065.魔術学校の図書館へ
ルカは狩猟番が休みの日を使って、朝から図書館で調べものをしようと出かけた。リヒトは頻繁に通っているところだが、ルカは初めてなので若干緊張する。
魔術学校の狩猟番として森に出かけるようになって幾日かが経過していた。そして当初考えていたよりも魔獣狩りに苦戦を強いられていたのだった。小型魔獣は狩らないので中型からなのだが、やはりどんな魔法を使ってくるのかというのがわからないのは厳しかった。ホッグがついて教えてくれるのだが、如何せん説明が悪い。ホッグは森の管理に対しては誠実なので、そこに悪意は感じられない。ただ単純に言葉が足りないのだ。
そこまで大きくない、イノシシ型の魔獣が出たときだった。ホッグは
「おい! あれだ! あれが出るぞ!」
と叫び、ルカが素早く矢を射かけると「いきなり射るな!」と怒鳴った。もう少し早く言ってほしい。それにイノシシモドキはルカたちのもとに突進してきているので早く仕留めるに越したことはないのだ。だがイノシシモドキはルカの狙った頭部に円盤状の白い光体を出し、矢をはじいてしまった。
「シールドか」
「だからそう言ってるだろ!」
(お前はあれとしか言っていない……)
イノシシモドキを横に飛び退ってかわし距離を取ると、ホッグはようやくまともな説明を始めた。
「あれはカリュドーン。いい獲物だ。肉もうまいしあの牙は魔力を集めて蓄えておける性質がある。しかも攻撃は突進だけで遠距離からはなにもできねえ」
「なるほど」
「だがいま見たようにシールドを張ってくる」
それが問題だ。ルカの放った矢は矢尻以外が粉々にされ、見るも無残に地面に落ちていた。
「だがあれは一度なにかをはじくとすぐに消えるし、次のを張るまでに時間がかかる。だから矢を無駄にせず最初に石つぶてでも投げてシールドを無駄うちさせるのが鉄則だ」
「なるほど……」
ホッグはふんぞり返って得意気に言った。さすがは森番だ。ルカはホッグの知識に素直に感心した。これで謎の甲冑を着ていなければ格好がつくのにもったいない。きちんと知識も技量もあるのだから、ずっと堂々としていればいいのにおかしな奴だった。
やがて戻ってきたカリュドーンは、ホッグに言われた通りシールドを無駄うちさせたあと無事倒すことができた。
その後もホッグについて狩りをするうちに、一度知識をまとめて仕入れたほうがいいのではないかと思うようになった。考えてみればルカは魔獣を倒したときには大抵周囲に知識をくれる者がおり、まったく無知の状態だったのはクマモドキだけであった。あれは加勢だったうえに運が良かっただけなので、ルカが倒したもののうちに入らない。それにホッグにいつまでも馬鹿にされたくない。携わってきた年数が違うのですぐには追いつけないだろうが、意識的に勉強すれば少しくらいは差が縮むはずである。
そこで図書館で調べたいとホッグに相談してみた。ホッグは太い指で顎をつまむようにして思案したあと、にやりと笑ってルカに言った。
「ああ、行ってこい! 勉強になるぞ!」
「はい」
「ああ、そうそう! あそこには本のことをいろいろ教えてくれる女の司書がいるから、なにか聞くときは失礼のないように『おばさま』と話しかけろよ!」
「わかりました」
そうして生徒たちが授業中の空いている時間帯を狙って図書館に来たというわけだ。
図書館は事務棟の西側、木々でトンネルができている先に隠れるようにして建っていた。石造りの歴史を感じさせる佇まいだ。建物の前に立ってから気づいたのだが、リヒトが読んでいたという、エルダーの森の動植物について書かれた本の名前を聞いておくのを忘れた。昨日聞こうと思っていたのだが、先に藍星鉱のことを研究室の先輩たちに明かしてよいかということを尋ねられ、そこから指輪の誓いなるものの説明を聞いているうちにすっかり頭から抜けてしまったのだ。
とはいえ司書という、質問できる者がいるとホッグから聞いている。ルカはなんとかなるだろうと中に入ることにした。
エントランスの中央に左手に本、右手に長杖を持った金色の女性像があった。杖の先についている玉は虹色に鈍い光を揺らめかせてる。彼女の後ろに短い通路が伸びており図書館内につながる扉が奥に見えている。女性像の左右どちらでも通れるが、ルカがなんとなく右をすり抜けようとすると女性像の首が動いてルカを見た。
「爾、日向かしの光に浴し秩序を重んじ先人の知識を欲する者か」
「……はい?」
ルカは急に話しかけられたのでびっくりしたのだが、少し逡巡して左に回り込んでみた。すると女性像はくるりと首の向きを変え、今度は
「爾、日去りにし宵闇に憩み混沌を悟り新たなる智慧を生み出す者か」
と問うてきた。言っていることは全然わからないが、強行突破はやらないほうがいいような気がした。おそらくこれはリヒトが唸ったという図書館の魔術具のひとつであるはずだ。もしかして、これがホッグの言っていた司書なる者なのだろうか。もしそうであるならばいろいろ教えてくれるはずなので、ルカはとりあえず自分のわかる言葉で伝えてみることにした。
「私はエルダーの森の魔獣の生態を調べに来た者です」
「ならば右の道を通れ」
「ありがとうございます、お……」
「お?」
「……」
(しまった)
彼女はどう見てもおばさまなんて歳ではない。いや、像なので年齢なんて関係ないかもしれない。ホッグの感覚はわからないが、見た目だけで判断すれば若々しい女性なのだ。ルカはヴォルフに引き取られていたとはいえ、折に触れ母親から「女性の年齢を決して上に間違えてはいけない」と厳しい躾を受けてきた。ホッグはそういったことを知らないのだろうか。なんとも無知な奴である。
「お、お姉さま」
「……お姉さま」
ルカは母の教えとホッグの助言を混ぜ、なんとか失礼にならなそうな呼びかけを絞り出した。女性像はしばしルカを見つめると、眦を下げ優しげな表情に変化した。正解だったようだ。ほう、と胸を撫でおろし、勧められたとおり右側を通って通路に入る。左を回っても同じ通路に出るだけなので選んだ意味はわからない。
「お姉さま……」
背後で小さなつぶやきが繰り返されている。この女性像が司書なのかどうかは判断できなかったが、特段問題はなさそうだったのでそのまま先に進むことにした。
一枚の扉を隔てて中に入ると、二階までの吹き抜けが広く取られた空間が拓けた。そこは人間の作り得るもっとも美しい空間と言って過言ではなかった。
床には鏡のように磨かれた御影石のタイルが贅沢に敷き詰められ、マホガニーの艶やかな本棚が彫刻を挟みながら壁面を埋め尽くすように聳えていた。そのなかはすべて本で満たされており、蔵書量に圧倒された視線が自然と辿り着くのは、ドーム状に広がる天井画であった。杖を持つ魔術使いやグリフォンが見て取れるので、魔術学校の由来に関する絵物語なのかもしれない。それらは四方から柔らかな光で照らされており、曲面による反射の妙か、見る者に館内全体が金色の空気で満たされているような視覚効果を与えていた。
(さて、どうしたものか)
よく見ると棚には上部にこれまた美しい装飾を湛えたプレートがかけられており、なんの分野の本が収納してあるのかわかるようになっている。しかしいま目に映るだけでも思わず口が開いてしまうほどの本の量なのだ。誰かに助けを請わなければ、たとえ日が暮れても目当ての本は探し出せないだろう。見回すと右手に箱型のカウンターがあり、黒い三角帽子を被った魔術使いの女性が座ってなにやら書き物をしていた。年齢はルカの母親より少し若いくらいだろうか。もしかして彼女が司書なのかもしれない。
「すみません、お姉さま。お伺いしたいことがあるのですが」
「お姉……はい、なんでしょう」
女性は一瞬目を見開いたあと、すぐ澄ました顔に戻って応対した。
「読みたい本がありまして、書名はわからないのですが、エルダーの森の動植物について書かれている本を」
「……少しお待ちになってね」
用件を聞いた女性は席を立ち、カウンター奥の棚のほうへと向かっていった。彼女が棚からなにかを取り出すあいだルカがおとなしく待っていると、小さく鼻歌が聴こえてきた。勝手知ったるといった振る舞いなので、彼女がここの管理者というのは間違いなさそうだ。
女性は金色の鳥籠から赤い小鳥を一羽、指に留まらせて戻ってきた。
(あ、本物の鳥じゃない)
それは金をベースに赤い宝石をちりばめた作り物の小鳥だった。
「この方にエルダーの森の動植物について書かれた本を順にご紹介して差し上げて」
女性が命じると小鳥が軽やかな動きで舞い上がり、ルカの目線の高さで浮かんだ。やはりというべきか、魔術具だった。羽根の動きは非常に速く、この動きによって自在に滞空できるようだ。
「ありがとうございます」
「いいえ。司書なんですから当然ですことよ」
(この人だったのか)
小鳥がついてこいと言わんばかりに止まっては動くので、ルカはそのままついていくことにした。
小鳥はやがて本の背表紙を細い嘴で指すように空中で静止した。ルカが手に取ると、それはかなり分厚い動物図鑑だった。しかもシリーズ物のようで何冊も続いている。開いてみるとたしかに非常に詳しく載っているのだが、生息地ごとの分類ではなく総合的なもののようで、分類自体を目的として個別の詳しい生態よりもなんとかの仲間だとか蹄の形がどうだとかいうことに情報が偏っていた。
「うーん……これだとちょっとわからないな。私はエルダーの森で狩りをしているんだ。だから棲息している魔獣の種類とその弱点なんかがまとめられている本があると助かるんだが、ないかな?」
小鳥にそう話しかけると、きちんと理解したようでまた動き始めた。ルカは立ち並ぶ本棚のあいだを抜けて、やや暗がりになっているひっそりとした場所に辿りついた。小鳥が下のほうにある大判の、しかしそこまで厚くない本を指した。これも何冊か似たような装幀のものが並んでいるのでシリーズ物のようだ。屈みこんで小鳥が止まっているものを引き出す。
<エルダーの森観察録 魔獣・中型編>
開いてみるとそれは筆写された本で、魔獣の特徴をよく捉えた挿絵が美しく彩色してあった。添えられた文章は動物としての習性や使う魔法の内容、狩りの実績とその方法などが端的にまとめられていた。
(これだ)
ルカは探していたイメージにぴったりの本が見つかって嬉しくなった。紙の様子からして年季が入っているので情報は多少古いかもしれないが、これだけまとまっていれば十分であった。シリーズのほかの巻も見てみると、小型編、大型編、食用植物編、薬用植物編など、追い追い読みたいものもあったが、とりあえずはこれだろう。これを書いた者はよくわかっているなと思い見ると、筆者はガスパール・デシャールとあった。シリーズのほかのものも、共同著者でほかの名前があることもあったが、この名前だけは共通していた。
(きっと名のある学者なのだろうな)
「これは借りられるのかな?」
ルカが最初に手に取った<魔獣・中型編>を読もうと聞くと、小鳥は人間が否定するときそうするように、器用に首を横に振った。
「だめか。ではここでできるだけ覚えていくか」
小鳥はルカが途中で見かけた机と椅子が並んでいる拓けたスペースに飛んでいき、一台の机の上に留まった。どうやらここで読んでいいらしい。
ルカは席に腰を落ち着けると、いままで目にした魔獣の再確認も含め新しい知識をどんどん頭に入れていった。