080.飛羊見学(2/4)
「飛羊はこの荒れ地で比較的自由に放牧させている。十頭から二十頭程度で群れる性質があり、いまは十六の小さな群れに分かれている。その中でこいつらが一番人に馴れているのだ。ほかの群れのは、初めて見る人間には警戒心が強くてな」
ガジュラが説明するあいだにプルメリアが近づいてきていた。
「ごきげんよう」
「よう」
「やあ」
「なんかお前汚くないか」リヒトが挨拶もそこそこに、プルメリアをひと目見て遠慮なく言った。
「失礼ね! 普通思ってても言わないでしょ!」
プルメリアは怒って言い返したが、リヒトの指摘の通り土に塗れていた。気になったのは、飛羊が綺麗だったからである。
「野生動物なんか、普通もっと土埃にまみれているものだけどな」ルカは飛羊をしげしげと見て独り言ちた。
「それが飛羊が大いなる自然の中で神々しく見える理由のひとつだろう。彼らの毛はそういった汚れを寄せつけぬのだ」ガジュラが我がことのように胸を張り、兄弟は飛羊に改めて感心した。
「じゃあそんな綺麗な飛羊の世話でなんでお前はそんなに汚れてるんだよ」
「だから失れ……あだっ!」
プルメリアが後ろから誰かに体当たりされたかのように体勢を崩した。いや、正しく体当たりされたのだ。彼女の真後ろで、一頭の飛羊が楽しげに足踏みをしていた。角の生えていない、若い個体だ。
「あだっ! ちょっ……! やめなさい! こら!」
ルカたちが驚いているあいだにも追撃が来る。その飛羊は前足を器用に使い、プルメリアの腿の裏あたりを小突いた。プルメリアは体勢を立て直す前に攻撃され、べしゃりと地面に倒れこんだ。
「顔面からだ……」
「痛そうだな」
プルメリアがむくりと起き上がって飛羊に怒鳴った。
「やめなさいって言ってるでしょ! コメット!」
怒鳴られた飛羊はいたずらが成功した子どものように跳ねながらプルメリアから離れていった。目の前で繰り広げられた光景に、ルカもリヒトも目を丸くした。飛羊とは、たいへん感情豊かな動物なのだ。
「コメットっていうのは?」
「いまのいたずら坊主の名前だ」
怒って顔を赤くしながらスカートの土を払っているプルメリアの代わりにガジュラが答えた。
「プルメリアのことを出来の悪い妹とでも思っているのだろう」
リヒトが思わず噴き出し、プルメリアが睨む。
「〈魔獣使い〉としてなにかやらないのか」
リヒトが自らに向けられた睥睨をまったく意に介さず尋ねると、プルメリアは不機嫌顔のまま答えた。
「試してはいるんだけどね。一番馴れてるこの群れの子たちにすらもお断りされちゃってて」
「〈魔獣使い〉は魔獣と話せるのかい?」ルカが横から疑問をぶつけると、プルメリアが気を取り直してにっこりした。
「いいえ、彼らの言葉がわかるわけじゃないんです。知性がまったくないような魔獣もいますし」
「なるほど」
「ただ、普通の牛や馬に人間の言うことを聞かせるのは限界がありますよね。走れ、とか徐行、くらいは聞いてくれますけど、……たぶん『黄色い花を見つけたら咥えてきて』とかはなかなか難しいんじゃないかしら」
「そうだな」
「でも魔獣との魔力のやりとりで、〈魔獣使い〉はそのレベルの命令……というかお願いをすることができるんです」
「それはすごいな」
ルカが感心して褒めるとプルメリアは嬉しそうに口角を上げた。
「まあ、最終的にはその魔獣特有の『魔法を使って』を聞いてもらうのが目標なんですけどね」
ルカがうんうんと頷いていると興が乗ったプルメリアは〈魔獣使い〉のアプローチについて話しはじめた。
「はじめは私が体に触らせてもらって、魔法をこめた魔力を出します。そのときになんていうか……うまく言えないんですけど、返してくれるんです。触れている手から伝わってくるんです」
魔法使いは感覚で魔法を使うので、その感覚を他人に説明するのが難しい。プルメリアは困り顔で、空中を掻きむしるように指を動かしている。
「返すって、魔力を?」
「はい。私が送った私の魔力をはね返すんじゃなくて、その魔獣の魔力を返してくれます。手紙のお返事みたいに。あったかい感じがすると、また魔力を送ります。お返事がさっきより冷たい感じがしたり、同じくらいなら、日をまたいだほうがいいです。同じ〈魔獣使い〉の先輩に聞いたんですけど、野生の魔獣でも一度あったかい魔力を返してくれた子はその〈魔獣使い〉を覚えるらしくって、離れても向こうの気が向いたときに会いに来てくれるんですって。だから野生の子でもチャンスがあります。何度か送り合ってだんだんあったかさが増してくると、魔獣側から『私に従う』っていう魔力が……いえ、ちょっと正確じゃなかったです。私の感覚になっちゃいますけど、『お願いがあるなら協力してやってもいいぞ』って感じの、特別な魔力が送られてきます。それが来たら私はすかさず魔力を送り返して、その特別な魔力と混ぜるんです。それを〈魔獣使い〉は“契約”と呼んでるんです。最初の段階で無視されちゃうこともあるし、すごく冷たい魔力が返ってくることもあって、そのときはもう完全に無理。嫌われちゃったって感じ」
「へえ」
どうやら主導権は魔獣側にあるようだ。
「その“契約”のときの魔力は、お前ならぜったいに気づくのか?」
「ええ、あれは特別な感覚なの。ほかの人には説明しづらいけど……気づかないなんてありえないわ」
先輩から聞いたことだけでなく経験として知っているような口ぶりだったため聞いてみると、プルメリアは市で売っていた観賞用の無害な小型魔獣で何度も試し、すでに契約したことがあると教えてくれた。ジェットをそそのかして行った伝書鳥改良といい、こつこつと努力することを厭わない性分なのは間違いない。
※2023.10.08 誤字修正をしました。