081.飛羊見学(3/4)
「それで、さっき断られたとか言ってたけど、ここの飛羊で一回でも魔力を返してくれたやつはいるのか?」
「まだ誰も」プルメリアは飛羊がまるで人間かのように言った。
「ふうん……『最初の段階で無視』ってやつか。それにしても、魔獣を使役するっていうんだから、もっとこう、契約を結んだあとは操れる感じだなんだと思ってたな」リヒトは本で仕入れていたと思われる知識とプルメリアから聞き出した感覚との乖離に関心を向けた。
「契約を交わしたあとは、こっちが魔力を送ると考えていることがわかるみたいに私の気持ちに敏感になってくれるのは確かね。お願いは、体感ではけっこう……八割……くらいは聞いてくれたけど、月を指差して『あれを取ってきて』って言ったときは『なに言ってんの』みたいな魔力が返ってきたわ」
プルメリアは先ほど言葉がわかるわけではないと言ったが、ルカやリヒトからすればそれはもはや話しているのと同義であった。
「市で買った魔獣はどうしたんだい?」ルカは学生寮でペットが飼えるのか疑問だったので聞いてみた。
「実家で飼っています。パパとママと仲良くしてって頼んだから最初から懐いていて、すごく可愛いみたいですよ」
「それはいいな」
自分だけでなく魔獣と他の者との仲介ができるのはかなり便利である。ペットに限らず、たとえば狩りに協力してくれるような魔獣がいたら、これまでにない新しい狩猟方法を考えられてきっと楽しいだろう。ルカが鋼羆にまたがって大きな獲物を次々と倒していく想像をめぐらせているあいだに、リヒトは質問を重ねた。
「ヒュドラがいまここにいたら、魔力を送ってみようと思うか?」
「触らせてくれると思う? それに返してくれた魔力だけで私死んじゃいそう」
「ははは」
「笑いごとじゃないのよ!」
「そうすると強い魔獣を従えるのは相当たいへんなんじゃないか」
「だから数にものを言わせるしかないじゃない。とにかくたくさん試すしか。私と契約を結んでやってもいいって子に出会うまで、種類も、個体数も、回数もね。……強い魔獣を従えた魔獣使いに共通点がないの。あるのかもしれないけど見つかってない。パパの伝手で会わせてもらったこともあるけど、その人は運って言い切ってた。結局は相性だから、二人の魔獣使いが同じ子に魔力を送っても、一人は受け入れてもらえて一人は拒絶、なんてことも普通にあるの」
「なるほどな」
「だから強い魔獣、希少な魔獣にたくさん会って、会うだけじゃなくて、触らせてもらえる状況を確保しなくちゃいけないの」
「……」
「だからルカさま、私……」
「おいやめろ。兄さんにねだるな」
リヒトは遮ったが、鋼羆との狩りから戻ってきていたルカは続きを聞いてやってもいいかなという気でいた。プルメリアにまったくチャンスがないのはいささか可哀想に思えたのだ。
「……そういえば、プルメリアが狙っていた魔鳥というのはどういった名前なんだ?」
ルカが質問すると、プルメリアの顔が輝いた。
「兄さん?!」
「聞くだけだよ。協力するなんて約束はできない。それに君はいま、やってしまったことの報いを受けている最中だ。まずは指示されている奉仕活動に従事しなくてはならない」
「もちろんです!」プルメリアはぐっと拳を握って身を乗り出した。「私が会えたらいいなって思っていたのは、小夜啼鳥です」
(うん、知らない)
ルカは当然の如く思った。もしかしたら<エルダーの森観察録>のまだ読んでいない巻に載っているかもしれないが、現時点での知識は皆無である。
「私はエルダーの森の狩猟番だし、魔獣の分布図も見られる。分布図にその名があった覚えはないが……もし見かけたらその情報を教えてやることくらいはできるだろう。見つけられたとしても無茶をしないで、魔法使いの先生やガジュラ先生に相談するんだ」
ルカがガジュラに目を遣ると、ガジュラは目を閉じて同意を示した。
「はい、ありがとうございます!」
リヒトは若干おもしろくなかったが、小夜啼鳥が見つかればそれはヒュドラほどではないにしろ、大きな話題になることは間違いない。十分稀少な魔鳥であり、プルメリアが契約できた場合の利益はかなり大きなものになる。
(いや、利益なんかなくても、普通に見たい)
リヒトは自身の好奇心もあり口を挟むのをやめ、さらに飛羊のことを聞くことにした。
「飛羊の世話って言っても何をするんだ。自然のなかでほっとくのが一番なんだろ?」
「そうだけど。もともとの生息地ではないからね。魔術具で水場を綺麗にしたり、今の時季は冬草しかないから、干し草でごはんを補填したりね。好き嫌いはあるけど、時々カランを食べる子もいるのよ」
「へえ」
プルメリアによると、干し草もカランも手ずから与えて食べてくれることはなく、岩場に撒いていったん帰ると次に来たときには消えているといった感じだそうだ。
リヒトがプルメリアの話を聞きながら、ガジュラに倣って触らせてもらう。
群れの飛羊はみんな耳付近か首の上部の毛に、色糸で作られた飾りがつけられていた。
「この飾りは? ウルハイ族の飾りですか?」
鏡のついた特徴的なものではなかったため、リヒトがガジュラに尋ねた。
「いや、それはプルメリアが作った」
「え」
「色糸やリボンで飾りを作るのが好きなの。いまリヒトくんが撫でてる水色の飾りの子がトレホ。ピンクがドナ。クリーム色はクピド……」
プルメリアが少し離れたところにいる個体を指差しながら説明していく。彼らの飾りは色糸とリボンでモチーフを作ったもので一つとして同じものはない。ちなみにいたずら坊主コメットは鮮やかな青だ。
「収穫祭のときに買っていた色糸で作ったのかい?」
「ええ。あれは足りなくなったぶんを買い足しただけなんですけど」
器用なものであるとルカは感嘆の息をついた。
「……ほっとくのが一番だっていうことなのに、大丈夫なんですか?」
プルメリアが生来の奔放さを遺憾なく発揮していたのを知り、リヒトは胡乱げにガジュラを見た。
「まあ、怒っていたら態度でわかるから、大丈夫なんじゃないか?」
ガジュラは意外とその奔放さを受け入れているようだ。
「それにガジュラ先生はともかく、エーデルリンク先生ってば、どれがどの子か区別できないって言うんだもん。飾りをつければ見分けられるでしょ」
ガジュラは澄ました顔をしている。上司への批判には反応しないことが一番だ。
「ガジュラ先生は見分けられるんですか」
「魔術学校に来て以来、三十年以上世話をしているからある程度はな。それに群れにも個体にも識別記号はつけている。管理台帳に特徴とともに記してあるから、ほかの先生方も調べようと思えばできる」
「記号なんて可哀想だわ」
ガジュラがせっかく婉曲にエーデルリンクをフォローしたのにプルメリアはばっさりと切り捨ててしまった。
「おい待て。お前全部に名前つけたのか? つまり、この小さな群れだけじゃなくて……」
「当たり前でしょ。平等にみんなにつけたわ。飾りも作り貯めておいて全部同じ日につけたわよ」
プルメリアはなんて失礼なことを言うのだと言わんばかりに眉をひそめた。
「……ほかの群れは人に馴れていないんじゃなかったのか」
「あだっ! ちょっとコメット! またあなたなの!」
プルメリアはリヒトの唖然とした問いかけが聞こえなかったようで、体当たりして逃げていくコメットを怒って追いかけていった。
「プルメリアは台帳を見ずともひと目で彼らを見分けることができた」ガジュラがつぶやいた。
「え」
ルカたちにもわずかな違いは意識して見れば捉えることができるが、すべての個体をひと目で識別しろと言われたら無茶を言うなと思ってしまう。
「今日は非番だが、ほかにも何年も世話を手伝ってくれている者がいる。彼らも老いた個体と若い個体、あとは余程特徴的なものはわかる。だが二百頭以上いるこの群れのすべてを見分けることはできない。それにまず、この群れ以外の個体には触らせてもらえていない」
「プルメリアは自分の……なんていうか、特異性に気づいていないんですか」
「〈魔獣使い〉とは、そういうものなのかもしれん」
離れた場所で、眉を吊り上げたプルメリアがコメットを真剣に諭している。コメットはとぼけた顔で干し草を咀嚼しており、わざと聞いていないふりをしているようにも見える。ルカたちは顔も服もどろどろにしたプルメリアが、天職を得たのだと思った。
2023.12.31 誤字修正