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093.大かがり火の夜に~その9 ホッグの怖かったもの

「早く戻れ」

「いまは自由時間です」

「ちっ」


 ホッグは不機嫌そうに絨毯に置いていた背負い袋のなかを漁り、いくつか魔術具を取り出して調子を確かめはじめた。

 自由時間ではあるが、――ホッグがこっそりなにかをするつもりだったことは確かだ――さすがに命の恩人の仕事を邪魔しようなどとは思わない。ルカは薬草茶の礼を言い、今度こそ倉庫群のほうへ行こうと立ち上がった。

 木立のあいだを白いものが通る。



「どうした?」

 ルカが静止したのを目の端で捉えたホッグが魔術具から顔を上げた。白いものはもういない。ルカは先ほど酒を飲んだときにおかしなことが起こったのだと相談しようと思った。いま見たものが、その影響が残っていたのかと考えたのだ。だが

「いま、そこを白いなにかが通ったような」

 と言った途端ホッグの顔色が変わったのがわかり、続けられなかった。

「お前、見えたのか」

「え?」

「いままで見えなかったのに? いや、今夜は特別な夜だ。お前くらい勘のいい奴なら、いつもより鋭敏になっても不思議じゃねえのかもな。……どっちへ行った?」

 ルカはなにも言えないまま、白いものが去った方向を指さした。

「待ってろ」

 ホッグは自身を奮い立たせるような顔をすると、ランタンを残したまま、足音を忍ばせて木立の向こうへ消えた。しばらくして戻ってき、「こっちだ」と小さな声で雑木林の奥を親指で示す。ルカもホッグについてさらに奥へと入った。


 茂みに身を隠し、ホッグが示すほうをそっと覗き込む。すると、いた。先ほど見かけた白いなにかが立っている。ちょうど大人くらいの大きさで、向こうが透けて見えた。

 す、と動く。

 ルカはこちらに来たらどうしようと戦慄したが、それは別の方角へ進んだ。ホッグがルカの肩をつつき、今度は絨毯のほうを示した。ルカも頷いて連れ立って戻る。絨毯にぽつんと載ったランタンの明かりを見、やけに安堵した。


「なんですか、あれ」

「知らん」

「知らんって」

「知らんもんは知らん」

「だって……」

 食い下がろうとしてルカはやっとホッグが真っ青なのに気がついた。そして先ほどホッグが言ったことが脳裡によみがえった。


 ――お前、見えたのか

 ――いままで見えなかったのに?


「……いつも怖がっていたのはあれですか? いつも……見えていたんですか?」

 ホッグはむすっとしたが長い沈黙のあと言った。

「普段は俺にしか見えねぇ。ほかに見える奴を知らねえ」

「あれは、空のあれの仲間ですか?」

「え? 違うだろ」

「そうなんですか? 私には違いがよくわかりません」

「いや、空飛んでるのと、地上をうろついてるのだぞ」

「私にとっては両方よくわからないものです」

「……そういうもんか。でも空のは、俺も大かがり火の夜にしか見えねえ。足が下りて(・・・・・)下にいる生き物が凍結するのもこの夜だけだから、あいつらは実際この夜しか飛んでねえはずだ。いまの白いのはいつもこの辺をうろついてる。だから別もんだ」


「なるほど」言われてみればそうだとホッグの説明に納得する。「じゃあ……さっきの白いののせいで、いつも甲冑を?」

「しかたねえだろ! どうやって身を守りゃいいのかわかんねえし! 防具くらいつけたいだろ!」

 ぜったい役に立たない気がするが、たしかにあれに急に出くわしたら怖い気持ちは理解できた。

「襲ってくるんですか?」

「いや、いままで襲われたことはねえな」

「ホッグがあれを見つけて何年くらい経つんです?」

「十二のときからだから、二十年以上か」

 それはもう襲ってこないのではないだろうか。今宵初めてあの存在を知った立場で大きなことは言えないが、それであの甲冑を毎回身につけるのはルカだったら手間が惜しいほうが勝つと思う。


「慣れないんですか?」

「無理だ怖い」

 即答である。

「でもなにもしてこないんですよね?」

「なにかされたことはねえが、ふとしたときに、いる、ってこと自体が怖えんだよ!」

 ではしかたがない。たしかに、予期せぬところに突然いる、というのはそれだけで怖いかもしれない。


「十二のときからということは、魔術学校に来たときから見えていたってことですね」

「ああ……まあそうだな」

 ルカは一瞬歯切れが悪くなったのが気になって、ホッグを凝視した。

「な、なんだよ。正確に言やあ、田舎からはじめて王都に出てきたときだよ」

「…………え?」

「だから、王都に馬車で連れてきてもらっただろ? そのときにはじめてあいつを見たんだよ。あいつの仲間って言やあいいのか?」

「あの白いの、王都にもいるんですか?」ルカは驚いて思わず声が上擦った。

「いる。なんか知らんがちょこちょこいる。不意に出くわすと怖いから、いないって確認した森小屋から出なきゃならんときは、いつも甲冑を着たい!」

 ホッグは甲冑がもはや心の安定材料となっているのだ。堂々と胸を張って言った。

「エルダーの森で見たことは?」

「ないな。だから森はけっこう気を抜いてることが多い。でも甲冑は着る!」

「そうですか……」

「魔術学校のなかのはそんなに動かないし、数は王都より全然少ない。だから心の準備をすれば魔術学校には来られる」

「王都は違う?」

「王都には行きたくない。移動する距離がでかいからよくわからねえんだ。それにあいつら急に地面から湧いてきたりするから、数が多いと本当に心臓が止まるような思いを何回もする」

「誰かに相談しました?」

「当時の担任には鼻で笑われたな」

「……」

 気の毒に、少年だったホッグはほかの者には見えないものに怯えたことで、つらい思いをしてきたのだ。


「そんなに怖いのに、なんでここに一人で来ているんですか」

 ルカは先ほど避けられた質問をもう一度した。ホッグは今度は教えてもいいと思った。一緒に白いものを見た仲だからだ。


「酒を撒いてる」

「酒?」

「校長先生から言われてんだ。一年に一度、大かがり火の夜に、あの白いのの出てるあたりに酒を撒けって。正確には奥様のご指名だが」

「サニカさんが?」

「そうだ。これが俺の役割だって言ってくださった。……卒業直前で進路に困ってたときだ。俺ぁ、当時から王都に出るのも嫌がるし、変な甲冑は着てるしで受け入れ先が見つからなかった。そんなとき初めて校長先生に、白いやつが見えることを話したんだ」

 ルカはホッグを見つめて続きを待った。

「それで俺は、なんでかは知らねえが、普段絶対人を招かない校長先生の隠れ家に連れてってもらって、奥様にお会いできた」

 きっとエーデルリンクはホッグの見えたものを初めて信じた人なのだろう。そしてサニカはルカたちを受け入れたのと同じ笑顔でホッグを迎えたに違いない。

「それでサニカさんに森番になれと言われたと……」

「違う。奥様には酒を撒けと言われたんだ。年に一度。んで校長先生が外に出して一年に一度呼び戻すのがめんどくさいと仰って、森番を任命されたんだ!」

 ホッグはなぜか胸を張った。ルカにはついでに森番にされたように聞こえたが、そこを追究してもしかたがない。

「なんで酒を撒くんです?」

「知らねえ」

「え……」

「俺は奥様の言うことならなんでも聞く。訳なんかどうでもいい」

(えー……)

 ルカは少し落胆したが、ホッグのエーデルリンクとサニカへの忠誠心はそれほどのものなのだと理解した。

「でもその酒ってさっき」

「割った」

「大丈夫なんですか?」

 今年の分の酒は空中で撒かれ、光の靄が……たぶん飲んだのだ。

「自分であとで飲もうと思ってたのがあるからそれで間に合わせる」

「すみません。今度弁償します」

「お前は阿呆か。今日の酒代はみんな魔術学校持ちだ。空き地の酔っぱらいどもを見てきただろう」

 そう言うと、ホッグはびくびくしながらもルカを連れて再度白いものがうろつく場所へ行き、できるだけ白いものを見ないよう顔を背けながらぞんざいに酒を撒いて任務を終えた。




 自由時間はとうに過ぎていたが、ホッグが絨毯で空き地まで送ってくれたので周りにはホッグの仕事を見学していたていになった。実際一部はしていたので完全に間違っているわけではない。


 その後は見回りと魔術師団の魔獣討伐見学などをしているうちに空が白んできた。空を駆けていたワイルドハントたちは太陽の予感に勢力を弱め、どんどん薄くなってやがて空にひとつの靄も見えなくなった。そして太陽の最初の一条が空を黄金に染めた瞬間、ヴェスタはその身を大きく屈め、骨組みを露わにして燃え尽きた。日の出を報せる一の鐘が鳴り響くなか、みなの瞳に今年も領地を守りきったという安堵と誇りが宿った。

 そうして大かがり火の夜は明けたのだった。

2023.12.31 表現修正

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