【14】 初恋の自覚
私の婚姻相手探しは難航した。
確かに私に言い寄る女は多い。しかし婚姻相手として自分と同じ家に暮らすと考えると、とてもではないが誰でもいいという訳にはいかない。
私は思い悩んだ末に、まだどの家にも婚姻の打診をできずにいたのだ。
(あの王女よりはマシな女じゃないと、焦って婚姻する意味がないわ)
私は他人に対して親愛の情を抱いた経験があまりに少ない。家族、使用人を除けば、殆どいないと言ってもいい。
(クラウスぐらいかしら)
クラウスを思い出して、ふとあの凛々しい妹が脳裏に浮かんだ。
(彼女なら……でも、相手がいたわね)
実は彼女のことは既に軽く調べていた。婚約に向けて話をしている相手がいるようだったのだ。少し残念な気持ちになった自分を、私自身意外に思っていた。
適当な夜会に出て、自分が許容できそうな女性を探す。
自分が無理難題に挑んでいることは自覚している。私が許容できる相手で、かつ相手も私を受け入れてくれる相手。
そんな女性が本当に存在するのだろうか。しかし、何とかして見つけ出さなければ、私の未来はないも同然だ。ついでにヒルデガルド王女の未来も。
「エリアス!良いところに会えた。お前、婚姻は考えてるか?」
王城からの帰り道、クラウスに声をかけられた。いつも通り彼はざっくばらんだ。出会いがしら急に婚姻の話など、普通はしない。
「クラウス、君は相変わらずだね。うん、まぁ考えていなくもない」
「そうか!いや、俺の妹のことなんだが」
「君の妹?」
私は思わずクラウスの話を遮った。婚姻の話から、彼の妹の名が出るとは思わなかったのだ。
「おう。マチルダっていうんだがな。もう三度も婚約がまとまらなかった。元々俺の婚姻のためにあいつは頑張ってたんだ。自分には婚姻は無理だからもう一人で暮らすと言い出してな」
「それは……危ないね」
彼女が一人で暮らすと考えると、私の心はざわめいた。クラウスは大きく頷く。
「どうもあいつは、恋愛っていうのが苦手なようだ。好きだの嫌いだの、もう疲れてるようなんだよ。それでエリアスが思い浮かんだ。お前たしか、自分が一番好きだとか言ってただろ。お前と婚姻すれば丸く収まるんじゃねぇかと思ってな」
「丸く収まるとは?」
「マチルダは恋愛体質じゃないし、お前にとって良い相手だろ。マチルダにとっても、自分が一番なエリアスは安心できる相手だ。俺は妹が一人暮らしするのを阻止できて、ヘルガと婚姻できる」
最後のクラウスのことはどうでもいいが、確かに彼の言う提案は理にかなっている。それにマチルダは唯一私が綺麗だと思った女性だ。彼女と婚姻と考えると、これまでとは違った感情が沸き立った。
「うん、確かにマチルダ嬢は私にとっても良い相手だ。とりあえずシュナイダー家に打診を送る」
「おぉ!まさかこんなにあっさり受け入れるとは思わなかったぞ。俺の妹は一見男前だが、結構可愛い顔をしてる。俺みたいに熊のような体形でもないから安心してくれ」
「遠目で見たことがあるから知ってるよ」
クラウスは目を丸くした。私が彼女を認識していたことが意外だったのだろう。
私たちは今後について軽く話し合い、その場は別れたのだった。
考えれば考えるほど、私の妻は彼女しかいない気がする。
私は三度に渡る彼女と婚約者候補の破局について調べていた。マチルダについてかなり調べたからか、言葉を交わしたこともないのに彼女のことを良く知っているような感覚になっていた。
シュナイダー男爵はあまりにも早計な人物であるようだ。マチルダのように高潔で純粋な女性に相応しい男を見定められない。
男爵がマチルダの婚約者として別の男を見繕う前に、私がその席に座らなければならない。
私は行動した。
クラウスを通して婚約の打診の手紙を送る。その後、男爵へ直接面会した。
「男爵のお嬢様と是非、婚姻できればと考えております」
男爵は、何度も人違いではないかと確認してきた。私は逐一それを否定し、マチルダを望むと彼に懇願した。最終的に男爵は、感激したように私の申し出を了承した。
あの日一目見ただけなのに、なぜ私はこんなに必死になっているのだろう。
何かに突き動かされるように婚約へ動きだす。
あとは、彼女と実際に話してみるだけ。そして、彼女が私を受け入れるかどうかだ。
王城でマチルダと対面し、彼女の瞳が私を映したとき、得も言われぬ興奮が体中を駆け巡った。それと同時に、彼女の瞳には私に何の感情も宿っていないことに憤りのような思いも沸き上がった。
——どうもあいつは、恋愛っていうのが苦手なようだ。好きだの嫌いだの、もう疲れてるようなんだよ。
クラウスの言葉が脳裏に蘇る。
マチルダはこの一年努力したにも関わらず、三度も婚約に至らなかったのだ。まずは私が彼女にとって安全な人物だと、信頼関係を築くに足る人物だと判断して貰わなければならない。
あくまでビジネスライクに。利益のために婚姻をするのだと、彼女に言う。これは彼女にとって都合が良い話だと、信じ込ませる。
私にはできるだけ早期に婚姻しなければならない切実な事情があるが、それはもちろんこの場では言わない。王族に関わる話なのでおいそれとは口に出せない。
「はい、ボーリンガー様。私などでいいのでしたら、よろしくお願いいたします」
マチルダがそう言ったとき、私は心の奥底から叫びだしたい衝動に駆られた。これは歓喜だ。
エリアスと呼ぶようにと自分から求めたのは、この時が生まれて初めてだった。
マチルダはやはり純粋で素直な女性だった。私が何を言おうが、好意的に受け止めてしまう。彼女との二人の時間は心地良い。
ドレスの試着の際は思わぬ彼女の体形に狼狽えてしまったし、彼女がイヤリングを付けて笑みをこぼしたときは可愛らしいと思った。女性にこのような感想を持ったのは初めてだ。
だからこそ、彼女が自分自身をおざなりに扱っていることが気に入らなかった。もっと、私が彼女にあらゆることを教えてあげなければ。そして、私が彼女にとって必要な存在だと感じて貰いたい。
マチルダから、女性口調について指摘されたときは、腹の底が冷えるような心地になった。しかし彼女は嫌悪感を抱いている風でもなく、ただ私を気遣っているようだった。
むしろ私が口調を変えたことで、より私へ心を開いている。
(こんなことってあるの?こんな子がいるの?)
マチルダは私の告白にも態度を変えることもなく、過去の私が嫌な思いをしていなかったかと聞く。
彼女は私を受け入れてくれている。私は心が震えるような感動に包まれた。
(マチルダ。あなたを絶対に離さない)
急いで正式に婚約を結ぶ。契約書には『できるだけ早く』婚姻を結ぶと記載した。シュナイダー男爵もマチルダも疑問に思う素振りもなくサインをする。これで明日にでも届を出しても問題ない状態となった。
(焦ってはいけない。マチルダに納得してもらった上で、正式に届を出すの)
仕事中も、彼女のことを考えてしまう。このような経験は初めてだ。
二人だけのお茶会は、素晴らしい時間だった。
マチルダは私の女装姿を見て、賛辞の念を隠そうともしない。彼女は私にエスコートまで申し出てくれた。
騎士姿のマチルダは凛々しく美しい。しかし、彼女のドレス姿がまるで女神のように美しいことを今は私だけが知っているのだ。
マチルダもドレスを着て、共にここに座る姿を想像する。どれ程素敵なことだろう。その時は、すっかり艶めいた彼女の黒髪を私が梳り、彼女の愛らしい顔に私が化粧をするのだ。
しかし、ヨハネスとかいう騎士は目障りだ。
早く彼女が私の婚約者で、私だけの女性であることを世界中に知らしめたい。夜会では、彼女から片時も離れずに傍にいようと決心していた。
夜会の前日、我が家に来たマチルダは、今日は夕食後すぐに寝るように言うと明らかに落胆し、私が近付くと自分が汗をかいていると恥じ入るようなことを言った。
(なんて可愛いの)
愛おしい。触れたい。マチルダに、甘い言葉を囁きたい。衝動のようにそれらの欲求が沸き上がってくる。
(駄目よ。そういうことは、彼女に合わせていかないと)
私の言動により、マチルダが動揺するのが嬉しい。
マチルダが恥ずかしそうに赤面するのが可愛らしい。
もう、自覚するほかなかった。私はマチルダを愛している。
生まれて初めての恋。初恋だった。