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077.冬休みの説明会

 防衛の魔術具は後日リヒトと一緒に見に来るから今日はいいと言って、帰りは団員にクプレッスス寮まで送ってもらった。

 サンダーとの話し合いは実に刺激的なもので、ルカは心配顔で待っていたリヒトになにを話したか詳細に教えた。


「そんなにいろんな魔術具が飾られていたの?」

「ああ、でもとりわけ目を奪われたのは地図だったな。あんなに美しく描かれたものを私は見たことがない」

「へえ」

 リヒトは目を輝かせた。

「紙を枡に区切って、座標……? という位置表現をしていることを教えてもらった。こういうのはきっとリヒトが得意だろうと言っていたよ」

「うん、うん」リヒトは楽しそうに頷いたかと思うとぴたりと動きを止めた。「……あれ? ねえ、兄さんが見たのって、魔術学校の地図だったの?」

「ああ。魔術学校の敷地内のものだったよ」

 壁にかけられていた地図は校内が木の茂みを通る小道まで詳細に描かれたものだった。縮尺もおそらく正確で、国で出回っているいい加減な地図とは比べものにならない。

「……原点はどこだった?」

「原点……? ああ、基準の点だよな。あれ? たしかに説明を受けたときに基準にした点があったのだが……すまない。ちょっと覚えていないな」

「そっか……。それにしても、いいなぁ。僕は当分入れてもらえないだろうな。卒業して、魔術師団に入って、出世して……何年かかるんだろう」

 リヒトは大仰に溜息をついた。さすがに魔術師団長の執務室にもなると、軽々しく訪ねるわけにはいかないと考えたのだろう。


「時間さえ合えば、また入れてくれそうだけどな」

「そりゃあ、兄さんはね」リヒトは拗ねて口を尖らせた。

「いやでも……ちょっとヴォルフに似てたし」

「……ど……どこが?」

 めずらしくリヒトがわかりやすく狼狽した。筋骨隆々で髭がみっしりと生えたヴォルフと、魔術師団という筋肉軍団の頂点でありながら自身は体格は良いもののそれほど筋肉が目立つわけではないサンダーとでは、共通点が見い出せなかったのだ。

「年齢だけは近そうだけど……」

「うーん、なんだろう。……恐いときは恐いのに、打ち解けるのは早いというか、優しいと思う」

「えー……」

 全然納得のいかないリヒトは目が半開きになる。それを見てルカは思わず笑ってしまった。

「まあ、そのうちわかるだろう」



   *



「……の納品は九割がた終わっているので、各担任の先生方には生徒たちへの配布と、必ず控えにサインをもらうようお願いしたい」

 ガジュラの言葉でルカは回想から引き戻された。



 冬休みは冬至の十日前から、灯芯祭の五日後までのおよそふた月だ。

 暦では冬至を一年の区切りとしている。その晩は大かがり火を焚き、一年で最も闇深い夜を炎の力で乗り切るのが国中で催される季節行事になっていて、魔術学校もその例外ではなかった。例外どころか、ガジュラの口振りによるとかなり重要な位置づけにあるようだった。


 大かがり火はエルダーの森と学校のあいだの空き地で焚く。

 毎年魔術師団が中心となって準備をしているが、せっかくの機会なので、ここでの冬至の過ごしかたを生徒たちにもよく見てもらうことになっている。

 魔術学校では、エルダーの森の魔力の影響で冬至の夜に「死の行軍(ワイルドハント)」と呼ばれる大風が吹く。その夜はエルダーの森には入れない。全面的に立ち入り禁止なのだ。当然森番も森から引き揚げて学校内で過ごすことになるので反射的にホッグを見ると、彼は青い顔で雰囲気だけ小さくなっていた。


「冬至の晩だけなのですか」

 ガジュラによく見えるようホッグの巨体の陰からぴょこりと顔を出しルカは声を張り上げた。


「そうだ。もちろんこれからの季節は一段と増して寒くなる。身を芯から凍らせるような風も何日も吹く。だがワイルドハントは、その夜だけだ」


「幸いにして防衛の魔術具の燃料は潤沢だ。今年はワイルドハントの襲撃も軽くいなせるだろう」

 ガジュラの答えに補足するように、サンダーがみなに視線を配りながら言った。


「襲撃?」

 まるで大風に意思があるかのようなもの言いである。


「ワイルドハントというのは……説明が難しいな。見せれば一発なのだが」

 わけのわかっていないルカを見てガジュラは困った顔をした。ルカは、この集まりの説明会の部分は自分のために設定されているのだとわかった。他の者の時間も取っているわけで気まずい思いがしたが、知っておかなければならないから参集されたわけで、致し方ないものである。


「風は風なのだが、エルダーの森の大いなる魔力が可視化されるような現象なんだ。なんの守りもなく外にいれば、魂を持っていかれる」ガジュラが続けた。

「え」

「それに魔獣たちもその魔力に触発され、普段より凶暴性が増してしまうのだ。防衛の魔術具がなければ、か弱い人間の血肉を求めて襲ってくるだろう。当然九啼鳥の羽根も普段より多く焚かねばならぬ。例年であれば消費を少しでも抑えるために魔術師団が魔獣の襲撃を個別に対処する必要もあるのだが、今年は羽根に余裕があるため、力を温存しターゲットを絞った対応ができるだろう」

 会に出席していた者たちから称賛の目がルカに集まったので、ルカは目尻を朱に染めてホッグの陰に引っ込んだ。


(そんなに重要なものだとはじめからわかっていたら、クッションにしたいなどとぜったい言わなかったのに……)


「大風と魔獣、どちらの襲撃にせよ、我が魔術学校の敷地内であれば安全だ。幾重にも張った守りの魔法陣にはワイルドハント襲撃に備えたものもあるのだ」

 ガジュラは誇らしげに言った。それは研究者が時に自らの命と引き換えに何代にもわたって仮説と検証を繰り返し、ワイルドハントに効果がある魔術を見つけ出した労苦の結実だ。守りの魔法陣こそ、魔術学校、魔術師団の英知の結晶なのだ。

「だが奴らは懲りずに毎年攻撃してくる」最後にサンダーが何度お手を教えても覚えない犬をぼやくような口調でつけ加えた。



 ルカへの説明がひと段落したところで、大かがり火の日の詳細な予定に話題が移った。

 今日の昼過ぎ、このあとすぐから大かがり火の木を準備し始める。数日で組み上げて当日の日の入り直前に点火することになっている。それは魔術師団の筋骨隆々の男たちの仕事だ。力仕事は魔術具で行うはずなので、その筋肉が活かされる場面があるのかはルカには不明である。これには手伝いを希望する者は生徒でも参加できることになった。


 またラベンダー色のローブを着た女性教師から、上級生たちが大かがり火を囲んでダンスをしたがっていると報告が上がった。音楽に合わせ男女がペアを順番に替えながら簡単なステップを踊るもので、音楽隊も自分たちで有志を募るし、事前にダンスの講習会もやるという。


「どうでしょうか? 空き地でのことですし、目が行き届かないこともないでしょう」

 女性教師の口調からは、生徒たちの学びも大切だが楽しみも大切だという思いが感じられた。

「いいんじゃないか? 毎年厳かでもないし」

「どうせ酒や肴も供されるだろう」

 男性教師たちが賛成した。どうやら大かがり火の夜は、一部の者にとっては宴会になるようだ。

「生徒たちの前での飲酒は許しませんよ」

 エイプリルがぴしりと言う。横でエーデルリンクが眉尻を下げた。

「成人した三年生以上はちょくちょく飲んでるだろう」

 男性教師はエイプリルが怖いらしく、小さな声でこっそり言い返した。

 ガジュラがエイプリル、男性教師、エーデルリンクの三方を見たあと面倒くさそうにとりなす。「生徒たちが見学するのはせいぜい六の鐘が鳴るくらいまでだ。夜通しではない」

「そ、そうでしょう? ガジュラ先生!」

 勢いづく男性教師にエイプリルは額を押さえた。そして諦めたように「……夜通しは危険すぎますしね」と同意した。

「各人、自分の酒量はわかっているだろう。気つけ程度にしておけよ。働かん奴はワイルドハントにくれてやるからな」

 ガジュラが鋭い視線で釘を刺した。男性陣はエーデルリンク含め、姿勢を正して肯いた。これで生徒たちが寮に引っ込んだあとは酒が供されることが決まった。


 ルカは大丈夫なのかなとこっそりナッツに聞いてみた。

「んー……まあ、魔術師団は飲まないでしょうから心配ないでしょう。男性教師陣(あのかたがた)は毎年飲んでいますけど、きちんと仕事はされています。それより本当に夜通しの長丁場ですから、ルカさんもほどよく気を抜けるところは抜いていたほうがいいですよ」

「そうなんですか」

「ワイルドハントは日没から徐々にやってきて、夜明け直前がその活動のピークになります」

「やって、くる……」

「ええ、本当に空を駆ける行軍みたいに見えるんですよ」

 ナッツがそう言うとホッグの巨体がびくっと跳ねた。

「当日のお楽しみにしておくのもいいかもしれませんね」

 ナッツはそう言うとにっこりと笑った。



 その後は冬至の日以外の冬休み期間について、事前に生徒から要望を募った活動の是非を詰めていった。勉強会については生徒の自主性に任せること、各部活動の継続、学校に残る研究者による特別講習の開催、冬の手仕事斡旋など、生徒たちの冬休みはなかなかに充実しそうな気配であった。

※ナッツはルカへの説明要員として、エーデルリンクの指示で配席されています。

※ルカたちの世界の成人は十五歳でそこから飲酒も許されていますが(法律ではなく慣例)、現代日本ではお酒は二十歳になってからです(法律)。


※2023.11.07 誤字修正をしました。

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