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19 私の気持ち

今日、最終話まで3話投稿します。





次の日、朝食の席に着くと、エリアスはいなかった。


「エリアスは老朽化が気になる橋があるから見に行くと言って出て行ったよ。何も今日じゃなくていいのに」


ディートリヒ様が呆れたように教えてくれた。私は曖昧に笑うしかできなかった。

エリアスにどのような顔をして会えばいいのか分からなかったので、少しホッとしてしまったのも事実だ。


日中はイザークたちと遊び、屋敷の中を探検する。彼らとはすっかり仲が良くなった。はにかみ屋のナターリエとも、話ができるようになった。


「あのね、あのね、おうまさんはね、とってもはやいの」

「そうだな、乗ると気持ちいいよ」

「うん、おかあさまはね、かわいいのよ」

「私もそう思うよ」


思いついたことを一生懸命に話す姿がとても愛らしい。ナターリエは慣れた相手にはお喋りになるようだ。


「エリアスおじさまは、きれい」

「……うん」


ナターリエは私に向かって屈託なく笑うと、走っていった。次はイザークとかくれんぼをするらしい。


「マチルダもやろう!」


イザークが誘ってくれたので、私も参加する。彼らと遊んでいる間は、余計なことを考えなくても済む。



エリアスは昼食にも夕食にも帰ってこなかった。橋に気になるところがあるから、遅くなると従者が伝言してきたのだ。


「あの子ったら。こんな時まで仕事ばかり。そのようなこと、エリアスがわざわざ出向かずとも後で私たちがやると言っているのに」


コルネリア様が憤慨したように言う。私を気遣ってくださっているのだ。


「エリアスが自分の目で見たいのでしょうから」

「マチルダさんって本当に優しいのねぇ」


ハイデマリー様が感心したように言う。エリアスもハイデマリー様も、私のことを優しいと言うが、良く分からない。


「もし私が初めて夫の領地に行った次の日に、夫本人が消えたら怒り狂うわよ。しかも一日中!」

「そういうものでしょうか」

「そうよ!だって私たちは昨日初めて顔を合わせたばかりなのよ。それなのに自分の実家に妻だけ放っておくだなんてありえないわ。エリアスったら、やっと来てくれたお嫁さんなのに大切にしないなんて」


ハイデマリー様もコルネリア様と同様に私のために怒ってくださっているらしい。

エリアスは、私を大切にしてくれている。きっと今日は私と同様に彼も気まずく思っているのだろう。


「有難うございます。コルネリア様もハイデマリー様も私にお気遣いくださり嬉しいです」


エリアスのご家族がこんなに温かい方たちで、良かった。コルネリア様は華やかなお顔をぱっと明るくした。


「マチルダさん!明日またエリアスがどこかへ行ってしまったらドレスを着てお茶会しましょう」

「そうしましょう!私、マチルダさんに着てほしいドレスがあるの」


コルネリア様が良い考えだという風に言った。ハイデマリー様もそれに同調する。その姿に、エリアスが女性らしくなった要因がこのお二人であったことを思い出す。エリアス本人は嫌ではなかったとは言っていたが。


「そうですね。明日もエリアスがいなければご一緒いたします」


とはいえ、きっと明日はエリアスと一緒にいられるだろうと思いながら、私はそう返事をした。




しかし次の日も、エリアスはいなかった。私はその事実にがっかりしてしまった。


「前に整備した街道を見ておきたいと置手紙があった」


ディートリヒ様がすまなさそうに言った。

昨日は結局夜眠るまで彼の姿を一目見ることもなかった。隣の部屋だというのに、彼がいつ帰って来たのかも分からない。


(もう私と話したくないのだろうか)


彼の口づけを拒んだから?彼の言いたいことが分からなかったから?

元々は、二人で領地を見て回ろうと言っていたのに。

心がじくじくと痛む。ここまで避けられると悲しくなる。

私が俯いていると、ハイデマリー様が私の肩に手を当てた。


「マチルダ。私たちで楽しんでしまいましょう」


彼女は私にウインクした。私を呼び捨てにすることにしたらしい。ハイデマリー様はエリアスに似ているので、少し心臓に悪い。




私は女性にしては身長が高い。この屋敷に私が着られるドレスはないだろうと思っていると、エリアスが着ていたものがあるのだという。


「エリアスが十代の頃のものなら、きっとマチルダさんも着られるわよ。処分しなくて良かったわ」

「エリアスが着ていたドレス……」


彼が身に付けた衣装を着ると考えると、なぜか赤面してしまう。彼のドレス姿は倒錯的で、しかし私にとって誰よりも美しい。十代のころのエリアスも、きっと美しかっただろう。


「あなた、本当にエリアスのこと受け入れているのね」


コルネリア様が嬉しそうに言った。



ハイデマリー様が私に選んだドレスは、深緑色のものだった。腰から下が少し膨らんでいる形だ。スカート部分にフリルがあしらわれ、リボンまでついている。可愛らしい。可愛らしいが、私には合わない気がする。


「これは、私には……」

「絶対、マチルダに似合うわ。一回着てみて」


ハイデマリー様が熱心に勧めるのでもう着る以外になさそうだ。出席者は三人だけの正式なお茶会でもないので、壊滅的な姿になってしまっても傷は浅いだろう。私は観念した。


「分かりました」


コルネリア様がメイドを呼び、私のドレスの着付けを手伝うように申し付けた。お二人もそれぞれドレスを選び、着替えをするようだ。


(お二人が楽しそうだから、まぁいいか)


しかし今日はドレスを着てもエリアスに見て貰えないし、エリアスに化粧もして貰えないのだ。そう考えると少し寂しい。



ボーリンガー家のメイドは美に精通していないと駄目なのかもしれない。

カントリーハウスのメイドたちも、タウンハウスにいたメイドたちと同様に手際が良く、私の支度を整えてくれる。


「マチルダ様、できました」


どんな酷い姿になっているかと姿見を見ると、思っていた仕上がりではなく、意外なほど私に似合っていた。ハイデマリー様は凄い。自分に合うドレスなど、やはり私には分からない。


「あなたたちは凄いな。ありがとう」


間違いなくメイドたちの手腕によるものも大きい。私が礼を言うと、彼女たちは嬉しそうにしながら下がっていった。

エリアスの着ていたドレスだから、細部はお針子による簡易的なお直しが必要だったが、それも違和感がない。


(エリアスが、これを着ていたのか)


その時の彼はどんな姿だったのだろう。また、彼のドレス姿を見られる日が来るのだろうか。



今日は天気が良く、外でお茶会をするらしい。庭園に用意されたテーブルへ行くと、既にお二人は席に座っていた。私はドレスのお直しがあったため、やはり時間がかかっていたようだ。


「まぁ、マチルダさん。素敵だわ」


コルネリア様が私を見て賛辞をくれる。コルネリア様も落ち着いた赤色のドレスを着ていらして、素敵だ。


「やっぱり、緑も合うと思っていたのよ。本当、マチルダってスタイルが良いし、姿勢も良いから素敵。このことを白百合同好会の子に言ったら羨ましがられるでしょうね」


ハイデマリー様も私を褒めてくれる。彼女は黄色のドレスだ。


「有難うございます。私では絶対に選ばないドレスでした。自分に合っていて驚きました」


席に着くように勧められたので、私も席に着く。既にテーブルには菓子が用意されていた。

お二人は私に王都の話やシュナイダー家について聞き、私がそれに答える。私もまた、ディートリヒ様のことや、ハイデマリー様の嫁入り先であるケストナー伯爵家について尋ねる。


穏やかに時間が流れていく。きっと、かつてのエリアスもこのようにこのお二人とこの席に座っていたのだ。


「こんな風に、エリアスも……」


私がポツリと呟くと、コルネリア様は心配そうに私を見た。


「マチルダさん。あなたは、エリアスを嫌だと思わないの?」

「嫌、ですか?」

「そうよ。あの子はその……普通の男性とは違うでしょう」


コルネリア様が言いたいことは分かる。彼の女性的な一面についてだろう。私は自分を振り返る。彼に対して、嫌悪感を抱いたことは一度もない。むしろ初めて彼のドレス姿を想像した時は、経験したことのない気持ちになった。


「嫌だと思ったことはありません。女性的な一面も彼の大切な一部だと思います。それに、一度だけエリアスのドレス姿を見ましたが、とても綺麗でした」


私が正直に答えると、コルネリア様は泣き出しそうな顔になった。


「あなたに、エリアスの話をしてもいいかしら」


私は頷いて、彼女に答えた。コルネリア様は昔を思い返すように庭園の方へ顔を向けた。


「昔、エリアスが子どもの時……私はあの子の言うことの意味が理解できない時が多かったわ。エリアスはそんな私たちに悲しそうな顔をしていた。息子に向かって言うのも何だけど、エリアスは普通の人間と頭の出来が違ったの」


フランク殿下も言っていた。エリアスは正真正銘の天才だと。幼い彼は、自分の考えを相手が分かるように話すという事がまだできなかったのだろう。


「私たちは努力したけれど、本当の意味であの子の理解者にはなれないみたいだった。親ですらそうなのだから、子ども同士は全く駄目だったみたい。エリアスは孤独だったと思う。あまり笑わない子どもだったわ」


孤独。小さなエリアスが、周囲に理解されずに苦しんでいる姿が脳裏に浮かぶ。私は胸が痛くなった。


「でも私が戯れにあの子にドレスを着せてやった時、とても嬉しそうな顔になって……それが始まりだったわ」


堪えきれないというように、コルネリア様は目にハンカチを当てた。


「あの子の独特な感性や言動を、私たちは修正したいとも思わなかった。あの子がそう生きたいのなら、それで良い。あの子が美しく装うことが好きなら、そうすればいいと。ドレスだって求められれば好きなだけ仕立てた。でも、結果的にあの子は一層生きづらくなってしまった……」


コルネリア様はそれ以上話すことができないほど、涙を流している。ハイデマリー様もその隣で、ぽろぽろと涙をこぼしながらコルネリア様の背を撫でていた。


「エリアスが、婚約したと聞いたときは驚いたわ。しかもあなたはあの子のことを全て理解していると言うじゃない。とても信じられなかった。でもエリアスとあなたが並んでいる姿を見て、私は本当に……嬉しかった。エリアスが柔らかく笑って、幸せそうにしている。私たちにはできなかった事だった」


コルネリア様は私の手を取った。私を見つめる顔は、エリアスの母としての顔だった。


「マチルダさん、有難う。エリアスを受け入れてくれて。本当に感謝しているわ」


私は、何も言葉を発することが出来なかった。コルネリア様はそんな私に美しく微笑むと、席を立った。


「少し休むわ。あなたたちはまだ続けて。ずっとマチルダさんにお礼を言いたかったの。言えて良かった」


コルネリア様はそう言って、屋敷の中へ戻っていった。



私は、コルネリア様に感謝して頂くようなことが出来ていたのだろうか。

エリアスは一刻も早く婚姻したかった。私は家を出たかった。人を愛せない者同士、都合が良かった。お互いの利害が一致して、結ばれた婚約だった。それでも、彼の妻となる以上、彼と良い関係性を築きたかった。彼の求めることに応えたかった。

エリアスが私に触れると、そこが熱を帯びたようになる。彼の目が優しく細められると、たまらなく胸が締め付けられる。口づけをされると、私の心は彼でいっぱいになる。これ以上彼から心を乱されると、彼の求める私でいられなくなるのが怖かった。


「マチルダ。大丈夫?」


ハイデマリー様が心配そうに私に尋ねた。私は酷い表情をしているのだろう。


「ハイデマリー様。私は……エリアスの隣にいたいのです」

「いられるわ、あなたなら」

「彼を、傷つけたくないのです。なのに……私は……」


私はエリアスを拒絶した。私といると触れたくなると言う彼に、あなたが分からないと涙を流してしまった。

棘を纏って自分を守ってきたエリアス。彼が自分らしく生きるための術。でも実は繊細で、優しくて、面倒見が良くて。本当は自分に厳しくて。

彼のために、努力したい。笑顔でいて欲しい。隣にいられると嬉しい。それなのに、彼を傷つけた。


「マチルダ、エリアスを愛しているのね」


そう言ったハイデマリー様の声はとても優しい声だった。


「エリアスを……」


そう、もうとっくに気が付いていた。私は————。


「はい。エリアスを、とても……心から、愛しています」


きっとエリアスが私に自分の秘密を打ち明けてくれた時から、彼は私の特別な人になった。浅ましくも、彼の本当の妻になりたいと思った。


——私は君を愛することはない。


最初から、エリアスは私にそう知らせてくれていたのだ。分かっている。かりそめの妻でも構わない。彼を困らせたくない。彼に煩わしいと思われたくない。


「でも私が彼を愛していると知ると……彼は困ってしまいます」

「なぜ?喜ぶでしょう。というか、エリアスは知らないの?あんなに、あなたたち……」

「エリアスの演技です。少しは好意を持ってくれているでしょうけど、私を愛してくれている訳ではないのです」

「演技……?」


ハイデマリー様は愕然とした表情をしている。彼女にこんな話をするべきではない。分かっているのに、止まらない。


「エリアスが困るから、愛してはいけないと分かっていました。でもどうしようもなくて。私は自分の気持ちを彼に悟られないように必死でした。釣り合わないと分かっていても、彼の隣にいるために、私は……」


ハイデマリー様は呆れたような顔をした。こんな話を聞かせて、申し訳ない気持ちになる。


「あなたと周囲で随分と認識の相違があるみたいね。マチルダ。例え万が一、あなたの言う通りだったとしても、あなたがエリアスを愛していることに、罪悪感を持つ必要などないじゃない」

「ハイデマリー様……」

「人を愛して、夫になる人を愛して何が悪いの。堂々と隣にいればいいわ。あなたの気持ちは、あなたのものよ。誰も咎めることなどできないわ」


私の気持ち。エリアスを心から愛おしいと思う気持ち。


「私も姉として、エリアスを心配していたの。母も言っていたけど……私もあなたに感謝しているわ。あの子のあんなに幸せそうな顔、初めて見たもの」


ハイデマリー様はそう言って、表情を緩ませた。それは本当に、姉上らしい表情だった。





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