表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

伝説のお嫁さんと言われた女

作者: 墨江夢

 ある日、俺・蔵島翼(くらしまつばさ)のもとに母親からおかしな電話がかかってきた。


『翼、あんたちゃんとご飯食べてるの?』

「久しぶりに電話かけてきたと思ったら、何だよ、それ? 毎日ではないけれど、きちんと三食食べてるっての」

『掃除や洗濯は疎かにしていない? 今度で良いやって考えると、ほこりも洗濯物もあっという間にたまるからね』

「言われなくても、わかってるよ」

『彼女は出来た? あんたももう25歳。彼女くらいいてもおかしくない年齢でしょ?』

「余計なお世話だっての」

『その反応は、未だに独り身みたいね。……安心しなさい。そんなあなたに、素敵な贈り物をしておいたから』


 母さんが言うと同時に、ピーンポーンと玄関チャイムが鳴る。

 タイミング的に、母さんの言う「素敵な贈り物」とやらが届いたのだろうか?


 俺はスマホ片手に、玄関に向かう。

 ドアを開けると……そこにはエプロン姿の女性が立っていた。


 この身なり、宅配業者とは思えないな。第一荷物を何も持っていないし。

 タイミングがニアピンしただけで、どうやら「素敵な贈り物」とは別件だったみたいだ。俺がそう思っていると、


「お義母様から頼まれて、嫁に来ました」


 俺は思わず、「は?」と漏らしてしまった。

 電話口では、母さんが『届いたみたいね』と言っている。


「ちょっと待ってくれ、母さん。届いたのは贈り物じゃなくて、女の人なんだが?」

『だから言ったじゃない。「素敵な贈り者」だって』


「贈り物」じゃなくて「贈り者」なのね。初めから人だったのね。

 

 しかもこの女性、「嫁に来た」とか言っているし。まったくもって意味がわからない。


「母さん、詳しい説明を頼む」

『説明も何も、彼女が言った通りなんだけど。……母さんは心配しているわけです。25にもなって彼女一人出来ない息子のことを。彼女が出来ない翼は、きっとコンビニ弁当やカップ麺ばかりを食べて、汚部屋で生活し、洗濯物もためているのだろう。そう確信しているわけですよ』

「……」


 ごく稀にだが料理をしているし、部屋もそこまで散らかっていない。洗濯機だって、週に一度はかけているさ。

 だけど大前提の「彼女が出来ない」という部分が本当なので、強く反論出来なかった。


『そこで母さんは考えました。翼に最高のお嫁さんをプレゼントしてあげようと』

「解決方法が斜め上すぎる!」


 どこの世界に、息子に嫁をプレゼントする母親がいるんだよ?

 ここにいるんだよ。だからウチの母さんは、ヤベェんだ。


『あなたに贈った彼女、凄いのよ。料理の腕はプロ級だし、掃除洗濯もそつなくこなすし、何より旦那さんに献身的だし。そんな彼女を人は、「伝説のお嫁さん」と呼んでいるわ』

「伝説のお嫁さんねぇ……」


 一体どこの誰が、そんな異名を付けたのだろうか? それとも、そういう資格でもあるの?


『彼女なら、絶対に翼を幸せにしてくれるわ。だからあなたも、精一杯努力して彼女を幸せにしなさい』


『末永くお幸せに〜』。言いたいことだけ言って、母さんは一方的に通話を切る。

 慌ててかけ直すも、残念ながら留守電サービスに繋がってしまった。あの野郎!


『……』


 母さんという仲介役がいなくなったことで、俺と自称お嫁さんの間に気まずい沈黙が流れる。


「えーと……」

「ゆかりです。ゆかりんでもゆかちゃんでもゆーたんでも、どうぞ好きに呼んで下さい」


 選択肢のパンチが強すぎる。


「それじゃあ、シンプルにゆかりで。……悪いな、母さんの身勝手に付き合わせて」

「いえ。こんな私を拾ってくれたお義母様には、感謝しています」

「そのお義母様っていうの、やめないか? 俺たちはまだ結婚していないわけだし」


 出会って数秒で結婚どころの話じゃない。出会う前からお嫁さんを自称されていたわけだから、迷惑この上なかった。


「そう言われましても……翼さんに追い出されたら、行くところがありません」

「行くところがないって……はぁ」


 考えてみれば、彼女も母さんに巻き込まれた身だ。謂わば被害者である。

 

 じゃあ誰に責任があるのかって? そんなの勿論母さんだ。

 しかしこの場に母さんはいないから、息子の俺が代わりに責任を取るしかないだろう。


「……数日なら泊まって良いから、その間に住むところを探せよ」

「ありがとうございます!」


 こうして俺と彼女の新婚生活(仮)が始まった。





 伝説のお嫁さん・ゆかり。その二つ名は、伊達ではなかった。

 母さんの言う通り料理は上手だし、掃除と洗濯も完璧なこなしてくれる。

 それだけではない。


 ゆかりの良妻具合は、日常生活にこそ現れていて。

 立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花。彼女の言動一つ一つが、伝説のお嫁さんと呼ぶに相応しかった。


 しかしゆかりのお嫁さんとしての真価は、家事や所作以外のところにある。

 そのことを実感したのは、俺が仕事でミスをした日のことだった。


 取引先に怒られて、上司に迷惑をかけ、どん底なテンションのまま、俺は帰宅する。


「おかえりなさい、翼さん!」

「……ただいま」


 ゆかりに心配かけまいと、俺は必死に笑顔を作る。

 しかし伝説のお嫁さん相手に、作り笑いなんて通用しなかった。


「……何かありましたか?」

「何かって?」

「翼さんが、元気ないように見えましたので」


 凄い洞察力だと感心しながら、俺は仕事でミスをしたことをゆかりに話す。

 罪悪感と自己嫌悪が、次々と胸の奥から溢れ出していった。


 ゆかりはそんな俺の言葉を、肯定しなかった。否定もしなかった。 

 ただただ黙って話を聞いてくれている。

 そして情けない姿を見せる俺を、そっと抱き締めた。


「自己嫌悪なら、思う存分やって下さい。翼さんの気が済むまで、いつまでだって聞いてあげますから」

「……聞くだけなのか?」

「やめろと言ったって、自分を卑下することはやめないでしょう? あなたが自分を否定するなら、大いに結構です。しかしその代わり、私はその何倍もあなたを肯定してあげます」


 もし俺が今も一人暮らしだったら、きっと心が折れていたと思う。

 だけど、今はゆかりがいる。お嫁さんが俺を支えてくれる。


 いつの間にかゆかりがいることこそ当たり前の日常で、その日常は何よりも尊いものである。そんな風に、思い始めてしまった。





 ゆかりとの新婚生活(仮)も3ヶ月が経過した頃、俺は彼女に「大事な話がある」と呼び出された。


 ダイニングテーブルに着き、向かい合う俺とゆかり。彼女の表情は、いつにも増して真剣だった。


「そんなに改まって、どうしたんだ? まさか、別れ話とか?」

「別れ話じゃありません。過去に別れたことがあるっていう話です」


「バツイチなんです」。ゆかりが、衝撃のカミングアウトをする。


「前の夫は、幼馴染のお兄さんでした。小中高と同じ学校に通っていて、休日は毎週のように一緒に過ごしました。あの頃の私は、心底前の夫のことが大好きで。離婚した今でも、正直当時の多幸感を忘れられません」


 実を言うと、「もしかしたら過去に結婚した経験があるんじゃないか」という予想はしていた。だって「伝説のお嫁さん」なんて称号、前に誰かのお嫁さんじゃなきゃ付かないものな。


「そんなに幸せな結婚生活だったなら、どうして別れたんだ? お互いの仕事が忙しくて、すれ違いが起きたとか?」


 ゆかりは首を横に振る。


「当時の私も今同様、専業主婦でした。稼ぎがない分、家の中の仕事は完璧にこなしたつもりです。支えていたつもりです」


 ゆかりの言っていることは、多分本当だ。自身の仕事に対して過大評価はしていない。

 我が家に嫁いできてからの働きぶりが、何よりの証拠だ。


「望むことは、何でもしました。でも……ダメだった」

「ダメ?」

「窮屈だと言われました。嫁の鏡だから、息苦しいと。そして彼は、他の女と関係を持ちました」


 全てを持ち合わせている人間は、他人に何でも与えることが出来る。

 そして与えられるものは、必ずしも良いものとは限らなくて。

 前の夫は、恐らく完璧なゆかりに対して劣等感を抱いてしまったのだろう。そしてその劣等感を紛らす為に、「窮屈だ」と言ってその責任をゆかりに押し付けた。


 離婚したからと言って、ゆかりの嫁としての実績がなくなるわけじゃない。結果「伝説のお嫁さん」という異名だけが、彼女に残ったというわけか。


「お義母様とは、喫茶店で偶然出会ったんです。離婚から立ち直れずにいる私の相談に、親身になって乗ってくれました」

「そこで「息子に嫁がないか?」と言われたわけか」

「はい」


 俺に嫁が必要だなんて、方便だ。

 ゆかりには「必要としてくれる人」が不可欠だから、俺を紹介したに過ぎない。母さんめ、俺を売りやがったな。


 しかし文句を言おうものなら、母さんは「あなたを幸せにしてくれる人だと思ったから、嫁がせたのよ」と返すことだろう。

 ……その通りだよ、この野郎。


「翼さんに捨てられたら、もう私に行くべき場所なんてありません。二度も捨てられるなんて、耐えられません。だから……どうか私を、これからもあなたのお嫁さんでいさせてくれませんか?」


 捨てられたら耐えられないなんて、重いことを言うなぁ。

 だけど、そんな重さに俺は安心した。何だ、きちんと欠点があるじゃないか。


 仮にゆかりが完璧なお嫁さんだとしたら、俺も完璧な夫になれば良い。伝説なお嫁さんだと言うのなら、俺も伝説の旦那さんになれば良い。

 そうすれば、息苦しさも窮屈さも感じない筈だ。


「……取り敢えず、腹が減ったから何か作ってくれ」

「えっ? ……はい」


 返事を先延ばしにされたと思ったのか、ゆかりはどこか悲しそうな表情を見せる。そんな彼女に、俺は続けて言った。


「味噌汁を作ってくれ。これから、毎日」

「! ……はい!」


 そのセリフの意味がわからないゆかりじゃない。

 彼女の表情が一転、満面の笑みになった。



 


 ゆかりと生活を共にし始めて、一年が経過した。

 新婚生活(仮)も、そろそろ終わりの時期だろう。これからは、本物の新婚生活を送るのだ。


 夜景の見えるレストランで、俺はゆかりにプロポーズをしようと試みる。しかし……ここで非常事態が発生。


「あっ」


 どうしよう。婚約指輪を、どこかに落としてしまったみたいだ。


 一世一代の大勝負の日に、こんな失敗をするなんて。情けない限りである。

 伝説の旦那さんには、程遠いな。


「どうかしましたか?」

「いや、指輪を落としたみたいで……」

「あなたって人は……はぁ」


「まったくもう」と、ゆかりは溜息を吐く。

 その溜息からは落胆の色が見えて、もしかして愛想を尽かされたのではないかと不安になった。


 しかし、ゆかりに限ってその心配は杞憂だった。

 彼女は俺のネクタイを掴むと、自身の方へグイッと引っ張る。


 重なり合う、二人の唇。

 10秒間たっぷりキスをした後で、ゆかりは俺にこう言った。   


「指輪なんてなくても、永遠の愛でも何でも誓ってあげますよ。大好きです、翼さん」


 伝説のお嫁さん? いいや、違う。

 ゆかりは最高の、俺のお嫁さんだ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ