086.大かがり火の夜に~その2 ダンス
「よっし! 飯だ!」
フッタールに急かされ、リヒトもジェットも食事の提供場へと走っていく。三人は肉巻きパンや串焼きを木皿に山盛りにして戻った。焦らなくとも早いもの勝ちでなくなるような量しか準備しないバルバラたちではないのだが、やはりずっと匂いを嗅がされていたので一刻も早くかぶりつきたかったのである。
「うっまー……さすがバルバラさん」
「ほかの寮の炊事番の人のも美味しいよね」
「うん」
普段はクプレッスス寮担当のバルバラの料理しか食べられないが、今日は平民寮の炊事番はごちゃまぜになっている。それならば他寮の味も試さない手はない。三人はしばらく無心で食べものを口に詰めこみ、ときどき通ぶってスパイスの種類や配合などを語り、おなかがいっぱいになったところでようやく落ち着きを取り戻した。
「ああ……俺もういいや。ダンス、いらね」
フッタールが満足そうにおなかを撫でながら言った。
「駄目だよ。最初の三曲は全員参加なんだから」
そういうジェットも、もはややる気は皆無といった顔をしている。
ダンスは一部の楽隊の生徒以外は全員参加することになっていた。三曲もやるのは点火番も交代で楽しめるようにするためだ。
「ダンスはどうでもいいけど魔術師団の見学までにはちゃんとしろよ」
リヒトがじつにリヒトらしい注意をすると、二人は「それは大丈夫」と声を揃えた。
今夜はダンスが三曲終了したときから六の鐘までのあいだ、希望者は班ごとに指定された団員について見学することになっていた。リヒトたちはもちろん希望を出しており、団員ももう決まっている。
「今日お世話になる人はちょっとおっちょこちょいだから僕たちで気をつけてないといけない」
「めっちゃ言うじゃん」
「一年生にそんなこと言わせるなんて、大丈夫なの? その人」
それはジャゴンのことである。ルカの待機任務をほっぽって、ホッグウォッグの魔術具メンテナンスに夢中になってしまった片割れだ。
割り振りが決まったあと一度まやかしの森の前で見かけたので挨拶したら、「次やらかしたら今度こそ首が飛ぶんだよ……」と真剣な顔で言っていたので大丈夫だと思いたい。
(それに今日も兄さんのマーカー付きの紐、巻いてるしね)
リヒトは手首に巻いたそれを嬉し気に指で撫でた。そして目を閉じて炎の熱に心地よくなり、距離計の設計図を頭のなかに描きはじめた。
遠くで歓声があがった。
エルダーの森から魔力に中てられ狂乱した魔獣が飛び出してきたのだ。かがり火からはまだ遠いが絨毯に乗って魔術師団が討ち取りに行き、それが見えた一部の生徒たちから声があがったのだった。
防衛の魔術具は通常はドーム状に敷地を守っており、その有効範囲の境目は明確に線引きされるものではなく、外にいくにつれ緩やかに薄まっていく。魔獣たちは普段なら効果の薄い場所にすら近づくことはないのだが、今夜は耐えうるぎりぎりのところまで攻めてくる。魔獣が有効範囲に入ると、排除までのあいだ九啼鳥の羽根が急速に燃え進むので、魔術師団はできるだけ迅速に討ち取りたい。
リヒトたちは走って見にいこうとしたが、さっきの歓声の時点でそこの討伐は終わってしまったようだった。
「えー、速いよ。魔術師団」
「ちぇー……」
「焦らなくても、もう少し夜が深まればこの近くにも出ますよ。今夜は魔獣にとっては狂乱の夜ですからね」
いつの間にか近くに来ていたエイプリルが三人を諭した。まったく気がついていなかった三人は飛び上がるほどびっくりした。
「主な見学はダンスの後と言ったでしょう。混乱のもとになるのだから、指定された小かがり火から離れすぎてはいけません」
「……はぁい」
三人はあからさまにがっかりしたが、エイプリルが怖いので大人しく従った。だがその後幸運なことに、ダンス前に一度だけ、リヒトたちからも見える場所でも討伐が行われ、三人は観戦を楽しむことができた。
――これよりダンスを始めます。
「げえ、もう?」
だらだらと話しているあいだに空は真っ暗になり、かがり火の暖かさが身に沁みるほど冷えこんできていた。
三人は慌ててそのままにしていた木皿やカップを返しにいく。戻るとすでにほかの生徒たちがかがり火を囲んで綺麗な輪を作って整列しており、リヒトたちも入れてもらった。
一曲目は適当に。二曲目はスカーレットが点火番から解放されて輪のなかに入ってきた。順番にペアが入れ替わり、リヒトとスカーレットが手をつなぐ番となった。スカーレットはそれまでにペアを組んだ男子たちから口々に点火の様子を褒められてご満悦だった。
「おい、あの木組みに彫りこまれた魔法陣に火が走ってくときなんだけどさ……」
リヒトは挨拶もねぎらいもなくいきなり点火について話しはじめた。途端にスカーレットの機嫌は悪くなった。軽やかだったステップがどすどすとした重い音に変わる。
「あれにちょっと見慣れないのがあった気がしたんだよな。あれってオクノ先生たちが一年がかりで準備してるらしいじゃないか。なにか聞いて……」
「うーるーさーいー!」
「は?」
「ダンスでしょ!? いまはダンス! みんな私のこと褒めてくれたのに! なんでいっつもそうなのよ!」
スカーレットは手をつないだままくるりと回ると、きっとリヒトを睨みつけた。
「褒めるって……なにをだ。まともにステップが踏めてえらいぞって言えばいいのか。講習会に参加したんだからある程度できるのは当たり前だろ」
「スカーレット、だめだよリヒトにそんなこと求めたら」
「そうだよ、人には向き不向きがあるんだ。リヒトには無理だよ」
リヒトを挟んだ前後から、会話を聞いていたフッタールとジェットが口々に畳みかけた。
「よく考えてみろよ。『かがり火に君の赤毛が照らされて、君こそが火の女神かと思ったよ』とか、リヒトが言ったらキモイだろ」
フッタールがどこの誰だかわからない男の口真似をする。
「そんなのリヒトじゃないよ」
「偽物ね」
「間違いないわ」
ジェットに加え二人とペアを組んでいた女子までが加勢した。リヒトは納得がいかない。むっとしたままくるりと回転する。
「だから点火の話でいいんだろ? したじゃないか。魔法陣が……」
スカーレットは足を踏み鳴らした。それでは火の女神どころか、しっぽに火がついて暴れている子イノシシである。
「魔法陣はいいの! 今度話す! いまはダンス!」
なんだかよくわからないままスカーレットは機嫌を損ね、なんだかよくわからないまま勝手に報告を今度にしてしまった。ペアが交代になり、先ほど加勢してきた女子生徒に替わる。
「いじわるね」
「なにが」
「……」
女子はしばらくは普通にステップを踏んでいたが、何度か間違えてリヒトのむこうずねを蹴った。
「お前、ちゃんとやれよ!」
ブーツの先で蹴られるとけっこう痛いので、ついきつめの言葉が出る。女子を見ると、まったく悪びれる様子もなく、とても炎に照らされているとは思えないほど冷やかな目でリヒトを見ていた。
「リヒトくん、ダンスをしてるときは、女の子の素敵なところをひとつは見つけ出して褒めるべきよ。私の場合はこの軽やかな足捌きとかね」
「ええ……」
あまりにも堂々と女子は言い放った。どう考えても理不尽極まりないはずなのに、両側でフッタールとジェットがこらえきれないといった感じで噴き出し、そのあいだにペアが交代となって女子とのやりとりは有耶無耶に終わった。
※スカーレットは周りが年上ばかりのせいか、ちょっとおませさんかもしれないですね。
※2023.11.07 誤字等修正をしました。




