12 王弟殿下にとってのエリアスという男
本日2話目です。
私が出勤すると、殿下はどこか気まずそうな様子だった。
「大……シュナイダー。その、なんだ。お前、騎士団へ戻るか?」
私を見るなり、殿下はぼそぼそと言った。昨日の自信に溢れた態度とは大違いだ。
「それは、私が不要という意味でしょうか?」
「そういう意味ではなく……エリアスが言っていただろう」
殿下はあれほど私に対して遠慮がなかったというのに、エリアスが私を大切にしていると理解するなり、まずいと思ったらしい。エリアスの意見を尊重したいようだ。
「殿下。最初に決まっていた期間を待たず途中で任務を終わらせられるということは、私が役立たずだったと評価されたことと同じです。お邪魔でないのでしたら、最後まで務めたいと思っております」
「そ……そうか。じゃあ、頼む」
私は昨日と同様に殿下の横に配置されるらしい。今日も殿下は文官と仕事を開始された。
殿下は河川の治水工事のほかにも大規模な街道工事についても計画を進めておられるらしい。多くの文官や技官が代わる代わる執務室を訪れ、議論を交わしている。机の上にはどんどん書類が積まれ、文官が忙しなく重要度に応じて仕分けしていく。承認した書類はすぐに側近が担当部署へ持っていくが、なかなか書類は減らない。
今日は昨日の襲撃もあり、王城を出ずに一日中同じように執務に当たられた。私はまた、定時に帰るようにと命令される。殿下はまだまだ執務室から出る気配もない。
「殿下。私は残業するなとは指示されておりません」
「何言ってる。無駄に働くな。俺が帰れと言えば帰れ。護衛が疲れてたら肝心なとき俺を守れないだろうが」
そう言われると私に反論の余地もない。私は敬礼し部屋を出た。
(この方は一体いつ休んでいらっしゃるのだ)
昼食も側近に買わせたもので適当に済まし、椅子を立つのは王城内を歩く時ぐらいだ。お体は大丈夫なのかと心配になる。
外を出ると近衛が私に話しかけた。
「シュナイダー。また殿下に絞られたか?」
彼は私を心配しているようだ。私はよっぽど情けない表情をしていたらしい。
「マルコ様。いえ、違います。殿下が想像以上に激務でいらっしゃるので、驚いておりまして。王族の方々にとっては普通なのでしょうか」
私が担当した貴人警護はこれまで殆どが女性だった。王族や高位貴族の女性の警護とは、施設の訪問やお茶会や夜会などでの警護が多く、こういった普段の執務については詳しくはなかった。
「そんなことはない。他の王族の方々もお忙しいが、フランク殿下は特別だ。あの方は超人だ。毎日あのように仕事をこなし、朝は鍛錬までしている。だから、殿下の護衛は交代制でないと務まらんのだ」
近衛は言葉に殿下への尊敬の念を滲ませながら言った。どこか自慢げですらある。殿下は長い間あのように働いているようだ。
私は彼にも礼をして、その場から去った。
それからも変わらず殿下の横で彼の警護をした。殿下は毎日大量の仕事をこなされ、私に定時に帰るようにと命令する。その繰り返しだ。
襲撃事件のことについても、一定の結論がでた。殿下はあの男一人の処刑で済ませることにしたのだ。あの男のしたことを考えると、親族全員が処刑となるのが普通なのでかなり穏便な対応と言える。
「この件で工事に遅れが出てはいけない。民に寄り添っているという姿勢を示せば、彼らの工事に対する悪感情もまだ抑えられるだろう」
殿下はあの治水工事に情熱を持っている。代官が殿下の指示に従わず、工事を理由に必要以上の圧政を行ったことで、民が工事を憎むようになったのが許せないようだ。
調査により、男の村を担当していた代官の統治の実態についても裏も取れた。彼に対しては苛烈に取り調べをおこない、見せしめ的に処分するようだ。
いよいよ最終日となった。最終日も特に変わったことはなく、定時となった。交代するようにマルコが殿下の隣に行くと、殿下は私に呼びかけた。
「シュナイダー、今日は茶でも飲んでいけ」
「はっ」
殿下は王宮のメイドに紅茶を淹れるように指示をした。私にソファへかけるよう促し、殿下自身もソファへ移動され、腰かけた。
どうやら殿下は私と話がしたいようだ。殿下は紅茶を飲むと、私をじっと見据えた。
「お前は変なやつだよ。普通あんだけ威圧したら、真っ青になってビビるだろうが。俺は王弟だぞ?涼しい顔しやがって」
殿下はぼやくように言った。初対面で私を睨みつけていた件のことだろう。やはり意図的に威圧していたらしい。
「冷や汗は出ていましたし、一体どこで殿下の不興を買ったかと疑問に思っていました」
「そうかぁ?そんな風には見えなかったがな」
「私の化けの皮を剥がすとはどういう意味だったのでしょう」
気になっていたことを問いかけると、殿下は足を組みなおし、頬杖をついた。
「ふん。分かってんだろ。エリアスだよ。お前がエリアスと婚約なんてするからだ。ただの嫌がらせだ」
殿下が吐き捨てる。何も言えない私に向かい目をやると、彼は片方の口端を上げた。
「お前、本当に何も知らないみたいだな。俺がこんだけ仕事してるのは、エリアスが考えた計画を、俺が実現させたいからだ」
「エリアスの計画でございますか?」
「今やってる河川改修も、街道工事も、元々エリアスが考えたことだ。他にも、干拓事業や港湾整備……あいつが言い出したことがたくさんある。エリアスは正真正銘の天才だ」
思いもよらない殿下の言葉に、私は息をのんだ。マルコは表情を変えないので、側近の中では知られた事実なのだろう。
「あいつの凄いところは、実現可能な計画を練るところだ。こうすればいいのに、と言うだけじゃない。最初にどこから着手して、どういう工程であれば効率的に目的を達成できるかを考える。どこから材料と人手を確保して、予算はどれほどかを正確に試算する。同い年の寄宿生の若造が地図を見て、資料を読んで、ち密な計画を書き出してるのを見て俺はたまげた。それらは全て、わが国にとって重大な課題についての改善策だったし、どれも凡人には考えつかないような案だった」
殿下は興奮したように語る。その目にはエリアスへの尊敬と、親愛の念が読み取れる。彼は本当に心からエリアスを慕い、評価しているのだ。
「できた計画案は素晴らしい出来だ。当然計画をどこかに提出するなり、自分が文官になって実行するもんだと思ったら、あいつは……」
「……エリアスは、どうされたのですか」
殿下が言葉を途切れさせたので、私が促すと、殿下は顔を歪ませた。
「考えるのが楽しいから作っただけで、自分がやるなんて嫌だと」
いかにもエリアスが言いそうな言葉だ。私は思わず笑いそうになる口元を隠した。
「何でなんだよ。あんなに能力があるのに、それを国のために使わないなんて損失でしかない。俺はあいつを、何回も口説いた。陛下の側近が一番良いが、それが嫌なら俺の側近でもいい。せめて文官になってほしいと。しかしあいつは全て拒否した挙句、止める間もなく伯爵位を継承し、さっさと引っ込んじまった」
殿下は不満そうにぼやく。
「計画案は、エリアスが殿下に託されたのですか?」
「くれと言ったらあっさり譲ってくれたよ。殿下の御名のもとで実行されたら一番よろしいでしょうと一切渋る様子もなく。俺はエリアスの発案だと発表しようと言ったが、それなら計画案は譲らず全て燃やすと……」
確かにエリアスは自分が自分らしくいられることを重要視しているように思える。国の一大事業の発案が実は自分だと広く知られ、周囲が騒がしくなるのは好まないだろう。
「ふん。ヒルデガルドと婚姻してくれたら良かったが。ヒルデガルドがもう数年早く生まれてくれてたらな。なんでエリアスの妻がただの男爵令嬢で、しかも騎士なんだ。あいつには相応しくないだろ!」
八つ当たりのように放たれた殿下の言葉は、思ったよりも私の心に深く刺さった。
自分でも分かっていることだ。才気あふれ、美しいエリアス。私は彼に釣り合っていない。ヒルデガルド王女のように高貴な女性を娶り、王族との縁を繋ぐのが、周囲から見ても自然だろう。
しかし——
「私は、エリアスに望まれて婚約しました。エリアスが私を望んでいる限りは、この席をどなたにも譲るつもりはありません」
殿下は眉を上げて意外そうに私を見た。私がこのように主張するとは思わなかったようだ。彼はしばらく私を見た後、視線を落とした。
「まぁ……お前自身が駄目だと思っている訳でもない。この一週間、よく働いていた。突然の襲撃に対する対処は的確だったし、執務中の警備など、お前のように常に緊張して立ち続けるのは難しいものなのだ。あくびの一つでもすれば糾弾してやろうかと思っていたが、つまらんことにそんな場面はなかった」
「有難いお言葉です」
殿下は隙あらば私の粗探しをしていたらしい。私が謝辞を述べると、彼はため息をついた。
「しかしエリアスが、あれほどに女に骨抜きになるとは思わなかった。これまでは、あいつだって一応貴族として俺に敬意を払っていたのに、お前のためにあのような態度を」
「殿下。それは……」
殿下はエリアスの態度に傷ついていたらしい。エリアスは、確かに私を大切に思ってくれている。しかしそれは、何としてでも私と婚姻して王女降嫁を防ぎたいからだ。殿下にはそのようなこと言えるはずもない。私には誤解を解くのは難しそうだ。
「エリアスは、優しい人ですから」
「……あいつをそのように評するのはお前ぐらいだろうな」
殿下は少々呆れたように私を見て、そう呟いたのだった。
○作者より○
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