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第一回 神様と出会った日

今より遥か昔のこと。度重なる分裂と統一を繰り返していた武術界は衰退の一途を辿り、善と悪、正と邪の戦いは混迷(こんめい)(きわ)めた。


そうした一般社会とは異なる武術界に身を置くのは武術家だけに留まらずに武者修行をする旅人や芸術を愛する風流人(ふうりゅうじん)だけでなく、盗賊や通り魔などの犯罪者も身を潜めるようになってしまった。正と邪が入り乱れ、争乱を繰り返す武術界を一般社会の人々はまるで荒れ狂う河のようだとして、

いつしか「荒河(こうが)」と呼ぶようになった。武術界に身を置く者たちも一般社会を静かなる湖に例え、「静湖(せいこ)」と呼んだ。


荒河には『正道(せいどう)』と呼ばれる荒河(こうが)静湖(せいこ)の平和と秩序を守るために日々修行を重ね、切磋琢磨(せっさたくま)する武術家集団があった。そして、正道と敵対する『魔道(まどう)』と呼ばれる勢力もまた存在し、数百年来、正道と魔道の戦いは果てしなく続き、長きにわたる終わりの見えない死闘は日を追うごとに激化していった。


正道の剣士、凌開雲(りょうかいうん)と魔道の女剣士である殷緋宵(いんひしょう)はお互いの関係に戸惑いつつも絆を深めていった。しかし、そんな2人の関係を正道と魔道は許さなかった。

正道と魔道の戦いが激しくなるごとに2人の愛は深くなっていく。それでも、凌開雲だけでも幸せになってほしいと考えた殷緋宵は谷底へ身を投げる。殷緋宵を失い、全てに絶望した凌開雲は荒河と静湖の間をあてもなくさまよう。そんな中、彼はとある山中で殷緋宵の行方を知る(しろがね)妖狐(ようこ)と出会う。銀の妖狐から殷緋宵はまだ生きていると告げられた凌開雲は銀の妖狐に導かれるまま、殷緋宵がいるという祠へと足を踏み入れる。そこで凌開雲が目にしたのは妖怪の姿に変わり果てた殷緋宵であった。

銀の妖狐曰く重傷を負った彼女を救うには妖術で妖怪にするしかなかったのだと。それでも殷緋宵が生きていることを喜ぶ凌開雲であったが、彼女は凌開雲を拒絶する。

そんな中、突如として祠が崩れ始める。凌開雲は殷緋宵を助けようとするが重傷を負ってしまい、最早その命は風前の灯火であった。

銀の妖狐は凌開雲の殷緋宵への愛を確かめると彼を妖怪にして蘇生し、2人と1匹は祠を脱出した。


その後、荒河(こうが)静湖(せいこ)において1つの噂が流れた。人々を悪しき力から守ろうと戦う小さな銀色の狐を連れた男女の話である。その2人と1匹は悪人や悪しき妖怪たちから恐れられる存在となっていった。曰く、その2人は人であって人ではない。曰く、その2人は妖怪であって妖怪ではない。曰く、その者たちの力は人知を超えており、いかなる存在も太刀打ちできない。そんな噂がまことしやかに囁かれていた。そしてその2人のうち、男の方は行方知れずとなった正道の剣士、凌開雲ではないかと噂されたがその真偽は定かではない……。


それから何年が経過したであろうか。凌開雲(りょうかいうん)殷緋宵(いんひしょう)は結婚し、殷緋宵は凌開雲の子供を身籠(みごも)っていた。(しろがね)妖狐(ようこ)は殷緋宵のお腹に耳を当てて何度も(うなず)いた。


「うむ。お腹の子は順調に育っているようだな、緋宵よ。つわりはまだ続くかもしれないが、このまま元気な子を産むのだぞ。」


「ふふっ。ありがとうございます、妖狐さん」


銀の妖狐ににこやかな笑顔で返事をする殷緋宵。それはまるで母と娘のような会話であった。


「それにしても狐は随分詳しいんだな、まるで産婆(さんば)さんのような……」


そんな彼女たちのやり取りを見て、不思議に思った凌開雲は銀の妖狐に(たず)ねる。すると銀の妖狐はふふん、と得意げに鼻を鳴らして言った。


「それは勿論(もちろん)、私は経験者だからな!娘が妊娠したのなら母親である私が世話をするのが当然であろう?」


「それはそうだが……ん?娘?」


「あ……」


凌開雲に指摘されて、やってしまったという顔をする銀の妖狐。しかしもう遅い。彼女の発言は2人の耳にしっかりと入ってしまっていたのだから。


沈黙が暫く続いた後、銀の妖狐は諦めがついたのか、頭に狐の耳と腰から7本の尻尾を生やした美しい女性に姿を変えるとぽつりぽつりと話し始めた。自分が殷緋宵の母親、玉縁螺(ぎょくえんら)であること。そして彼女は愛する夫である殷震岨(いんしんそ)が殷緋宵を連れて姿を消し、それ以来2人を探しながら

荒河(こうが)静湖(せいこ)をさまよい続けたことを……。


「では……本当にあなたは……」


信じられないといった様子で尋ねてくる殷緋宵。そんな彼女に玉縁螺は悲し気な表情で頷く。


「そうだ。私はお前の母なのだ……緋宵よ」


そう告げる玉縁螺に、殷緋宵は恐る恐る尋ねる。


「じゃあ……お父様が言っていた玉縁螺という方は……」


その問いかけに今度は玉縁螺が驚く番であった。まさか夫が自分のことを殷緋宵に話していたなど想像すらしていなかったのだから……。


そんな彼女に玉縁螺は答えた。


「それは私のことだ……。お前はまだ小さかったから覚えていないのも無理はないが……」


その答えを聞いて、俯いてしまう殷緋宵とそっと彼女を宥める凌開雲。そして彼は玉縁螺に跪いて言った。


義母上(ははうえ)、私があなたを緋宵の母上とも知らず今までに行ってきた数々の御無礼(ごぶれい)をお許しください」


凌開雲からの謝罪を受けた玉縁螺であったが、彼女は首を横に振りながら言った。


「いや……それは良いのだ。むしろ謝らねばならぬのは私の方だ。今までお前たちに真実を伝えず、黙っていたことを許しておくれ」


もう1度小さく息を吐くと玉縁螺は言った。


「だが過去を悔やんでも仕方あるまい?それよりもこれからは生まれてくる孫を含めて家族4人で仲良く暮らそうではないか」


「はい!もちろんです!!」


凌開雲と殷緋宵は声を揃えて言った。その様子を見た玉縁螺は満足そうに頷くと、殷緋宵のお腹をさすりながら言う。


「うむ、私も早く孫の顔が見たいものだな!」



そうして月日は移り変わり、殷緋宵(いんひしょう)は無事に女の子を出産した。

玉縁螺(ぎょくえんら)が「緋宵にそっくりだ」と喜ぶ中、凌開雲(りょうかいうん)だけは別のことを考えていた。

そう、それは娘も自分たちと同じ様に妖怪であることだ。生まれてきた女の子は桃色の髪の毛をしており、頭には狐のような耳が生え、その毛先は淡く輝いていた。更に目の色は殷緋宵同様に空のように青く、ふさふさした尻尾がお尻から生えていた。


(この子の髪の色は俺の白髪と緋宵の緋色の髪色の両方を受け継いでいる。妖怪である以上、この子も俺たちと同様に辛い経験をすることになるのだろう……。ならばせめて幸せな人生を歩んでほしいものだ)


そんなことを考えつつも娘の誕生を喜ぶ凌開雲。そして物語は新たな局面を迎えようとしていた……。


正道(せいどう)魔道(まどう)の争いが続く中、魔界(まかい)の住人である妖怪たちが人間が住む衆生界(しゅじょうかい)に攻め込もうとしていた。妖怪たちは魔性(ましょう)の術により、衆生界に出現することができたのだ。


しかし、衆生界においては正道と魔道が争いの種となっており、もし妖怪たちまで衆生界で暴れれば、未曾有(みぞう)の危機に陥るであろうことは容易に想像できた。


そんな状況を危険視した神界の神々はこの状況の打開策を思案していた。そんな時、神々の王である帝一神君(ていいつしんくん)は衆生界に神軍(しんぐん)を派遣し、妖怪たちの討伐(とうばつ)を計画していた。そして帝一神君は神界の神々を集め、その計画を公表した。その計画とは正道と魔道が手を組み、妖怪たちを討伐するというものであった。


だが、この案に賛成する者は誰も居なかった。それは双方が今まで争ってきたという過去があり、また妖怪を討伐するための共通の目的があってもそれが達成されるかは怪しいものであったからだ。


そこへ神界(しんかい)書記官(しょきかん)である神記官(しんきかん)の1人、祖星霊官(そせいれいかん)が帝一神君に対してこう言った。


「恐れながら申し上げます。確かに現状では正道と魔道の両者による共同作戦は難しいでしょう。ですが、それでもどちらか一方の勢力によって妖怪を討伐するよりは遥かにマシな結果になると思われます」


その発言を聞いてざわめく神々。しかし、そんな神々の反応には構わず祖星霊官は続ける。


「それにこれはあくまで私個人の意見なのですが……この機会に二つの勢力が和解することは大変良いことだと思います。此度(こたび)の戦いを通して正道と魔道が手を取り合い、共に妖怪と戦うことができれば自ずと衆生界の平和を守ることができるでしょう」


そう言って一礼する祖星霊官を見ながら、帝一神君は思案する様子を見せるがそれも長くは続かなかった。そして彼は決断を下した。そう、それは神界と衆生界による共同作戦であった。ただしその実行には条件があった。まず最初に魔界からの襲撃を食い止める役目を担うのは正道、魔道の両勢力であり、その上で妖怪たちが攻めてくるなら討伐するという方針だ。


こうして神界と正道と魔道の連合軍による共同作戦が開始された。荒河(こうが)静湖(せいこ)に新たな戦乱が近づきつつあった。



それから数年が経過し、凌開雲(りょうかいうん)殷緋宵(いんひしょう)の娘である凌桃華(りょうとうか)はすくすくと育っていった。今日も彼女は祖母の玉縁螺(ぎょくえんら)(ひざ)の上に乗り、昔話を聞かせてくれるようにねだった。


「ババ様~、また昔話を聞かせて~」


「そうだな……。まだ桃華に聞かせていないとっておきのがある、長くなるから途中で眠ったりしないように気を付けるのだぞ?」


「は~い、ババ様!」


「では……昔々、ある王国に3人の王子様がおったそうな。長男である第一王子は王位を継ぎ、第二王子と第三王子は神となるための修行をすることになった。そして第二王子は神々の王を目指し、


第三王子は私たちが暮らす衆生界で苦しんでいる者、悲しんでいる者を救おうと修行を始めたのだ。それから2人の王子は数々の試練に打ち勝ち、神々の住まう神界へ続く門を開くことに成功した。


2人の王子の力を認めた神々は王子たちを神へと生まれ変わらせ、第二王子はそのまま神々の王を目指し、第三王子は人々を救うべく善地三太子(ぜんじさんたいし)という神名(しんめい)を授かり、衆生界へと降り立ったのである」


「へぇ~、そうなんだ~」


「うむ、そうなのだ。そしてこれは桃華が生まれるはるか昔から続く物語なのだよ」


玉縁螺の話を聞いて目を輝かせる凌桃華。彼女はふと疑問に思ったことを彼女に尋ねる。


「でもババ様、どうして善地三太子様はせっかく神様になったのに衆生界に降りて行ったのかな?」


凌桃華の質問に玉縁螺は少し考える素振(そぶ)りを見せながら答える。


「ううむ……。これはあくまで私個人の解釈なのだが、善地三太子様はきっとお優しい御方だったのだ。だからこそ神様になった後も衆生界の者たちを助けたいと思っておられたのだろう。そして、その想いに応えるかのように神様たちから力を授かった……それが善地三太子様の優しさと強さの理由なのだと思うぞ?」


「なるほど~!ババ様ってすごいね!!」


「ふふっ、そうだろう?だが桃華もこれから色々なことを学ぶことで更に知識や見聞を広めることができるだろう。そうすればきっと桃華が知らないだけで世の中には素晴らしいものが沢山あることに気付くはずだ」


「でも、たくさんの人たちをたった1人で助けるなんて桃華には無理だよ……。善地三太子様もきっとすごく疲れてると思う、神様だから平気かもしれないけど……」


「それは桃華、お前も同じことだよ。お前がたくさんの人たちを救おうと頑張っても限界はあるだろう。しかしそれでいいのだ、1人で何もかもやろうとする必要はない。私たち家族が一緒に協力して皆を支えることができれば良いのだからな」


そう言って玉縁螺は凌桃華の頭を優しく撫でた。


「うん……。でもババ様、善地三太子様にもし会えたら桃華はお礼が言いたいの。いつも皆を助けてくれて、見守ってくれてありがとうございますって!」


「そうか……桃華は優しい子だな。よしよし、私も嬉しいぞ」


そう言って玉縁螺は再び凌桃華の頭を撫でた。そして2人は穏やかな時間を過ごしていくのだった。


(善地三太子様か……。いつか会ってみたいなぁ)


凌桃華が玉縁螺から月餅をもらうとそれを見つめながら何かを思いついた。


「そうだ、ババ様。桃華ね、この月餅(げっぺい)を善地三太子さまにお裾分(すそわ)けしたいのだけど、どうすればいい?」


そんな純粋な孫娘の願いに玉縁螺は思わず笑ってしまう。


「ははっ、それはいい!きっと善地三太子様も喜ばれるだろう」


玉縁螺は凌桃華を優しく抱きしめると、ある提案をした。


「それでは、桃華の月餅を半分に割って半分は桃華が食べ、もう半分は善地三太子様にお供えしよう。そうすれば桃華の想いも届くだろうからな」


「うん!ババ様、ありがとう!えへへ、桃華の月餅を善地三太子様と半分こ!」


そうして玉縁螺は凌桃華を連れて自宅の近くにある小さな(ほこら)の前まで来ると、月餅を2つに割り、半分を凌桃華に渡し、半分を小さな祠に供えた。そうして2人は手を合わせ、善地三太子に祈りを(ささ)げた。


2人が家に帰る際に凌桃華が祠へ振り返りながら手を振ると、その背後に広がる山々からまるで彼女を見送るかのように鳥たちが飛び立った……。



神界と衆生界の連合軍による共同作戦が開始されてから戦況は日を追うごとに非常に厳しいものとなっていた。


神軍の活躍により、妖怪たちを各個撃破していくことに成功したものの、魔界から妖怪たちは溢れだすように出現し、衆生界に被害をもたらす。(さら)には敵の策略(さくりゃく)によって封印されていた魔将軍(ましょうぐん)たちも復活を()げてしまう。


そして激しい戦いが繰り広げられることさらに2年が経過し……。



父様(とうさま)母様(かあさま)、またお出かけするの?」


この時、凌桃華(りょうとうか)は7歳になっていた。両親の凌開雲(りょうかいうん)殷緋宵(いんひしょう)はこの日も妖魔軍(ようまぐん)を討伐するために出かけるところだった。しかし、2人は娘の言葉に思わず顔を見合わせる。


「そうか、桃華にはまだ話していなかったな……」


凌開雲がそう言うと娘の頭を()でながら言う。


「今日俺たちが行くのは妖魔軍の拠点だ。そしてこれからそこに乗り込んで戦いを挑むのだ」


その言葉に驚く桃華だったがすぐに笑みを浮かべると両親に言った。


「すごい!頑張ってね!!」


そんな娘の笑顔を見た夫婦はお互いを見つめ合い、頷きあうと再び娘を抱きしめる。


「桃華……俺たちは必ず帰ってくるから心配しなくてもいい」

「そうよ、私たちが留守の間もババ様と仲良くね?」


両親の言葉に力強く頷くと彼女は言った。


「分かった!私も皆を助けることができるように頑張る!」


そんな娘の言葉を聞き、両親は笑顔で娘を抱きしめながら家を出て行った。そんな2人を見送った後、桃華は自室に戻るといつも通り修行を始めるのだった。


彼女の修行は神通力(じんつうりき)を身につけるための基礎訓練(きそくんれん)であった。神通力は生まれつき持っている者もいれば、修行することで身につける者もいる。この基礎訓練により彼女は既に軽いものならば物体を操ることができるようになっていた。彼女は今日も家の前にある修行場で念動力(ねんどうりき)の修行を始めるのだった。


「よしっ、次はあの岩を動かそう!」


桃華はそう言うと目を閉じて意識を集中し、岩に向かって手を伸ばした。すると岩はまるで生き物のように動き始め、彼女の周りをくるくると回り始めた。


(やった!初めて成功した!)


そんな喜びに顔を綻ばせる桃華だったが……突然ピタリと岩の動きが止まる。


(あれ、おかしいな……)


不思議に思った桃華が再び岩に向かって手を伸ばすと今度は勢いよく岩が動き出した。慌てて避けようとするも間に合わず、彼女の頭に直撃してしまう。


「痛いっ!!」


あまりの痛みにその場に座り込んでしまった桃華だったが、幸いにも怪我はしていなかったようだ。そして再び彼女は意識を集中し始める。


(また失敗しちゃった……でも今度こそ成功させてみせる!)


「桃華、それではいかん。もっと意識を集中するのだ」


凌桃華が振り向くと、そこには祖母の玉縁螺(ぎょくえんら)が立っていた。


どうやら彼女の修行をこっそり見に来たらしい。


「ババ様、どうしてここに?」


「なに、桃華が熱心に修行をしているので様子を見に来たのだ。しかし……」


玉縁螺はそう言うと険しい表情をする。それを見た桃華は思わず体が震えてしまうのだった。


「このままではお前の才能が無駄になってしまう!もっと真剣にやるのだ!!」


祖母の言葉に緊張しながらも彼女は頷いた。


(そうだ……私は神通力だけじゃなく他のことでも、父様や母様のようにできるようになりたいんだ!)


そう思った桃華は深呼吸をすると再び岩に向かって念動力を発動する。今度は先程のような失敗をしないようにしっかりと意識を集中させるのだった。


(落ち着け……大丈夫、私ならできる……!)


しばらくすると彼女の周りに風が集まり始め、そして小さな竜巻を作り出すことに成功する。


「やった!できたよ、ババ様!」


しかし喜ぶ彼女に対して玉縁螺は再び険しい表情をするのだった。


「違うぞ、桃華!!その状態のまま神通力を発動するのだ!」


「神通力……?どういうこと?私、ちゃんとやってるよ?」


困惑する桃華だったが、そんな彼女に対して玉縁螺は厳しい声で続ける。


「いいか、桃華。今のお前はただ風を操っているだけだ。確かにそれは凄いことだが……今のままではいけないのだよ」


そう言って玉縁螺は近くの岩に手を向けると念動力を使いながら指を動かした。するとまるで見えない手が岩を掴んだかのように空中に浮かび上がった。そしてそのままゆっくりと手を横にずらすように動かすと岩の塊が移動していった。


「えっ……?」


困惑する桃華だったが、玉縁螺は構わずに続ける。


「次はもう一度念動力で同じことをするのだ。ただし今度はさっきのように軽くではなく、しっかりと集中するのだぞ?」


玉縁螺の言葉を受けて彼女の頭の中に様々な疑問や不安が浮かんでくるものの、今は言われた通りにするべきだと考えた桃華は再び念動力を発動しようとする。しかし……。


「駄目だ、桃華!集中が足りない!!」


玉縁螺の叱咤が飛ぶと同時に再び岩塊は地面に叩きつけられる。


(どうしよう……全然うまくいかないよ)


涙目になる彼女だったが、再び玉縁螺から厳しい言葉が投げかけられる。


「いいか、桃華!お前の力はまだその程度のものではないはずだ!もっと強く念じるように念動力を使うのだ!」


その言葉に彼女は覚悟を決めると先程よりもさらに強い力で集中するのだった。すると今度はさっきよりも簡単に岩を持ち上げることができた。


「いいぞ、その調子だ!そのまま神通力を使うのだぞ!念動力で身体の中にある神通力を高めて、そこで一気に放出するのだ!」


玉縁螺の言葉通りに桃華は意識を集中させると体の中にある不思議な力を手足へと移動させるイメージをする。すると手足から青白い光が灯った。


(よしっ、これならいけるかも!)


そう思った彼女が目を開けると目の前にあったはずの石の塊は跡形も無く消えていた。


「やった……できた!!」


思わず声を上げる彼女だったが、その直後に突然頭の中に様々な情報が流れ込んでくるのを感じた。


「ッ!」


あまりの衝撃に立ちすくむ桃華だったが、しばらく経つとそれも治まった。


「桃華っ!大丈夫か!?」


玉縁螺が心配そうに駆け寄る。


「うん、大丈夫だよババ様。でも何だか頭の中に突然いろんな情報が入ってきてびっくりしたの」


そう言って桃華は不安そうな表情で祖母を見つめるのだった。


「そうか……だがそれは神通力を使うために必要なことだ。怖がることはない」


玉縁螺はそう言って微笑むと彼女の頭を撫でるのだった。


(これが……神通力?)


初めての出来事に戸惑いつつもどこか嬉しい気持ちになる桃華だった。


「今日の修行はここまでにしよう。桃華や、頭をぶつけたところを見せてごらん?」


「えっ、でも……」


「いいから見せてごらん?」


そう言われた彼女は大人しく頭を見せると、そこには大きなたんこぶがあった。それを見た玉縁螺は思わず顔を(しか)める。


「これは痛そうだ……すぐに手当てをしなければ」


(本当に大丈夫かな……私)


そんな不安を覚えつつも桃華は彼女に手を引かれて家へと入っていった。


「ほら、ここに座りなさい」


玉縁螺はそう言って椅子に座らせると戸棚から救急箱を取り出すと中から薬を出して湿布を貼り始める。


「はい、これでもう大丈夫」


「ありがとう、ババ様!」


そう言うと笑顔でお礼を言ったがその心の中はまだ不安でいっぱいだった。


(私に神通力なんて……本当に上手く使えるのかな?)


そんなことを考えているうちに祖母が話しかけてくる。


「桃華、今日は疲れただろう?もう休む時間だぞ」


「うん……」


彼女は頷くと自分の部屋へと向かった。その途中で自分が書いた凌家の家族の似顔絵の前で立ち止まると、そこに描かれている父親の凌開雲に向かって話しかける。


「ねぇ、父様……私はちゃんとできているのかな?」


返事など返ってくるはずがないことは分かっていたが、それでも彼女の口からは言葉が溢れ出てくるのだった……。



そんなある日のことだった。凌桃華(りょうとうか)玉縁螺(ぎょくえんら)に黙って人里(ひとざと)へ降りて行ってみると、子供たちが遊んでいるのが見えた。男の子が4人、女の子が3人のグループで、年齢は凌桃華と同年代に思えた。


(私も一緒に遊びたいな……)


ふと、そんな考えが彼女の頭をよぎる。凌桃華は今まで同年代の子供たちと接する機会がなかったため、自分も一緒に遊びたいという気持ちが芽生(めば)えたのである。


早速、子供たちのところへ走って行って声をかけてみることにした。


「ねえねえ、私も仲間に入れて?」


子供たちは突然見知らぬ女の子に声を掛けられて彼女の姿を見ると、女の子の髪色は鮮やかな桃色でその瞳は空のように青く、頭には狐のような耳があり、尻尾まで生えていた。


一目で妖怪とわかるその外見に先頭に立っていた男の子が顔面蒼白となって叫ぶ。


「よ、妖怪だ!みんな逃げろーっ!喰われちまうぞ!!」


男の子の声を聴いた子供たちは蜘蛛(くも)の子を散らすように一目散に逃げだした。


「ま、待って!私はそんなことしないよ!!」


凌桃華は弁明するが、子供たちはあっと言う間に姿を消してしまった。


ショックを受ける桃華だったが、それでもまだ諦めきれなかった。


(もしかしたら私の姿を見て怖がらせてしまったのかも……だったら姿さえ見せなければいいんだ!)


そう思った彼女は近くの森の中へと入って行った。それからしばらく歩いていると小川が見えてきたのでそこで一息つくことにした。


(これからどうしよう……やっぱりもう人里には近づかない方がいいのかな?でもこのまま帰るわけにはいかないし……)


そんなことを悩みながらふと水面を覗き込むと自分の姿が映し出される。その姿はとても可愛らしかったのだが、同時に寂しそうな表情を浮かべていた。


(私はもっとみんなと一緒に遊びたいだけなのに……)


そう思いつつも彼女は諦めずに再び人里へと足を運ぶことにしたのだった。しかし、どういうわけか人里への道がわからない。森をさまよう内にいつしか夜になっていた。


「どうしよう、帰り道がわからなくなっちゃった……。父様、母様、ババ様、私どうしたらいいの……?」


不安に駆られながらも森を歩いていると、突然石につまずいて転んでしまった。余りの痛みに涙目になってしまう。


「痛っ……い……ううっ、もう家に帰りたいよお……うわあぁぁぁぁぁぁん!」


とうとう(こら)えきれなくなって大声で泣いてしまったその時だった。


「君は……怪我をしているのか?」


目の前に20代前後の若い男が立っていた。長い黒髪に白い旅装束を身につけ、頭には(かさ)(かぶ)り、右手には僧侶(そうりょ)が持つような長い錫杖(しゃくじょう)を手にしている。一見するとただの旅の僧侶のように見えるが、何やら神秘的な雰囲気を持つ青年である。


「大丈夫……ではなさそうだね。どれ、見せてごらん?」


青年はそう言うと桃華の膝にそっと手を添える。すると不思議と痛みが引いていったのだ。


「さあ、これでもう大丈夫だよ」


そう言うと彼は優しく微笑んだ。そんな彼の表情を見た桃華は胸の奥が熱くなるような感覚を覚えた。


(この人が助けてくれたんだ……!)


そう思うと自然に口が動いていた。


「あ、あの!ありがとうございました!!」


彼女は勢いよく頭を下げた後、改めてお礼を言った。


「どういたしまして。怪我をして泣いている子供を助けるのは大人として当然のことだからね」


そう言って青年は優しく微笑んだ。そんな彼に桃華は思い切って尋ねる。


「あの、あなたはいったい……?」


すると彼は少し考えた後で答える。


「そうだね……まあ私のことは旅人とでも思ってくれれば良いよ」


「旅人さん……。変なことを言ってしまったらごめんなさい、あのぅ……私のこと、怖くありませんか?」


凌桃華の言葉に旅人は不思議そうに首を傾げる。


「へ?どうしてだい?君は可愛い女の子だろう?怖がる理由は何もないんじゃないかな?」


彼は何の気なしにそう言ったのだが、その言葉は桃華を大いに驚かせた。


(私が……怖くない……?本当に……?)


今まで人間からそんな風に言われたことがなかった彼女は嬉しい気持ちが込み上げてきて思わず泣きそうになったが、涙を堪えて彼に尋ねた。


「あの……でも……私、動物みたいな耳や尻尾が生えているし……」


(確かに……この女の子の姿は紛れも無い妖怪……だが、彼女の魂の輝きは人間の魂に限りなく近い……

この女の子はいったい……?)


少し考えた後、旅人は口を開いた。


「確かに君の容姿は普通の人間とは異なっているかもしれない。だが、それは個性の一つに過ぎない。

それにその程度のことで君を嫌いになる理由にはならないよ」


その言葉に桃華は衝撃を受けると共に大きな喜びを感じたのだった。それから2人はしばらく話をするために大きな木の根元まで移動し、腰を下ろした。


「しかし、君の家族はどうしたんだい?まさかこんな夜中に1人で森を歩いていたのかい?」


旅人は心配そうな表情で尋ねる。


「実は私……父様や母様やババ様と一緒に山奥で暮らしているんですが、一緒に遊ぶ友達が欲しくて人里に降りて行ったら森の中で迷子になってしまって……それで……」


桃華はそう言うと俯いてしまった。そんな彼女の頭を旅人は優しく撫でると微笑む。


「そうか……それは辛かったね。でも大丈夫だよ、君さえ良ければ私が友達になってあげよう」


その言葉に桃華の表情が明るくなる。


「ほ、本当!?」


「ああ、もちろんだよ」


彼は笑顔で答えると桃華の頭を再び撫でたのだった……。


(なんだろうこの人の手……凄く温かい感じがする……)


彼の手の平から伝わる温もりを感じながら彼女は幸せな気持ちに(ひた)っていた。


「そうだ、君の名前を聞いてもいいかな?」


「桃華……凌桃華っていいます!」


(凌桃華……そうか、この女の子が……)


彼は心の中で納得すると桃華に話しかける。


「そうか、可愛い名前だね」


(ああ……なんだかこの人に褒められると凄く嬉しい気持ちになる……)


凌桃華は(ほほ)を染めて照れ笑いを浮かべていた。そんな彼女の仕草(しぐさ)に旅人も優しく微笑んで言った。


「そうだ、私も自己紹介しなければ……私のことは、そうだな。冠永(かんえい)と呼んでくれ」


「冠永……さん?」


凌桃華が首を(かし)げると彼は「ああ」と言って(うなず)いた。


(冠永……さんか、いい名前だな)


凌桃華は心の中でそう呟いたのだった。


(冠永と私のことを呼んでくれるのはもう兄上しかいないけれど……何故だかこの子にそう呼んでもらいたい、桃華にはそんな不思議な力がある……)


旅人は優しい笑顔を浮かべながらも、どこかその表情は寂しそうにも見えた。


それから桃華は冠永と共に様々な話をした。初めて友達と過ごす時間はとても楽しく、あっという間に過ぎていったのだった。


「桃華!どこいるんだ?返事をしてくれ!」


すると、森の外から心配そうに桃華の名を呼ぶ祖母の玉縁螺の声が聞こえて来た。


「ババ様だ!」


凌桃華は祖母の声に反応して立ち上がった。そんな彼女に冠永が話しかけた。


「どうやら君の御家族の方が来たみたいだね」


「はい!冠永さん、私、そろそろ行かなくちゃ……」


(もっと一緒にいたいけど……)


寂しそうに俯く彼女に冠永は優しく微笑むと口を開く。


「大丈夫、きっとまた会えるから」


そう言って彼は優しく凌桃華の頭を撫でる。


「はい!」


凌桃華は元気よく返事をすると、祖母が待つ方へ向かって走り出した。すると玉縁螺は驚きながら桃華に言った。


「桃華……!あまりにも遅いから心配したではないか!」


「ごめんなさい、ババ様……私どうしても友達がほしくて人里に……」


凌桃華がそう言うと玉縁螺は驚いた表情を浮かべながらも優しく微笑む。


「そうか、友達ができたんだな?よかったじゃないか」


「うん!」


凌桃華は嬉しそうに笑うと言った。


「あのね!私、冠永さんっていう友達ができたの!ほら、あの人だよ!」


玉縁螺が桃華の指さした方向を見ると、冠永が優しく笑顔を浮かべたままこちらを見つめていた。


「あ、貴方様は……!」


冠永の姿を見た玉縁螺は突然恭(うやうや)しく彼の前に(ひざまず)いた。


「我が孫娘をお助けいただき、なんと御礼を申し上げれば良いか……」


跪きながら玉縁螺は冠永に感謝の言葉を述べる。そんな祖母の様子に凌桃華は不思議そうな顔をして問いかける。


「ババ様、突然どうしたの?それに冠永さんのこと知ってるの?」


凌桃華が尋ねると玉縁螺は答えた。


「桃華、お前も頭を下げぬか!この御方こそ以前お前に話して聞かせた、善地三太子様(ぜんじさんたいしさま)なのだぞ!」


「ええっ!?冠永さんが……?」


凌桃華は驚きながら冠永を見た。


善地三太子は高い地位の神であるにもかかわらず神界に居住せず、衆生界を自らの足で行脚しながら救いを求める人々を護り、救うために旅を続けているという。

そんな善地三太子は神々の間でも評判が高く、彼に憧れて多くの修行僧が彼に弟子入りしたいと願っている程であった。


「冠永さんが……善地三太子様……?本当に?」


桃華が尋ねると冠永は微笑みながら優しく言った。


「ああ、そうだよ。改めてよろしくね、桃華」


冠永がそう言うと今度は凌桃華の方から彼に頭を下げる。


「はい!こちらこそよろしくお願いします!」


「善地三太子様、この子はまだ子供ゆえ世情(せじょう)には(うと)く、失礼なことを申し上げてしまうかもしれませんがご容赦ください」


「いえ、お気になさらずに……やはり桃華は玉縁螺殿のお孫さんでしたか」


そんな会話をしていると桃華が口を開く。


「冠永さん……善地三太子様とババ様は知り合いなの?」


凌桃華の質問に玉縁螺は答える。


「ああ、そうだ。以前善地三太子様が人助けのためにこの地にやって来られた時以来な」


「へえ……そうなんだ……」


(やっぱり冠永さんって凄い人なんだなぁ……)


凌桃華が感心していると冠永が口を開いた。


「そうだ、これから私は旅立たなければならないのでまた会うのは難しいかもしれませんが……」


冠永の言葉を聞いた桃華は寂しそうに(うつむ)く。そんな彼女に冠永は優しく語り掛けた。


「大丈夫だよ、桃華。またすぐ会えるから……ね?」


「うん!」


凌桃華は満面の笑みで頷きながら再び彼にお礼を言ったのだった……。



一方その頃、神界と衆生界の連合軍は多大な戦果を上げて妖魔軍を魔界へと追いやることに成功し、神軍は衆生界に再び魔界の門が開かないように結界(けっかい)を次々に(ほどこ)していった。

そして妖魔軍相手に奮戦し、数々の武勲を立てたのは凌桃華(りょうとうか)の両親である凌開雲(りょうかいうん)殷緋宵(いんひしょう)であった。神界の神々は2人を高く評価し、神軍へ勧誘したのである。

それに異を唱えたのは衆生界の連合軍、即ち正道と魔道の勢力であった。彼らは自分たちと(たもと)を分けた凌開雲と殷緋宵を激しく嫌悪し、嫉妬していた。その結果、正道と魔道の勢力は神軍と連合軍を巻き込んで大規模な内乱に発展することになってしまった。平和が戻ったかに見えた衆生界に再び暗雲が立ち込め始めたのである。



「凌開雲め、魔道の女と夫婦となっただけでなく妖怪に身を堕としていたとは!恥を知るがいい!!」


「殷緋宵……我らが教主、殷震岨(いんしんそ)様の娘でありながら、あのような姿になってまで正道の男に尽くすとは……なんと愚かな女だ」


正道と魔道の勢力は口々に2人を誹謗中傷し、その怒りをぶつけたかったが、凌開雲と殷緋宵が神々の信任を得ているために無暗(むやみ)に手出しできずに歯痒(はがゆ)い思いをしていた。


「くそぉ……このままでは我らの面目が立たんではないか!」


そんな時、両勢力が凌桃華についての情報を手に入れた。


「なんと……!あの悪名高い妖怪夫婦の子供が衆生界に紛れ込んでいるだと!?」


「ならばその子供の身柄を我らが(もら)い受ければ……」


「うむ、そうすれば我らは憎き凌開雲と殷緋宵の鼻を明かすことができる!」


そう言って正道と魔道の勢力は凌桃華を衆生界から連れ去ろうと画策していたのである。その計画を影から操ろうとしている者たちがいるとも知らずに……。



「桃華、お前に大事な話がある」


ある日、凌開雲は真剣な表情で凌桃華にそう切り出した。


「どうしたの、父様?何か悩み事?」


首を傾げる娘に凌開雲は優しく微笑むと口を開く。


「実は、しばらくお前を神界に預けようと思うのだ」


桃華は驚いた表情を浮かべて言う。


「どうして急に?」


「うむ……実はな……」


父は言葉を選びつつ、ゆっくりと話し始めた。正道と魔道の勢力が桃華をさらおうと企んでいるらしいこと。両勢力に対抗するためには桃華が衆生界で力をつけるよりも、神界で過ごした方が安全であること。そして両勢力と戦うためにも桃華には神界で修行を積んだ方が良いということ。


「そうなんだ……私、父様や母様やババ様と離れたくない……」


寂しそうな表情を浮かべる凌桃華を見て、殷緋宵は娘の頭を撫でながら言った。


「大丈夫よ、桃華。貴方ならきっと立派に成長できるわ」


「でも、それじゃあ父様と母様はどうするの?」


不安そうな表情を浮かべる桃華を安心させるように彼女は微笑むと言った。


「たとえ別々に暮らすことになっても、貴方を愛していることに変わりはないわ。それに私たちももうしばらくしたら神界に行くつもりだから大丈夫よ」


「え、そうなの?」


桃華が尋ねると殷緋宵は頷きながら言った。


「ええ、そうよ。だから何も心配することはないの」


「本当?それならいいんだけど……」


そんな会話をしていると凌開雲が口を開いた。


「桃華……これからは神界で自分の力を高めていくといい」


その言葉に桃華は力強く頷いた。


「うん、分かった!私、頑張る!」


「うむ、良い返事だ」


そう言うと凌開雲は優しく娘の頭を撫でると殷緋宵に目配せをした。それに答えるかのように彼女は頷くと口を開く。


「それじゃあ桃華、行きましょうか?」


「うん!……あ、ちょっと待って!」


すると桃華は何かを思い出したかのように部屋を飛び出していく。そしてすぐに戻ってきた彼女の手には2枚の包み紙があった。


それは小さな包み紙に包まれた飴玉(あめだま)だった。


「これを忘れないうちに渡しておこうと思って……」


桃華がそう言うと凌開雲は首を傾げた。


「ん?これは一体?」


すると、桃華は少し照れ臭そうに顔を赤らめながら言った。


「その……いつもお世話になってる父様と母様にお礼です」


「ほう、これはまた可愛らしい贈り物だ。ありがとう桃華」


凌開雲が優しく微笑むと凌桃華は照れ笑いを浮かべながら言った。


「ありがとう、桃華。大事に食べさせてもらうわね」


殷緋宵がそう言うと桃華は嬉しそうに微笑んだ。


「うん!……あっ!そうだ、ババ様にもあげなくっちゃ!」


桃華が包み紙に入れた飴玉を持って祖母の玉縁螺の部屋へ向かうと、部屋の中からすすり泣く声が聞こえてきた。


「どうしたの、ババ様!?」


桃華が慌てて部屋に駆け込むと玉縁螺は着物の袖で涙を拭いながら顔を上げた。


「おお、桃華か……心配をかけてすまないな」


「ババ様、何かあったの?」


心配そうに尋ねる桃華に玉縁螺は答えた。


「いや……なに。少し目に(ほこり)が入ってしまってな……別に桃華と離れて暮らすのが寂しいからではないぞ!これはその……そう、歳のせいだ!」


「でも泣いてたよね?」


「う、うるさい!これは目に埃が入っただけだと何度も言っているだろう!?」


顔を赤らめながら言う玉縁螺を見て桃華はくすっと笑うと彼女に近づきながら言った。


「ありがとう、ババ様」


「……?何のことだ?」


不思議そうに首を傾げる玉縁螺に桃華は包み紙に入れた飴玉を渡しながら言った。


「飴だよ!実はね……」


2人の会話はしばらく続き、それを陰からこっそりと聞いている者がいた。その人物は桃華の両親である凌開雲と殷緋宵であった。


「やはり桃華には寂しい思いをさせてしまうな……」


「そうね……でも、あの子は私たちの娘だもの。きっと立派に成長してくれるわ」


そう言うと2人は娘の幸せを願うかのようにそっとその場を後にした……。


「……だから私も家族みんなのために強くなりたいの!今までババ様から教わったことを無駄にしないように、立派な神仙になるんだ!」


桃華がそう言うと玉縁螺は優しく微笑みながら彼女の頭を撫でた。


「そうか……よく言ったな」


「えへへ……」


玉縁螺は自分の言葉に笑顔で応える桃華を優しく抱きしめながら言った。


「桃華。私たちはたとえ離れて暮らしていてもずっと一緒だ、気を付けて行っておいで。いつでも私たちはお前のことを見守っているからな」


「うん!」


桃華は大きく頷くと玉縁螺から離れ、両親の方に駆け寄っていった。そして家族で抱き合いながら別れを惜しむのであった……。


「それじゃあ行ってきます!」


それからしばらくして凌桃華は神界へ旅立つこととなった。この時彼女は10歳になったばかりであった。彼女の旅路が波乱に満ちたものになろうとはこの時、誰も思いはしなかったのである。



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