16 ボーリンガー領へ
無事当初の予定通りの任務を終え、騎士団へ戻った。挨拶のため団長の執務室に行くと、団長は相変わらず嫌そうに机の上の書類を片付けていた。
「団長。戻りました」
「マチルダ!おぉ、戻ってきたか。お前、なかなか良い働きだったそうじゃねぇか」
殿下は早々に騎士団へ私の評価を返したようだ。さすがに仕事が早い。何だかんだ言いながらも私の働きについて優秀だったという評価を下さったらしい。
「殿下は殆ど執務室から出ておられなかったので、私はずっと横で立っているだけでした。とはいえそのように評価していただき、嬉しく思います」
「まぁさすがマチルダってことだ。これで心置きなく婚約者殿の領地に行けるな」
「はい。ご配慮ありがとうございます」
「お前、本当にクラウスの妹のくせに固いよなぁ。ま、気にせず休め。二週間と言わずもっと長くしてもいいぞ。事前に連絡だけくれたらな」
そのような事態などあまり考えられないが、その配慮は有難い。
「やむを得ない場合はお言葉に甘えるかもしれません」
団長とそのような会話を終えたあと、第三騎士団の鍛錬場へと向かう。一週間ぶりだ。鍛錬場には多くの騎士たちがいた。私が防具の点検をしていると、後ろから聞き覚えのある声がかかった。
「マチルダ。お前ここに来るの久しぶりだろ。どこ行ってたんだ」
「……君には関係ないだろう。なぜここにいる」
ヨハネスはいつも通り不満そうに私の後ろに仁王立ちしている。彼は私がフランク殿下の護衛任務を務めていたことは知らないらしい。確かに王族に関わる護衛任務については広報されることがないので無理もないかもしれない。
「そろそろ、分かったか。ボーリンガー伯爵は確かに顔が良いが、お前とは種類が違う人間だ。お前には、もっと同類の相手が合っている」
「……」
私はこれまで嫌な相手にも話しかけられれば一応何らかの反応を返していた。しかし、今はヨハネスに対して何の返答も返したくないと思った。
ただ不愉快だった。
「おい、マチルダ」
「私にはもう近寄らないでくれないか」
私は振り返り、ヨハネスを見据えた。彼はひるんだような恰好となった。
「私は君の求める態度は取れない。もう君とは話したくないんだ。もちろん、仕事上必要があるときはその限りではないが」
「なっ……」
それ以上ヨハネスに目線をむけることもなく、私は鍛錬場へ向けて歩いていく。彼がどんな表情をしているかを見ようとも思わなかった。
仕事を終え屋敷に帰ると、ボーリンガー伯爵領へ向かうため準備に入る。とはいえ、私の荷物は多くない。騎士の任務で遠征することもあるため、準備にも慣れている。早々に荷造りを終え、確認に入った。
(明日から、エリアスと二週間も一緒にいるのか)
緊張するような、どこか心が沸き立つような気持ちになる。婚姻すれば二週間どころかずっと同じ家に住むのだ。彼と常に一緒にいることに慣れる日など来るのだろうか。
私はどこか浮き立った気持ちで早めにベッドに入ったが、なかなか寝付くことはできなかった。
朝になると、私は以前エリアスに買ってもらった普段着用のドレスを着た。街歩き向きで動きやすいデザインのため、長距離の移動でも問題ないだろう。
荷造りした荷物を玄関へ運んでいるところでエリアスが訪問した。父上と兄上も一緒に彼を出迎える。
「お久しぶりです、ボーリンガー伯爵」
「男爵とは婚約締結以来ですね」
父上がにこやかにエリアスを出迎える。今日のエリアスはいつもよりシンプルなシャツとコートを着ているが、それがかえって彼の美しさを際立たせている。私が彼に目を奪われていると、彼は私を見て、ふんわりと笑った。
「マチルダ。行こうか」
知らない間に私の荷物はボーリンガー家の使用人により馬車へ積み込まれていたらしい。私は差し出された彼の手に自分の手を重ね、進みだした。
数歩歩いたところで、後ろから兄上の声が聞こえる。
「エリアス。マチルダを頼む」
「そんなこと、言われるまでもない」
エリアスはそう言うと、手を上げた。
馬車は順調に進む。王都を出てしばらくは街道が整備され、馬車も揺れることがほとんどないという。しかし王都を出ると舗装がなくなり、とても揺れるらしい。
「最悪なのは途中だけよ。領内は私が整備していて綺麗な道になっているから、また快適になるわ」
私は悪路にも慣れているので特に問題ないが、彼は今から辟易したような表情をしている。
エリアスはきちんと領内の街道を整備しているらしい。そういえばフランク殿下の街道整備事業はボーリンガー領までの街道も計画に入っていたことを思い出す。
「殿下の担当されている街道事業が終われば、すべて快適な旅になるのだな」
「……そうよ。だから、あの事業には私も出資しているわ」
「エリアス。殿下から聞いた。元はあなたが考えたことだったと」
エリアスは私の方を見て、眉をひそめた。
「だからあの方の護衛なんて嫌だったのよ。マチルダ、私は大したことはしていないの。ただ、ここを整備すれば将来的に発展するだろうという絵空事を描いただけ。言うのは誰でもできるけど、実践することの方がずっと難しいのだから」
「私に知られたくなかった?」
エリアスの表情には明らかに陰りが見える。彼はどうやら私に自身の功績を知られたくなかったようだ。
「どうなのかしら。何ていうか……私が美しい上に賢いのは事実よ。でも、実際に事業をするということは、それとは別の話なの。私には国家の事業をやり遂げられるほどの情熱も体力もない」
エリアスが珍しく自分を卑下するようなことを言うので、私は意外に思った。彼はいつだって自信に溢れ、自分を低く評価することなどないと思っていた。
「あらゆる部署への根回しも、分からず屋への根気強い説明も、問題が起きた時の後始末も、本当に面倒で大変なことだわ。私はそれをやっていないのに、あたかも自分の功績のようにあなたに尊敬されるのが少し嫌だったのかも」
確かに殿下は事業を完遂するためにあのように猛烈に働かれていた。私は騎士の仕事しか知らないが、大規模な事業をおこなうということはそれだけ大変なことのようだ。
(自慢しても私は何とも思わないのに)
エリアスが発案したことは、誰が見ても高く評価すべきことなのだ。やはり彼は自己愛が強いだけの人物ではない。彼なりの美学を持ち、それに沿わないならば自身の功績をひけらかさない。
「エリアス。あなたはそう言うが、あなたが考えた事業はどれも私には思いつきもしないことだ。あなたの考えた計画のおかげで職を得た人も沢山いたし、工事が終わればその恩恵を受ける人も無数にいる。誇っていいことだ」
「マチルダにそう言われると悪い気はしないわ」
彼はふっと目元を緩めてそう言った。
エリアスと穏やかに語らい、悪路では頻繁に休憩を取る。途中の街で一泊し、また出発する。そのようにして三日目の昼にはボーリンガー伯爵家のカントリーハウスに到着した。
タウンハウスであれほど大きいのだから、カントリーハウスはさぞ壮麗だろうと予想はしていたが、想像以上の規模だった。
「これは、素晴らしいな。城のようだ」
「そうね。この辺の人はまさに城と呼んでるわ」
馬車のまま門をくぐると、美しい庭園が広がり、その先に屋敷が見えた。
(一体窓が何個あるんだ。奥行も、かなりありそうだ。ここの女主人になる?私が?)
なんて現実感のないことだろう。これまで何度も感じた、彼と私の格差についてまたも思い知らされる。
しかし、エリアスが私を望んでいるなら、私が卑屈になってはいけない。私は彼にエスコートされて馬車を降りた。
屋敷の前には、使用人たちが並んでいる前に、紳士とその夫人と思われる女性が立っていた。恐らくエリアスのご両親だろう。お二人ともエリアスのご両親なだけあって整った顔立ちをされている。その後ろにはエリアスに似た美しい女性が立っていた。
「お久しぶりです、お父様、お母様。それと、なぜここにいるの?ハイデマリー」
「いたらだめなの?そして、お姉様か姉上とお呼び」
ハイデマリーと言われた女性が事も無げに返した。彼女はエリアスの姉上だったらしい。私たちが来ると聞いて来てくださったのだろう。
お父様がにこやかに前に出た。
「エリアス、お疲れ様。そして、お嬢さんがマチルダ嬢だね?」
「はい。マチルダ・シュナイダーと申します」
「あぁ。嬉しいわ!こんなに綺麗なお嫁さんが来てくれるなんて!」
エリアスのお母様が私に近付き、私の手を取ろうとすると、エリアスはそれを防ぐように私の体を彼の元へ引き寄せた。
「マチルダは私の妻になるんですよ。お母様の着せ替え人形にはさせませんから」
エリアスが私の肩に手を回してそう言うと、彼の家族は一様に驚愕したような表情になった。
「エ、エリアスが……何ということだ」
「マチルダさん、本当に有難う。この子を真っ当に……」
「エリアス……良かったわ……本当に」
彼らは泣き出しそうな顔でそう言うので、私はどのような表情をすればいいか分からなかった。ただ、彼らが私を邪魔に思っていないのは確かなようだ。
「私のような無骨な女を受け入れて下さったご子息を、私も有難く思っています。末永くよろしくお願いいたします」
私がそう言うと、彼らは更に感激してしまったのだった。