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094.密かな出立

 夜明け前のまだ暗い時刻。

 魔術学校の門の前に漆黒の絨毯が一枚、闇から溶け出すようにして飛んできた。地面に降り立った男は、活動の仕上げとばかり精を出している死の行軍(ワイルドハント)に目を遣った。もはや防衛の完遂は確実だ。


「おや、コクトー殿ではありませんか。ずいぶんと早くに発たれるのですねぇ」

 門番は色を変えず、飾りを気取ったまま話しかけた。

「…………お前が私に声をかけるなど珍しいな、ジュールラック」

「心外ですね。わたくしめはいつもみなさまに平等に話しかけていますよ」

「最初だけな」

 ジュールラックは沈黙で返した。


 たいていの者はジュールラックの価値に気づいたときにはもう、話しかけてももらえない。田舎から「お前は特別だ」と言われ、思い上がって王都に出てきた十二そこそこの生意気な子供は、真鍮のしゃべる飾りを多少めずらしがりこそすれ、構うことなどほとんどない。門の説明を聞くだけ聞いたら礼も言わず認証を済ませ、少しでも早く魔術学校を見ようと中へ駆け込んでいく。彼らは背後でジュールラックがなにか言っていたとしても、悪意なくそれを聞いていない。そしてジュールラックは、一度無下にされると二度と心を開かない。初対面でジュールラックのことが気になって気になってしかたがなく、ずっと門に居坐って話しかけ、鬱陶しがられたコクトーやサンダーのような者もいるにはいる。だが多くは、年を重ねてからやっと彼の尋常ならざる能力に気がつき、その深淵に触れようとして門の前で追従ついしょうを言い、時には道化師のように振る舞って気を引こうとしては無視をされ、じきに心を折られている。


「九啼鳥はうまかったか」

「あれだけでは利息にもなりませんよ」

「利息……ね」

 コクトーは討伐した中でよく肥えたカリュドーンの肉を切り取ってきていた。重ねた油紙の包みから取り出してジュールラックに渡してやる。

「朝まで残って顔を見せてやれば、喜ぶ者もおりましょうに」

「世辞はいい」

 ジュールラックは生肉を頬張りながら、器用に鼻で溜息をついた。

「サンダー殿とは十分に話せましたか」

「ああ、そのせいでこんな時間まで残業だ」


 コクトーは葡萄の飾りに指輪を近づけて認証を済ませ、絨毯に飛び乗って門を出た。

「良い旅を、コクトー」

「……」

 夜のよく似合う男は胡乱な目でジュールラックを一瞥すると、また闇に溶け込むように消えていった。彼がサンダーとなにを話していたか聞いていたはずはない。はずはないのに、魔術学校の門番は実に的確な言葉でコクトーを見送ったのだった。



 一夜明け、空き地では闇に包まれているうちは隠されていた闘いの痕跡を朝日があらわにしていた。荒らされた大地に点々と、燃え尽きた木組みがバラバラになって残されている。一晩じゅう領地を防衛していた団員たちは気怠げな顔で、すっかり炭化した丸太を次々と絨毯に載せ、片付けを進めていた。

 ミグルが解体中の大かがり火に近づき、いくつか残る炭を確認する。まもなく、そのなかのひとつに小さく小さく熾が残っているのを見つけた。そこへ黒水晶を近づけると、熾からマッチの先ほどの炎が飛び出し、黒水晶のなかへ入り込んだ。

「また来年まで、ね」

 ミグルは大切そうに水晶を抱え、片付け中の団員たちをねぎらいその場を去った。


 いっぽう門の南でも、命の簒奪は平等に行われていた。毎年、飛羊も何頭か持っていかれてしまう。ガジュラは無事だったトレホやコメットを確かめるように撫でているプルメリアの後ろ姿を不思議な気持ちで見つめていた。ほぼ夜明けとともに寮の外に出てきていた彼女は、ガジュラの手がくまで鼻と耳を真っ赤にさせて待っていた。絨毯で飛羊のもとまで連れてくると、そのまま荒れ地に駆け出し、小屋から死角になっている岩棚の陰でワイルドハントの「足跡そくせき」を発見した。しばらくのあいだそこに立ち尽くし、足取り重く小屋の付近まで戻ってきていまに至る。

 飛羊は仲間が死ぬとしばらくその遺骸の周りをうろつく習性がある。この地においては、凍りついた大地の周りを徘徊するのがそれに当たる。自分の群れの仲間だけではなく、近くの群れの者が死んだ場合もそうするし、遺されたその群の者に首を優しく当てるなどの行動も見られる。ウルハイ族はそのような飛羊のふるまいを「飛羊の葬式」と呼んでいた。

 本来あまり人間に馴れることのない飛羊は、このときさらに敏感さを増す。トレホたちが人懐こいとはいえ、現に昨年までは、大かがり火の翌朝にガジュラが近づくと距離を取られていたのだ。ガジュラはそれを、葬いの最中にほかの動物のにおいをつけたくないのではないかと推測していた。だが、今日のトレホたちはプルメリアを安心させようとしているかのように好きにさせている。ガジュラはふと、自分が彼女に嫉妬しているのだと気がついて恥じ入った。

「プルメリア、一度小屋に入って暖まろう。このままでは君が凍えてしまう」

 大かがり火の夜は越えたが、冬はこれからさらに厳しさを増す。プルメリアは素直に頷いたが、振り返ったその顔の悲愴な美しさに、彼は言葉を失った。




 ルカが片付けを手伝ってから部屋に戻ると、リヒトはすでにフッタールの部屋から帰っており、ベッドにもぐりこんで眠っていた。閉めたカーテンの合わせにできた僅かな隙間から、冬の清廉な陽光が差し込んで、ベッドの上に波打つ光の帯を作りだしていた。

 リヒトに話したいことがたくさんある。でも話すにはホッグの許しがないと抵抗があることもある。頭のなかを整理したいが、とりあえず今日はもう限界だ。ナッツの言ったとおりの長丁場だった。


(夜通し魔獣討伐をしていた魔術師団と違って、どちらかというと夜が明けて、終わったと気が抜けたあとから始まった片付けが一番きつかったが……)


 ルカは一度大きくあくびをすると自分もベッドにもぐりこんだ。そしてすぐに穏やかな寝息を立てはじめたのだった。

※2024.03.03 誤字・脱字修正をしました。

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