076.魔術師団長サンダーによる聴取(3/3)
「あの、それで、狩った九啼鳥は私がはぐれを作り出して仕留めたあとさらに下流に運んだものなので、分布図を変更する必要はありません」
気にしていたことを改めて言うと、サンダーは意味ありげに口端を上げた。
「そうだな。なにも問題はない」
「はい」
ルカが安堵して応えるとサンダーはまた立ち上り、今度は木の皿を底にしたガラスドームを持ってきて机に置いた。中には一本の茎の天辺に何輪か、赤紫の繊細な花を放射状につけた植物が入っていた。花の外に大きく突き出た雄しべがまつ毛のように美しい曲線を描いて上向きに何本も伸びている。
「これがコロサレソウの標本だ。魔術によって保存してある」
滅多にお目に掛かれないと言っていたのに、なんとサンダーは標本を持っていた。ルカが興味深く覗き込むと、木皿にも魔法陣が刻まれているのがわかった。見せてくれてありがたいが、なぜこのタイミングで持ってきたのかとルカは不思議に思った。
「川べりで、九啼鳥がコロサレソウを好んで食べるということは話したな」
「ええ」
「長年の調査により、おそらくエルダーの森奥地にコロサレソウの群生地があると考えられている。我々が足を踏み入れられる範囲のぎりぎりで時折生えているのが見られるのは、そこから種が飛んできているのだろう。そしてコロサレソウを常食できる範囲から九啼鳥が大きく離れるとは考えにくいのだ。だから九啼鳥の生息範囲の見極めは、コロサレソウの分布調査と重ねて行われる。そしてコロサレソウは最新の調査でもあんな下流では確認されていない。つまり、我々は初めからお前がなにか特別な力を使って九啼鳥を運んだのだと推測していた。こういう実地で得られる細かい知識は本に載らないことも多い。当然お前の優秀な弟が知る術もなかったろうな」
ルカは驚いてサンダーを見つめた。学校に危険が及ぶと心配させてしまっては事だと思って大人しく聴き取りについてきたのに、その理由自体がはったりだったというわけだ。ひどい。
「……私の心証を悪くしないという魔術学校の意見を軽んじないのではなかったのですか」
「おや、心証が悪くなったのか?」
くい、と眉を上げたサンダーに問われ、ルカは自分の心の裡を探ってみた。残念ながら、悪くなってはいなかった。してやられたという思いはある。でもサンダーは巧い。べつにいま騙されたからといって、ルカがなにか不利益を被ることはないからだ。指輪の誓言までして自身もリスクを負い、最後に種明かしまでする。遊ばれたとか、からかわれたという感覚に近い。ルカはしばし口を尖らせていたが、やがてふっと笑ってしまった。
「ひどいですね。エーデルリンク先生もあなたのはったりに気づいていたんでしょう?」
「ああ」サンダーもにやりと笑った。
「あんなにしれっとした顔をして」
「エーデルリンク校長はそういう人だ」
ひどい先生である。
「だが、魔術師団としてどうしてもお前の〈恩恵〉を把握しておきたかったのは本当だ」
サンダーは表情を改めて言い、ルカも頷いた。
その後は実に和やかな雰囲気となり、ルカは本と標本を使って〈相互移動〉をして見せた。サンダーは一切驚いていないような顔をしていたが、リヒトと同様マーカーは目を凝らしても見えないと悔しそうだった。
またサンダーは壁にかけられている資料としての魔術具や、美麗に着色された魔術学校の地図を見せてくれた。室内を緩やかな速度で歩きつつ、ポルカ村にいたころの暮らしぶりからヒュドラを倒したときの真相まで、サンダーは世間話のように話を振り、ルカも自然に話していた。ヒュドラの話を聞いたあと、サンダーはルカに不思議な色の視線を投げて寄越した。興味深いような、少し疑っているような感情が乗っている。
「九啼鳥の話で確認させてほしいところがある。なぜ光の楔を避けたとき、マーカーを矢全体につけたんだ。矢尻でなく。ヒュドラのときに矢尻につけたほうが確実に刺さると知っていたのに」
ルカはサンダーがなぜそこを気にしたのかわからなかったが、とりあえず正直に答えようとした。
「今回は矢よりも即席槍のほうが長大だったので、矢全体にマーカーをつけたとしても〈相互移動〉後に即席槍は九啼鳥に刺さります。それよりもなんというか、本当になんとなく、矢尻でなく矢につけたほうが安全だと考え……」サンダーの視線に急に鋭さが宿ったのがわかった。ルカは正確に言わなければと思い訂正した。「……いえ、考えもしませんでした。そのようになったとしか言えません。意識的に行動した部分ではないのです。結果として矢尻にもしつけていたら、私は矢柄の部分が私の体に刺さった状態になったと思います。体の中心に届く深さで。体のどこに刺さったとしても、厳しいでしょうね。頭でも、腹でも、胸でも」
サンダーは唸った。
「私がお前なら、恐らく即席槍をより九啼鳥に深く刺してやろうと矢尻につけたと思う。そしてなにも考えず矢尻と自分を〈相互移動〉して、お前の言う通り深手を負って死んだだろう」
「……そうですか?」
そんなわけないだろう、という目でルカは言った。そんなわけあるのだ、とサンダーは思った。
「お前はいまや身体感覚に近いレベルで〈相互移動〉を使いこなしている。今回の九啼鳥ハントにおけるお前の千金に値する働きは、マーカーの激しいつけ替えではない。勘で……」サンダーはここで一度声を詰まらせ、息を整えた。「勘で矢尻でなく矢につけたことだ」
「はあ……」
まったくよくわかっていない顔でルカが応えた。
「狩人の本能とも呼ぶべきものがあるのなら、お前の発揮したものはまさにそれなのだろう」
サンダーは逡巡した。
この男は実は頻繁に、危うく命を落としかけながら生きているのではないだろうか。そしてそれにもかかわらず確実に、自分の実力を使って生き延びている。ほかの選択肢がすべて死に至るもののなかで、生存する唯一にして最善の一手を打てるのだ。それも直感で。
リヒトは神童だ天才だと、魔術学校で教鞭を取っている者たちのなかで早いうちから話題となっていた。だが兄であるルカの、霊感と呼んでもいいほどの身体感覚のほうが、サンダーには脅威に思えるのだった。
「もう少し詳しくお前の〈恩恵〉を調べたいが……こうなるとあの男が休職中なのが痛い」
ルカは続きを待ったが、サンダーは大した話でもなかったのか話題を変えてしまった。
「かなり暗くなってしまったな。まったく、日の落ちるのが早くなった」
サンダーは壁を向いてフックに引っ掛けられているゴーグルを見て言った。レンズの内側には高い視点から見た黒い森が映っている。団員の誰かが屋上で、遠見レンズを使ってエルダーの森を監視しているのだ。標本も保管されているこの部屋には窓がないため、こうやって外の様子を確認するのが常套手段となっているのだった。
「最後に頼みがあるのだが、九啼鳥の羽根を一部着服させてほしい」
「え」
ルカは耳を疑った。あれだけ魔術学校と王都にとって大切な素材だとルカを説得したくせに、とんでもないことを言う。
ルカに不審の目を向けられたサンダーは眉根を寄せると「誤解するな」と低く言った。
「私が個人的に懐に入れようというのではない。そもそも羽根がどの程度採れたかは、もう校長まで見ているだろう」
それもそうだった。
「王国軍に提示する量を少なめにして、減らしたぶんを研究に使いたいのだ」
「研究に?」
「そうだ。いままで貴重過ぎてなかなか防衛の魔術具以外に回すことができないでいたが、その性質から絨毯に織り込めば、理論上は森の上を安全に飛べる絨毯ができるはずなのだ」
「ああ、なるほど」
それは確かに試してみる価値がある。
「うむ。絨毯にも防御の魔法陣は織り込んであるのだが、九啼鳥の羽根でうまく作れれば、そもそも魔獣のほうが避けてくれるからな」
「そうですね」
ルカが急にそわそわとしてなにか言いだそうとしているのをサンダーは見逃さなかった。
「もちろんリヒトが見たいなら立ち会う許可は出そう」
エイプリルが以前リヒトを飛び越えた話をしたことでルカから一歩引かれたことは、サンダーにも共有されていた。
「……! ありがとうございます!」
ルカはサンダーのことをなかなかいい人だと思った。一方サンダーはというと、ルカのことを善い青年だと思ったと同時に、ずいぶん危ういところがあると考えていた。