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060.魔術学校の上空で

 ホッグが出ていくと、入れ替わりのようにリヒトが戻ってきた。頬が上気しており、ここでの星の観測によほど興奮したと見える。


「誰かいたの?」

「ああ。ホッグウォッグという森番が来ていた。明後日からエルダーの森で狩りをすることになったんだ」

「そうなんだ」


 リヒトはちらりとエーデルリンクを見たがなにも言わなかった。


「兄さん、エルダーの森へいくときは絨毯使ってね」

「え」


 どうせもう〈実質瞬間移動〉の部分はばれているのだろうし、寮の裏手だしで〈恩恵〉を使ってしまえと思っていたのだが、甘かったようだ。リヒトはまだ警戒していた。


「生徒の目が完全にないとは言えないんだから」

「うん、それがいいな」特にルカの〈恩恵〉には触れず、エーデルリンクも賛成した。

「じゃあ絨毯を頻繁に借りてしまうことになるが……」

「もともと兄さんと二人で乗ろうと思ってもらったんだ。兄さんが使うぶんには全然いいよ」

「そうか。わかった、使わせてもらうよ」

 リヒトはうなずいた。

「エルダーの森とクプレッスス寮を往復できるように自動運転を登録しておくね。兄さんが乗ったら勝手に運転が始まるように……いや、特定の言葉に反応して登録済みの動作ができるほうがいいか? 感応部分をあそこに組み込めば……うん、できると思う」

 最後の方はもはや独り言となっており、ルカは笑って聞いていた。

 エーデルリンクは傍らで二人のやりとりを見守っていたが、リヒトが「ちょっとスープに塩を足しておくよ」くらいの口振りで高度な工夫を言ったのを聞いて天を仰いだ。十二のときの自分が頭をよぎり、碌な記憶が出てこなかったためである。


 思った以上に多くの収穫を得て、お暇をする頃合いになった。サニカに美味しい食事の礼を言い、二人は揃って玄関前に並ぶ。

「それでは、これで失礼します」

「ああ、そうだルカ」

「はい」

「君への褒賞は表向き、相応の額の金としたことにしておいてくれ」

「わかりました」

 エーデルリンクに言われ、ルカとしても特段広めるつもりもなかったのでうなずいた。


 暖かい家の光を背負った夫婦に見送られ、二人の乗った絨毯はするすると動き出した。すぐにジュールラックのもとに着き、リヒトはジュールラックが黄緑色に変わるのを見ながら話しかけた。

「勉強になったよ」

「よい収穫があったようでなによりですよ」

 ジュールラックはリヒトの意味ありげな視線を涼しい顔でかわすと門扉を開けた。すっかり夜が更けた魔術学校に入る。上弦を過ぎた月が黒く透き通った空にぽってりと浮かんでいた。


「せっかくだし試運転してもいい?」

「もちろんだ」


 リヒトは絨毯に織り込まれた文様に手を当て、操作を始めた。「先ほど与えられたばかりだというのに」と言うと、「いまやってるのは野外学習のときに先生が見せてくれたのと同じだから」と返ってくる。それでもすごいことだとルカは思った。

 絨毯の高度がぐんぐんと上がる。ここまで高い場所に来たのは初めてだ。大地は闇に沈んだ森を遠くに湛え、眼下では点在する魔術学校の建物の窓から明かりが漏れてささやかに煌めいていた。こんなに小さな面積の絨毯をよすがに中空に浮いているのはなんとも不思議な心持ちがする。冷えた空気にまるで自分が透明になったような錯覚をいだき、ルカは深く息を吸った。


「どこまで上がったら星に着くのかなぁ」リヒトが絨毯をゆるやかに進めながら言った。

「望遠鏡はどうだった」

「最高に興奮した」その顔はいまだ夢見心地に浸っているようであった。「兄さんも連れて行けばよかった。地平線の近くにね、初めて見る星も見えたよ」

「そうか。それはもったいないことをしたな」

 いままでジュールラックの門を通ったときには感じなかったことだ。エーデルリンクの隠れ家では星の様相が変わり、そして時間に差があった。魔術学校の門の手前では落日の残滓が残っていたにもかかわらず、門をくぐると日はとっぷりと暮れていたのである。

「気候も違ったようだな。森のにおいが違った」

「うん」

「望遠鏡まで見せてくれたということは、本格的にリヒトを勧誘しているのだな」

 ルカは空を見上げたリヒトの黒い瞳に星が宿るのを見た気がした。夜空のささやかな星々が映り込んだのか、はたまた彼の知性や熱意のようなものが一閃となって現れたのか。

「あれがあればここの星もよく観察できるだろうな」

 それはリヒトがずっとやりたがっていた、魔術学校における星の観測であった。




 兄弟が帰ったあと、食器を片すサニカを手伝いながらエーデルリンクは尋ねた。

「どうだったね、あの二人は」

「とてもいい子たちね。一目で好きになったわ」サニカは優しく目を細めて応じた。

「ルカはともかく、リヒトは曲者だったろう」

「あら、それは似たもの兄弟だったわよ」

「そうかな?」

「そうよ」

「意外だ」

 サニカが笑う。エーデルリンクは芝居じみて大袈裟に顔をしかめた。

「君がどうしてもというから、藍星鉱ブルーステラを手放すことになってしまった」

「いいじゃないの。後生大事に取っておいたって、結局何十年も使わなかったんだから」

 サニカは〈神界の客もの〉だからと惜しんだりしない。貴重な品の蒐集癖もない。使うべきものを使うべきときに使う、きわめて合理的な考えの持ち主だ。

 藍星鉱をルカに渡すと決めたのは、サニカがルカたちを一目見たあとだった。だから狩猟番を頼もうと考えていたのはたしかだが、エーデルリンクはルカに目を細められるほど用意周到にしていたわけでもない。正直サニカに耳打ちされたときは、あれを手放すのかと惜しむ自分を戒めたほどだった。それほど〈神界の客もの〉は手に入れる機会に恵まれないものなのだ。


 エーデルリンクが藍星鉱をルカに与えた理由――それはサニカの〈恩恵〉にあった。

 サニカには限定的な〈未来視〉ができる。分岐するいくつかの近しい未来が絵を何枚か並べたように見えるのだ。ただし見たいタイミング、見たい対象を自分では選べない。神の、いや、ウルハイ族にとっては精霊の気まぐれのように、時も場所も選ばず急に何枚かの絵が眼前に浮かぶ。それらは他者から見ることは叶わず、これから起き得る、しかし互いに同時には起きぬ情景を表わしている。またその未来が確定しているときは一枚しか出なかった。

 こういったことがわかるようになるまで、サニカは幾度も避けられたはずの不幸に嘆き、助けられたはずの同胞を失って無力感を味わってきた。けっして万能の予知能力でもなければ、サニカ自身喜ばしいと感じてきたわけでもない。むしろ自分がうまくやれていたらと、少女だった自身の心をさいなむ原因ですらあった。それでも〈未来視〉はひとつの時代に出るか出ないかの稀少な〈恩恵〉である。サニカはその身をウルハイ族の受け入れに乗じて王家から狙われ、それを憂えた両親が密かにエーデルリンクに託したのだった。

 いまでは年をとり、エーデルリンクに匿われているサニカであるが、そのような〈未来視〉により不思議な光景を見た。

 ルカの頭に羽根が一本立っていたのだ。それをリヒトが驚きの顔で傍らから見つめている。あれは……羽根ペンだろうか。先端をくるむように金属がまつわりついており、その輝きは故郷を覚えているウルハイ族であれば決して見紛みまがうことなどない、藍星鉱のそれだったのである。

 ほかにもルカが金貨の山を受け取っている絵もあったのだが、サニカは謎の絵の示す未来がどうしても見たくなった。

(きっと素敵なことが起こるのだわ)

 そうに決まっている。だってあんなに感じの良くて楽しそうな兄弟が、おもしろいことをしないはずがない。

「で、なにが見えたか教えてくれないのかい?」

「あら、あなたに教えたらおもしろくないじゃない」

「ひどいな」

 エーデルリンクは妻の目にわずかに灯るいたずらっぽい輝きに気づきつつ、やれやれと息をついたのだった。

※2022.12.22 誤字修正をしました。

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