091.大かがり火の夜に~その7 冬に見る春の夢
時は少し遡って、ルカがリヒトたちとワイルドハントの先駆けを目撃していたそのころ――。
ルカが去った後のスカーレットはしばらくまた退屈していたが、同じ点火番の生徒に休憩を交代しようと言われ、立ち上がってぐっと伸びをした。周りを見るとあらかじめ班を組んでいた者たちが別の学年の者たちと寄り合って語らっており、すでに交流の輪ができていて入りづらい。魔法使いクラスの友だちも近くにはいなかった。スカーレットはずっと座っていて少し体を動かしたいのもあり、そのうち知り合いに会うかもしれないと歩きはじめた。
点火番全員に配られた熱から身を守る魔法陣を織り込んだ帯を締めているが、いつのまにかかなり火照ってしまっており、ぽかぽかする。友だちに出くわさないかと歩きはじめたのに、無意識に顔に当たる冷気を求め、小かがり火から距離を置いた。すると賑わいも明るさも急激に勢いを失い、心許ない気持ちになった。
「スカーレット」
暗がりから声をかけられ驚いて振り向くと、その人物は手にしていたランタンに魔術で火を灯し、自身の顔を照らした。今日見られるとは思っていなかった顔が見えた。
「コクトー先生」
しばらく休職したままとなっていたコクトーだった。
「おひさしぶりです」スカーレットは礼儀正しく挨拶をした。
「……敷地内は安全とはいえ、一人で暗い場所を歩くのはやめておきなさい。不良と思われるぞ」
「はい」
スカーレットは素直に返事をしながらも思わず笑った。スカーレットひとりでどんな悪いことができるというのだろう。
「コクトー先生、ずいぶん大きな絨毯ですね」
スカーレットはコクトーが地面すれすれの高さで絨毯に乗っているのに気がついて言った。
「……ああ、仕留めた魔獣を生徒の目につかないところに運んだ帰りだ。君が一人ほっつき歩いているのが上空から見えたから下りてきた」
コクトーは声が小さくてぶつぶつ独り言かのように話す。スカーレットは注意深く耳をそばだてた。
「すみません。火照ったので気持ちのいいほうに歩いてたらここまで来てしまって」
「……この極寒の夜に、贅沢な悩みだ」
「はい。もうすでに冷えかけています」
「……早く戻りなさい」
コクトーが行ってしまいそうになるのをスカーレットは慌てて引き止めた。
「あの! ……もう、その……大丈夫なんですか? 復職……されたんでしょうか」
「……いや、今日はちょっと野暮用で来ただけだ」
「そうなんですね」
スカーレットは無意識にしゅんとした顔をした。感情はそのまま顔に出る性分だ。
コクトーは無言でローブに手を突っ込むと、そこに収まっていたとは思えない大きさの、釣り鐘型の花を取り出した。持っている手の人差し指で、わからない程度に茎をひと撫ですると、薄桃色の花のなかでささやかな明かりが灯った。そのまま絨毯から進み出てスカーレットに渡してやる。途端、暖かい空気がふわりとスカーレットを包みこんだ。この花を持っている者だけが、明かりと暖かさに満たされるのだ。
「なにこれ……」
「〈冬に見る春の夢〉という魔術具だ。朝には露となって消えてしまうから、いらなくなったらそのへんに捨てなさい」
「先生が作ったんですか」
「……」
コクトーはなにも言わなかったが、スカーレットはコクトーは違うときは明言する人だと直感的にわかっていた。
「コクトー先生、魔法使いみたい」
「……いったいなんの魔法の使い手に見える」
「そうじゃなくて……なんとなく、です。どうやってこの花をローブのなかにしまってあったのかもわからないし、どうやって光ってあったかくなったのかもわからないし。ほかの人が持ってる魔術具とぜんぜん違うわ。こういう魔法の花が最初からあったみたい」
「……それは魔術使いに対する最上の褒め言葉だ」コクトーはいっさい表情を崩さず言った。
「……魔術使いは魔法使いに決して引けを取らないと思いますけど。両方見てますから、本当にそう思います」
「それはどうも」
コクトーはまた一歩踏み出した。スカーレットとの会話を隙を見ては終わらせようとする。
「コクトー先生。わたし元気です。元気になりました。ルカさまのおかげでも、リヒトのおかげでも、あのときのほかの先生や護衛さんたちのおかげでもあります。それで、コクトー先生のおかげでもあります」
やっと言えた、と思った。スカーレットはどうしてもこれは伝えなければとずっと思っていた。コクトーの判断はあのときあの条件において、間違いなく合理的で、勇敢なものだった。スカーレットはあの件の直後、自分のことでいっぱいいっぱいですぐにコクトーを思いやることができなかった。休職したと人づてに聞いて、初めて自分がかけるべき言葉をかけていないと気づいたのだ。
いっぽうコクトーは、表情を固めたまま内心たじろいでいた。こんなに真っ直ぐに、まるでイノシシのようにぶつかってくる女生徒はそうはいない。コクトーの教師経験から言うと初めてと言ってもよい。女生徒というのはもっと浅はかで、騒がしく、自分のことを無条件に下に見てくる存在であるべきだ。想定からあまり外れないでほしい。スカーレットはコクトーにとって、底の知れない、恐ろしい存在であった。
「わたしがもし、人の心を癒やす魔法を使えたら、ぜったいコクトー先生にその魔法をかけてあげるのに」
戦々恐々としているコクトーの内心など知る由もないスカーレットは、もらった花を大事そうに持ち、覗きこむようにして言葉を落とした。
「……人の心を操る魔法は禁忌魔法に該当する。発見され次第教会の厳重な管理下に置かれ生涯その魔法の行使を制限される。カリキュラムに教会の検閲が入っている魔法使いたちは三年生になってもそんなことは習わず、大人になり職を質に取られたあとで機会があれば知ることになるというだけだ。そのときには自分と同い年の禁忌魔法の使い手は、すでに何年も前に我々にも明かされぬ場所へと幽閉されていて手の出しようもない。誰もその手の話には触れたがらない」
とんでもないことをいきなり饒舌に言われ、スカーレットは二の句が告げない。ぱくぱくと口を動かしているとコクトーは畳みかけた。
「魔法使い――とくに教会本部付きの魔法使いは、見て見ぬふりと良心とのあいだで生涯葛藤することになる。美しい心は早めに穢してしまわないと、君は傷つくだけになってしまう。せいぜいずるく生きることだ。君を生き永らえさせた愚かな者どもを恨んでしまわぬうちにな」
そこまで言うとコクトーはふわりと絨毯を上昇させ、闇に紛れて飛んでいってしまった。スカーレットは唖然としたまま、しばしコクトーの消えた先を見つめた。
なんでそんなことを言うの、という思いは一瞬だった。
あれは――思いやりから来た言葉だ。魔法使いに生まれた以上、教会の管理下に置かれるのは宿命だ。それは魔術学校の先生でも変えられない。この学校で生きていけるルカやリヒトと、自分は違う。スカーレットは〈冬に見る春の夢〉をきゅっと握り、胸に当てた。美しいから穢れ、優しいから傷つく。その一見無関係なようでいて当然派生的に起こり得る結びつきを呑みこんで生きるには、スカーレットはまだ若すぎるのだった。
2023.12.31 表現の補填をしました。