第五回 夜交羅刹市
夜交羅刹市。それは衆生界でも特に異彩を放つ市場であり、人間だけではなく鬼や妖怪も商売を行っている。多くの人や魔物が集まる場所でもあり、夜交羅刹市では代金を支払えば手に入らない物は無いと言われているが、違法な取引も横行しているという噂もあるために、警邏を行う夜交羅刹市所属の鬼が常に巡回している。
夜交羅刹市は別名『万商街』とも呼ばれており、露店が立ち並ぶ大通りを中心に、市場通り、飲食店通り、商店街通りといった様々な通りがあり、昼は活気に満ち溢れるが、夜になると妖しさが漂う場所でもある。
夜交羅刹市の北側に位置する場所にあるのは夜交羅刹市の元締めにして唯一無二の存在である亘夜愁が経営する黒雲羅刹大王という商店だ。名前の通り、黒雲羅刹大王は黒い雲に包まれた巨大な城のような店舗で、屋根からは大きな鴉が見張っている。この店舗を出入り出来るのは夜交羅刹市の管理者か亘夜愁に認められた者しか入れないという。
そして今、この店に潜入調査に入った神界の裁判長である晴天法王、衆生界の守り神である善地三太子の冠永、神界の書記官である神記官の秀鈴、そして凌桃華の四名は晴天法王と冠永、秀鈴と凌桃華の二組に分けられて接待を受けていた。
「この葡萄酒は市場通りで仕入れた物なんです。結構、高かったんですよ」
接待役の鬼の女性が微笑みを湛えて葡萄酒の入った酒壺を冠永に差し出すと、彼は軽く会釈をしてそれを受け取り、口を付ける。
「それにしてもお客様は本当に奇麗な御髪をされていらっしゃいますわね。触ってもよろしいかしら?」
鬼の女性が冠永の黒髪を見やり、彼へ問いかけると冠永は苦笑しながらも頷く。鬼の女性は嬉々として冠永の黒髪を優しく撫でて感嘆の声を漏らした。
「ふふ、本当に素敵……ああ、綺麗すぎて嫉妬しちゃいます」
髪を褒め称える言葉と裏腹に女性の目は妖しく輝いており、冠永は思わず見とれてしまいそうになるがその気持ちを抑えて彼女に語り掛けた。
「ハハハ……ところで店主殿の姿が見えないようですが、今どちらに?」
「店主様はお連れのお嬢様方の接待をしております。あぁ……もうしばらくでこちらにもお見えになると思いますよ」
「そうでしたか。なら、待つとしましょう」
「はい。是非ともそうして下さいませ」
鬼の女性は笑みを浮かべて一礼すると、接待役が板についているらしく優雅に立ち去っていった。そして残された晴天法王と冠永は改めて店内を見回して感想を呟く。
「素晴らしいな。これほどまでに混沌とした場所にも拘わらずこの部屋は整然としていて邪気を感じない。噂とは大違いだな、それともこれは見せかけだけの幻術の類なのか……のう、三太子殿?」
「そうですね。しかし油断は禁物ですよ」
「うむ、お互い警戒は怠らぬようにしよう」
冠永と晴天法王は顔を見合わせながら周囲を警戒した。
周囲で客の接待をしている鬼の女性たちも見目麗しく、皆一様に美女揃いである。人とは別の美しさを持ち合わせており、さらに頭から異形の角を生やしていたため、鬼であるとすぐにわかる。しかし誰一人として客として訪れている人や妖怪、鬼たちにも分け隔てなく接客をしている様子は一般的な大衆酒場と変わりなかった。
そしてしばらくすると、奥の通路から高価な着物に身を包んだ美しい鬼の女性が姿を現し、彼らの許へやって来た。
「この度は当店へようこそお越しくださいました。私が店主の亘夜愁の妻、羅扇と申します」
羅扇が改めて来店の礼をすると、晴天法王はその振る舞いに微笑みながら応じた。
「あぁ、よろしく頼みますぞ……しかし何じゃな?お主の所作一つ一つに上品さが感じられるな。立ち居振る舞いも実に美しい……」
「うふふ、お誉めいただきありがとうございます。さすがは神界の神様でいらっしゃいますわね」
彼女の言葉を聞いて晴天法王と冠永は思わずぎょっとしてしまった。いつ自分たちの正体がバレてしまったのかと内心冷や汗をかくが、すぐに羅扇が心を読んだかのように理由を告げる。
「実は夫から今日、神界からお客様が来られると聞かされまして……それで皆様をご招待したわけなのです」
羅扇が事情を説明すると晴天法王たちは納得したように頷き、改めて店内を見回す。すると羅扇は先ほどまでの柔和な表情から一変して真剣な表情で彼らに語り掛けた。
「御二人に折り入ってお願いがございます。近頃この夜交羅刹市で麻薬や人肉の売買まで行われているという噂を耳にしました。ただ、この市場でそのようなものは取り扱っていないことを信じていただきたいのです。夫も私も人や鬼や妖怪が自由に商いをし、共存できる場を作りたいだけなのです。その気持ちに偽りはございません、夫はそのような噂を流しているのが何者であるかを突き止めるために毎日周辺一帯を警戒しております。どうか夫にお力添えいただけないでしょうか?」
羅扇の真剣な眼差しを受けた晴天法王たちは気圧されるように無言で頷いた。すると冠永が口を開く。
「では噂の出処の調査に協力するにあたり、我々も正体を明かしましょう。私は善地三太子の冠永、そしてこちらの御老人が神界の裁判長であらせられる晴天法王なのです」
「まあ!神界でも高い地位にいらっしゃる神様に協力していただけるなんて光栄ですわ」
羅扇は驚きながらも嬉しそうに目を輝かせながら喜び、晴天法王も穏やかな面持ちを浮かべて語り掛けた。
「うむ、お主の夫とは良い酒が飲めそうだ。共にこの市場の悪しき噂を晴らしてみせようぞ」
「はい、よろしくお願い致します!それでは私についてきてください」
羅扇はそう告げると彼らを引き連れて店の奥へと案内した。するとそこには広い空間が広がっており、大量の酒樽や木箱が所狭しと並べられている。どうやら倉庫のようであるが、その奥には大きな扉があり、奥から光と共に人々の喧騒も響いてくる。羅扇が扉を開けるとそこには多くの妖怪たちが集まっていた。鬼はもちろんのこと、獣の姿をした妖怪たちも礼儀正しく席に座っている。そこには秀鈴と凌桃華の姿もあった。
「桃華、秀鈴!」
「冠永さんと法王様もここに!?」
凌桃華は冠永と晴天法王の存在に気付くと驚いた様子を見せ、秀鈴が羅扇の存在に気付くと頭を下げる。すると羅扇は穏やかな笑みを浮かべながら自己紹介をした。
「御二人とも初めまして、亘夜愁の妻の羅扇と申します」
「ああ……これはどうもご丁寧に。私は神記官の秀鈴です」
「凌桃華です」
秀鈴たちは頭を下げて挨拶を返し、羅扇は微笑みながら頷くと亘夜愁の隣に座った。すると亘夜愁が口を開く。
「神界からのお客様方、無理なお願いをしてしまい大変恐縮ではございますが皆様の御力をお借りできれば幸いです」
「無論、我々もそのつもりだ。そなたたちの商いをこの目で見て来たが、何も違法なことをしておらず真っ当に商売をしていることは明白だ。裏で暗躍している者の正体を暴くために、我々も力を貸そうぞ」
そう言って晴天法王は背の低い痩せた老人の姿から本来の恰幅の良い神界の裁判長である姿に戻った。それを目の当たりにした亘夜愁夫妻もその場に集まった鬼や妖怪たちも同時に跪いた。
「誠にありがとうございます。この夜交羅刹市に蔓延る悪しき噂を払拭するためにもどうかお力をお貸しください」
亘夜愁は跪き、晴天法王に向かって頭を垂れた。
すると冠永も恭しく礼をする。
「わかりました。しかし相手がどこの何者か分かりませんので、我々が調査を行っている間、皆様は外出なさらないようお願い致します」
「確かにそうですね……皆さん、今日は店仕舞いに致しましょう。我々はこれから晴天法王様の指揮の下で噂の出処を調べます」
亘夜愁がそう告げると、店内にいた妖怪たちは一斉に頷いた。そして秀鈴も微笑みながら彼らに語りかける。
「皆様の安全は私が保証致しますのでご安心ください」
それを聞いた妖怪たちは安堵して笑い、再び頭を下げて感謝した。そして夜交羅刹市では晴天法王と冠永によって調査が進められることとなったのだった。
それから晴天法王、冠永、凌桃華、秀鈴たちは店を出てから通りを歩き、亘夜愁から情報を聞き出していく中で分かったのは次のような事実だった。
まず亘夜愁が行っていた調査についてだが、彼の店がある通り一帯を隈なく調べ、不審な人物が出入りしていないかなどを調べていたらしい。しかしそのような人物を目撃した者はいなかったようだ。
次に亘夜愁たちが裏商売に手を染めているという噂についてだが、これはどうやら亘夜愁たちが経営する酒場に出入りする妖怪たちから流れてきた噂のようで、最初は単なる根も葉もない噂だったとのことだった。
そして亘夜愁の言う『悪しき噂』とはこのことではないかと亘夜愁は説明した。彼自身はそのような商売には一切手を出していないとのことだ。
「ふむ、なるほどな……しかし調査をしている中で何か変わったことは無かったか?」
晴天法王が腕を組みながら問いかけると、亘夜愁は少し考えてからこう答えた。
「そうですね……そういえば妙な出来事がありました」
「お、何だそれは?是非とも私に教えてはくれまいか」
晴天法王が興味深そうに問いかけると、亘夜愁は頷いて答える。
「私の店で働いていた従業員の何名かが行方知れずとなっているのです。いなくなった従業員たちの行方を掴もうと探していたのですが、特に手がかりが掴めずにいました」
「何だと?それはどういうことだ?」
晴天法王は驚きながら亘夜愁に問いかけると、亘夜愁は真剣な面持ちのまま言葉を続けた。
「私はこの通り一帯を縄張りとしている鬼や妖怪たちを束ねております。ですので彼らが悪さを働いたとなればすぐに気付くはずですし、そんな報告もありません。ですがここ数日でいなくなった従業員の数が十数名に上っており、中には行方不明のまま数日経っている者もいます。私共も彼らを捜索していたのですが、未だに見つかっていないのです」
「ふむ、それは由々しき事態だな……だが我々で彼らの行方を探ろうにも時間が足りぬであろうな」
「ええ、そうなのですよね……」
亘夜愁が困り果てた表情でため息を漏らした。すると凌桃華が何かを思いついたように声を上げる。
「そうだわ!亘店主、いなくなった従業員の方たちが行方知れずになる前に誰かと接触するようなことはありませんでしたか?もしくは何か怪しげな人物がこの周辺をうろついていたとか……」
「それなら考えられなくもありませんね。少々お待ちください」
亘夜愁はそう告げると立ち上がって店の奥に引っ込み、すぐに戻って来た。
「こちらが失踪した従業員たちの名簿です。そしてこれが行方知れずになった時期の従業員の行動記録です」
そう言って亘夜愁が見せた書類には行方不明になった者たちの名前と住所、さらには彼らと一緒に行動していた妖怪たちまで記されており、几帳面な字で細かく綴られていた。
「これはなかなかに詳細な記録だな……これがあれば我々が何か手掛かりを見つけられるやもしれぬ」
晴天法王が感心すると、亘夜愁は深々と頭を下げた。
「ありがとうございます。少しでもお役に立てれば幸いです」
「それで従業員の方たちはどんな風に失踪しているのですか?」
冠永が尋ねると亘夜愁は当時のことを振り返りながら答えた。
「それが良くわからないのです。いなくなった従業員たちに共通点はありません」
亘夜愁がそう言うと晴天法王は顎に手を当てて考え込み、凌桃華はそんな亘夜愁に更に問いかけた。
「いなくなった従業員の皆さんはどのような方たちなのですか?」
「そうですね……どの者も気立てが良く真面目な者たちばかりです。中には身寄りの無い者などもおりますね」
亘夜愁がそう答えると、秀鈴は少し目を瞑ってから口を開いた。
「亘店主、話は変わりますがこの市場で商いをしている鬼や妖怪の方々からは魔界の妖魔軍のような敵意や憎悪を感じませんでした。それどころか親切にしていただきました。何か特別な理由があるのでしょうか?」
秀鈴がそう問いかけると亘夜愁は静かに語り始めた。
「秀鈴様、実を申しますと我々は魔界の妖魔軍から迫害や弾圧を受け、ここ衆生界へ避難して来たのです。天魔王呪堕が魔界の支配権を握る前は魔界でも平和に商いをすることができました。しかし、天魔王呪堕が魔界の王になってから魔界は弱肉強食を掲げる無法地帯となってしまったのです。私や妻の羅扇の両親も抵抗を続けてきましたが天魔王呪堕の率いる妖魔軍の力は強大で、彼らの攻撃により私と妻の故郷は焼け野原となり、両親はその命を奪われました。そして私共夫婦をはじめ、この市場で働く鬼や妖怪たちは魔界の妖魔軍から逃れるために衆生界へと逃げ延びてきたのです」
「そんなことがあったとは……」
晴天法王は少し驚いた様子を見せながらも納得したように頷いた。すると亘夜愁は憂いを帯びた表情で言葉を続ける。
「私が衆生界で商売を始めたきっかけも魔界から逃げ延びてきた同胞たちを守るためでした。ですが今では多くの衆生界の方々が私共の店を利用してくれていますし、私がここで商いをすることは同胞たちを守るだけでなく、この市場に暮らしている全ての者を守ることにも繋がるのではないかと思っているのです。そのためにも私たちは悪しき噂を払拭し、この市場での商売を続けていければと思っています」
亘夜愁が決意を込めた目でそう語ると凌桃華は頷いて答えた。
「とても素晴らしいお考えだと思います。私達も妖魔軍の侵略から衆生界を守るために活動しておりますので、そのお気持ちに深く共感致します。亘店主、ご協力ありがとうございます」
凌桃華はそう言うと亘夜愁に頭を下げた。
「いえ、とんでもございません。こちらこそよろしくお願い致します」
「だとすると、一連の事件にはこの市場を良く思っていない妖魔軍の手の者が関わっているやもしれん。悪辣な奴らのことだ、亘店主の商売を邪魔するために従業員たちを連れ去った可能性も考えられる」
晴天法王がそう推測すると秀鈴は顎に手を当てながら考え込んだ。
「確かに、それもあり得る話です。ですが失踪した方たちは何処へ行ったのでしょう?この通り一帯には従業員の方々が住んでいますし、仮に妖魔軍の手の者の仕業であったとしても彼らを一人も目撃していないというのは奇妙です」
「そうだな……もう少し情報を集める必要がある、市場に不審な輩がいないか調査してみよう」
晴天法王がそう言った直後、何者かの視線を感じた冠永は頭上を仰ぎ見ると天井に蝙蝠のような翼を生やした目玉が貼り付いているのが見えた。
「あれは翼手眼!?法王様、何者かが我々を監視しています……!」
冠永が晴天法王へ素早く耳打ちする。翼手眼とは妖魔軍が使役する小型の使い魔で、戦闘能力は無いが索敵能力や探索能力に優れており、あらゆる情報を収集することができる。
「どうやら我々が従業員を探しているところを見られてしまっていたようだな。このまま尾行されるのも厄介だ、ひとまず退避しよう」
晴天法王は一同に向かってそう言うと翼手眼の姿を見据えたまま歩き始め、凌桃華たちも後に続いた。すると翼手眼は素早く翼を羽ばたかせながら天井から降りてくると、冠永たちを追う。
「皆さんこちらへ!」
秀鈴が通りの脇道を指差しながらそう言うと一同はそこへ駆け込み、翼手眼もその後を付いてくる。そして一同は狭い路地裏に身を潜めて翼手眼の行く手を阻んだ。
「悪いがお前にこれ以上追跡させる訳にはいかない!」
冠永はそう言うと懐から黒い布を取りだして目の部分を隠し、そのまま翼手眼を拘束した。翼手眼は抵抗するように布の中で暴れるが、冠永は構わずに翼手眼を布で縛り上げていった。
「よし、これでもう動けまい」
冠永が黒い布で視界を塞がれた翼手眼を見下ろしながらそう言うと、晴天法王が翼手眼に近づいて言った。
「どうやらこの翼手眼の主は付近に隠れているようだな……桃華よ。何か邪気を感じ取れるか?」
晴天法王に問われた凌桃華は目を閉じて耳を澄ませる。するとすぐに店の外から何者かが息を潜めている気配を感じた。
「はい、この近くです……しかしこれは一体……?」
秀鈴は目を開けて気配のする方へ視線を向けると、そこには何の変哲も無い壁しかなかった。しかしその直後、一同は驚くべき光景を目にしたのだった。なんと壁の表面に幾何学模様のような紋様が浮かび上がっているのである。そしてその紋様の中心が歪に歪んだかと思うと、その部分が崩れ始めて中から鬼が一体現れた。その鬼は夜交羅刹市で働いている鬼たちとは異なり、
禍々しい気配を放ちながらその腕には妖魔軍の構成員であることを示す刺青を彫りこんでいた。
「クックック……まさか気付かれていたとはな……だがもう遅いぞ」
その鬼は不気味な笑みを浮かべながらそう呟いた。そしてすぐにその腕を一閃させると、壁や屋根を突き破って大量の妖怪が姿を現し、冠永たちを取り囲むようにして翼を広げた。
「我々を包囲するつもりか!小癪な真似をしよる!!」
晴天法王がそう叫ぶと同時に金色の閃光が妖怪たちを一閃、薙ぎ払うと空中から襲い掛かろうとした妖怪たちは吹き飛ばされた。しかし妖怪たちは即座に体勢を立て直して再び襲い掛かってくる。
「くッ、キリがない……」
冠永がそう呟くと、彼は錫杖を頭上に掲げた。すると錫杖は瞬く間に霊気を帯び始め、周囲に光が満ち溢れていく。
「皆さん下がっていてください!雷の霊よ、我が敵を撃て!!」
冠永が錫杖を振り下ろすと、周囲の光が一斉に稲妻に変換されて妖怪たちに襲いかかる。落雷のような轟音と共に稲妻が駆け巡り、妖怪たちは次々と吹き飛ばされていった。
「凄い……!これが冠永さんの力なのね」
凌桃華はそう言いながら冠永の錫杖を見上げると、彼は静かに頷きながら答えた。
「そうだ、この錫杖は私の力を最大限に引き出すことができる。私の術力は雷そのものに性質が近いからね」
夜空の下で妖怪たちと対峙する冠永たちだったが、敵の妖怪の数は増える一方で徐々に追い詰められていった。冠永が持つ錫杖は秘められた霊気を解放することで強力な術を発動することができるが、同時に武器として使用している間は無防備になってしまうため、敵に接近を許してしまうと攻撃を受けてしまいやすくなる。
「三太子様、このままでは押し切られてしまいます!」
亘夜愁がそう叫ぶと凌桃華が焦った表情で叫んだ。
「それならアタシが押し返します!」
彼女は叫ぶと同時に懐にしまっていた瓢箪の蓋を開けるとその口が光り輝き、まばゆい光が飛び出すとその光は二振りの剣、神々の王である帝一神君が凌桃華に与えた破邪斬魔双剣へと姿を変えた。
「桃華さん、その剣なら侵入者たちを一網打尽にできるわ!」
秀鈴がそう言うと凌桃華は二本の剣を構えて妖怪たちに向かって走り出す。
「我等も負けていられんぞ!皆の者、桃華様を援護するのだ!!」
亘夜愁がそう言うと、彼の配下の鬼や妖怪たちは亘夜愁に続いて一斉に凌桃華の盾となるように侵入者たちからの攻撃を防いだ。凌桃華は剣を振るいながら敵を蹴散らすと、侵入者たちとの距離を詰めていった。
「帝一神君様から授かったこの剣があれば負ける気がしないわ!」
凌桃華がそう叫ぶと妖怪たちの攻撃を弾きながらその懐に潜り込むと、破邪斬魔双剣を交差させながら勢いよく振り抜いた。すると彼女の周囲に凄まじい烈風が吹き荒れ、侵入者たちを薙ぎ払った。そして吹き荒れる烈風は妖怪たちだけでなく晴天法王や冠永、亘夜愁たち、そして秀鈴や凌桃華自身にまでその猛威を振るい始めた。
「この風は……!皆さん、伏せてください!」
秀鈴がそう叫ぶと一同は素早くその場に蹲り、凌桃華も剣を地面に突き立てながら烈風から身を守った。
「この剣……とんでもない力を秘めているようね」
凌桃華がそう呟くと、剣を突き刺していた地面に亀裂が入り、そこから烈風が噴出する。そしてついには凄まじい衝撃波となって周囲を吹き飛ばすと、辺りに広がっていた烈風もようやく止んだ。
「桃華、無事か?」
晴天法王が周囲を見渡しながらそう問うと凌桃華は静かに頷くが、その表情には少し疲労の色が見えた。すると冠永が駆け寄ってくる。
「大丈夫かい?桃華、少し無理をしたんじゃないか?」
「少し張り切りすぎちゃったかもしれません……でもこれで侵入者たちもしばらくは動けないはずだわ」
凌桃華がそう言って微笑むと、冠永は彼女に礼を言った。
「ありがとう、これで犯人を捕らえることができる!」
冠永がそう言った矢先、翼を生やした妖怪達を指揮していた鬼は脱兎の如く逃げ出した。
「あ、あんなやばい奴らがこの市場にいるなんて聞いてねえぞ!こうなったら逃げるが勝ちだ!!」
鬼は逃げながらそう叫ぶと、周囲の建物の壁や屋根を伝って一目散に逃げていった。
「しまったっ!逃げられてしまう!!」
冠永が悔しそうにそう言うと、亘夜愁が彼の肩を優しく叩いた。
「大丈夫、今こそ私の出番です」
亘夜愁がそう言った直後、彼の身体は青白く光り輝き始めた。するとその光は徐々に巨大な蛇の姿へと形を変えていき、凄まじい咆哮と共に雷雲を呼び寄せる。そして稲妻が鬼の目の前で炸裂すると鬼は仰天してひっくり返り、頭を打って気絶してしまった。
「ご安心ください、加減はしました。しばらくは目を覚まさないでしょう」
亘夜愁がそう言うと、秀鈴はホッとしたように微笑んだ。
「ありがとうございます亘店主、助かりました。これで一件落着ですね」
しかし晴天法王が険しい表情を浮かべて言った。
「いや、まだ終わっていないようだ……見ろ」
晴天法王に言われると秀鈴たちは全員が彼の視線の先にある物体を見た。そこには闇の中で妖しく光る金色の球体があった。
「これは……!?一体どういうことでしょう?」
秀鈴は困惑したようにそう呟くと、亘夜愁は神妙な面持ちでその球体を睨んでいた。
「まさか……そんなはずはない……!」
亘夜愁がそう呟くと同時にその球体からは眩い閃光が放たれ、一同の視界を奪った。そして光が止んだ時にはその場に一体の鬼が立っていた。
その鬼の肉体は黄金の様に輝いており、顔は鮮血を浴びたように赤くその口には鮫の様に鋭い牙が並び、頭には派手な羽飾りに覆われた兜をかぶり両手には斧と鉈を持っている。そしてその金色に輝く肉体には鎧のようなものを着けており、腰には赤い布を巻いていた。
「き……金色の鬼……!?体が金色に輝いている……!」
凌桃華が驚いた表情でそう呟くと、亘夜愁が険しい表情で口を開いた。
「あれは魔界三魔将の万威……!私と羅扇の両親の命を奪い、故郷の町を焼き滅ぼした仇敵です……!!」
亘夜愁の瞳には憎悪と敵意が渦巻き、全身からは凄まじい霊気が溢れ出していた。
「三太子様、私は先に行きます!」
亘夜愁がそう叫ぶと彼の身体は金色の光に包まれていき、彼はそのまま一気に飛び上がると目の前にいる万威に向かって突っ込んでいく。
「待ちなさい、亘店主!一人では危険です!!」
冠永が叫ぶが、亘夜愁は意に介さず万威に向かって突進を続ける。
「我が両親の仇をここで討たせてもらうぞ!」
亘夜愁は凄まじい速度で急降下しながら腰に差していた二本の刀を抜き放つと、そのまま勢いよく振り上げた。万威は斧でその攻撃を受け止めると、甲高い金属音が周囲に響き渡った。
「ふん、面白い……貴様はあの時の死にぞこないか」
亘夜愁の攻撃を防いだ万威はニヤリと不敵な笑みを浮かべながらそう呟いた。そして右手に持つ斧に妖力を込めると、その斧は更に巨大化し、金色の輝きを放つと灼熱の炎を周囲に撒き散らした。
「まずは貴様から焼き尽くしてやる!」
万威がそう叫ぶと同時に斧を振り下ろした。すると巨大な炎が亘夜愁に向かって襲いかかってくる。亘夜愁は素早く横に飛んで避けると、その隙を狙って背後から冠永が錫杖を振りかざして飛び出してきた。
「ハァッ!!」
冠永は威勢良く叫ぶと錫杖を万威の背中に思い切り叩きつけた。しかし錫杖が当たった瞬間、万威の身体は金色の光に包まれてそのまま消えてしまう。
「なんだ!?どこに消えた!?」
冠永が辺りを見回していると、上空から亘夜愁の叫び声が聞こえてきた。
「三太子様!後ろです!!」
冠永が振り向くとそこには巨大化した斧を振りかざす万威の姿があった。そして彼はそのまま斧を勢いよく振り下ろすと金色の斬撃が放たれ、冠永に向かって襲い掛かってきた。
「くっ、避けきれない……!なら!!」
冠永はとっさに錫杖を前に構えると、衝撃に備えて全身に霊気を巡らせた。すると錫杖が眩い光を放ち、冠永と金色の斬撃を包み込むように巨大な障壁が発生して彼の身を守る盾となった。しかしそれでも防ぎきることはできずに万威の一撃は冠永を勢いよく吹き飛ばすこととなった。
「ぐあああーーーッ!!」
冠永は悲鳴を上げながら後方にあった建物に激突し、その衝撃で建物は崩れて砂埃が舞った。
「三太子殿下!しっかりしてください!」
秀鈴が心配そうな表情で叫ぶと、冠永は呻きながらもなんとか立ち上がった。しかし身体中には痛々しい傷跡があり、霊気も弱まっているようだった。
「くっ……この破壊力……魔界三魔将を名乗るだけのことはある……」
冠永は痛みを堪えながらそう呟いた。
「冠永さん!」
そこへ凌桃華が冠永を庇うように前へ出る。破邪斬魔双剣をその手に握り締め、並々ならぬ気迫で万威を睨みつけるのだった。
「よくも冠永さんを……!」
「ほう、お前が天魔王様が下僕に欲しがっていた凌桃華か。見れば見る程いい女だ、俺の嫁になるなら命を助けてやってもいいぞ?」
万威が不敵に笑いながらそう言うと、凌桃華はキッと彼を睨みつけた。
「ふざけないで!誰があなたなんかと結婚するもんですか!!」
凌桃華がそう叫ぶと同時に彼女は凄まじい速度で万威に接近して破邪斬魔双剣で斬りかかった。しかし万威の鉈によって防がれてしまい、攻撃は簡単に受け止められてしまう。
「この程度か?そんななまくらでは俺の身体はびくともせんぞ」
「うるさいわね!だったらアタシがあなたを倒す!!」
凌桃華はそう叫ぶと万威から距離を取ると、再び破邪斬魔双剣を構えた。すると次の瞬間、彼女の周囲に風が集まり始め、烈風が吹き荒れ始めた。
「なんだ?何をするつもりか知らないが無駄だ」
万威がそう言った瞬間、荒れ狂う風が放たれて万威に襲いかかった。しかし烈風は寸前のところで金色の障壁によって弾かれてしまう。
「ふん……こそばゆいわ!」
万威がそう言って嘲笑うと、凌桃華は悔しそうな表情で歯軋りをする。その様子を見ていた冠永は錫杖を手によろめきながら立ち上がった。
(このままでは桃華が危ない……!私の残った霊気を仁霊剣に注ぎこみ、奴の障壁を破壊する!!)
冠永は意を決して袖の中から瓢箪を取り出してその蓋を開けると中から眩い光と共に仁霊剣が飛び出した。そして彼は仁霊剣を手にすると万威に向かって投げつけた。
「そんな貧弱な剣で俺の障壁は突破できんぞ!!」
万威がそう叫ぶと、自身の周囲に金色の障壁を作り上げていく。しかし冠永は仁霊剣に霊気を注ぎ込むと刀身が眩い光を放ち始めた。そして仁霊剣は巨大な光の刃となり、その斬撃は万威の金色の障壁を粉々に打ち砕いた。
「何ィ!?ま、まさか……!」
「今だ桃華、攻撃するんだ……!」
冠永がそう叫ぶと凌桃華は頷き、剣を構えた。そして一気に万威に接近していく。
「おのれぇぇっ!こうなれば貴様を八つ裂きにしてやる!!」
万威は怒号を上げながら巨大化した斧を持つ左腕を振り上げた。しかしその一瞬の隙をついて凌桃華が破邪斬魔双剣を振り下ろし、万威の左腕を斬り落とした。
「ぐあぁ!?斧を振り上げた瞬間を見計らって俺の腕を斬り落とすとは……なるほど、これは俺の見立てが甘かったな……」
万威は苦痛に表情を歪めながらもニヤリと笑い、右手で鉈を振り上げた。
「だがこの程度の傷などすぐに再生するぞ、お前にこの鉈を防ぐことができるかな?」
万威はそう言って鉈を勢いよく振り下ろす。鉈が凌桃華の頭上に迫った瞬間、上空から亘夜愁が舞い降りて二本の刀で鉈を弾き飛ばした。
「この私が相手だ!万威!!」
亘夜愁はそう叫ぶと、二本の刀で激しい斬撃を浴びせる。しかし万威は全身から炎を発しながら反撃し、亘夜愁を炎で吹き飛ばす。亘夜愁は吹き飛ばされながらも空中で体勢を立て直し、地面に着地する。そしてすかさず霊力を込めると万威に向かって突進した。
しかし、万威は凌桃華によって斬り落とされた左腕を再生させると亘夜愁の頭を握り潰そうと襲い掛かるが冠永が錫杖から雷撃を発生させ、万威の動きを止める。
「今です、法王様!」
「皆の者、よくぞ時間を稼いでくれた!」
冠永が叫ぶと、晴天法王は力強く頷き、左手を天に掲げると巨大な光り輝く弓が現れた。晴天法王はその弓を素早く構えると、弓から凄まじい閃光が放たれて万威に命中した。その金色の鎧に亀裂が入りやがて粉々に砕け散った。
「ぐうううぅ……まさかこの俺の障壁だけでなく鎧まで砕かれるとは……!おのれ、次はこうはいかんぞ!!」
万威は自身を金色の球体に変えると瞬時に姿をかき消した。
「逃げたか……だがこれで一件落着だな」
晴天法王はホッとした表情でそう言って、冠永の方を見ると彼は膝をついて苦しそうに胸を抑えていた。
「冠永さん、大丈夫!?」
凌桃華は慌てて駆け寄って彼の背中をさすった。すると冠永はなんとか呼吸を整えながら口を開く。
「大丈夫……少し霊気を使いすぎただけだから……」
そして彼は懐から瓢箪を取り出し、口をつけて一気に中身を飲み干す。すると先程まで苦しんでいたのが噓のように顔色が良くなった。
「これでよし……すまないね、心配をかけて」
「そんなことないわ……!皆が無事でよかった……!」
凌桃華は目を潤ませながらホッとした表情を浮かべると、晴天法王は優しい笑みを浮かべて頷いた。
「うむ、皆の協力のおかげで無事に万威を撃退することができた……本当に感謝する」
晴天法王はそう言うと深く頭を下げた。すると凌桃華は慌てて手を振る。
「そ、そんな!お礼を言わなければいけないのはこっちですよ!」
「そうですよ!法王様がいなかったら今頃私たちはどうなっていたことか……」
冠永も感激した様子でそう言った。それを聞いた晴天法王はニコリと微笑んだ。
「そうか、では互いに感謝しようではないか!さあ、早く事件を解決したことを帝一神君にご報告せねばな」
晴天法王はそう言うと懐から紙を取り出してそれを空中へ投げると一羽の鶴が紙を足で掴んで飛んで行った。そして青空に消えていく鶴を見つめながら晴天法王はポツリと呟く。
「それにしてもあの万威という鬼はなぜ人間界に潜んでいたのだろうか……?しかもあれほどの力を持った魔将が……謎が深まるばかりだな」
晴天法王は少し考え込んだが、すぐに首を横に振った。
「いや、今考えても仕方ないことだな。まずは勝利を祝うのが先決だ!」
そう力強く宣言すると一同は笑みを浮かべて頷いた。そして気絶していた万威の手下の鬼を問い質すと行方不明になっていた亘夜愁の店の従業員たちを捕らえている洞窟の場所を白状し、従業員たちは皆無事に保護されたのであった。
そして夜交羅刹市で違法な商品の売買が行われているという噂は全て万威が亘夜愁をはじめとした善良な鬼や妖怪たちを神界の神々に抹殺させようとした姦計であったことが判明した。
この事件は秀鈴をはじめとした神記官たちによって徹底的に調査され、その結果、亘夜愁たちがこの夜交羅刹市で商売をすることに神界から正式な許可が下りたのだった。
「皆さまのおかげで無事に夫は晴れて夜交羅刹市で商いをすることができるようになりました。本当に感謝しております」
亘夜愁の妻である羅扇はそう言って冠永たちに深く頭を下げた。すると周囲の鬼や妖怪たちからは歓声が沸き起こり、拍手喝采が巻き起こった。
「皆、この夜交羅刹市で再び商売ができることに感謝しております、本日はごゆっくり楽しんでいってください!」
亘夜愁は笑顔でそう叫ぶと再び大きな歓声が上がった。そして亘夜愁の宣言通り、今宵は盛大な宴が開かれる運びとなったのだ。
その夜、亘夜愁たちが開いた宴は大いに盛り上がりを見せた。夜交羅刹市で働く妖怪たちや鬼たちは歌を歌い、踊りを舞った。妖怪たちの奏でる不思議な旋律の音楽に人々は酔いしれ、鬼や妖怪たちと一緒に手拍子をしたり叫んだりしていた。
「冠永さん、亘店主御夫妻からお酒をいただいたの!一緒に飲まない?」
「それは良かった。一仕事終えた後だし、今夜はうんと羽を伸ばすとしようか。勿論いただくよ!」
冠永と凌桃華は笑顔で杯を酌み交わし、お互いに労いの言葉を掛け合った。するとそこへ晴天法王と秀鈴が姿を見せた。
「法王様、秀鈴、この度は御助力いただきありがとうございました」
冠永が晴天法王と秀鈴に感謝の言葉を告げると晴天法王はにこやかに微笑む。すると秀鈴は顔を赤くしながら言った。
「何言ってるんですかぁ~、そんなの当然ですよぉ~。そんなことより三太子殿下も桃華さんも、もっと飲みましょうよぉ~」
そんな彼女の様子からすっかり泥酔しているのが見て取れた。晴天法王が苦笑しながら彼女に声を掛ける。
「これ、秀鈴。飲み過ぎだぞ」
「いいじゃないですか~法王様!今日は無礼講なんでしょ!」
秀鈴は頬をぷっくりと膨らませながら言う。その様子を見て晴天法王は呆れつつも微笑んだ。
「はっはっは、たしかに今日は無礼講だな!私もちょうど誰かと飲みたいと思っていたのだ、この酒は一人で飲むにはもったいないからな!」
そう言うと晴天法王は凌桃華と冠永や秀鈴と共に酒を酌み交わしながら宴を大いに楽しんだのであった。そして翌日……。
「皆様、此度は誠にお世話になりました。おかげさまでこれからもこの市場で商売を続けることができます、本当に感謝しております」
亘夜愁は晴れやかな笑顔でそう言った。彼は神界から正式な許可が下りたのをきっかけに商売を再開することを決意し、衆生界での商いを始めたのだ。
「お気になさらず、困ったときはお互い様ですから!」
凌桃華はそう言って亘夜愁に微笑みかけた。すると冠永と晴天法王が前に出た。
「亘店主、我々は神界の者として今後も様々な面で貴店の商売を手助けさせていただくつもりです。何か困ったことがあったら遠慮せずに相談してください」
晴天法王がそう伝えると、亘夜愁は深く頭を下げた。
「はい、それは心強いです。その時は是非とも宜しくお願いいたします!」
亘夜愁が感謝の言葉を告げると晴天法王は力強く頷いた。
「うむ、これにて一件落着だ!そうだ、三太子殿と桃華に伝えておかなければ。そなたたちに渡した巻物だが今度の任務の場所が描き記されるはずだから開いてみてくれんか」
冠永が晴天法王の言葉通りに巻物を開くと巻物に描かれている地図に新たな場所が描き記され始めた。そしてそれはちょうど夜交羅刹市より西方にある山村であった。
「これは……山村のようですね」
冠永は地図を見ながらそう言った。亘夜愁は山の中にある村の名前を口にする。
「もしかして……嫁家村でしょうか?」
「うむ、そうだ。実はこの山村に住む村人が失踪するという情報が寄せられているのだ」
晴天法王の言葉に、亘夜愁は怪訝な表情を浮かべる。
「村人が失踪を?それはまた奇妙な話ですね」
「ああ、そこがどうも怪しいと私は睨んでいるのだ」
「怪しい?どういうことですか?」
凌桃華が尋ねると、晴天法王は険しい表情を浮かべた。
「実は最近になってその村に行方不明者が頻発しているのだよ。それも一人や二人ではない。何十人もの女性が忽然と姿を消しているのだ」
「何十人も!?」
冠永と亘夜愁は驚愕した表情を見せた。しかし凌桃華だけは状況が理解できず、頭上に疑問符を浮かべている。
「そんなに大勢の人が行方不明になったのなら大騒ぎになるはずですよね?どうしてそんなに騒ぎになっていないんですか?」
彼女が不思議そうに尋ねると、晴天法王は困ったように頭を搔いた。
「それが奇妙なことに彼女たちが村から出ていった姿を見た者が一人もいないのだよ」
「そんなまさか……!」
凌桃華は信じられないといった表情を浮かべた。しかし亘夜愁には思い当たる節があった。
「そういえば嫁家村には独特の風習があるという話を聞いたことがありますね……なんでも花嫁として村に迎え入れた女性に特別な儀式を受けさせるとか……」
亘夜愁が呟くようにそう言うと、晴天法王は大きく頷いた。
「うむ、その通りだ!それゆえに私はこれは単なるただの失踪ではなく何者かによる誘拐事件ではないかと睨んでいるわけだ」
晴天法王の言葉に凌桃華はゴクリと唾を吞んだ。そして真剣な表情で口を開く。
「なるほど……では一刻も早くその村へ向かわないといけませんね!」
「それで三太子様、すぐにでも嫁家村へ向かうご予定なのですか?」
亘夜愁が尋ねると同時に冠永が頷く。
「ええ、既に数十人もの女性が行方不明になっているという事なので一刻を争います。亘店主、碌に挨拶もできず申し訳ないのですが……」
冠永が亘夜愁に申し訳なさそうに言うと、彼は何か思いついたのか妻の羅扇に倉庫から何かを持ってくるように指示すると羅扇が豪華な装飾の絨毯を持ってきた。
「この絨毯は神龍翔毯といい、これに乗れば空中を自由自在に飛行することができるのです。これを使えば嫁家村まですぐに到着できます、いかがでしょう?」
「それは助かります!是非ともお借りします!」
冠永が感謝の言葉を述べると亘夜愁は微笑んで言った。
「いえ、神龍翔毯は今後も三太子様がご自由にお使いください。私共からのせめてもの感謝の気持ちです、きっと三太子様の御役に立つはず……こんなことでしか手助けできないことは心苦しいですが、
私共を助けていただいたいた御恩は決して忘れません。道中お気をつけて、御武運をお祈りいたします」
亘夜愁はそう言うと深々とお辞儀をした。すると冠永も頭を下げた。
「亘店主、ありがとうございます!この神龍翔毯は苦しむ民を救うために使わせてもらいます、またお会いしましょう!!」
「さあ、善は急げだ!急いで出発しよう!」
晴天法王は号令をかけると神龍翔毯に乗り込んだ。そして凌桃華たちもそれに続いて乗り込み、亘夜愁夫妻に見送られながら空中へと飛び立った。
「皆様、また遊びに来てくださいね!」
羅扇の言葉に凌桃華は大きく手を振りながら答える。
「ええ、必ず!今度は家族みんなで買い物に行きます!!」
そして亘夜愁も晴れやかな笑顔で手を振り返しながら叫んだ。
「皆様、どうかお気をつけて!いつでもお待ちしております!!」
「ありがとう、亘店主!また会おう!!」
晴天法王たちは大きく手を振って亘夜愁夫妻に別れを告げると嫁家村へと向かっていったのだった。神龍翔毯は嫁家村へと最短距離で飛行し、昼過ぎに到着した。
「ここが嫁家村か……」
冠永が呟くように言うと秀鈴は頷いた。
「ええ、そうです。この村には古くから伝わる風習があるそうで……嫁家村に迎え入れられた女性は特別な儀によって花嫁としての資格を得たと判断されるのです」
秀鈴がそう言うと晴天法王は感心したような声を上げた。
「ふむ、なかなか興味深い風習だな!それでその特別な儀とはいったいどんなことをするのだ?」
晴天法王が興味津々といった様子で尋ねると秀鈴は言葉を詰まらせた。
「そ、それは……その……実は私も良くわからないんです」
秀鈴が口ごもると晴天法王は不思議そうに首を傾げた。すると年老いた男性がこちらに話しかけてきた。
「あなた方が善地三太子様と凌桃華様ですか?私はこの村の村長を務める者です。ようこそお越しくださいました、私たちはあなた方を歓迎いたします」
村長は深々と頭を下げると冠永たちは慌てて頭を下げた。
「これはご丁寧にありがとうございます!」
「いえいえ、こちらこそ村を救うために駆けつけてくださり感謝してもしきれません。本当にありがとうございます」
村長は深々と頭を下げながらそう言うと、凌桃華たちに向かって笑みを浮かべた。すると秀鈴が村長に尋ねる。
「村長、この村に伝わる特別な儀というのはどのようなものなのですか?」
「はい、それはですね……嫁家村の村長の妻が姑に扮して花嫁の査定をするのです。その結果によって花嫁として選ばれるか否かが決まります」
「へぇー、それはまた変わった儀式ですね!」
秀鈴が感心したように言うと村長は苦笑いを浮かべた。
「ははは、まあ村の外の人にはあまり縁のない話でしょうな。ところで皆様をご案内したいのですがその前に一つだけお伝えしなければいけないことがあります」
「お伝えしなければいけないこと?それは一体何でしょうか?」
冠永が尋ねると村長は答えた。
「はい、皆様も御承知のことと存じますが今この村では行方不明者が相次ぎ、今後どのようなことが起きるのか私にもわかりません。皆様方もくれぐれもご用心ください」
「ええ、そうしましょう。では案内をお願いします」
村長は頷くと歩き始め、冠永たちもその後に続いた。一同が宿屋の前に到着すると宿屋の前に1人の書生が正座をしていた。冠永たちの気配に気づいたのか、書生がこちらを振り向いた。
「あなた方は……?」
果たしてこの書生の正体は……? それはまた、次回の講釈で。
※注釈
書生…日本では主に明治・大正期に、他人の家に住み込みで雑用等を任される学生を意味 するが、中国においてはよその土地や国に行って学問を学ぶ若者を指す。