうつらうつらしていると周囲に人の気配がするので目を凝らしてよく見ると二組の男女がお互いを抱きしめ合い、口づけを交わしていた。
(あれ、これはまずいところを見てしまったぞ。こっそり退散しよう)
黄竣は慌ててその場から離れようとしたが、体が動かない。何故かその妖しくも美しい光景に見入ってしまっていた。
「ん……ふふふ」
青い髪の女性が妖しく笑うと、それに呼応するようにもう一人の女性が嬌声を上げる。
「ん……あっ……あふっ」
その様子をぼんやりと黄竣が見ていると、また男女は唇を重ねてお互いの身体を愛おしむように抱きしめ合った。
(これは夢なのか?)
そう思いながら黄竣は身動きが取れない自分の無力さを呪った。やがて女性のうちの一人がふとこちらを見た気がした。
(まずい!)
そう思ったのもつかの間、すぐにその女性は視線を逸らすと男女は再びお互いの愛を確かめ合った。
「はぁ……はぁ……」
次に目を開けた時、黄竣は異変を感じた。心なしか女たちと抱き合っている男たちの顔が徐々に瘦せこけていくのが見えた。
「!?」
黄竣は驚いて、あたりを見回そうとするが相変わらず体は動かない。
そのうちに男たちはミイラのように干からびていき、骨と皮だけになった。そして、男のミイラは乾燥して崩れ落ちると、それきり動かなくなった。
「うわぁ!」
黄竣は思わず叫んだ。夢が覚めたのではなく、これは現実に起こっていることだと感じ取ってしまったからだ。
(助けてくれ!)
黄竣は必死で叫びたかったが、声を出すことができない。そして次の瞬間にはミイラが崩れて砂になり、風に乗って塵のように消えてしまった。後に残ったのは白い頭蓋骨のみである。
「んふふふふ、今までいろんな方法で人間を食べてきたけどやっぱり生きたまま男の精気を吸い尽くすのが最高ね!」
(な、なんだって!?)
黄竣は女の言葉の悍ましさに背筋が凍った。女はさらに続けて言う。
「ねえ、亜喘。次はどの男を食べる?」
「私はもう十分なくらい満腹になりましたから、そこで焚火にあたっている男は解無様がお召し上がりくださいませ♪」
(あ……あぁ……)
黄竣は恐怖のあまり何も言うことができない。
(誰か助けてくれ!)
そう思ってもやはり体は動かない。そして二人の女は既に黄竣の目の前に立っている。
「解無様、どうぞお召し上がりください」
亜喘が黄竣の頭を掴んで言うと、解無と呼ばれた女は答えた。
「うーん、そうね……ふふっ。面白いことを思いついたわ」
そして解無は自身の青白い唇を舌で舐めると口を開けて蛇のように長い舌を黄竣の口の中へ滑り込ませた。
「むぐぁ!?」
黄竣は口の中に何か異物が入って来たのを感じて驚き、必死に頭を振って解無を自分から遠ざけようとしたが、解無は離れない。それどころかさらに深く黄竣の口の中に自身の舌を侵入させる。
(うわあああぁぁぁぁぁぁっ!)
黄竣は自分の口の中で蠢く解無の舌に嫌悪感を感じて絶叫しようとした。しかし声は彼女の唇に塞がれて出ず、抱きしめられて体も動かない。その間も解無は長い舌を巧みに動かして黄竣の口内を蹂躙する。
(うわ……うわあああぁぁっ!)
黄竣は心の中で悲鳴を上げた。その時、解無が彼の唇から自身の唇を離して言った。
「そろそろ頃合いね」
解無はそう言って黄竣から離れた。やっと解放された黄竣ははぁはぁと呼吸を乱して喘いでいたが、ふと口内に違和感を感じた。
(何だ?何をするつもりだ?)
そう考えて言葉を発した次の瞬間であった。
「ぶひ?ぶひぶひぶひぃ?」
黄竣は驚いて悲鳴を上げた。彼の口から豚のような鳴き声が発せられたのである。
(何が起こったんだ?)
黄竣は自分の身に何が起こったのかわからなかったが、解無と亜喘の二人が爆笑しているのを見て全てを理解した。
(そんな……まさか、こんな……)
黄竣は絶望のあまり言葉を失った。しかし彼はすぐに思い直すと心の中で強く願った。
(こんな酷いことをしないでくれ!)
「ぶひぶひぶひぃ!」
そう願って声を上げても彼の声は豚の鳴き声にしかならない。解無と亜喘は更に笑い続けている。
「キャハハハハハ!解無様ったらこんな不細工なデブに妖術をかけて何をなさるのかと思ったら……もう傑作!アハハ!」
亜喘はそう笑いながら黄竣の腹を殴り、蹴りつけた。解無も笑いながら言う。
「豚よ、豚!今のあんたは豚よ!せいぜい醜くぶひぶひ言っていればいいわ!あっはははは!」
二人の女はそう言って笑い続けた。しかし、黄竣の絶望はその比ではなかった。
(嘘だ……こんな馬鹿なことがあってたまるものか……)
そう思ってもやはり体が動かず、ただされるがままになっていることしかできない。
「くっく……アハハ、解無様ぁ、この豚はどうなさいます?」
こみ上げてくる笑いを堪えながら亜喘が言う。
「そうねぇ、今はお腹いっぱいだし……ただ殺すのは勿体ないわ。そうだ、麓の成風町へ逃がしてあげなさい。どうせあの町の人間どもは私たちが食べ尽くすんだから、食料は多い方が良いでしょう?」
解無が悪意に満ちた笑顔でそう言うと、亜喘が答えた。
「かしこまりました♪」
そう言って彼女は黄竣の両足を持って彼を持ち上げると、山道を歩き始めた。
(うわっ!やめろ!)
「ぶひっ!ぶひぃぃ!」
黄竣はそう叫んだが、二人の女は彼の叫びを無視して歩き続ける。しばらく歩くと解無が言った。
「ほら、ここらで良いでしょう?さっさと逃げなさい!」
亜喘に地面へ放り出された黄竣は解無に尻を蹴られて転がりながら山道を滑り落ちて行った。彼は豚のような悲鳴を上げることしかできず、そのまま転がり落ちて行った。
「ぶひぃ……ぶひぃ……」
彼は悲しくも豚のような声を上げて山道を滑り落ちていったが、途中で岩にぶつかって止まった。そして彼はその衝撃と痛みで我に返った。
(まずい、早く逃げないと)
そう思った黄竣は急いで立ち上がり、成風山を駆け下り始めた。時刻は夜明け前だが、辺りは、まだ暗くなっているため足元がよく見えず何度も転びそうになる。
黄竣は必死で走って麓の成風町へ到着する頃には日が昇り始めていた。彼は町の人通りが多くなる前に建物の影に隠れ、何とか難を逃れることができた。
(ふぅ……助かった)
黄竣は一息ついて安堵の溜息をついたが、すぐにこれからどうすればいいのかという不安に駆られた。
(人の言葉が話せないまま、どうやって生きていけばいいんだ……)
黄竣がそう考えた時、ふと見覚えのある人影が見えたので物陰から覗き込んでみると視線の先には20代前後の若い男の姿が映り、長い黒髪に白い旅装束を身につけ、頭には笠を被り、右手には僧侶が持つような長い錫杖を手にしている。一見するとただの旅の僧侶のように見えるが、何やら神秘的な雰囲気を持つ青年である。
(あ、あの御方は以前俺が狐の妖怪に妖術で操られた時に助けてくださった善地三太子様じゃないか!もしかしたらあの時みたいにまた助けてもらえるのでは……!)
黄竣が目にしたのは間違いなく衆生界の守り神である善地三太子の冠永であった。彼は凌桃華が邪眼の妖狐として犯した罪の贖罪のために旅を彼女と共に続けていた。その傍には凌桃華が冠永と手を繋ぎながら寄り添っていた。傍から見れば恋人同士か新婚夫婦にも見える。
そしてその後ろには彼らのお目付け役である神界の裁判長である晴天法王と神界の書記官である神記官の秀鈴、そして旅の女書生の封雯馨が歩いていた。
(あ、あれ?でも待てよ……善地三太子様と手を繋いで歩いている女は、あの時俺に妖術をかけて高価な着物を貢がせようとした狐の妖怪!?どうして善地三太子様はあの妖怪女と仲睦まじく歩いているんだ……?)
黄竣は状況が理解できずに混乱していると、冠永たちが町の茶館に入って行くのが見えた。
(と、とりあえず、様子を窺ってみよう……何かわかるかもしれないし、もしかしたら善地三太子様が俺を助けてくれるかもしれない)
そう思った黄竣は茶館の窓に近づき、窓から彼らの様子を窺うことにした。
一方その頃、冠永達が茶館の店内へと入ると昨日接客をしていた女性店員が沈んだ表情をしていた。
「ねえ、お姉さん。なんだか元気がないみたいだけど何かあったの?」
凌桃華は女性店員にそう声をかけた。彼女は寂しそうに微笑みながら言う。
「実は昨日夫がお茶菓子の材料になる果物を成風山へ採りに行ったまま、帰ってこないんです。何か事故があったんじゃないかと思って心配で……」
女性店員の言葉に冠永が反応する。
「成風山へ?それでしたら我々が様子を見に行きましょう」
冠永がそう言うと、女性店員は何度も礼を言った。
「ありがとうございます!でも、皆さんにお願いするのは……」
「いえ、心配しないでください。我々は人助けをしながら旅を続けているのでこれぐらいのことは
朝飯前ですから、ね?みんな」
冠永がそう言って他の四人の顔を見回すと一同はすぐに頷き返す、女性店員は深々と頭を下げて礼を言った。
そして彼らは成風山へ登る準備を始めようとするとそれまで窓から店内を覗いていた黄竣が大慌てで茶館へ飛び込んできた。
(善地三太子様、ダメです!成風山には妖怪がいて、みんな食べられてしまいます!信じてください!!)
「ぶひぶひぶひぃ!ぶっひぶひぶひいいいいいいん!!」
冠永たちへ訴えかけようとする黄竣だが、彼の発する言葉は全て豚の鳴き声に変換されてしまうため、冠永たちは面喰ってしまった。しかし冠永は冷静に言った。
「どうしました?あなたは何を言っているのですか?」
「ぶひ!ぶひっ!ぶっひひひぃ!」
黄竣が必死になって訴えかけようとしていると、女性店員が不思議そうな顔をして彼を見ていた。
(あぁ……ダメだ……もうおしまいだ……)
黄竣は絶望して、その場に跪いた。その時、封雯馨が冠永に言った。
「三太子様、もしかしたらこの人は妖怪の妖術で言葉を話せなくされてしまっているのかもしれません。私は妖怪の妖術を解呪するための薬湯を作れますので、ここは私にお任せしていただけないでしょうか?」
「わかりました。でも封さん、薬湯を調合するための材料は持っているのですか?」
冠永の質問に封雯馨は力強く頷いた。
「勿論です!これでも私は諸国を旅をする書生なのですから、薬草についてはしっかり勉強しています。材料は鞄の中に入っていますので、しばらくお待ちください」
封雯馨がそう言うと女性店員は快く厨房を使わせてくれた。すると封雯馨は慣れた手つきで薬湯の調合を始め、五分ほどで完成させた。
「はい、これを飲んでください」
封雯馨はそう言って黄竣に薬湯の入った器を渡すと彼は受け取り、中身を一気に飲み干した。すると不思議なことに先ほどまで豚の鳴き声にしかならなかった言葉が人の声に変わるようになった。
「ありがとうございます!あなたは命の恩人です!」
黄竣が喜んでそう叫ぶと、封雯馨はにっこりと微笑んで言った。
「どういたしまして♪」
「無事に妖術が解けたようで何よりです。あれ?あなたはもしかして都一番の大金持ちの黄周殿の御子息の黄竣殿では……?」
冠永に名前を呼ばれた黄竣は感激のあまり涙をこぼした。その様子を冠永の隣で見ていた凌桃華は気まずい思いをしていた。
(黄竣さん?黄竣さんってもしかして私が邪眼操心術で高価な着物を貢がせようとしていたあの黄竣さんなの!?ど、どうしよう。なんて謝ればいいの……?)
偶然にもかつて自分が金品を騙し盗っていた被害者と対面してしまった凌桃華は、困惑して頭が真っ白になっていた。そんな彼女を見て冠永は笑顔で言う。
「大丈夫だよ、桃華。黄竣殿には私が詳しく説明しておくから安心しなさい」
「冠永さん……ありがとうございます!」
冠永の言葉に凌桃華は頭を下げて感謝した。その様子を見ていた黄竣は状況がわからず困惑していた。
(どうしてこの女が善地三太子様に名前を呼ばれているんだ?それにどうして善地三太子様はこの女の心配をなさるのだろう?)
黄竣は心の中でそう思いながら冠永たちの様子を不思議そうに見つめていた。
「黄竣殿、桃華が……彼女が都の男性たちに妖術をかけて金品を貢がせていたことは本当です。しかし彼女は自身の罪を償うために私と共にこの衆生界で苦しんでいる人々を助けながら贖罪の旅を続けているのです。私は彼女と共にその罪を背負い、償うことを誓いました。だから、どうか桃華を責めないでやってください」
冠永がそう言うと、黄竣は驚いて言った。
「えっ!?そんな、善地三太子様はこの女の罪を許すというのですか!?」
驚く黄竣に凌桃華は頭を下げたまま答えた。
「黄竣さん……本当に申し訳ありませんでした!」
「え?」
凌桃華の突然の謝罪の言葉に黄竣は驚くばかりだった。
「私は遊ぶお金欲しさにあなたに妖術をかけ、高価な着物を貢がせようとしました。それは大変罪深い行為だと自分でもわかっています。でも、私はこれからも悔い改め、罪に対して真摯に向き合っていきたいと思っています。これまでの私の行いは決して許されるものではありませんが、今後二度と同じ過ちを繰り返さないよう反省し続けます。どうかお許しください」
凌桃華が謝罪しながらそう言うと、黄竣は驚きを通り越して動揺していた。
「え……えっと……いや……」
黄竣はなんと答えればよいのかわからず、言葉を詰まらせてしまった。そこへ冠永がそっと彼の肩に手を置いた。
「黄竣殿、桃華は貴方のおっしゃる通り罪を犯しました。しかし彼女も反省し、自らの行いを悔い改めるために日々善行を積んでいます。どうか桃華のことを許していただけないでしょうか?」
「あ……あの……」
黄竣は何を言うべきか困り果てていると、彼女の罪に対して冠永と共に贖罪の旅に出るように判決を下した神界の裁判長である晴天法王も助け舟を出した。
「黄竣殿。この晴天法王からもお願いいたす。彼女には神界の裁判長としてこれ以上罪を重ねないようにしっかりと教育していくつもりだ。どうか信じてもらえぬだろうか?」
晴天法王の説得に黄竣は困惑しながらも静かに頷いた。
「わかりました……善地三太子様や晴天法王様がそうおっしゃるのでしたら……」
黄竣がそう言うと冠永も晴天法王も安心して笑顔になった。それを見ていた封雯馨は微笑ましく思っていた。
(よかった……桃華さんは自分の罪と向き合い、日々善行を積んでいる。きっといつか桃華さんの罪が許される日が来る筈だわ)
封雯馨がそう思っていると、時間はいつの間にか正午になっていた。
「あら、もうお昼の時間だわ。皆さん、昼食にしましょう」
秀鈴がそう言うと、黄竣も冠永たちに言った。
「あ……あの……俺もご一緒していいですか?」
黄竣はそう尋ねたが、誰も反対する者はいなかった。むしろ彼を歓迎するような雰囲気だった。
「勿論です!一緒にご飯を食べましょう!」
冠永と凌桃華が快く返事をすると黄竣は嬉しそうに礼を述べる。そして六人は茶館を出て近くにある食事処へと向かうのであった。そこで黄竣は自分が妖怪に襲われたことや犠牲者が出ていることも冠永達に報告した。
「なんですって!成風山に妖怪が……?」
黄竣の報告に驚きの声を上げる冠永。
「はい、しかも妖怪は成風山を訪れた旅人や地元の人たちを喰い荒らしているようで……さらにその妖怪たちはここ成風町を襲撃するとも言っていました」
「それは恐ろしいですね……一刻も早く成風山にいる妖怪を討滅しないと」
秀鈴が呟くと晴天法王も相槌を打つ。
「うむ、今回は犠牲者も出てしまっている。一刻も早く手を打たねば……」
「このままでは手遅れになってしまうわ。冠永さん、アタシ、茶館の御主人の安否を確かめに行って来ます!」
食事を終えた凌桃華が食事処を出て行こうとすると、冠永が引き止めた。
「桃華、君だけでは危険だ。私も一緒に行こう。法王様は妖怪を足止めできるよう、結界の準備をお願いします」
「うむ、心得た。妖怪の襲撃に備えて準備をしておく」
冠永と桃華は店を飛び出し、成風山へと向かった。二人は町の中を風の様に駆け抜けて行った。そしてしばらく走ると成風山の麓へ辿り着いた。
「ここが成風山か……妖怪の気配はしないが、異様な空気を感じるな」
冠永がそう言うと凌桃華も頷く。しばらく二人で山道を歩いていると、冠永の足に何かが当たった。
「ん……?こ、これは!男性用の靴じゃないか!」
冠永は驚いて叫んでしまう。すると近くで何かが見えたので二人は驚いて茂みの中へ入っていくと、そこにはボロボロに朽ち果てた人の頭蓋骨が転がっていた。
「これは……妖怪の犠牲者の……」
凌桃華が呟くと、冠永は悔しそうに唇を嚙みしめた。そして周囲を見渡すと、犠牲者の物と思われる衣服が散乱していた。更に「成風茶館」と書いてある前掛けが頭蓋骨の傍に落ちていた。
「ま、まさか……この御遺体はあの茶館の御主人では……!?」
凌桃華がそう言うと、冠永は目を瞑り静かに手を合わせて祈りを捧げた。
「こんなの……こんなのあんまりよ!茶館のお姉さんにどう説明すればいいの……?」
無残な姿となった茶館の店主の遺体を見て凌桃華は目に涙を溢れさせながら嘆き悲しんだ。冠永は瞳を閉じながら犠牲者を助けられなかったことを心から悔やんだ。
そして冠永は怒りに燃えて拳を強く握りしめた。その様子を見て凌桃華も意を決し、布袋へ茶館の主人の頭蓋骨と遺留品を供養するためにそれらを収納した。
「行きましょう、冠永さん!成風山の妖怪は必ず私達が倒さなければ!」
凌桃華の力強い言葉に冠永は頷いた。そして二人は妖怪の居場所を探ろうと、周囲に邪気を放つ者がいないかと全神経を集中させながら様子を探った。しかし、一向に邪気を感じ取ることができなかった。
「しまった、妖怪はもう成風町へ向かったのかもしれない!」
冠永の言葉に凌桃華は頷いた。
「急ぎましょう!町には法王様が結界を張っているとはいえ、万が一のことがあるかもしれないわ!」
「ああ!」
冠永と凌桃華は成風山を駆け下りて町へ戻っていった。既に日は傾き、時刻は夜になろうとしていた。
その頃、成風町では晴天法王が町に結界を張り終えて町の人々を広場へ集めて避難させていた。すると町の入口に張った結界に何かがぶつかる音が響いた。
「あ痛っ!?もう!なんで町の門に結界が張ってあるのよ!!」
晴天法王が張った結界を鬼や妖怪は通り抜けることはできない。即ち町の門の前で立ち往生している怪しげな二人の女は妖怪であるということだ。その妖しい気配に気付いた晴天法王は秀鈴と封雯馨に目配せすると、二人は頷いた。
「黄竣殿、すまないが町の人々に門の入口には近づかぬように伝えてもらえないか?」
「は、はい!」
晴天法王の言葉に黄竣は急いで町中を走り回る。その様子を見ていた法王は秀鈴に目で合図を送った。秀鈴はそれを確認すると彼女は険しい表情を浮かべて鬼や妖怪の気配がする方へと向かっていった。
「この結界を解除なさい!さもなくば町の人間ごと焼き尽くすわよ!」
門の前で立ち往生している二人の女……解無と亜喘は舌打ちしながら結界を蹴破ろうとしていた。そこに秀鈴と封雯馨が駆けつける。
「待ちなさい!あなたたちは妖怪ね?」
秀鈴がそう言うと解無と亜喘は驚いたように振り向き、お互い顔を見合わせた。
「な、何者……!?」
亜喘が警戒心を抱きながら言うと、封雯馨は右手の封印を施している包帯を解きながら身構える。
「私達が相手です!あなた達が人々に仇なす悪しき妖怪だとわかった以上、見過ごすわけにはいきません!霊気解放!!」
封雯馨が叫ぶと同時に包帯を解かれた右手が光り輝く。
「菩薩煌掌!」
封雯馨の右手から放たれる光の奔流が解無と亜喘に襲い掛かった。解無と亜喘はすんでのところで回避する。
「ふっ!やるわね、小娘!」
「おのれえ!人間の書生の分際で小癪な真似を!!」
解無と亜喘は封雯馨を睨みつけながら言った。すると晴天法王は目を瞑り、呪文を唱え始める。
「聖なる光よ!我が手に集い敵を討て!浄魔神弓!!」
晴天法王が詠唱を終えると彼の右手に光の弓が顕現した。彼はその弓を構えると、解無と亜喘に狙いを定めた。
「くらえ!魔破天光矢!!」
晴天法王が矢を放つと、解無と亜喘の二人は攻撃を避けたが、彼女らが避けた光の矢は夜空高く飛び上がっていき、空中で爆発した。するとその衝撃波によって周囲の木々が激しく揺れた。
「くっ!?すごい威力だわ、あの中年オヤジ只者じゃないわね……」
解無が忌々し気に歯軋りすると、亜喘は憎々し気に晴天法王を睨む。
「くそっ!このままでは埒が明かないわ!一旦撤退しましょう!」
解無の言葉を聞いた亜喘は舌打ちしながらも頷いて彼女に続いた。解無と亜喘の二人はそのまま成風山の方角へ駆けて行った。そんな彼女たちの前に二つの影が立ちふさがった。
「お前たちを逃がすわけにはいかない!」
「あなたたちはこの凌桃華が成敗するわ!」
その正体は冠永と凌桃華であった。二人は素早く臨戦態勢に入ると冠永は錫杖を構え、凌桃華は懐から瓢箪を取り出してその蓋を開けると瓢箪の口が光輝き、中から破邪斬魔双剣が飛び出した。
「凌桃華ですって!?おのれ、ここで会ったが百年目よ!お前を魔界へ連れて帰れなかったせいで、私は天魔王様の信任を失い、魔界王妃の座に輝く機会を失ったのよ!!今ここでその借りを返させてもらうわ!!」
解無がそう言うと、凌桃華は10年前に彼女が両親から幼い頃の自分を連れ去ろうとしていたことを思い出した。
「あなたは……あの時の……!」
凌桃華は怒りに燃える解無を見て、彼女が成風山で茶館の店主を殺害した妖怪であることを悟った。
(こいつをここで倒しておかなければ、また犠牲者が出てしまう!)
そう思い、破邪斬魔双剣を握りしめる凌桃華。そんな様子を見ていた冠永は安心させるように言った。
「安心して桃華。君のことは私が守る」
そう言った瞬間、冠永は解無と亜喘へ飛びかかって行った。凌桃華も冠永に遅れまいと解無に斬りかかる。
「はぁぁっ!!」
冠永は錫杖で亜喘を何度も殴打し、解無も負けじと錫杖を持つ冠永を殴りつける。そして解無は革の鞭を振るって凌桃華に襲い掛かるが、彼女はそれを避けた。
「くそっ!異端の妖怪風情が……!」
解無が悔し気に呟くと、凌桃華は得意げに言った。
「あなた魔界三魔将の一人らしいけど、全然たいしたことないわね。そういえば10年前に母様に斬り落とされた御自慢の角は新しく生え変わったのねぇ、お・ば・さ・ん!」
「き、貴様あぁ!言わせておけばああああ!!」
凌桃華に挑発されて激昂した解無は彼女に襲い掛かるが、冠永が凌桃華を守るように立ちふさがり解無の攻撃を防ぐ。そして冠永は錫杖で解無の腹と足を突き、転倒させた。
「ぐがあああああああ!!」
解無が絶叫しながら地面に倒れ伏す。すかさず凌桃華が追撃しようとすると解無は憤怒の表情を浮かべて立ち上がると両手に青い炎を出現させた。
「おのれええええええ!これで貴様らもお終いだ!!喰らえ!煉獄牢封陣!」
解無が両手を前に突き出すと巨大な青い炎の渦が出現し、あたり一面を青い炎が包み込んだ。
「くっ!炎の勢いが強い!!」
「冠永さん、この炎は私が吹き飛ばすわ!」
凌桃華は破邪斬魔双剣から火を消すための強風を作り出そうとしたが、そこへ亜喘が立ちはだかり、華奢な両腕を丸太のように太く巨大化させると凌桃華を殴りつけた。
「解無様の邪魔はさせないわ!あんたたちはここで焼け死ぬのよ!!」
「きゃああああッ!」
亜喘の巨大化した丸太のような太い腕で殴られた凌桃華は吹き飛び、地面を転がった。冠永はそんな彼女を受け止める。
「桃華、大丈夫か!?」
「ええ……何とか……冠永さん、ありがとう」
凌桃華はそう言いながら立ち上がって再び解無と亜喘に向き合った。すると亜喘は両腕を地面につけると妖力を注ぎ込んだ。
「ふふふ……これで終わりよ!地鳴封衝!」
亜喘が叫ぶと同時に彼女が触れている地面が揺れ始め、その揺れは大きく激しくなっていき彼女の周囲に衝撃波を発生させ、冠永と凌桃華の動きを封じる。
「ふふ……もう逃げられないわよ」
「さあ、覚悟なさい!」
冠永と凌桃華が青い炎に包囲されるのを見て勝ち誇ったように叫ぶ解無と亜喘。しかし凌桃華は余裕のある笑みを浮かべていた。
「甘いわね。あなたたちと戦っているのはアタシたちだけじゃないのよ」
すると、突然周囲に青い折り紙で作られた無数の折り鶴が飛び回ったと思うと折り鶴は大粒の雨に変わり、解無の煉獄牢封陣が作り出した青い炎を消火したのである。
「ば、馬鹿な!?」
驚愕する解無と亜喘。すると上空に巨大な白い折り鶴に乗った秀鈴と封雯馨、そして晴天法王が現れた。
「魔界三魔将の解無。あなたの炎は私の青玲鶴雨で掻き消しました、観念なさい。三太子殿下、桃華さん、攻めるなら今です!」
秀鈴がそう言うと、冠永と凌桃華は頷き合った。
「行こう、桃華!」
「はい!冠永さん!」
そして二人が解無と亜喘に攻撃を仕掛けようとしたその時であった。
「待ってください!」
突然、若い女性の声が周囲に響き渡る。果たして女性の声の正体は?それはまた次回の講釈で。
※注釈
築山…庭園に山をかたどって小高く土を積み上げた所。