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7 夜会での出来事

一体何が起きたのか、分からない。

それからもエリアスは態度を崩さず、私に口紅を塗り直した。まるで何でもないことのように。


「うん、綺麗。マチルダ、今日君は誰よりも美しい。君が私の婚約者だと、社交界へ知らしめにいこう」


彼はそう言うと、私に手を出して立たせてくれた。


「エリアス……先ほどの」

「気にしないで。君に口紅を塗るはずが私に塗ってしまったから、つい」


そんな問題なのだろうか。彼はまったく平然としていて、私だけがうろたえている。もしかすると、エリアスにとっては何でもないことなのかもしれない。しかし私にとっては、口づけなど初めての経験だ。


「私は、ああいったことは不慣れなんだ。その、驚いてしまった」

「マチルダ、私たちは婚約者だよ。あれぐらい、問題ない」


口付けとは、愛の発露だと私は思っていた。しかし彼は、『人を愛せない性質』と言っていたはずだ。エリアスが私を愛するはずなどないのだ。私に対する好意は感じるが、それは同性に対する親しみのようなものだと理解していた。

恐らく、彼にとって口づけは重要な行為ではないのだろう。


(エリアスと今後も付き合っていくには、慣れなければならないのか)


私は自分に、平静に戻るように言い聞かせた。




夜会会場に着くと、すでに会場は多くの人が到着していた。華やかに彩られた会場で、美しく装った人々が談笑している。

エリアスのエスコートで会場に入ると、周囲の人は物珍しいものを見るような目で私たちを見ている。私は人に見られることは慣れている方である。特に気にすることもなく、エリアスと先へ進む。


「マチルダ、機嫌を直して」

「な、何を……私は別に、怒ってなどいない」

「だって私の方を見てくれないもの。そういうあなたも可愛らしいけど」


エリアスはとろけるような目で私を見ている。周りに人がいるので、こういう態度を取るのだろう。彼は私たちが上手くいっていると周囲に思われたいのだ。


「可愛くなどない。私は自分を知っている」

「知らないよ。君は可愛い女性だ。そして自分がどれほど人の目を引くのか、あなたの凛々しく清々しい立ち姿が、どれほど魅力的かも知らない」


彼は私の耳に顔を近づけた。


「笑って、マチルダ。騎士姿の君のように、自信に溢れた笑みを浮かべるんだ。そうすれば、あなたは一層美しいのだから」


エリアスにそう言われると、自分が美しいと信じられるから不思議だ。彼の整った顔が離れると、先ほどまで荒れていた心が不思議と凪いでいた。


「そうだな。今の私はあなたが仕立てたドレスを着て、あなたが施した化粧をしている。この会場で私が一番美しいと信じよう」


エリアスは満足そうに笑うと、腕を差し出した。私は彼の腕に手を添えると、また歩きだした。




夜会の主催者から挨拶が終わると、音楽が流れだした。ダンスをする人もいれば、談笑する人もいる。

私たちは主催者への挨拶を終えると、飲み物を取り、二人で過ごしていた。この夜会の目的は、私たちが婚約をして、しかも仲が良好だと知らしめることだ。私はダンスが踊れないので、片時も離れずに語り合うことで周囲にそれと知らせる予定だ。


「マチルダ、エリアス。お前らすげぇ目立ってるぞ」

「兄上、ヘルガ嬢」


私たちに声をかけたのは兄上とその婚約者だった。私がヘルガ嬢へ微笑みかけると、彼女は顔を真っ赤にして固まってしまった。


「クラウス、その御令嬢が君の婚約者か」


エリアスがよそいきの笑みで言った。彼のよそいきの笑みを見るのは、思えば初対面のとき以来だ。


「そうだ。ヘルガという。お前らが婚姻したら、ヘルガはシュナイダー家へ嫁入りする」

「ヘルガ・ヴァーグナーといいます」


ヘルガ嬢は淑女の礼をとった。


「君たちのためにも、早々にマチルダに私のお嫁さんになって貰わないとね。ヘルガ嬢。私はエリアス・ボーリンガーだ。あなたとも親戚となる。よろしく頼むよ」

「は、はい。ボーリンガー伯爵。マチルダ様を、どうぞ、宜しくお願い致します」


ヘルガ嬢はいつも私を大切に扱ってくれる。私は彼女の思いやりを嬉しく思った。


「しかし、マチルダ。お前すげぇ変身ぶりだな。こりゃ凄い。エリアスと立ってると、別次元の人間みたいだ」

「エリアスが変身させてくれたのです」


私がエリアスを見上げてそう言うと、彼もまた甘やかな目線を返してくれた。


「マチルダ様とボーリンガー伯爵は、本当に思い合っていらっしゃるのですね……」


ヘルガ嬢は自身の手を胸に当てると、感動したように言った。


「そうだぞ、ヘルガ。俺がこいつらを引き合わせたんだ。エリアスがこんな感じになるとは思わなかったが、嬉しい誤算だ」


兄上はヘルガ嬢に自分の功績だと主張する。ヘルガ嬢に褒めて欲しいのだろう。ヘルガ嬢は私たちが恋仲だと信じたようだ。


「感謝するよ、クラウス。確かに君のおかげだ」

「はは、まぁ可愛い妹だ。大事にしてやってくれ。じゃあな」


エリアスの感謝の言葉に兄上は機嫌良くそう返すと、ヘルガ嬢と共に離れていった。




兄上を皮切りに、次々と出席者たちが挨拶に来た。

最初に来たのは同僚のエマだ。彼女は子爵令嬢なので、出席していたらしい。今日の私のドレスについて一通り褒めてくれた後に、エリアスにも無難な挨拶をして去っていった。


その後は様々な人が来たが、挨拶にきた人の中には私がマチルダ・シュナイダーだと分からない人もいた。彼らは、私が自己紹介をすると目を見開いて驚愕していた。私はこれまで夜会だろうがいつも騎士服でいたし、サラシを巻いて化粧も殆どしなかった。確かに今日の印象は全く違うだろう。

そしてエリアスを慕う令嬢は、数人挨拶に来たものの、通り一遍の言葉を交わすのみで、特に特筆するようなことはなかった。私の方を見て、そのまま何も言わずに踵を返す令嬢もいた。エリアスは、だから言っただろうと満足気だった。

白百合同好会の令嬢は、鍛錬のときと同じで一定の距離を開けて私を見守っているようだ。見られていることは分かるが、ヘルガ嬢以外、接触はない。

エリアスは挨拶に来た人々に、一々私を「最愛の」だとか「唯一」とか気恥ずかしくなる言葉で紹介するので、途中から彼らは生温かい目で私たちを見るようになった。エリアスはそんな目線にも気にすることもなく平然としているので、なぜか私はそんな彼が憎らしくなった。


十分に多くの貴族たちと接触したころ、夜会の主催者が閉会を告げた。色々と疲れはしたが、十分、目的は達成できたと言えるだろう。




夜会はお開きとなり、参加者は続々と帰っていっている。私たちも馬車寄せまで歩いていく。ボーリンガー家の馬車で、シュナイダー家まで送ってくれるという。

昨日から感情が揺り動かされることが多かったが、いざ終わるとなるとどこか寂しくなってしまう。私はエリアスを見上げた。


「エリアス、今日はありがとう。まるで別人になれたようで楽しかったよ」

「君の素材の良さには私は最初から気が付いていたからね。また二人でお茶会もしよう。君と共になら、こうやって夜会に参加しても良い」


共にボーリンガー家の馬車に乗り込むと、彼は当たり前のように私の隣に座った。向かい合って座るのが普通のはずだ。


「エリアス、なぜ隣に」

「理由が必要?」


馬車はすでに出発し、エリアスは席を変えるつもりもなさそうなので、私が諦めることにした。


「マチルダ。また近いうちに、うちの領地へ一緒に来てくれない?両親に会ってもらいたいし、領地のことも見て欲しい」

「もちろん、構わない。元々私もそうしたいと思っていた。また休みを取るよ」

「うん。そして、その後すぐにでも婚姻しよう。とりあえず届け出だけ出して、式は後でもいいし」


エリアスの提案に、私は思わず彼を見た。できるだけ早くとは言っていたものの、貴族の婚姻というものは半年か一年は婚約から時間を空けるのが普通だ。なぜそんなに焦る必要があるのだろう。私は返答できず、言葉に詰まる。


「もしかして嫌?……早くマチルダが私の妻になってほしかったんだけど」


彼が傷ついた子犬のような顔になったので、私は慌ててしまう。


「嫌という訳ではないが……驚いただけだ」

「本当?じゃあ、いいわよね。実はあなたの部屋はすでに用意してるの。私の部屋の隣よ。内装なんかに注文があれば言って」


彼は気が緩んだのか、女性言葉になり、心底安心したように私の手を取った。

何だか、たまらない気持ちになる。エリアスの言動は唐突で私を大いに困惑させるのに、なぜか、彼を受け入れてしまう。


「ふふ。エリアス。あなたはずるい人だ。私にあなたを拒むことなどできやしない」

「そう?私だってあなたに嫌われないか怖いと思ってるわ。でも、自分を止められない」


エリアスは私の髪を一束手に取ると、髪へ口付けた。そのまま上目遣いで私を見る。何か言いたげな紫の瞳にとらわれそうになり、私は思わず目をそらす。


「マチルダ、目をそらさないで」

「エリアス……」

「私を見て」


私の心臓は早鐘を打っていた。彼は一体、私をどうしたいのだろう。この先に、何があるのだろう。このまま、どうなってしまうのだろう。

そのまま、馬車はシュナイダー家に到着した。エリアスはまた、元の彼となり、私を紳士的にエスコートした。


「また手紙を書くよ」

「あぁ、私も。休みが取れたら知らせるよ」


そういったやり取りをして、彼は帰っていったのだった。



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