064.藍星鉱と指輪の誓い
ルカが狩猟番としての仕事を始めたそのころ、リヒトは藍星鉱の研究に取り掛かりあぐねていた。
エーデルリンクとの晩餐の日、寮の部屋に戻った二人は藍星鉱の扱いを話し合った。リヒトは藍星鉱を愚者鼠の皮に包んだまま母岩ごとハンマーで割り、半分をルカに染めさせ、もう半分をサンプルに取っておいた。標本を取っておくのがリヒトらしい。指で触れると藍星鉱は勝手にすごい勢いで魔力を吸い、油断していたルカは膝から崩れ落ちそうになった。エーデルリンクは「倒れるほど吸われることはない」と言っていたが、結構危うかったと思う。そして藍星鉱が魔力を吸い終わると、部屋の中がにわかに青い光に満たされた。二人は動揺して藍星鉱を見遣った。白銀だった枝状の藍星鉱は青く強く光り、その輪郭を捉えられないほどだった。そしてだんだんと光は弱まり、やがてぼんやりと光る程度に落ち着いた。
どうやら無事にルカの魔力で染められたようだったので、リヒトは安心して素手で触れるようになった。なにか作りたいものがあるらしいのだが、いまのところルカには秘密になっている。リヒトはこういうとき、成功への道筋が見えるまでなかなか口に出さない質なのだ。
そのまま数日が経ち、リヒトはルカにこぼした。
「金属加工の設備がないとちょっと難しいみたい」
リヒトは加工のしやすさは鉄と同じくらいというエーデルリンクの言葉を信じ、叩いたり簡易的な炉で熱したりしてみた。変形はさせられるが、どうしても歪であり思い通りにはならない。そもそも鉄の加工も素人なので無理もないことだった。
ルカはリヒトの悩みを聞き、あることを思い出した。
「シルジュブレッタ先生に協力してもらったらどうだ。たしか金属内なんとかというのを研究されているんだろう? そうしたら金属加工にも伝手があるはずだ」
シルジュブレッタの研究は魔術の金属内複合処理だ。複数の魔術をひとかたまりの金属内で組み合わせて処理をさせる技術である。金属の種類によって組み込める術式に制約があるのでそれを調べたり、術式を改良することでそれまで組み込めなかったものを組み込めるようにしたりといった研究がなされている。とりわけ如何に小さく薄い金属のなかに多くの術式を組み込めるかは、魔術具の軽量化につながる重要な研究であるため魔術師界隈では注目されている分野だった。たしかに加工技師とのつながりがあるはずだ。
「うーん、でも僕のやりたいことをあんまり他の人に知られたくないんだけど」
「だが藍星鉱は相当めずらしいものなのだろう?」
「そりゃあ……こんなもの普通は表に出てくるものじゃないよ」
リヒトが知らなかったのだ。一般人が閲覧可能な図鑑などには絶対に載っていない。国でも魔術学校でも情報統制がされている事柄のはずだ。
「じゃあそれを餌に口止めを図ればいい」
「……」
「サンプルに取っておいた藍星鉱の残りをくれてやれ。その代わり加工に協力し黙秘しろ……と先生向けの丁寧な言葉でお願いすればよいだろう」
「そんなこと……」
そんなこと、シルジュブレッタは乗るに決まっている。
「エーデルリンク先生もリヒトが個人で加工するのは難しいとわかっていたはずだ。うまく取引すればなにも言うまい」
「マロルネさんがなぁ……」
マロルネはなぜかやたらに顔が広くてどこにつながっているかわからないので、リヒトは少し躊躇する。しかしシルジュブレッタの協力を得ればマロルネに隠しておくのは難しい。
「はあ……しかたがないか。たしかにシルジュブレッタ先生の協力を得られれば大きいもんね。取引条件には僕の作るものへの詮索の禁止も盛り込むよ」
「ああ、それでいいんじゃないか」
リヒトはせっかく取っておいたサンプルを手放すのは非常に惜しかったが、利点の大きさと天秤にかけ、諦めて肩を落とした。
かくして後日、シルジュブレッタは上下両隣の研究室に響くほどの歓喜の雄たけびを上げることになったのである。
いったんシルジュブレッタに相談してしまうと、リヒトはとても気が楽になった。シルジュブレッタの大声はほかの研究室の人間を呼び寄せてしまったが、有歯植物に噛まれたとなんとか誤魔化して彼らを追い返した。彼らは「だから整理しろといつも言ってるのに」「変なもんばっか蒐めて」などとぼやきながらシルジュブレッタ研究室をあとにした。そんな騒ぎのさなか、マロルネは研究室の奥で腰掛けたまま一言も発せず、真剣な顔でルカに染められた藍星鉱と無垢なそれが入った愚者鼠の包みを凝視していた。
「シルジュブレッタ先生。これは私たちは、指輪の誓言をするべきです」
マロルネに言われ、興奮が解けたシルジュブレッタが慌てて応じた。
「あ、ああ、そうだね。もちろん。リヒト、指輪の誓いはやったことはあるかね?」
「いえ」
リヒトにはそれがなにかすらわからなかった。
「こうやるのよ」
マロルネは魔術学校の認証指輪をはめている右手を、甲を上にして握って見せた。
「我、グラハデンの礎に誓言す。ポルカ村のリヒトより明かされし藍星鉱の存在とその研究の秘密を、リヒトの許しなく他の者に明かさぬことを。我が言葉を違えし時、我が心臓をグリフォンの餐とし、グラハデンの名を穢した罪を我が血、我が命により贖うことを。我の名はマロルネ。我名は我が命。この誓いを聞き入れ給え」
マロルネが「グラハデンの礎に誓言す」と言った瞬間、認証指輪は白い光を強く放った。そして誓いを言い終わると同時に指輪の石からは一つの光の粒が蛍のようにふわりと浮き上がり、すごい速さで窓を通り抜けどこかへ飛んでいってしまった。
「じゃあ次は僕ね」
シルジュブレッタはそう言うと、マロルネと同様の文言を唱えた。また光の粒が飛んでいく。
「あの、いまのは?」
リヒトがそわそわしながら聞くと、マロルネがにいっと笑って教えてくれた。
「この認証指輪はね、人にどうしても守らせたい約束をするときに、いまみたいにして使えるのよ」
「めったなことでは使っちゃいけないよ。悪気がなくても結果約束を破ることになってしまった、という場合でもグリフォンに心臓を食い破られてしまうからね」シルジュブレッタが補足を入れた。
「え」
どうやらお決まりの文句ではなく本当に言葉の通りになるようだ。
「あの光の粒は学校内のどこかに飛んでいってるみたいなんだけど、いまいちどこかわからないのよね。速すぎて追いかけられないの」
「マロルネくんは学生のとき、その場所を突き止めるために何度もどうでもいいことを誓言して校長室に呼び出しを受けたんだよ。それ以来検証のために軽々しく誓言するのが禁止になったんだ」
マロルネは学生時代からマロルネだったらしい。シルジュブレッタが小さく「もっと上手くやってくれれば協力したのに」と付け加えたのをリヒトは聞き逃さなかった。
「あの、シルジュブレッタ先生もマロルネさんも、大丈夫なんですか?」
いくらマロルネが研究の為なら軽々しく命を懸ける性分とはいえ、自分の言いだしたことに懸けられてしまうとさすがのリヒトも動揺してしまう。
「この秘密を共有してもらうことは、それだけの価値があるからよ」
「そうだね」シルジュブレッタもうなずく。
マロルネたちはリヒトの作るものの詮索をしないということも約束してくれたが、「ついうっかり聞いちゃうかもしれないから、都度断って」と言われてしまった。たしかにマロルネでは気になった瞬間、反射的に聞いてしまうかもしれないのでそれがよい。
「ところで僕の研究室に四、五年生の研究生がいるんだけど、この誓いをすればその子たちにも藍星鉱を見せてあげることはできるかな?」
シルジュブレッタが手袋をはめ、ルカに染められたほうの藍星鉱を慎重に眺めながら聞いた。たしかに今後このような研究材料が手に入ることはまずないだろう。いまの研究生たちにもできるだけ見せてやりたい、という気持ちが教授としてはあるわけだ。リヒトとしてもシルジュブレッタやマロルネがわざわざリヒトの知らなかった指輪の誓いまでしてくれたのだから、要望には応えたかった。だから彼らの研究室の先輩たちも誓ってくれるなら、別にいいような気もする。
「抜け穴はないんですか。たとえば自分の名前をわざと間違えて言うとか」
「ふふ。あいかわらずリヒトくんの目のつけどころは素敵ね。心配いらないわ。名前を偽った場合は『我名は我が命』と言った時点で心臓が爆ぜるの」
「……そうですか」
心配しかない答えが返ってきた。
「だからリヒトくんが自分の判断でなにに命を懸けてくれてもいいんだけど、風邪気味で喉の調子が悪いときだけは、お願いだからやらないでね」
「……」
(喉に痰が絡んでも心臓が爆ぜるのかよ)
どうやら思った以上に物騒な誓言だったようだ。リヒトはこの先これを自分でやることはないだろうと思った。それこそ未来の後輩が謎の物質を秘密にしてくれと持ち込んでこない限りは――。