084.リヒトと〈恩恵〉実験 その2(2/2)
リヒトはいま書ける部分を書いてしまうと、ペンを置き、お茶を一口すすった。
「そういえばさ、さっきプルメリアがいってた小夜啼鳥って、治癒魔法が使える魔鳥なんだ」
「へえ」
ルカが名前を聞きつつ全然知らないという顔をしていたのを、リヒトは思い出したのだ。
小夜啼鳥は存在こそ確認されているもののめったに発見されない鳥だ。エルダーの森で怪我をして休んでいた者の近くの枝に留まり、美しい声で囀るのを聴いていたところいつのまにか怪我が治っていた――という逸話がある。その歌声は癒しの囀りと呼ばれていて、鳩ほどの大きさで地味な褐色の羽根に覆われているが、つややかな長い尾羽根を垂らし優美な曲線を描いて枝に留まる姿は詩人によってドレスの裾をなびかせる貴婦人に喩えられた。
「治癒魔法が使えるということは、スカーレットのことが羨ましかったプルメリアが狙うのにもってこいの魔鳥だったというわけだな」
「うん。でもさすがに見通しが甘かったと思うなぁ」リヒトは座面に手をついて楽しげに反り返った。「めったに見つからないのは本当だから。一応門の向こうにも生息してるみたいだけど、捕獲したとか誰かが飼ってるって話は聞かないね。あとで調べないと厳密にはわからないけど、〈魔獣使い〉が使役できたことはいままでないんじゃないかな。そんな前例があれば僕が読んだ文献にも記載があったはずだ」
「なるほど」
「だから兄さんがもし見かけたら、僕にも教えてほしいけど……プルメリアの希望はまあ、夢みたいなものだよ」
リヒトはルカがプルメリアのために無理をしないようにあえて言った。しかしそれは逆に作用した。
ルカはそれまで「もし見かけたらでいいか」と思っていた。だが、リヒトが「僕にも教えてほしい」と言ったのである。当然優先順位は上がる。リヒトが見たいというのである。プルメリアのお願いの比ではなかった。
「わかった」
任せてくれ、を省略し、ルカは良い笑顔で頷いた。
その後は時折ルカの袖の距離計を確認しつつ、軽重の限界値の実験をした。こちらはサンダーが〈気まぐれ分銅〉という、重さを自在に変えられる魔術具を入れてくれたため比較的すぐに終わった。重みを増していく際に机がみしりと嫌な音を立てたので、慌ててリセットし、その調査だけ外に出て地面で行ったのは兄弟の秘密である。リヒトがその結果を報告書にまとめ、お茶を淹れ直してまた体が温まってきたときだった。
「あれ」
ルカが反応を示すと、リヒトは少し椅子から浮き上がった。
「え? もしかして、外れたの?」
「ああ」
リヒトは結果が出たのが想定よりも早過ぎることに驚いていた。
ルカが九啼鳥を狩ったとき、ホッグの森小屋のそばにマーカーをつけていた。それが九啼鳥の生息域まで外れなかったことと伝書鳥の平均速度を考えると、まだ十分余裕があると思っていたのだ。それどころか今日じゅうに結果が出るかもわからず、もし報告書の期限までに結果が出なくともそのこと自体を報告すればいい――それくらいの腹づもりだった。
二人は急いで袖口の距離計を確かめた。ところが距離が表示されるはずの琥珀は、美しい飴色をたたえるばかりでなにも示してはいなかった。
「おかしいな……」
リヒトがルカの袖口から距離計を外し検める。「反応してない」
「壊れてしまったのか」ルカもわけがわからず首をかしげた。
「いや、距離計が壊れただけなら兄さんのマーカーが外れたことの説明がつかない」
たしかにリヒトの言うとおり、ルカのマーカーはただ伝書鳥につけただけであり、距離計の機能とは関係がないはずである。
リヒトは報告書とは別に急遽伝書鳥を飛ばしてサンダーに現状を報告した。あまり待つことなく返信は返ってきた。
――事態は把握した。伝書鳥が破損し、ルカのマーカーがつき得る重さの最小値を下回ったと考えるのが自然だろう。燃えるなどして消失した可能性もある。荒れ地の向こうにも魔獣は跋扈しているのだ。火竜あたりが目障りに思うところを飛んでしまったのかもしれない。
「ええ! じゃあ門の向こうでやったほうがよかったじゃん!」リヒトがもっともな不平を言った。だがそれが無理なのは本日の実験を立案した本人が一番よくわかっていた。
門を越えるとマーカーが外れてしまうというのは、リヒトは口にこそ出さなかったがはじめから想定していたのだ。王都で実験を始めてしまうと、伝書鳥の待ち時間が一日以上に亘った場合、魔術学校の大かがり火に間に合わなくなる。そしておそらくサンダーも、門を越えられないことをわかっていたに違いない。だから門のこちら側で結果がでるならそのほうがよかったのだ。
「距離に関してはいずれ、王都側で宿でも取って、時間に余裕を持って試すしかないだろうな」
ルカがそう言うと、リヒトはしょんぼりと眉尻を下げて頷いた。やっと具体的な数値を知れると思っていたのでがっかりするのもしかたがない。でも、不測の事態というのは不測だからこそ起こるものなのだ。火竜(かどうかはわからないが)の気まぐれなど、知れたことではないのだ。
「そういえば距離計を片方失くしてしまったが」
二人は気になってそれも伝書鳥で聞いてみた。すると
――片方は残っているのだからもう片方を作って返せ。材料はこちらで用意してやる。期限は冬休み中だ。報告書の期限は三日以内だ。
と返ってきた。リヒトはまたひとつ冬休みにやることが増えてしまった。
ルカの横でしかめっ面もあらわに「だから三日……」と唸っている。唸ってはいるものの、ルカにはその声がどこか嬉しそうに聞こえたのだった。
※次回、怖くて楽しい、楽しくて怖い、大かがり火の夜の幕開けです。
※2023.11.07 衍字等の修正をしました。




