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092.大かがり火の夜に~その8 雑木林にて

 先ほどのはなんだったのだろうと思いながら、ルカはガジュラとオクノの酒盛り場をあとにした。なんでも東の倉庫群の裏手に仕留めた魔獣が並べてあるというので、興味が湧いてそちらに足を運ぶことにしたのだ。

 今日はこのあと、緊急の狼煙のろしが上がらない限りは、星々があと十五度程度西に傾くまで自由にしていてよい。


 夜目よめの利くルカはとくにランタンなど灯さず、真っ暗で人気ひとけのない木々の間を歩いた。ふと、魔獣討伐にかかる轟音の合間に、かすかな金属音が聞こえた気がした。


(……ホッグ?)


 音のしたほうを見たが誰もいない。

 ホッグは事前会議のときに提示された今日の見回り分担表に名前がなかった。ルカも特別枠だが、要員を割り振ったあと各持ち場に追加される形できちんと記載されていた。だからホッグに持ち場はないのだと思っていた。会議のあいだずっと青い顔をしていたし、怖がる者に見回りをさせても仕方がない。ホッグは職員宿舎にでも詰めているのだろうと勝手に考えていた。でもいましがた聞こえた音は、耳慣れたホッグの甲冑の音だと思った。


 なんとなく気になって足を進めると、また音がした。かなり遠くだ。誘い込まれるように木々をすり抜け、中央学舎の横を通り過ぎ、やがて中庭に出た。ここまで来ると寮よりも、いつもナッツがいる事務棟やジュールラックの門のほうが近い。ホッグの姿は見当たらないし、もう音すら聞こえない。


(私はなにをやっているのだ)


 なんだか急に馬鹿らしくなって、やはり倉庫群に行こうと思い直した。ここは中庭の雑木林の中でも特になにもない場所なのだ。ほかはちらほらと花壇やベンチを設置して憩いの空間にしていたり、シルジュブレッタのいる研究棟に通ずる小道があったりと、日頃から人もよく通る。しかしここは本当になにもない。木々が茂るだけで歩きにくく、入り込む意味のない場所だ。死の行軍(ワイルドハント)が空を行き交う大かがりの夜に、臆病なホッグが、こんな真っ暗ななにもない雑木林の真ん中に来るわけがない。


 空を見上げるとまた先駆けと同じ、光のもやがふわりと飛んでいた。

 ルカはなにかを狙ったわけではない。ただ本当になんとなく、その光の靄にマーカーをつけようと思った。見るものすべてが初めてという昂揚、魔獣ではない正体不明の意思あるなにか、マーカーの誤作動、火花の隙間に見えた文字列――そのなにもかもが、きっとこの気まぐれに影響を与えた。


 光の靄にマーカーをつけようと試したその時、ぱっと光の靄がこちらを見た(・・・・・・)



(あ、まずい)



 やってはいけないことをした。だがそうわかったときにはもう取り返しがつかなかった。ゆっくりと飛んでいた靄はその動きを止め、ルカをまっすぐに見ている(・・・・)。いかにも興味深げで、それに気がついた近くを飛んでいたほかの靄も次々に集まってきた。


 まだ足が下りる(・・・・・)ほどの濃度ではない。それなのに、彼らはルカ目がけてゆっくりと降りてきた――彼らに触られると死ぬというのに。




「こいつは俺の弟子だ!」




 その叫びとともに、見当違いな方角で爆音がした。

 完全に彼らに魅入られ動きを止めていたルカは、驚いてそちらを見た。彼らもまたルカからその爆音のしたほうへ注意を向け、吸い寄せられるように飛んでいく。爆発の光の名残に照らされて、なにか細かいものが煌めいていた。そのきらきらはすぐに落ちてなくなってしまったが、彼らはしばしその辺りに滞留したあと霧散していった。



「ルカ! 生きてるな!?」

 ホッグは魂の所在を確認するかのように、ルカの肩や背中をばんばん叩いた。

「ホッグ……」

 ルカがやっと声を発し、生存を確信するや、目を合わせ

「この馬鹿! なにしてる!」

銅鑼どらを叩いたような声で叱責を飛ばした。ルカは山を舐めて大イノシシに襲われ、ヴォルフの拳骨を落とされたときを思い出した。




 少し浮かせたホッグの絨毯に座り、落ち着きを取り戻した。ホッグが先ほどまでは消していたランタンに火を灯し、水筒から暖かい飲み物をいでくれる。ルカは一瞬酒を警戒したが、眠気を飛ばすためのただの薬草茶だった。


「にっが……」

「少しは落ち着いたか」

「はい」

「お前、あんなのにちょっかい出すなんてどうかしてるんじゃないのか」

「すみません」


 ん? とルカは思った。ルカがちょっかいを出したとわかったということは、ホッグはルカのマーカーが見えたということだろうか。気になったルカは自分がしたことが見えたのかと率直に尋ねた。


「馬鹿。あんなに真っ直ぐ、まじまじとお前を見てたんだぞ。お前がなんかしたに決まってるじゃねえか」

 どうやら見えていなかったようだ。

「でもあんな……振り向いて降りてくるなんて思ってなかったんです。あのもや単体だったら、あまり下の生き物を気にせず飛んでいるだけに見えたので」


「あいつらだってそりゃあ、めんどくせえとこをわざわざ襲おうとは思わねえ。数が揃ってねえならなおさらだ。ほかに命を奪いやすい、野生の魔獣がうじゃうじゃしてんだからな」

 ホッグの言う「めんどくせえとこ」とは、防衛の魔術具の有効範囲のことだろう。

「だが、興味を引くものが中にあれば、多少面倒でも獲りにくる」

 ホッグは少し語気を強めた。「お前だって森を歩くとき、わざわざ足場のわりいところは歩かねえだろ」

「ええ」

「だが、いい獲物……たとえばあの日の九啼鳥みたいな、特別な獲物がそこにいるとわかったらどうだ」

「多少無理をしてでもその場所に踏み入ります」

「お前がしたのはそういうことだ」

「……」

「美味い獲物はここだ! って、自分で呼びかけたようなもんだよ」


 改めて言われると本当に馬鹿だと思う。でもその時はマーカーであんなに気を引くことになるとも知らなかったのだ。だが知らなかったからといって狩人は待ってくれない。今回は光の靄が狩人であり、ルカが獲物だった。ホッグは普段あんなに臆病なのに、――ルカが目をつけられてから爆音が聞こえるまで、あの時間差だ。迷わず出てきて助けてくれたのだ。


「すみません……。あと、助けてくれてありがとうございました」

「礼はいらねえ。師匠が弟子を助けるのは当然だからな!」

 ホッグはここぞとばかりにルカを弟子にしようとした。さっきヴォルフと被ったせいで否定しづらい。でも命の恩人であることは間違いないが、師匠ではない。

「私はホッグの弟子ではありません」

「頑固だなちくしょう!」

 ホッグはルカの横にどっかりと腰を下ろした。絨毯が揺れる。


「だいたいなんで、よりにもよって大かがり火の夜にこんなとこをうろついてやがる! 空き地か寮か、魔術師団本部くらいにしか行かねえはずだろうが!」

「甲冑の音がして」

「ああ?」

「甲冑の音が聞こえて、その音を追ってきたんです。ホッグだったら変だなって思って。いつもなにかを怖がっているのに、こんな人気のない暗い中庭の、林の中に行くなんて」

「ああ! もういい!」

 ホッグは頭をガシガシと掻いた。




 ルカはホッグの言葉が引っかかった。


 ――よりにもよって大かがり火の夜にこんなとこをうろついてやがる


 ルカが光の靄にちょっかいを出し(マーカーをつけ)て気を引くのに、場所は関係ない。空き地だろうが魔術師団本部の屋上だろうが、あれにマーキングしようとしたら目をつけられたはずだ。だから場所への言及は単純なホッグの愚痴だ。

 生徒も大かがり火の点火以降は空き地と寮にしか行かない。ルカの歩ける範囲が指定されていたのは生徒の見守りだけでなく余計な場所に踏み込まないためだ。

 ホッグの言葉の裏には、この場所にルカを――人を、近づけさせるつもりがなかったことが示されている。


「ホッグはここでなにをしていたんです」

「べつに」

 ルカは目をすがめた。

「……弟子だったら教える気になりますか?」

「お前たったいま思いっきり否定しただろうが!」

 一応聞いてみただけである。



「そういえば、さっき空中にきらきらしてたものはなんですか」

「ん? ああ、あれは酒瓶だ。空中にぶん投げてこれで砕いた。あいつらが釣られたのは中身の酒で、粉々になったガラスじゃねえ」

 ホッグはこれ、と言った時に以前見せた変形する武器を腰の革袋からちらりと覗かせた。

「なるほど?」

 おそらく重りのついたチェーンでも伸ばして空中に投げ飛ばした瓶を叩き割ったのだ。魔術の力も借りているだろうが、この武器に関してのホッグの熟練度はかなりのものだとわかった。

 それにしても、あの光の靄が酒に釣られるとは意外な話である。

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