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4 エリアスの告白

到着したボーリンガー邸は、シュナイダー家の三倍はありそうな広さだった。門構えから格が違う。ここに嫁ぐなど、現実のことなのだろうか。

エリアスにエスコートされ、広い庭を抜けて屋敷に入ると、使用人が出迎えてくれた。屋敷の規模を考えると、使用人の数が思ったよりも少ない。


「お帰りなさいませ、旦那様」

「帰ったわ。彼女がマチルダ嬢。私の婚約者よ」


彼は屋敷では女性口調らしい。エリアスが私を紹介すると、執事と思われる男性は嬉しそうに私を見た。


「マチルダ・シュナイダーと申します。至らないことも多いと思いますがよろしくお願いします」

「私はポールと申します。よろしくお願いいたします、マチルダ様。旦那様のことも既にご理解いただいているご様子。安心いたしました」

「ポール、私とマチルダは部屋へ行くから。彼女の分も夕食の用意を頼むわ」

「承知いたしました」


他の使用人もみな、安心したような、嬉しそうな表情だ。彼らは心から当主の婚姻を望んでいたようだ。


(エリアスは慕われているのだな)


その事実に、私は自分のことのようにうれしくなった。




エリアスの部屋は想像よりもシンプルな部屋だった。ベッドと机、本棚がある程度で、装飾品は殆どない。衣装類は恐らく別室にあるのだろう。しかしなぜか鏡があちこちに置いてある。


「鏡が多いのだな」

「私、自分の顔が好きなの。本当はいつだって見ていたいぐらい。自分の部屋でぐらい、見たい時に見たいじゃない?」


そう言って彼はうっとりと鏡を覗いている。自分が一番好きというのは本当らしい。

ふと気が付くと、部屋の扉が閉められていた。私は一応男爵令嬢。さすがに男性と二人で密室になることに多少抵抗がある。


「エリアス、扉は少し開けておいていいか?」

「いやよ」


彼の思わぬ返答に私は戸惑った。


「誰かに覗かれるかもなんて気にするのは嫌。マチルダ、あなたは私と婚約するのだから、問題ないわ」


似たようなことをヨハネスに言われたことがある。あの時はただ困っただけだったが、今は……


「そうか。私はエリアスを信用するよ」


エリアスは信頼できる人間だと、出会って間もないがなぜかそう思える。すると今度は彼が困ったような顔をした。


「マチルダ……ごめんなさい。困らせたわね。あなたに私のことを話したいと思っている。それをウチの使用人とはいえ、誰かに聞かれたくないの。使用人は私の事情を知ってるんだけど、それでも」

「構わないよ。エリアス」


私が微笑むと、彼は真剣な表情で私を見た。


「お嫁さんになる人には、全部分かった上で来てほしいの。実は私、話し方だけが女みたいな訳じゃない。女の恰好をするのが好きなのよ」


エリアスは意を決したように言った。

エリアスの告白は私にとってそこまで意外なものではなかった。むしろ、そうではないかと予想していた。そういう嗜好の人が存在することは知っていたからだ。


「私がこうなっちゃったのは、姉と母のせいよ。あの二人は、私のことを着せ替え人形にするのが大好きだったの。幼い頃だけなら良かったのだけど、成長してからもその遊びをやめなかった。毎日のように化粧をして、お茶会ごっこをしたわ。ほら私って、綺麗じゃない?だから楽しかったみたいよ」

「あなたは、嫌じゃなかったのか?」

「マチルダって本当に優しいわね。それが案外、嫌じゃなかったのよ。その頃から自分が美しいのは分かっていたし、自分に相応しくて、心惹かれるものを身に付けたいと思っていた。女性の着るものはキラキラしていて、心が躍るの。私は自分が男だってこともちゃんと分かっているし、男の服だって嫌いじゃないわ。でも、女性の服を着て、化粧をするのが楽しいのも本当」


彼は歩き出すと、部屋の隅にある扉を開いた。扉の奥にはずらりと衣装が並んでいる。遠目に見ても美しいそれらはすべて、女性が着るにはサイズが大きなドレスだった。


「私は休みの日には、使用人には一切の客人を通さないように厳命して、この衣装を身に付けるわ。そして、ボーリンガー家自慢の庭で優雅にお茶を飲むの。それが私の休日。どう?こんな夫に耐えられそう?」


私は目の前の煌びやかな男が、美しいドレスを身にまとい、花を愛でている様を想像した。それは何とも、見てはいけないような、魅惑的な光景に思えた。


「あなたのドレス姿を見てみたい、エリアス」


私がそう言うと、エリアスは大輪の薔薇のような笑顔を見せた。


「良いわ。じゃあ二人でお茶会をしましょう。今日注文したドレスはしばらくかかるでしょうから、あなたは騎士服で」


楽しみね、と彼は私の髪を一房とった。不思議なことに、また私の心臓は鼓動が早くなった。




それから、私とエリアスの婚約は正式に結ばれることになった。エリアス自身が伯爵であるし、私も彼と婚姻することに異論はないため、あっという間に話が進んでいったのだ。


エリアスの事情は、驚きはしたが、受け入れがたいものでもなかった。正直、彼以外の人間であればどう思ったか分からない。しかしエリアスならば女性的な面も彼にとっての大切な一部なのだろうと理解できた。

そして彼のドレス姿を想像したときの胸の高まりは、これまで経験したことがないものだった。


彼は恐らく、女性を愛することができない人だろう。もしかすると、男性が好きなのかもしれない。騎士団にも、そういう男性がいる。


(彼が好きな人ができたときについて、話し合うべきだろうか)


それは彼のより深い部分に触れることだ。無神経に立ち入るべきではない。様子を見て、彼と話すことができればいいと結論付けた。



私は毎日エリアスに貰った商品を使うようになった。最初はおっくうだったが、風呂から保湿までをルーティン化すると、構えていたほど手間でもない。そして、目に見えて効果が出ている。皮膚が滑らかになったし、ぼさぼさでまとめるしかなかった髪は明らかに艶がでた。


(楽しいものだな)


これほど短期間で変化が実感できるのだ。エリアスほど美を追求することは難しいかもしれないが、彼が夢中になるのも共感できる気がする。




そうしている内に、婚約締結の日となった。


「本当にいいんだな、マチルダ」


婚約を結ぶために集まったボーリンガー家の広間で、兄上は小声で私に問いかけた。今は父上とエリアスが別室で婚約に関わる話をしていて、私と兄上は広間で待機している。エリアスの家族は領地におり、今日は欠席されるそうだ。


「兄上が彼を私に紹介したのに、今さらそれを言われますか?」

「確かに俺が話を出したが、あいつがかなり独特な奴だということも分かってる。俺に遠慮して我慢するならやめとけよ」


兄上はいつも私を心配し、思いやってくれている。私は兄上に笑顔を向けた。


「エリアスは兄上の言われる通り、面倒見が良く優しい方でした。私は彼と婚姻したいと思っています」

「……そうか。それならいいんだ」


兄上が安心したように言うと、広間に続く扉が開き、エリアスと父上が入ってきた。二人とも満足そうな様子だ。


「待たせたね。マチルダ。ここに君のサインをくれる?」


エリアスが示したのは一枚の紙だった。婚約に関する契約書のようだ。すでに当主である父上とエリアスのサインが入っている。

ざっと中身を確認すると、婚姻に際しての家同士の契約が書かれていた。互いの領地の通行料を減免することや、特産品の売買、物流に関する内容だ。そして、私たちは『できるだけ早く』婚姻を結ぶと書いてある。

特に問題はなさそうだ。私はサインをした。


「良かったな、マチルダ。父は嬉しいぞ」


父上は心底嬉しそうに手を叩いて喜んだ。泣き出しそうなぐらいである。


「私もこのように素敵なお嬢様と婚姻できるのですから、嬉しいですよ。男爵」


エリアスがそう返すと、父上はさらに感激した。エリアスという人は会う度に印象が変わる人だ。今は当主としての顔なのだろう。


「伯爵、このような無骨な娘ですが、何卒、寛大な心でよろしくお願い致します。私と息子は帰りますから、後は二人で」

「えっ?そうなんですか?」


父上がなぜか早々に帰るというので私は驚いた。兄上も初耳のようだ。


「エリアス!マチルダ!今日は良かったな!またヘルガと交えて飯でも食おう」

「あぁ。クラウス。今日はありがとう。男爵も、今日はありがとうございました」

「とんでもございません、伯爵。これで失礼いたします」


そう挨拶し合って、父上と兄上は帰ってしまった。




「ふぅ。疲れちゃったわ」


エリアスは伸びをして私の斜め横の椅子に座った。


「随分お疲れだな。まぁ当主同士の話し合いは疲れるだろう」

「ふふ。でも、婚約できて嬉しいわ。あ。ちゃんと手、手入れしてるじゃない」


彼は目ざとく私の手の変化に気が付いたようだ。


「あなたが言う通り、手を洗った後にクリームを塗るようにしたら手が割れなくなった」


私は手を空に向けて言った。心なしか、爪も綺麗になった気がする。ちょっとした手入れでここまで変わるとは予想外だ。


「マチルダって、素直ね」

「自分を労わり、美しく保つというのはこれまで知ろうともしなかった世界だったが、あなたのおかげで一つ学べたよ。つくづく、知らないものを頭から拒否するということは愚かなことだな」

「みんなそうできたら良いんだけど、なかなかできないのよ」

「まぁその気持ちも分かる。しかし私は知らないことまで判断できるほど経験も知識もないからな」


エリアスは優しい表情を浮かべた。


「良い子ね、マチルダ」


私たちはポールが出してくれた菓子を食べながら、穏やかに語り合った。


「それで、なぜ騎士になったの?」

「なぜ、と聞かれると難しいな。我が家は騎士家系だったし、幼い頃から騎士に憧れがあった。母がいないこともあって、兄上と剣ばかりふるっていたな。そんな風に育ったからか、自分は騎士になるのだと疑問にも思わなかったんだ」


エリアスは私の話を聞きたがった。騎士団の話。シュナイダー家の話。私の幼い頃の話。そんなに面白い話でもないと思うが、彼はその目元を細めながら、心底興味深いとでも言わんばかりの反応をする。


「私の話ばかりじゃないか。あなたの話も聞きたい。エリアス」

「今日はマチルダの話を聞くと決めたのよ」


彼はおどけてみせると、また私に話をねだるのだった。


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