第十回 神癒湯郷
魔界三魔将の一人である解無を衆生界の守り神である善地三太子の冠永と彼と共に旅を続ける凌桃華が
討滅する少し前、成風町では神通力を使い果たした
封雯馨を背負う黄竣が休憩できる場所を探し続けていた。
黄竣は町外れで見つけた小さな宿屋へと入るとそこで部屋を借りて封雯馨を休ませることにした。
「申し訳ありませんが、お一人様用の部屋しか空きがないのですが……」
申し訳なさそうに言う従業員の言葉に黄竣はすぐにこう答えた。
「構いません!封さんが休めるのであれば俺は床で寝ますから!」
そう言って彼は従業員から部屋の鍵をもらうと、封雯馨と共に部屋へと向かい、彼女と共に部屋へ入った。そして早速、封雯馨を寝台に寝かせると彼はすぐに部屋から出ようとする。すると彼女は慌てて彼を呼び止めた。
「黄竣さん、どこへ行かれるのですか?」
「ああ……ちょっと汗をかいてしまったので部屋の外で体を拭いてきます」
黄竣がそう言うと、封雯馨は彼の右腕を掴みながら再び呼び止めた。
「でしたら私が黄竣さんの御身体をお拭きします!」
「えっ!?な、なにを言っているのですか!?」
突然の申し出に黄竣は思わず目を見開いた。すると封雯馨は更に続ける。
「ここまでこられたのはあなたのおかげです、だから今度は私があなたの体を拭く番です!」
「い、いや……でも……」
「いけませんか?」
封雯馨に上目遣いでそう言われてしまい言葉が出ない黄竣。そんな彼に対して彼女は追い打ちをかけるようにこう言った。
「ご安心ください。私は男装していますので、誰かに見られても誤解されることはありませんよ」
封雯馨はそう言ってニッコリと笑った。そんな彼女の笑顔を見た黄竣は顔を赤らめながら口をパクパクさせることしかできなかった。そして、彼は観念したように溜息をつくと彼女に言った。
「わかりました……では、お願いします……」
「はい、お任せください♪」
そう言うと彼女は笑顔で黄竣から上着を受け取ると、彼を寝台に腰掛けさせた後、部屋の戸棚をゴソゴソと漁り始めた。その様子をぼんやりと見つめながら黄竣は考えていた。
(封さんみたいな綺麗な人に体を拭いてもらえるなんて……俺は幸せ者だな……)
そう思いながら彼がニヤけていると、戸棚から手拭いを見つけたらしい封雯馨が嬉しそうな表情を浮かべて彼の元へとやってきた。
「さあ、黄竣さん!まずは御身体をお拭きしましょう!!」
そう嬉しそうに言う彼女に対して黄竣は言った。
「え、いや、あの……でも、やっぱり恥ずかしいです……」
「何を言ってるのですか!あなたのお体を拭くのは私の務めなんですから、あなたは私に身を任せてくださるだけでいいんです!!」
そう言うと封雯馨は黄竣が着ていた下着を無理矢理脱がせようとする。それを見た彼は慌てて言った。
「ちょ、ちょっと待ってください!!自分で脱げますから!!」
その言葉を聞いた封雯馨は頬を赤く染めながら慌てて彼から手を離すと恥ずかしそうにしながら背を向ける。そんな彼女に向かって黄竣は続けて言った。
「そ、それでは体の前の方をお願いしてもいいですか?」
「は、はい……わかりました」
そう言うと封雯馨は黄竣と向き合いながら彼の上半身を拭い始めた。彼女の小さな手が手拭い越しに黄竣の胸を優しく撫でていく。その感触がとても気持ちよくて彼は思わず声を漏らした。
「う……っん……」
「えっ?どうかなさいましたか?」
そんな反応が気になったのか、封雯馨は心配そうな表情を浮かべながら彼を見つめてそう尋ねる。それに対して彼は慌てて言った。
「い、いえ、なんでもありません!」
「そうですか……うん?」
すると二人は微かに部屋の揺れを感じるとお互いに顔を見合わせて首を傾げた。
「なんでしょうか……この揺れは……?」
封雯馨はそう言いながら立ち上がろうとすると突然激しい地響きと震動が襲ってきた。
「きゃあっ!?」
突然の揺れに封雯馨は思わず悲鳴を上げる。
「だ、大丈夫ですか封さん!」
黄竣が慌てて立ち上がろうとすると、封雯馨は震動によって彼に向かって倒れこんでしまった。
「んぅ……!?」
その直後、黄竣の顔に柔らかい感触が当たる。なんと封雯馨が倒れた拍子に黄竣を押し倒してしまい、彼の顏が彼女の胸に埋まってしまったのである。
「ご、ごめんなさい黄竣さん!すぐにどきますから……!」
そう言って慌てて起き上がろうとする封雯馨。しかし、建物の震動が収まらないため、上手く立ち上がることができずに彼女のふくよかな胸は上下に揺れて黄竣の顏を何度も擦り付けながら刺激していた。黄竣は顔に押し当てられた封雯馨の胸の感触とその芳香に酔いしれていた。
(ああ……この瞬間が永遠に続いてくれればいいのに……!)
だが、その思いとは裏腹に揺れは徐々に収まっていく。そして遂には地震が収まったのだが……
「ふあっ……」
封雯馨はまだ起き上がっていなかった。そして彼女は自分の胸を黄竣の顏に押し付けたまま彼の耳元で囁いた。
「黄竣さん……私……」
顔を真っ赤に染め、目を潤ませた封雯馨がそう呟くと、今度は反対側の窓から白い閃光が視界に飛び込んできた。その眩しさに二人は思わず目を細める。次に聞こえてきたのは大きな爆発音であった。
外から人々の悲鳴が聞こえたが、それからしばらくすると今度は大きな歓声が上がった。
「おぉーい!善地三太子様方が妖怪を退治してくださったそうだぞ!!」
黄竣と封雯馨はその声を聞いてバッと同時に起き上がってお互いの顔を見合わせた。
「善地三太子様が!?」
黄竣が大急ぎで下着と上着を着ると封雯馨も身支度を整えて二人が宿を出ると町の人々は大喜びでお祭り騒ぎになっていた。
「ありがとうございます!ありがとうございます!」
「これで町の平和が戻ったぞー!!」
そんな人々の声を聞きながら黄竣と封雯馨は成風町の門へ向かうと冠永、凌桃華、晴天法王、秀鈴の四名が戦いを終えて笑顔で待っていてくれた。
「皆さん、御無事で良かったです!」
「さすがは善地三太子様!あの妖怪をやっつけるなんて凄いですね!」
黄竣と封雯馨がそう言うと冠永は笑いながら答えた。
「ハハハ、私が衆生界の守り神である以上、人々を守るのが役目ですから」
そんな彼らを晴天法王は微笑みながら見つめていた。そして秀鈴もまた安堵したように溜息(ため息)をつくのだった。すると封雯馨は冠永たちが手傷を何か所も負っていることに気付いた。
「皆さん、お怪我をなさっているじゃないですか!早く治療しないと!!」
封雯馨がそう言うと、冠永たちは心配させまいと笑顔で応えていたが体力の限界が来たのか肩を落として倒れてしまった。
「大変だ!誰か!早くお医者様を!!」
黄竣はそう叫びながら町の人々に助けを求める。
「こいつは大変だ!みんなー、俺たちの町を護ってくださった神様たちをお助けしようぜ!」
黄竣の声に大勢の人々が集まり、冠永たちを担架に乗せて町医者の許へと運んで行く。こうして冠永たちはしばしの間治療を受けることになるのだった。
一方その頃、衆生界において魔界の妖魔軍と戦うために同盟を結んでいた正道と魔道の武術家たちは内乱を起こし、再び対立を始めていた。
衆生界において度重なる分裂と統一を繰り返していた武術界は衰退の一途を辿り、善と悪、正と邪の戦いは混迷を窮めた。
そうした一般社会とは異なる武術界に身を置くのは武術家だけに留まらずに武者修行をする旅人や芸術を愛する風流人だけでなく、
盗賊や通り魔などの犯罪者も身を潜めるようになってしまった。正と邪が入り乱れ、争乱を繰り返す武術界を一般社会の人々はまるで荒れ狂う河のようだとして、
いつしか『荒河』と呼ぶようになった。武術界に身を置く者たちも一般社会を静かなる湖に例え、『静湖』と呼んだ。
荒河には『正道』と呼ばれる荒河と静湖の平和と秩序を守るために日々修行を重ね、切磋琢磨る武術家集団があった。そして、正道と敵対する『魔道』と呼ばれる勢力もまた存在し、
数百年来、正道と魔道の戦いは果てしなく続き、長きにわたる終わりの見えない死闘は日を追うごとに激化の一途を辿って行ったのである。
そして正道と魔道とは異なる第三の勢力、『邪道』もまた不穏な動きを見せようとしていた。
荒河では正道も魔道も妖魔軍の魔界三魔将解無が討滅されたという情報が駆け巡り、そしてその功労者の一人が彼らにとっての憎むべき裏切り者でもある凌開雲、殷緋宵夫妻の娘、凌桃華であることを知り、忌々(いまいま)しく思っていた。
「やはりあの娘、我々の手で始末するべきでは?」
そう告げたのは魔道の武術家たちの中で「大寒無雲」の異名を持つ燕大沐であった。するとすぐにその意見に反対したのは同じく魔道の武術家の一人、「霹靂牙竜」の柳牙変である。
「いや、あの一家を始末するのは時期尚早であろう」
「なぜだ?これ以上奴らが勢力を拡大する前に潰しておかなければ手遅れになるぞ!」
燕大沐と柳牙変はお互いに意見をぶつけ合うが、なかなか結論は出ない。そこへ不気味な仮面を被った老人が近づいてきた。
「それならば抹殺するのではなく生け捕りにしてしまえばよかろう」
「謝容長老!?」
燕大沐と柳牙変が謝容と呼んだ老人は魔道の最高権力者の一人であり、魔道の実質的支配者である殷震岨の師でもあった人物である。謝容は言葉を続ける。
「あの一家は家族の結びつきが強いが、それが逆に弱点でもある。ならば奴らの中の誰か一人を人質にしてしまえば良いのではないか?そうすれば残りの奴らも大人しく従うだろう」
「なるほど……さすがは謝容長老、素晴らしい策ですな」
柳牙変がそう感心すると燕大沐が彼に反論する。
「確かに良い策かもしれませぬが、肝心の凌一家がどこにいるのか分からねば捕らえようがありませんぞ!」
「それについては心配いらぬ。私が出向けば緋宵も、玉縁螺も姿を現すだろう」
三人の前に現れたのは魔道教主、魔道の実質的支配者の殷震岨その人であった。彼は凌桃華の血縁上の祖父でもある。
「成長した可愛い孫娘の顔を見てみたいが、我々魔道の脅威となる以上心を鬼にせねばなるまい。ただ、殺さずに生け捕りにするという約束だけは守ってもらいたい。それが私の唯一の望みだ」
そう言うと殷震岨は三人に向かって言った。
「謝容よ、お前たちは手出しは無用だ。私が出向けばそれで当面の問題は片が付く、私に任せておけ」
すると謝容たちは深々とお辞儀をした。
「承知いたしました教主様!!」
こうして魔道の武術家たちは凌桃華を手に入れるために動き出したのであった。そして邪道もまた不穏な動きを見せる。
「魔界三魔将の解無が滅ぼされたそうじゃ。くくくっ、桃華の奴め。姿を消したかと思えば神界の神と行動を共にしているとはのう……」
「あのアバズレを始末するぐらいに成長していたとはねえ……幼い頃から鍛え上げてやった甲斐があったというものさ」
邪道の総帥である邪流尊師の幻陽と邪影魔女の幻月はほくそ笑みながら言った。
この二人は凌桃華に邪道の武術を教え込んだ師であり、彼女の人生を大きく狂わせた張本人でもある。
「では予定通り、私は凌夫妻と玉縁螺を始末してくるとしよう。身内の死体を見た時の桃華の顔が
見ものじゃな」
幻月はそう言うとその場から姿を消してしまった。その様子を見送りながら幻陽は言った。
「ワシも手勢を連れて向かうとしよう。魔道や正道の奴らに先を越されては意味がないからな……」
こうして様々な思惑が錯綜する中、それぞれの武術家たちは行動を開始するのであった。魔道教主、邪道の総帥たち、それぞれの勢力は凌桃華を手に入れるべく、様々な策略と戦略を繰り広げていく。それが泥沼の戦いへと繋がっていくことも承知の上であるかのように……。
翌日の朝、成風町の病院で応急処置を受けていた冠永、凌桃華、晴天法王、秀鈴の四名は無事に回復し、町医者の丁宝才に感謝した。
「丁先生、お世話になりました。おかげで傷の具合も大分楽になり、旅を続けることが出来そうです」
「ありがとうございます先生、このご恩は決して忘れません」
そう感謝の言葉を口にする冠永と凌桃華に丁宝才もにこやかに応えた。
「いやあ、ワシも長いこと町医者をやっておるが神様や妖怪の患者さんを診察するのは初めてじゃったからのう、おかげでこちらも貴重な経験ができましたわい」
その言葉に皆が笑った後で冠永たちは丁宝才に別れの挨拶をして病室を出て行った。冠永は治療費を支払おうとしたが、丁宝才は町を救ってくれた英雄からお金は取れないと断った。
「さあみんな、戦いの疲れを癒すために神癒湯郷へ向かうとするか!」
「はい!」
病院を出て晴天法王の声に元気な声で返事をする一同。そこへ封雯馨と黄竣が駆けつける。
「待ってください!私を置いて行くなんて酷いです!!」
そう言って頬を膨らませる封雯馨に凌桃華は笑いながら謝る。
「ごめんなさい、封さん。すっかり忘れてたわ」
「まあまあ、とりあえずみんなで神癒湯郷に行きましょうよ!」
秀鈴の言葉に頷いて一同が町を出ようとすると、突然黄竣が冠永の足元に跪いて言った。
「お待ちください、善地三太子様。どうか俺を……いえ、私を貴方様の弟子にしてください!」
突然の黄竣の申し出に一同は驚いたが、冠永はすぐに彼の手を取って答えた。
「黄竣さん、貴方の気持ちは確かに受け取りました。それでは私と貴方はこれより師弟となり、共に修行に励むことを誓いましょう」
「あ、ありがとうございます師父!!」
こうして黄竣は冠永の弟子となった。ちなみに師父とは師に対する敬称である。すると封雯馨もまた冠永の前に跪いて言った。
「善地三太子様、どうか私も弟子としてお迎えください。私は今まで天涯孤独の書生として生きてきましたが、皆様と旅をして皆様との絆の大切さを知ったのです。どうか……どうかお願いします!」
「もちろんです。私で良ければ喜んでお受けいたしましょう」
こうして冠永は新たに黄竣と封雯馨を弟子として迎え、旅を再開するのであった。
「いやあ、まさか本当に善地三太子様の弟子になることができるとは感無量です!」
「黄竣さん、これからは共に師父の下で精進していきましょうね」
「勿論です!」
冠永の弟子となり、喜び合う黄竣と封雯馨。そこへ成風町の茶館の女性店員である丘欣珞 (きゅうきんらく)がやって来た。
「皆さん、もう出発されるのですか?」
すると冠永が進み出て言った。
「丘さん、この度は御主人をお助けすることができず、申し訳ありませんでした」
冠永の言葉に続き、凌桃華を含めた全員が丘欣珞に頭を下げる。
「皆さん、頭を上げてください。本当に皆さんが気に病む必要はありません。善地三太子様や桃華さんが夫の遺骨や遺品を回収していただいたおかげで、きちんと供養ができて……だから皆さんには感謝の気持ちしかありません」
「丘さん……」
冠永は丘欣珞の言葉に心が熱くなるのを感じた。すると彼女はふと思い出したように言った。
「あ、それと皆さんにこれを差し上げようと思って来たんですよ」
そう言うと彼女は何やら重そうな布の包みを取り出した。それを受け取ると封桃華が言った。
「丘さん、これは?」
「それはこの町の名産であるお茶の茶葉と成風山の果物を入れておいた包みです。夫が生前に集めてくれていたので、是非お持ちください」
「いいんですか?貴重なものなんじゃないんですか?」
凌桃華が驚きながら言うと、彼女はにっこりと笑って答えた。
「私も夫が遺した思い出の品を皆さんに持っていてほしいんです」
こうして茶葉や果物の入った包みを受け取った一行は感謝の言葉を口にすると別れの挨拶を済ませ、成風町を後にするのであった。
「皆さん、また当店にお立ち寄りください。美味しいお茶やお茶菓子を用意してお待ちしておりますので!」
「丘さんもお元気で!またお会いしましょう!!」
丘欣珞だけではなく、町長をはじめとした成風町の住民たちもまた冠永たちとの別れを惜しんだ。
一同は何度も手を振りながら成風町の人々と別れ、町を出ると冠永は神癒湯郷へ向かうために必要な湯符印を懐から取り出す。湯符印はお守りのような形をしていて、その中央には七つの宝珠が埋め込まれている。冠永は湯符印を手に持ちながら強く念じると一同の目の前に神癒湯郷へ続く光の門が現れた。
「さあ、行きましょう!」
冠永の号令と共に一行は門の中へと進んで行った。門をくぐるとそこは一面真っ白な雪景色であった。大地も建物も全てが雪で覆われており、まるで夢を見ているような光景である。一行が周囲を見回していると急激な寒さに体を震わせた。特に凌桃華は肌の露出が多い服装であったため思わず自身のふかふかな狐の尾を抱きしめながら体を震わせた。
「ちょおっ!ちょっと!めちゃくちゃ寒いんですけど!?」
「まあ神癒湯郷は年中冬だからのう、夜になったら更に冷え込むぞ」
凌桃華の疑問に答えた晴天法王はすぐに凌桃華の様子に気づき彼女に言った。
「こういう時のために帝一神君より防寒具を全員分預かっておるから各自受け取ってくれ」
「さすが帝一陛下は用意がいいですね!」
秀鈴は手を叩くとすぐに晴天法王から防寒具を受け取った。
「桃華、寒くないかい?」
冠永は晴天法王から防寒具を受け取ると自分より先に桃華へ防寒具を手渡した。
「ありがとう、冠永さん」
冠永から防寒具を受け取った凌桃華は早速それを着込んだ。冷え切った体を防寒具の毛皮が包み込み、それがとても温かい。
「これは良いですね!暖かいし、何よりかわいいし!」
桃華は狐の耳を模した防寒用の帽子を触りながら嬉しそうに言った。そんな彼女の様子を見て冠永も喜ぶ。黄竣と封雯馨も冠永から防寒具を受け取り、それに着替えるのだった。
その後一行は防寒具を着用してから神癒湯郷を見て回ることにした。
「ここが神癒湯郷だ、この場所には様々な効能を持つ温泉や秘湯が数多く存在しておる」
一同はまず雪化粧をした山々を見て感動した。次に辺り一面に広がる温泉を見ながら晴天法王が説明した。
「神癒湯郷は七つの温泉が湧き出す七つの泉で成り立っておる。それぞれ効能が違うから適当に入ってみるとよいぞ」
「温泉かあ。アタシ、お風呂大好きなんですよねえ」
凌桃華の言葉に黄竣は目を輝かせる。
「それはいい、俺も風呂に入るのは好きです!」
「あはは、奇遇ですね!」
こうして一同は先ず最初に目に付いた大きな温泉へと足を運んだ。神癒湯郷は魔界の妖魔軍との戦いで傷ついた神々がその傷を癒すために次々とやってくるため、順番待ちの列ができるほどの大盛況である。
まず一行は傷を癒す効果のある温泉へと向かった。湯の色は薄緑色で爽やかな香りが漂っている。早速浴場へと向かい、男湯と女湯で別れると、それぞれ脱衣所で着替え始めた。
温泉に早く入りたいためか、素早く衣服を脱ぐ秀鈴と封雯馨。しかし、凌桃華は寒さが苦手のためになかなか防寒具を脱ぐことができない。
「桃華さん、どうしたんですか?早く入りましょうよ!」
秀鈴が桃華に声をかけるも彼女は首を横に振るばかりであった。すると封雯馨が凌桃華の背後から彼女の上着を脱がしにかかる。
「ちょっと、封さん!?」
驚く凌桃華を他所に封雯馨は彼女の上着を脱がし終えると凌桃華は恥ずかしさのあまり頰を赤らめて叫んだ。
「い、いや!寒いのやだ!封さん、アタシまだ心の準備ができてないの!!」
「桃華さん、何を言っているんですか?早く温泉に入りたいと言っていたじゃありませんか」
そんなやり取りをしている二人を見て秀鈴が微笑んだ。
「まあ、一緒に入りましょうよ!お風呂に入った方が温かいですよ?」
秀鈴の言葉に仕方なく凌桃華は封雯馨と共に浴場へと向かった。
「わあっ、思ったより広い!」
「それに湯加減もちょうど良いですね」
秀鈴と封雯馨が湯に浸かりながら気持ち良さそうにしているのを見て、ようやく凌桃華も安心して温泉に入ることができた。
「温かい……生き返るわね……」
温泉に浸かり、気持ちよさそうにしている凌桃華を見て封雯馨は微笑んだ。
「良かったですね、桃華さん」
そんな二人の様子を秀鈴がじっと見つめていた。その視線に気がつくと凌桃華は頰を赤らめて恥ずかしそうに言う。
「ちょ、ちょっと!あんまり見られると恥ずかしいんですけど!」
「あ、ああ。ごめんなさい、なんか桃華さんと封さんって胸の発育が良いな……なんて思って……」
「ええ!?アタシの胸ってそんなに大きいですか……?」
凌桃華は突然の秀鈴の一言に赤面しながら言う。しかし、凌桃華の胸は普通の女性と比べても十分に大きい方である。
「あら?秀鈴さんは胸の大きさを気にされているんですか?」
すると封雯馨が秀鈴の言葉に反応した。
「え!?ま、まあ……気にならないと言ったら嘘になりますかね……」
秀鈴は照れくさそうにしながらそう答える。彼女の胸は凌桃華や封雯馨と比べると控えめな大きさであった。それを気にしている秀鈴に封雯馨は優しく声をかける。
「大丈夫ですよ、秀鈴さん。私も女ですからあなたの気持ちはよくわかります。胸の大きさを気にして辛い思いをすることもあるでしょう。ですが、気にしすぎることはありませんよ」
「ありがとうございます!そうですよねえ!気にすることなんてありませんよね!」
封雯馨の言葉に救われた気がしたのか、秀鈴の表情は明るくなっていた。そんな二人のやりとりを見て凌桃華は微笑んでいた。
一方、男湯では冠永、晴天法王、黄竣の三名が体を洗い終えると湯船に浸かっていた。
「いやあ、いい湯だのう!生き返るわい!!」
「ええ、旅の疲れと戦いの疲れが同時に癒えていくようです」
「そうですねえ!」
温泉に浸かりながらくつろぐ三人。すると黄竣が女湯から凌桃華、秀鈴、封雯馨の声を聞くと本能の赴くままに温泉の壁をよじ登り、女湯を覗こうとした。
「黄竣、何をしているんだ!はしたないからやめなさい!!」
「いいえ、止めないでください師父!私はもう我慢できません!!」
(フフフ、二人とも青春しとるのう……)
そんな黄竣を嗜める冠永の様子を微笑ましく見守る晴天法王。
そして黄竣は欲望のままに女湯へと飛び込もうとした。しかし、それを止める者がいた。温泉の隅で入浴していた小柄な老人である。彼は険しい表情になると両手を振りかざして黄竣に電撃を放つ。
「ぎゃああああああああああああ!!」
すると黄竣は全身に高圧電流が駆け巡り、まるで雷に撃たれたかのように痙攣し、そのまま温泉の湯の中へと沈んでいった。
「ああ!黄竣が!!」
「え?誰じゃ、あの爺さん!?」
冠永と晴天法王は驚愕する。しかし、しばらくすると全身黒こげになった黄竣が口から湯を吐きながら生還した。そして小柄な老人に向かって叫ぶ。
「お、おのれ!!もう少しで封さんの裸が見られたものを!いや、それよりもアンタ、人を殺す気か!」
「近頃の若い者は礼儀はおろか温泉の作法をまっっっっったく!わかっとらん!そもそも風呂というのはな、体の疲れを癒すと同時に体の汚れを落とす神聖な場所なのじゃ。それをお前は女湯を覗こうなどという邪念を剥き出しにして……この変態めが!!」
小柄な老人は怒りの表情を浮かべて黄竣に向かって叫ぶ。黄竣は負けじと言い返す。
「変態とはなんだ!俺はただ女湯を覗こうとしただけだ!」
「それが変態じゃと言っておるんじゃ!!大体温泉で女湯を覗こうとする輩にろくな奴はおらん!わしはよく知っとる!!」
小柄な老人は黄竣に向かって怒鳴ると、彼は不機嫌そうな表情を浮かべながら再び温泉に浸かり始めた。その様子を見ていた冠永は老人に頭を下げながら謝罪した。
「弟子の無礼をお許しください。私は善地三太子の冠永と申します、貴方様はどちらからおいでになられたのですか?もしよろしければ御尊名をお聞きしてもよろしいでしょうか?」
小柄な老人は冠永の丁寧な物言いに感心して穏やかな表情に戻った。
「わしは四海山は玉泉洞に住まう海山仙翁と申す。お主はお若いながらも礼儀をわきまえておるようじゃな、しかしあのような変態を弟子にするとはお主も苦労するのう」
「ハハハ……でも、手のかかる教え子も可愛いものですよ?」
海山仙翁と冠永が話している中、黄竣は自分を可愛い教え子と言ってくれた冠永に感激していた。
「師父……私が間違えておりました。師父はやはり最高の先生です!こんな私を許してくださるなんて……!」
「え?黄竣も反省しているなら、きちんと海山大仙に謝りなさい。ほら、行くんだ」
冠永に言われるまま黄竣は海山仙翁に頭を下げると彼は優しく微笑んで彼を許してくれた。
「お主があの善地三太子の弟子であるなら、神通力の一つや二つはお手の物じゃろう?」
「実は私は本日弟子になったばかりで、まだ何も身につけていないのです。しかし、これから一所懸命に努力して師父の名に恥じることないよう努力していくつもりです。その気持ちにに偽りはありません」
「うむ、よくぞ言った!それでこそ男じゃ、その言葉に免じて先程お主を変態と呼んだことは取り消すとしよう」
「ありがとうございます、大仙!」
黄竣と海山仙翁が打ち解け合っている様子に冠永は安心した。すると今度は黄竣が海山仙翁に質問する。
「ところで大仙、先程師父が貴方様に御尊名を尋ねた際、『四海山は玉泉洞に住まう海山仙翁』とおっしゃっていましたよね?貴方は四海山の仙人様なのですか?」
黄竣の質問に海山仙翁は少し誇らしげに答える。
「いかにも!わしは四方を海のように広大な湖に囲まれた四海山に住んでおる。その美しさはまさしく七彩の絶景と呼ぶに相応しいものじゃ。まあ、見ておらんから想像できんじゃろうな……」
「なるほど!それは是非とも拝見したいですね!!」
黄竣が目を輝かせながら言うと海山仙翁は嬉しそうな顔をした。
「そうか、そうか!それで善地三太子殿に御相談したいことがあるのじゃが、よろしいか?」
「はい、勿論です。私でよろしければお力になりますよ」
「それでは、この若者をワシに預けてくださらぬか?彼の心や武術の腕はまだ未熟じゃが、素直な心の持ち主であることはよくわかりもうした。ワシと共に四海山へ赴いて修行を積めば必ずや立派な大人物へと成長できるはずじゃ。いかがであろう?」
「それは……黄竣、どうする?」
黄竣へ問いかける冠永に対し、彼はしばし考えこむと意を決したように海山仙翁に跪いて言った。
「海山仙翁様、どうか私にご指導のほどよろしくお願い致します。今のままでは師父に御迷惑をおかけしてしまうかもしれません、それならば私は貴方に教えを乞い、己の未熟さを少しでも克服したいと思います」
黄竣の真剣な眼差しを見て海山仙翁は嬉しそうに頷きながら答えた。
「うむ!お主の心意気やよし!善地三太子殿、弟子をしばらくお預かりいたす!」
「はい!それでは我が弟子、黄竣をよろしくお頼み申します!」
こうして黄竣は四海山の仙人の元で修業することになったのであった。
その後、冠永たちが湯から上がり浴室から出ると先に入っていた凌桃華が待っていた。
「冠永さん、随分遅かったわね?のぼせたりしてない?」
「いやあ、温泉に浸かるとつい長湯をしてしまってね……あ!そうそう、黄竣を海山仙翁という仙人にしばらく預かってもらうことになったんだ。しばらく修行させてもらうそうだよ」
「ええ!?黄竣さんが仙人のところで修行を!?なんだか、変な感じね……」
黄竣を海山仙翁に預けると聞いた凌桃華は驚きも隠せなかった。
「ああ、私も初めは驚いたよ……でもまあ、彼も少し変わった方が良いだろう。こうしてしばらく離れている間に精神的に成長するかもしれないしね」
冠永の言葉を聞いていると、秀鈴と封雯馨もまた、驚きを隠せないようであった。そこへ浴室から晴天法王と黄竣に続いて海山仙翁が出てくる。
黄俊は凌桃華たちに頭を下げて言った。
「凌さん、秀鈴さん、封さん。俺はこれから海山仙翁様のところで修行をして皆さんのところへ再び帰って来ます。それまで道中お気をつけて……」
黄俊の言葉に凌桃華たちは笑顔で答えた。
「黄竣さん、修行頑張ってくださいね!またお会いしましょう!」
元気に黄竣を応援する凌桃華。
「次にお会いする時を楽しみにしていますよ!」
黄竣の成長を祈る秀鈴。
「私たちは大丈夫です!黄竣さんはゆっくり修行してきてくださいね」
そして封雯馨は名残惜しそうにしながらも、笑顔で黄竣を送り出す。こうして黄俊は海山仙翁のところで修行をすることにし、冠永たちと別行動をとることとなった。冠永もまた凌桃華たちと同じように黄竣の成長を楽しみにするのであった。
※注釈
寝台…ベッド。