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11 彼が婚姻を急ぐ理由

「エリアス!久方ぶりだな」

「ご無沙汰しております、フランク殿下」


エリアスが突然現れたので、私は場を辞すタイミングを失ってしまった。

殿下は実に嬉しそうな表情をしている。今日一日で一番の笑顔だ。よほどエリアスに会えたのが嬉しいのだろう。また胸の奥に不快なモヤが広がる。


「何度呼んでもお前がここに来ることはなかったというのに。まさかこの大女のためか」


殿下の言葉に、エリアスの表情が変わる。私は背筋がひやりとした。


「彼女は私の婚約者です。そのような呼び方はおやめいただけますか」

「何と。お前本気か?本気で、この大おん……シュナイダーに、ほ、ほ、惚れてるのか!」


殿下はエリアスの態度に心底驚いたように言った。エリアスは返答せず、私に歩み寄ると、いつもの笑みを私に向けた。


「マチルダ。帰ろう」

「エリアス!俺を無視するな!王弟だぞ、敬え!」


エリアスは不承不承といった様子で殿下へ向き直った。


「殿下。なぜマチルダを護衛になど?あなた様の専属の護衛はたくさんいるはずですし、わざわざ彼女を指名する道理はありません。しかも、近衛を追い出し隣に配置するなど。今だって二人きりでした。彼女がどのような目で見られるか分からないはずもないでしょう」

「ふん。白百合の君とか何とか言われて良い気になっている女を拝んでみたかっただけだ!」

「嘘ですね。マチルダが白百合と称されるようになったのは随分前のこと。今になって強引に護衛にするのはおかしい」

「なっ……先ほどから、おっ俺とお前の仲だろう!なぜそんなに他人行儀なのだ」

「我々は王子とその臣下以上の仲でしたか?とにかく、明日以降は必要ないでしょう。マチルダの護衛任務は取り下げてください」


彼らが親しいというのはエマの言う通り真実だったらしい。エリアスは殿下に遠慮がないし、殿下もそんなエリアスを許している。

エリアスと殿下の軽快なやり取りに私はしばらく茫然としていたが、すぐに正気に返る。


「エリアス。この護衛任務は正式に騎士団に要請があった任務だ。不当な扱いを受けたわけでもないし、最後まで全うさせてくれ」

「無理をしないで、マチルダ。この方は、君を侮辱した」

「私が女にしては大きいことは事実だ。事実をそのまま告げられたところで、それは侮辱ではない」


エリアスは返す言葉がないように言いよどんだ。


「殿下、本日は有難うございました。明日も同じ時刻に参ります」

「お……おう。今日は助かった。明日も頼む」


殿下は腕を組んで私を見ずに言った。私は臣下の礼を取ると、殿下の執務室を出る。エリアスは言葉も発さずに私に続いた。



私とエリアスは馬車寄せまで沈黙の中歩いた。馬車が見えてくると、エリアスは遠慮がちに声を出した。


「マチルダ。せっかくだから君を送らせて」

「あぁ。では甘えさせてもらうよ」


彼が腕を差し出したので、私は手を添える。夜会以来の彼の香りに、私の心は安らいだ。


「今日は王城に用事があったのか?」

「いや、マチルダの手紙を読んで、勢い余って来てしまった」


エリアスがばつが悪そうな様子で言った。意外な言葉に、私は目を丸くした。


「驚いた?だって、フランク殿下があえて君を指名するなんて、絶対に私のせいだ。君に迷惑をかけたと思った」


フランク殿下とエリアスの間にはやはり何らかの関係性があるようだ。

彼は私のためにフランク殿下の宮まで慌てて来てくれた。その事実は、素直に嬉しいと思った。


「指名の理由がエリアスだったとしても、私はただ仕事を受けただけだ。迷惑じゃない。心配してくれたのだな」

「うん。フランク殿下は私に拘ってる。君に嫌なことを言うかもしれないし、王族に執着されるような面倒くさい男なんて、やっぱり婚姻したくないって思われるかも、と」


エリアスは美しい顔を曇らせた。やはり殿下はエリアスに執着しているらしい。気安い関係のようだし、特別な関係なのかもしれない。


(なんだ、この不快な気持ちは)


私たちはボーリンガー家の馬車に乗り込んだ。また彼は私の隣に座る。それについて私はもう何も言わなかった。

しかし、彼はなぜここまで婚姻にこだわるのだろう。彼は婚姻せずとも、王族の覚えもめでたく伯爵家の今後に影響はないように思える。また養子についても近しい親族の甥か姪であれば特段の問題は起きないはずた。


「……あなたはなぜそんなに婚姻したいのだ?世間体と言っていたが、独身の当主もいない訳ではないだろう。養子にしたってあなたの甥姪であれば大きな障害もない」


走りだした馬車の中で、つい純粋な疑問が口に出た。エリアスは瞳を見開いて私を見ている。紫の瞳が揺れた。


「嫌になった?私のこと。突然口付けしたりして困らせたし、趣味も変だもの。当然だわ」

「違う。エリアス。言っただろう。私はあなたを好ましいと思っている。でも、不思議だったんだ」


エリアスはしばらく私を縋るように見た後、目線を前に向けた。


「……そうよね。うん、マチルダには話すべきよね。実は私、国王陛下とフランク殿下に結構気に入られてるの。王城に仕えるように言われたのも一度や二度じゃないわ。でも私はどうしてもそんな気にならなくて。それもあって伯爵位を早めに継ぐことにした」


陛下の話は騎士仲間から聞いたことがあった。まさか出仕を断るために伯爵位を継いだとは驚きだ。


「でもあの方たちは私を諦めなくて……勝手に私と王族の婚姻をまとめようとしたの。相手は、ヒルデガルド王女殿下よ」


私は思わず小さな驚きの声を上げた。国王陛下の娘であるヒルデガルド王女は、まだ十三歳だったはずだ。確かに妙齢の王族女性は皆嫁いでいるし、独身でエリアスに釣り合う年齢の王族となるとヒルデガルド王女ぐらいだろう。王女が成人する十五歳を待って、エリアスとの婚約を調える手筈だったのかもしれない。


「王女降嫁でウチが得られる利益もあるかもしれない。けど、エリアス・ボーリンガーは死ぬわ。自分らしくいられなくなる。王女殿下が悪いわけじゃないけど、絶対に嫌だった。でも王家から正式に話があれば、さすがの私でも断れない。それに王女殿下だって、私の妻になりたいと思ってないわ。だからその前に、何か対処が必要だった。そんな時、クラウスからあなたの話があった。正直、渡りに船だったわ」


エリアスは王女殿下との婚姻を断るために、自分の婚約をまとめたかったらしい。彼が私との婚姻に不思議なほど前のめりである理由が分かった気がした。


「あなた以外の令嬢は、下手に話を持ちかけるとかなり面倒なことになりそうだったし……それに」


エリアスは私をじっと見つめた。


「マチルダのこと、とても気に入ったから」


心臓が跳ねたような心地になり、私は思わず彼から目をそらす。


「そうか。あなたの事情はよく理解した」


彼は私の手を握り直し、自身の手元へ引っ張った。


「マチルダ。フランク殿下は本当に、あなたに失礼なことはしていない?」

「今日は初日だし、そのようなことはない。今日一日で、殿下は立派な方だと良く分かった。国の未来のために懸命に働かれている。尊敬できる方だと思ったよ」


今日の感想を素直に口に出すと、エリアスは不満そうな顔になった。


「そう。殿下は私ほどでもないけど、男らしくて格好いいもの。とても女性からモテる方だし、あなたも好印象だったのね」


エリアスが拗ねたように言うので、私は驚いた。エリアスは本当に殿下に恋情を抱いていて、だからこそ私が近付くことを嫌がっているのかもしれない。


「エリアスも、そう思うのか?」

「まぁ、鍛えてらっしゃるし顔の造形は美しいとは思ってるけど。でも私の方が綺麗よ!」


子どものように彼は主張した。まるで殿下に張り合っているようだ。自分よりも年上なのに、何だか可愛らしい。思わず笑みがでる。


「私もエリアスが誰よりも綺麗だと思うよ」


私がそう返すと、エリアスは表情を晴れやかにした。


「マチルダ。私、相手が誰であってもあなたが傷つくのは許せないわ。でもあなたが仕事を全うしたいのなら、我慢する。ただ、何かあったら必ず教えて」

「私は傷つかない。でもそうやって心配してくれるのは嬉しい」

「傷つかない人なんている訳ないでしょう。マチルダ、約束よ。私はあなたの夫になるのだから」


エリアスを安心させるため、私は頷いて彼の願いを受け入れる。彼は一層機嫌が良くなり、その端正な顔をほころばせた。



○作者より○


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