9 王弟殿下
ボーリンガー領へ行くための休みを取るため、所属している第三騎士団の団長へ話をしなければならない。
私はこれまで、まとまった休みを取ることは少なかった。何となく言い出しづらく、夜会からすでに数日が経っていた。ボーリンガー領は王都からそこまで離れている訳ではない。二、三日で到着するだろうし、滞在日数を見ても、二週間ほど休みを取れば十分だろう。私は今日こそはと意気込んで団長の執務室へ向かった。
団長の執務室を数回ノックする。扉の向こうから入るようにと声を聞き、扉を開けた。
「マチルダ・シュナイダー、入室いたします」
入室すると、団長の手は椅子を指し示していた。座れということだろう。
「失礼します」
私が椅子に座ると、大きな体躯の団長が大きく伸びをした。
「あーあ、疲れた。団長なんてやるもんじゃない。で、どうした?マチルダ」
「その……大変言いづらいのですが、二週間ほど休みをいただきたく」
「おぉ、珍しい。いいよ。いいけど……マチルダの指名は多いからなぁ。ちょっと時期の調整は必要だ。ちょっと待てよ……」
団長は少々顔を曇らせ、引き出しから束になっている紙を取り出した。私への指名依頼を確認しているのだろう。女性騎士は少ない。貴族令嬢や王族女性の警護は女性騎士の指名が多いのだ。
「申し訳ありません」
「だからいいよ。マチルダは今まで全然休みを取ってないからな。それで、アレか?噂の婚約者殿関係か?」
「そう、ですね。婚姻前に領地へ行ってほしいと頼まれています」
団長は嬉しそうな顔になった。彼はこういった話題が好きなのだ。
「へぇー。上手くいってるんだ。いや、マチルダは綺麗になったって評判だよ。恋というのは偉大だね」
「恋、ですか」
大きな体形の三十超え男性が、年頃の令嬢のようなことを言うので私は目を丸くした。
「それ以外に何があるんだよ。それはいいとして、えーっとなぁ……今お前の指名で断りづらいのが一件あって、それだけこなしてくれるか」
団長は手元の紙をめくりながら言った。その一件以外は私でなくても問題は起きないのだろう。
「承知いたしました。どなたの護衛でしょうか」
「それがさ、意外なんだけど。フランク殿下なんだよ」
「お、王弟殿下ですか?私をご指名で?あの、確かでしょうか」
当然令嬢やご夫人の依頼だと思っていた私は少々面食らった。フランク殿下は国王陛下の年の離れた一番下の弟君だ。陛下は御年四十歳だが、フランク殿下は確か二十五歳ほどで、私はこれまで殿下との面識はない。団長は手元の紙を睨むように読んでいる。
「あぁ、確かだな。殿下の専属の護衛がやむを得ず一週間程度休むので、お前に一時的に任務に当たってほしいらしい。なんでマチルダかは知らんが、さすがに王弟殿下だぞ。断れん」
それはそうだろう。王の騎士である我々が、王族直々の依頼を断れるわけがない。経緯は良く分からないが、私は騎士の礼をした。
「拝命いたします」
「うん。まぁ、二日後かららしいから。また詳細は確認して伝えるよ。フランク殿下の護衛が一週間程度……それからなら、休んでいい」
「それでは、休暇は殿下の任務を終えた後からということでお願い致します」
「おう。じゃ、そういうことで。あ、そうそう、マチルダ。お前、婚姻後は騎士をやめる予定か?」
「いえ、続ける予定です。彼は続ければいいと言ってくれていますので」
「そうか!ボーリンガー伯爵は意外と話が分かる人物なんだな」
団長はそう言うと、良い笑顔で「じゃ忙しいからもう出てけ」と私を追い出した。本当に忙しいのだろう。
王弟殿下の件は多少不安があるものの、エリアスとボーリンガー領へ行く約束は果たせそうだ。私は胸をなでおろした。
屋敷へ帰ると、早速エリアスへ手紙をしたためる。
王弟殿下の護衛の件、その後に休みを取れそうだということ。文章におかしな言葉がないかを確認して、封をする。明日にでも出せばいいだろう。
私は一仕事終えたことに満足した。
次の日出勤すると、詰所が何やら落ち着かない雰囲気だった。不思議に思いながらも私が中に入ると、騎士たちはさっと道を開けた。
「何だ?」
開かれた道の先を見ると、その先には男性が二人。一人は椅子に座り、一人は彼の護衛として椅子の横に立っていた。椅子に座った人物は私に気が付くと、明らかに敵対心を滲ませながら睨みつけてきた。
私はその人物の前へ進み、片膝をついた。
「お前が、マチルダ・シュナイダーか」
「はっ。ご尊顔を拝しまして恐悦至極に存じます。フランク殿下」
なぜ殿下からこのように敵視されているのか分からない。私はじわりと汗を滲ませながら、騎士として振る舞う。殿下は私を見下ろし、立ち上がった。
「ふん。明日からはお前の化けの皮をはがしてやる。いいか。良い気になるなよ」
捨て台詞のような言葉を叩きつけると、殿下は去っていった。どうやら騎士団には私の顔を見るためだけに来たらしい。
(化けの皮……?良い気になるな……?)
私が殿下から不興を買っているらしいことは理解した。しかしその理由が全く思い当たらず、私はしばらく動くこともできなかった。
「災難ね、マチルダも」
「エマ」
エマから気遣わしげに話しかけられたのは、昼食の時だった。何のことか分からず首をかしげる。
「朝の件よ。あなたは何も悪くないわ」
彼女は小声で私に語り掛けた。殿下との一件のことを言いたいらしい。私も小声で返す。
「どういう事だ?フランク殿下の態度の理由を、エマは知っているのか?」
「知っているというか、噂だけどね。殿下は、ボーリンガー伯爵と親しいのよ」
「エリアスと……?」
私はあまりにも社交界の事情に疎いらしい。エリアスのことに関する噂さえも把握していない。そう言われてみれば、殿下は兄上やエリアスと同世代だ。
「ボーリンガー伯爵にはこれまで全く女性の影がなかったでしょ。というか、女性に対して毛嫌いするような振る舞いをしてた。でも、殿下に対しては柔らかい態度を取るものだから、お二人はそういう関係っていう噂があったの」
私はエマの話に、思わず顔が引き攣ってしまった。エマは慌てたように顔を横に振る。
「違うわ、マチルダ!前の夜会でのボーリンガー伯爵を見て私にも分かったわ。マチルダが愛しくて可愛くて仕方ないっていう顔だった。結局ただの噂だったのよ。でも、殿下と伯爵の仲が良いのは本当だから、殿下はきっと友人を取られちゃって、あなたに嫉妬してるんじゃないかしら」
「な、なるほど……」
私はそれ以上に気の利いた返しもできなかった。エマは屈託なく笑った。
「マチルダ。あんなに愛されているのに、不安に思うことなんてないわ。フランク殿下もその内理解してくださるわよ」
エマは私を励ましてくれた。きっと彼女は心からそう思っているのだ。
(愛されている……)
それらは、すべてエリアスの演技だ。世間体のために婚姻したいが、彼に愛されることを期待する妻はいらない。その条件に合致したために、エリアスは私を妻にしたいと思ったのだから。
(フランク殿下は、もしや……)
エリアスの、真実の相手なのかもしれない。
そう考えると、何となく胸の奥にモヤがかかったような不快な心地となったのだった。
○作者より○
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