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095.シルジュブレッタ研究室の五年生

 風が細かく刻むような痛みを露出した顔に与えた。思わず首を引っ込めて、外套の立襟に鼻先をうずめる。

 魔術学校では数日おきに吹雪くようになっていたが、晴れ間を狙ってルカはホッグとともにエルダーの森で狩りを続けていた。葉の落ちる冬は冬眠しない獣たちから多くの隠れ場所を奪うため、ほかの季節とは違った趣があって楽しい。二人で白いものを見たあの夜以降、ルカとホッグのあいだにはなにかが融解したような気安さが漂っていた。ルカはホッグの不可解な行動の理由――なぜ甲冑を着たいのか――がわかるし、ホッグもルカを自分の状況を理解してくれる相手と見なしたのだ。いまでは森を歩きながら他愛ない冗談を言い合うまでになっていた。


 大かがり火の夜、子供たちが撤収したあとの出来事については、リヒトに話すのを保留にしている。リヒトが冬休みの課題を抱えすぎていたからだ。とはいえ翌日十分に眠ったあとで、なにか変わったことが起きたかと尋ねられてはいた。そのため

「あったが、冬休みにやると言ったことをすべてやってから話す」

と率直に伝えた。意図せず思わせぶりになってしまったのは否めない。

 別にリヒトは決して怠けていたわけではない。やることばかりで予定が詰まっていただけだ。しかしルカの話を聞きたくてたまらないリヒトはいままでに輪をかけて発奮し、一番締め切りの近いサンダーへの報告書をその日のうちに終わらせてしまうと、次の日には事務棟に併設されている購買部でまっさらのレンズを手に入れた。そしてたいした日数もかからず、〈遠見レンズ〉に加工してしまった。レンズを取りつけるための外殻部品を外注しているので、納品までしばらく待ちの状態になる。


 残す課題は藍星鉱ブルーステラに関することのみとなった。

 藍星鉱の研究は、シルジュブレッタに協力を仰いでからというもの、断続的に続けられていた。リヒトとしては始めたらかかりきりになりたいところであったが、シルジュブレッタの体が空かなかった。大かがり火の夜への準備には教職員として駆り出されていたし、四年生の卒業研究テーマの策定、五年生の卒業論文草案への批評など、研究生を抱える教授本来の仕事をこなしたうえで、参加者の予定を合わせなければならなかったのである。また、最近の吹雪の日には生徒たちも外出禁止となり、それぞれの寮に籠らざるを得ない。リヒトは焦れながらシルジュブレッタ研究室に通う日々が続いていた。


 そして大かがり火の夜から十五日ほど経ったある日、とうとう藍星鉱ブルーステラの加工に取り掛かれるようになったとルカに告げた。







 藍星鉱研究最初の日、シルジュブレッタの研究室には部屋のあるじとマロルネ、指輪の誓言をすると約束した三人の研究生、そしてリヒトが集まっていた。


 この三人はテオドール、スピカ、ヴァスコといい、スピカとヴァスコはウルハイ族の肌を持っていた。三人とも五年生で、シルジュブレッタ研究室には四年生もいるのだが、誓言をする決心がつかないとのことでこの三人のみが残った。


 シルジュブレッタは三人の誓言まではマロルネに任せる気のようで、軽く挨拶をしたあとは自身の椅子に腰かけ、頬杖をついて黙っていた。ほかは全員、シルジュブレッタの重厚な両袖机の前に置かれた長机のそばで突っ立ったままだ。


 マロルネは部屋の最奥から愚者鼠リペルラットの皮の包みを持ってくると、普段リヒトが見るのとはまったく違ういかめしい顔を三人の五年生に向けた。

「この包みのなかを見たらもう『やっぱりなし』は通用しないわ。どこに逃げてもあなたたちの口を塞ぎます。これは最後の猶予です。新たな知のために命を懸ける覚悟のない者はここから去りなさい。いますぐに」


 指輪の誓言は範囲をあいまいにすると誓言する者にとって危険度が増すため、藍星鉱を見せてからそれに限定して秘匿を誓わせると、リヒトとシルジュブレッタのあいだで取り決めていた。マロルネの声音の厳しさにリヒトは顔を強張らせ様子を窺っていたが、立ち去る者はいなかった。やがてテオドールが口を開いた。


「マロルネさん、我らはシルジュブレッタ研究室で学位を取ろうという、勇猛果敢にして向こう見ずな酔狂者の集まりですよ。その包みの中身がなにかは知りませんが、知らないものを見るために我らの命はあるのです。見られないのなら、生きている意味がありません」緊張感のある場面でも滔々と話すその口調は、物売りのようなある種の軽薄さを含んでいたが、同時に彼の度胸や自信の強さを表してもいた。


「勝手に俺まで酔狂者にするな」ヴァスコがこっそりとテオドールを肘で突いた。「……まあ間違ってはいないが」と小さく付け加える。


 五年生紅一点のスピカも二人の様子を見てにやりと笑った。「そのとおりですよ、マロルネさん。逆に言えば、命を懸けなければ見られないほどのものが、その包みのなかにはある。それを目の前にぶら下げられて退しりぞくだなんて、そんなことはできません」


 マロルネはゆっくりと順番に三人を見た。

「このなかに貴重なものがあるなんて、私がいつ約束したのかしら」

 突き放したマロルネの言葉にヴァスコとスピカは思わず息を呑んだが、テオドールは持ち前の調子を崩さなかった。

「たとえその皮の下にあるものが枝耳兎の肉(ありふれたもの)であろうとも、なにも文句はありません。私はただ見たいのです。隠されたものが見たい。それだけです」

 マロルネはリヒトに目を遣った。皮をめくってよいかという問いかけだった。リヒトには否もない。事前にシルジュブレッタから聞いていたとおり、マロルネと目を合わせ「許す」とだけ口にした。マロルネの指輪に一瞬、かすかな光が宿って消える。マロルネはかしこまった顔でひとつ首肯すると、三人に視線を戻した。


「まあ、もちろん、スピカの言う通りです。みんなの命をそこまで軽んじるつもりはありません。覚悟を聞いたのです」

 マロルネが皮をめくると、リヒトの記憶の通りの、まっさらな藍星鉱が姿を現した。青い小花を思わせる光の反射が美しい。


「これは……銀ですか」

「違うわ。藍星鉱というめずらしい金属なの」

 テオドールの質問にマロルネが答えると、ヴァスコとスピカの顔色が変わった。ウルハイ族は知っているのだ。たとえ書物には載っていなくとも、血の継承とともに口伝されている――リヒトはそう思った。いっぽうテオドールだけはそれがなにか知らなかったようで、自身の記憶を探るような顔をしただけだった。


「これは直接触るとその者の魔力に染められてしまうから、この愚者鼠の包み越しでしか触れない。私たちはこのけっして十分とは言えない量の藍星鉱で、これが持つ性質を見極めたいと考えているのよ」


 マロルネはさらに、藍星鉱が〈神界のまれもの〉であることと、リヒトがエーデルリンクから褒賞として貰ったものだということを付け加えた。正確にはルカが貰ったものだったが、その事実はここにおいては重要ではなかった。マロルネはリヒトの希望通り、ルカに関する部分の一切を伏せた。そのため、預かっているルカが染めたほうの藍星鉱は出してこなかったのだ。必然的に、ルカの染めた藍星鉱を加工する予定があることは、この三人には知らせないことになっている。


「たしか小さな絨毯も貰っていたんじゃなかったか」

「それだけでは足りないほどの功績だとエーデルリンク先生がお考えになったんでしょう。当然だと思うわ」

 リヒトは学校内を絨毯で飛び回っているため、その事情を知る生徒は少なくなかった。この三人もどこかで聞いて知っていたのだ。小声でやりとりするのが聞こえてきて、リヒトは気まずい思いで顔を伏せた。


 その後マロルネに促され、三人は指輪の誓言を滞りなく済ませた。

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