18 分からない
子どもたちを交えた食事会は、終始和やかな雰囲気だった。イザークとナターリエはきちんと自分でフォークとスプーンを持って食事をしていて、私は小さな二人が上手に食べる様を微笑ましく眺めていた。ヴィクトルはハイデマリー様や彼の乳母が彼に食事を与えていた。祖父母になるご両親はその光景を見て目尻を下げている。
幸せな光景だ。エリアスがご家族の中で自然に笑っているのを見ていると、私まで楽しくなった。
子どもたちが眠る時間となり退室すると、テーブルは大人だけとなる。自然と彼らの関心は客人である私たちに向けられた。
「あなたたち、どこで知り合ったの?」
コルネリア様が私に向かって問いかけた。ずっと聞きたかったのだろう。私は事実だけを答えることにした。
「私の兄と、エリアスが友人でした」
「そうか!マチルダ嬢の兄君を通して知り合い、恋人になったという訳だな。いや、兄君はボーリンガー家にとっても恩人だ」
ディートリヒ様が満足そうに言うので、私はどう答えるべきか躊躇った。ご両親は私たちの関係性を承知していないらしい。ではハイデマリー様はどうだろう。彼女の子を養子に迎える話になっているのだから、知っているのだろうか。エリアスはご家族からも、私たちが愛で繋がった関係だと思われたいのだろうか。彼の考えが分からない以上、私は何も言葉を出せない。
私がそれ以上話ができずにいると、エリアスが呟くように声を出した。
「クラウスには、感謝しています」
「ねえねぇ、あなたたち式はどうするの?」
ハイデマリー様が聞くと、エリアスは口端を上げた。
「王都で盛大にしたいと思ってる。でもその前に、王都に帰ったらすぐに届を出して、正式に夫婦になっておこうと思うの」
前も言っていたことだったが、彼は本気らしい。ご家族はしばらく固まったように止まってしまった。思いもよらぬ報告だったようだ。
「エリアス、なぜだ?挙式まで待ったとて、たった数か月の話じゃないか。式を挙げてから届をだすのが普通だろう」
「そうよ。何も焦ることなどないわ」
ご両親は困惑したようにエリアスに諭す。彼らの言っていることは至極真っ当なことだ。既に子どもが宿っているならともかく、挙式の後に正式に夫婦になるというのが普通の順序なのだから。
「私がそうしたいからです。今の当主は私。私が決めました」
エリアスが不遜な態度で言い放つ。確かに今の当主は彼なのだから、そう言われてしまうと誰も何も言えなくなる。彼らは押し黙った。
エリアスは一刻も早く既婚者の立場を手に入れたいのだ。ヒルデガルド王女のことも、ご家族には知らせていないのかもしれない。
彼は家族を大切に思っている。私は彼自身の言動がエリアスの心を傷つけていないか心配になった。
(この流れは良くない)
私は笑顔を作って努めて明るく言った。
「コルネリア様、ディートリヒ様。ご心配ありがとうございます。これは私と彼が納得して決めたことですから、問題ありません」
「マチルダさん……」
コルネリア様は驚いたように私を見た。
「私も聞いたときは正直驚きましたが、エリアスが求めることはできるだけ応えたいとも思っています。私はエリアスの妻になれるのを、楽しみにしていますから」
それは、自然と口から出た言葉だった。
彼の言動に戸惑うことはあっても、嫌だと思ったことはない。私は嫌なことは嫌だと言える人間だ。エリアスと共にいて緊張することはあるが、殆どが心地よく楽しいと感じている。きっと夫婦になってもそうだろう。
「マチルダさん、あなたが、エリアスと出会ってくれて良かったわ……」
ハイデマリー様が目を潤ませていた。
エリアスは、それ以上何も言わなかった。
私とエリアスは隣合った部屋を用意されていた。
荷物は既に運び込まれており、荷ほどきもされている。私は一息ついて椅子に座ると、ドアがノックされた。
「マチルダ、いい?」
「エリアス。どうした?」
私がドアを開けると、彼は少々深刻な顔で私の部屋に入ってきた。体調でも悪いのだろうか。彼を椅子に案内し、私も共に座るが、彼は何も言わない。私は心配になってしまう。
「エリアス?」
「私……あなたに何をしてあげられる?」
エリアスが私を見上げてそう言うので、何のことか分からず私は言葉に詰まってしまった。
「マチルダ。私、あなたにして貰ってばかり」
「何を言ってるんだ。なぜ、そのようなことを」
全く前後の分からない話に、私は困惑する。
エリアスは急に私を抱きよせた。いつも隣にはいるが、ここまで密着したのは初めてだ。彼の香りに包まれ、意外と逞しい彼の胸に抱かれ、私は動揺してしまう。
「私は……あなたに何もしてあげられていない」
「エリアス。そんなことはない。あなたはいつも私を思いやってくれているじゃないか」
「あなたに応えるには足りないわ。嫌な思いはしてない?マチルダのために直す努力をする……」
彼はじっと私を見つめた。切実に懇願するような目を向けられる。彼は一体何を思い悩んでいるのだろう。
「何でそのような思考になったのか分からないが、私は嫌な思いなどしていないし、もし不快なことがあれば伝えている」
「本当?マチルダは優しいから、言えないでいるということはない?」
「そんなことは……」
エリアスに念押しされ、ふと養子のことについて考えが及んだ。私たちには将来に関する話し合いが足りていないかもしれないと思っていたのだ。
「本当に嫌な思いはしていない。ただ少し、エリアスに確認したいことはある」
私がそう言うと、エリアスは体を離して座り直した。私の話を聞こうとしているのだろう。
「エリアス。あなたはハイデマリー様の子を養子にすると言っていた。それは、本当にご家族も承知のことなのか?」
ご両親は養子の話を知らない様子だったし、ハイデマリー様もイザーク達を紹介して下さったとき、彼らが将来の養子となるという風ではなかった。どういう形で彼らを養子にという話になったのか疑問だったのだ。
エリアスは彼らの話になると思わなかったのか、少し目線を落として答えた。
「ハイデマリーには、ちゃんと言ってある」
「……そうか」
「ハイデマリーは今、ケストナー伯爵夫人。そちらの家のこともあるし、養子に来てもらう本人の意思も大切だから、具体的なことは子どもたちが成長してから見極めようという話になっていたわ」
ハイデマリー様はボーリンガー領にほど近いケストナー伯爵家という家に嫁いでいる。両伯爵家の後継にも関わる話なのだから、当然慎重にもなるだろう。
ハイデマリー様が了承しているということは、養子の件はほぼ決まったことなのだろう。とは言っても、まだまだ先の話であるようだが。
「分かった。気になっていたんだ。もし家族間で行き違いがあったとすれば、私が迂闊なことを言って思わぬ事態になるかもしれないと」
「気を使わせていたのね」
エリアスは、ぎこちない笑みを私に向けた。今の彼は随分後ろ向きだ。
彼はなぜこんな状態になったのだろう。街に行ったときはいつも通りだったし、先ほどの夕食の際の会話が原因だろうか。
「エリアス、先ほどの夕食の時のことなら、私に負い目を感じることはない。私はあなたの事情を知っているのだから、当たり前のことだ」
エリアスはしばし私をじっと見た。
「……私の事情、ね。マチルダは私が早く婚姻したいと思っているのはなぜだと思う?」
「ヒルデガルド王女殿下の件があるからだろう?王族に関わることなのだからご家族に言えないのも仕方がないことだ」
「確かに王女のことは家族に言ってない。あのねマチルダ……初めて会ったときにあなたに言ったことなのだけど」
彼が人を愛せない性質ということだろうか。私はチクリと心が痛む。何となく、その事については念押しされたくないと思った。
「あなたの性質については、ちゃんと理解しているから安心してくれていい。あなたに愛されることを期待しない。だからこそ、養子について……」
私はその先の言葉を発することができなかった。彼は突然私の頭を両手で固定すると、深く口づけてきたからだ。
「……っ!?」
角度を変え、彼は私の唇を何度も塞ぐ。
なぜエリアスはこのようなことをするのだろう。私は上手く息もできず、彼の体ごと押し離して、ようやく彼から逃れた。
「いやだった?」
エリアスの揺れる紫の瞳を見ると、私はいつも胸が締め付けられるような気になってしまう。
「なぜ、こんなことを?」
「私は、あなたと二人でいると、抱きしめたくなるし、キスだってしたくなる」
私に欲情したということだろうか。
分からない。彼のことが。彼が何を考えているかも。
「今は、話をしていただろう。大切な話だった」
「私が今話してることだって、大切なことよ。私が言いたいこと、分からない?」
エリアスは必死な目で私を見ている。
私の内心は荒れていた。彼のことが理解できない。それは私にとって悲しいことだった。
「分からない。あなたのことが、分からない。突然すがってきたかと思えば、あのような……」
「マチルダ、泣かないで」
何故か涙が頬を伝っている。感情が高ぶって涙が溢れるなど、何年ぶりだろう。
彼は私を見て、顔を蒼褪めさせた。
「私は本当に愚か者だわ。ごめんなさい、マチルダ……」
エリアスはハンカチで私の涙を優しく拭いた。彼の手は僅かに震えている。
彼は丁寧に私の涙を拭くと、おやすみなさいと言って、部屋から出て行った。
私はこの出来事を、どう消化すればいいのか全く分からなかった。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます!
最終話まで一気に投稿できるように、少し投稿を休みます。
また最後まで書き上げてから、投稿させていただきます。
お待ちいただければ幸いです!