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071.九啼鳥(2/2)

 魔法はリセットされるでもなく、九回目を啼かれてしまった。九個出現した光の楔がひとつの大きな楔となり、ひときわ大きく輝いた。


(……!)


 危なかった。即座に矢と〈相互移動〉しなければ、間に合わず死んでいただろう。

 ルカはいま、九啼鳥の背後、茂みのなかで激しく脈打つ心臓をなだめるように胸を押さえ息をひそめていた。たったいままで自分が立っていた場所を信じがたい思いで覗き見る。九啼鳥の攻撃の爪痕は、なにも存在しない空間としてそこにあった。ルカが〈相互移動〉により躱した光の楔は、その直線軌道上にあるすべてのものを無にしていた。ルカの背後にあったはずの川岸の茂みや木々が伸ばしていた枝葉、低く張り出していた岩、それらが遥か遠くまで伸びる円柱状の虚無に綺麗に切り取られていた。その直径は大人一人を優に上回るものだ。


(九啼鳥、強いな)


 ルカは自分が辿ったかもしれないもう一つの運命を想像しつつも、高揚に血が滾るのを禁じえなかった。やつはもうルカが消滅したと思って安心し、水に入ろうとしている。次はぜったいに外すまい。ルカは付近に散りばめた即席槍があらかた無事であることをちらりと確認すると、マーカーを二つともリセットし、ひとつを再度つがえた矢につけなおした(矢につけていたほうのマーカーは知らず外れてしまっていた)。そして矢を引き絞った状態で九啼鳥の真横、至近距離に〈移動〉する。いきなり間近に気配が出現した九啼鳥が反応するより早く、



(二……)



 その太い首に矢を打ち込み、すぐに後ろに飛び退すさって距離を取った。視界に入った即席槍のなかから比較的角度の適したものを選んで矢と〈相互移動〉すると、矢よりもさらに大きなダメージが入り、九啼鳥は溺れるような音を喉から出してもがいた。声帯さえ破壊すればこちらのものだ。ルカは落ち着いて続けざまに首を狙って追撃した。都度、余った即席槍と〈相互移動〉させて串刺しにしていく。

 巨体が水に落ちた。ルカは〈相互移動〉で岸に上げてから、即席槍を置いた場所に落ちている矢を拾って回った。光の攻撃を避ける際にルカの身代わりになった矢が見つかることはなかった。


 息をつくいとまもなく次々とマーカーをつけ替え九啼鳥に矢を撃ち込んでいくあの感覚。研ぎ澄まされた集中の糸が切れると頭の奥が甘く痺れるような気さえする。大物を得た達成感にしばらくのあいだ浸りながら、ルカは興奮が冷めるのを待った。




 呼吸を整えたら、この獲物を持って帰る算段を始めなければならない。小山のような鳥の周囲をうろうろと歩き回った。血の匂いをさせて長く森の奥地にいるのもよくないため、とっとと退散したいところである。ルカは九啼鳥の嘴を掴み、川べりを〈移動〉で下った。途中邪魔に思い、さまざまな角度から首に突き刺さっていた即席槍はすべて引き抜いて捨てた。遡ってきたときの出発地点までは戻ったものの、そこから先はどうにもならなかった。よく肥えた巨大鴨を携えて魔獣のいる森を〈移動〉で抜ける気はないし、羽根が欲しいので極力傷めたくもない。そもそも解体は一人では無理だ。ルカは困ったときのための待機要員であるはずだと、色音石シグナルストーンを使うことにした。


 ドーン!


 今日は紫色の狼煙が上がった。この色音石はリヒトのお手製で、変装石同様圧力で起動できる上に杖を使えないルカのために持ち手と放出口もついている。また、色も確実にルカが上げたものだと判断できるよう普段は使われない紫が採用されていた。ルカが獲物の傍に腰掛けて迎えが来るのを待っていると、魔術師団の二人が血相を変えて一枚の絨毯で飛んできた。ホッグは甲冑を身に着けるのにもたついていたため置いてきたと言う。ホッグと編成を組んでくると思っていたのに実質単独飛行で来たので驚いた。二人は二人で、ルカのそばで横たわっている九啼鳥を見、あんぐりと口を開けた。



「すみません。解体と運搬を手伝ってほしくて呼んでしまったのですが」

 ルカは二人がルカになにかあったのだと勘違いし慌てて駆けつけてくれたことを察し、申し訳なく思いながら頼んだ。野外学習で言うとルカは青の狼煙のつもりだったのだが、二人は赤だと思ったのだ。使いどころを擦り合わせておくべきであった。


「あ、ああ……解体と、運搬……ね」

 団員はルカにおざなりに応えると我に返り、大慌てで伝書鳥を数通飛ばした。そしてもう一人が九啼鳥に近づいてなにやら観察をはじめたのを横目で見ながらルカに向き直って言った。「いまからエーデルリンク校長とサンダー魔術師団長が来る。しばらくこのまま待っていてくれ」

「え」


 ルカはなんでそんな上の者を呼び集められるのかわからず困惑した。しかし手伝ってもらう立場なのでうなずいて大人しくしておく。九啼鳥を観察していた団員がふらふらとした足取りで戻ってきたかと思うと、もう一人に話しかけた。

「首にわずかに傷があるだけだった……」


 すぐにルカたちのいる川原には何枚もの絨毯が集まってきた。ルカやホッグと違って隊を組んで森を飛べるのは羨ましい。ひときわ大きな黒い絨毯からグレーの髪を長く垂らし、厳めしい顔をした長身の男が降りてきた。ともに出迎えた団員が魔術師団長のガブリエル・サンダーだと教えてくれる。ルカがヒュドラの顛末報告会のあと握手を求めてきた中で一番握力が強く、一番恐い顔だと思ったことで記憶していた男だった。一緒にやってきたエーデルリンクは九啼鳥を見て無言で顎髭を撫でていた。


「解体はここでする」

「あ、はい」


 サンダーがルカに一声かけるや、魔術師団の強面こわもての男たちが絨毯からわらわらと降りてきて解体を始めた。時間がかかると言い、魔術師団が運んできた炎の魔術具搭載のストーブをルカの近くで焚いてくれた。とうに寒さに馴染んでいたが体は暖を求めていたらしく、じんわりと伝わる熱がありがたかった。血の色が透けた指先を炎にかざしながら見ていると、彼らはなにやら大きな道具(おそらくこれも魔術具だ)を持ってきており、九啼鳥を逆さに吊り下げ丁寧に羽根をむしり血抜きをはじめた。手際がよくこちらが口を出す必要はなさそうだった。

 ルカとしてはぷらぷらと歩きつつ魔術具を使った解体をもう少し近くで見たかったのだが、なぜかエーデルリンクとサンダーに両側から挟まれてしまい、権力者二人の威圧感から抜け出せない。


「どうやって倒した?」サンダーの良く響く声が頭一つ高いところから降ってきた。

「はい、鳴き声で攻撃魔法を構築すると図書館の本で読んでいたので、声帯を狙いました」

「そうか……」

 サンダーは「そんなことは獲物の傷を見ればわかる」と言いたげな目をして声音を落として応えた。

「なぜ、九啼鳥を狙ったんだい?」

 今度はエーデルリンクが聞いてくる。

「ホッグが九啼鳥でも狩ってこいと言ったので、見つけられたら狩るつもりでした。本当に見つかるかはわからなかったので幸運でしたね」

 ルカとしては率直に聞かれたことに答えたつもりだ。しかしエーデルリンクが引き出したかった答えはそうではない。この時期はまだ群れを成しているはずの九啼鳥をなぜ狩ることができたのかを聞いたのだ。しかしエーデルリンクは話の流れでルカの答えの仔細を先に確認しておこうと、そこの追及は後回しにした。

「ホッグが?」

「はい。朝、森小屋を出るときに」

「マイス! ジャゴン! 来い!」

 サンダーはオコラセソウの魔法でも含まれていそうな声で、今朝ホッグと待機していた若手二人組を呼びつけた。ルカもその声で自然と背筋が伸びた。怒らせてはいけない人物その二、といった感じだ。

 解体を手伝っていた二人は慌ててサンダーの前に走ってき、足を揃え直立不動の姿勢となった。


「ルカから聞いたが、ホッグウォッグが九啼鳥のハントを指示したというのは本当か」

「え……」

 マイス、ジャゴンと呼ばれた二人は驚いて言葉に詰まった。

「本当かと聞いているのだ」

 怒鳴っているわけでもないのに恐い。

「は、はい。ええと……確かにルカが朝森小屋に来まして、単独散策の開始報告を受けました! その際、ホッグが『カリュドーンでも九啼鳥でも狩ってこい』と発言したのを記憶しております!」

「……ジャゴンはどうだ」

「は、私もマイス同様の会話を記憶しております。ただ……」

「ただ、なんだ」つり上がった太い眉の下から剣の煌めきを彷彿させる眼光が飛んだ。

「た、ただ、あれは軽口だったと私は理解しておりました!」

「……マイス?」

「は、私も軽口と思っておりました!」


(あれは冗談だったのか)

 ルカも今朝のやりとりは正確に覚えていたが、なにが面白い部分なのかいまいちわからずに首を傾げる。


 ジャゴンとマイスは、あのときホッグと自分たちはすでに魔術具のメンテナンスに取り組んでおり、ホッグは気もそぞろに軽口を叩いてルカを追い払ったのだと説明した。そして待機が任務だったはずだとサンダーに低い声で指摘され、顔色を失くし黙りこんでしまった。


「ルカは軽口だとは思わなかったんだな?」

「はあ……カリュドーンは狩ったことがあったので、九啼鳥もいいのかと」

 サンダーがため息をつく。


「ルカは図書館でエルダーの森の動物たちの勉強を始めたんだったな」

 司書のミグルからでも報告が上がっていたのだろう。エーデルリンクが助け船を出した。「デシャール博士の観察録で」

「ああ、あれか。あれは……魔獣の使う魔法も狩りについての情報も確かに書いてあるが、その脅威の度合や難易度には言及していないからな」

 サンダーも内容を知っているらしい。

「博士は近くに観察には来るが自分は安全圏にいて手を出さない人だったからなぁ」

「他人のする苦労は苦労でないのだ。あの老師にとっては」サンダーが忌々しげに言った。


「あの、もしかして狩ってはいけないものだったのでしょうか」

 ルカは置いてけぼりのまま不安になったので聞いてみた。観察録にも狩猟の際の注意事項が書いてあったし、ホッグも口に出したのだから狩りの対象でないことはないだろうと思いこんでいたのだが、違っていたら大変なことである。

「ああ、違うよ。全然狩っていいんだよ」エーデルリンクが慌てて否定する。「ただ、九啼鳥に出くわしたら、普通死ぬんだよ」

「ああ、跡形もなくな」

「ああ」

 ルカが理解を示すように「ああ」と言ったことで、二人はルカが九啼鳥の攻撃を目の当たりにしたことを察した。だが互いにアイコンタクトを取っただけに留め、いま口には出すのはやめておいた。


 話しているうちに今度は、豪奢な柄の大判の絨毯が護衛付きで飛んできてリヒトが降りてきた。シルジュブレッタとマロルネも一緒だ。いかにも上等な絨毯は貴族出身であるシルジュブレッタの私物である。

「エーデルリンク先生から伝書鳥をもらったんだ」リヒトがルカに走り寄りながら言った。「窓から紫の狼煙が見えたからびっくりしちゃったよ。なんともなくてよかった」

 ルカはリヒトにまで心配をかけてしまったと、先ほどとは比べ物にならないくらい胸を痛めた。

 シルジュブレッタとマロルネはわき目もふらず解体中の九啼鳥の周りへと詰めかけ、ルカとリヒトも近寄っていく。


「ほうほうほう。これは素晴らしいね」

「さすがルカさんですわ」

「兄さん、これ……」

「ああ、よろこべリヒト。〈食えるかルーペ〉によると、この鴨うまいらしいぞ」

「あ……うん、そうだね」リヒトは一瞬戸惑ったような表情をしたあとぽつりとつぶやいた。「解体前のも見たかったなぁ」

「あ、すまない」

 いまや九啼鳥は綺麗に部位ごとに分かれているが、リヒトが来ると知っていれば当然待っていた。ルカはイレギュラーが重なり気を回すことができなかったと後悔した。今日はまったく不出来に不出来を重ねる日だ。

「また狩ってやるから許してくれ」

「あ、ううん。全然いいんだよ」リヒトは慌てて手を振った。

 ルカはリヒトに顔を向けていて気がつかなかったが、解体班の団員たちが凄い目でルカを見たのがリヒトからはよく見えた。



 最後にしっかりと甲冑の胴を身に着けたホッグが単独でやってきて、エーデルリンクが眉を吊り上げてサンダーらの元へ引っ張っていった。

「あ痛てっ! だって校長先生! あいつが勝手に川まで来たんですよう!」

「黙れ馬鹿者! あとから伝書鳥を出したシルジュブレッタ先生たちにまで遅れて、それで待機していたと言えるのか!!」

「……あ痛ててててっ!」

(耳を引っ張られているな)

 ルカは九啼鳥の羽毛や嘴を観察しているリヒトを見守りながら、耳だけでホッグの受けている仕打ちを聞いていた。


 さて、リヒトが来たのならおやつを用意してやらねばなるまい。ルカは解体班の一人に声をかけ、ひとかたまりの肉を切り取ってもらった。それを目ざとく見つけたマロルネが、携えていた大振りの鞄から網と鉄串を何本か取り出した。

「私もよくやるんです。狩ったばかりの獲物の味見。ピクニックセットを持ってきて正解だったわ」

 ルカはマロルネの準備の良さに舌を巻いたが、串を削る手間が省けるので素直に借り、手伝ってもらって肉串をストーブで焼きはじめた。

※2023.08.06 状況描写の修正・追記をしました。

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