059.ホッグウォッグ
話し合いの結果、五日のうち三日はエルダーの森に出入りすることになった。ルカとしてもリヒトの要望に応えて魔術具の材料を自由に集められる時間がほしかったし、ハンターズギルドのほうもわざわざ辞めなくてもいいかと思っていたので、そのくらい融通が利くほうがありがたい。
エーデルリンクとそのあたりの話をしていたところ、玄関のほうで「ぎゃひぃ!!」と野太い声がした。
「……やっと来たか、あいつめ」
エーデルリンクが眉根を寄せて低い声を落とした。ルカやリヒトの前ではすっかり優しいおじいちゃんの雰囲気だったため、急に"校長先生"に戻ったような感じがする。
「私は助けんからな!」
エーデルリンクは椅子に座ったまま上体を傾けて玄関のほうへ呼びかけた。
「そ、そんなぁ! 校長先生! 後生ですよ!」
その情けないだみ声を聞いてエーデルリンクはぼうぼうの眉をひそめた。ルカも話の続きをするわけにもいかず、先ほどまでなごやかだった二人のあいだに気まずい空気が流れる。
「あの……」
「ああ、ノッカーに噛みつかれているだけだから気にしなくていい」
(ノッカーに噛みつかれている?)
来たときにルカが叩いたのはなんの装飾もない真鍮のノッカーだった。あれに噛みつかれているとはどういうことだろう。想像していたら気になってきたので許可を得て見にいくことにした。
「やれやれ、しかたがないな」
エーデルリンクは心から嫌そうに重い腰を上げた。先ほどの「やっと来たか」という言葉からして自分から呼びつけたのだろうに、その者をほうっておくとはひどい爺だ。だがルカは玄関の扉を開けてエーデルリンクの気持ちが少しわかった。
「あ痛てっ!」
ルカが扉を開けると中ほどになにかがぶつかった感触があった。隙間から顔を出して様子を覗く。扉の裏では先ほどまで普通だったノッカーが、ぎざぎざの歯を持つ口の形に変化していた。そしてその上下の歯の隙間から太く毛深い腕が下へと伸び、その先には図体の大きな男がへっぴり腰の涙目で膝をついていたのだ。聞こえてきていた声からして情けない奴だろうとは思っていたが、これだけたくましい肉体をもってしてのこの醜態は許しがたい。ルカは男の頭に扉をぶつけてしまったことはすっかり頭から抜け、外に出て目の前の狩人然とした風体の男を見下ろした。
「あ! お前、白い狩人だな! くっそぅ! 調子に乗りやがって……あ痛てっ!」
男がなにやらルカに悪態をつきはじめたので、続いて外に出てきたエーデルリンクが玄関わきに立てかけてあった杖で男の頭を殴った。痛いと言ってはいるがほとんどダメージは入ってなさそうだ。
「うるさい、この馬鹿者が!」
「だって校長先生……俺だってここに夕食に招かれたことなんかないのにっ!」
ノッカーはエーデルリンクが男を殴って気を良くしたのか、痛々しい歯型の残る手を解放すると、一瞬笑みの形に変化してから元の形に戻った。短く刈った頭をさすりながら玄関に胡坐をかいた大男は、自然上目遣いの涙目でエーデルリンクを見上げるかたちになった。かわいくはない。
エーデルリンクに面倒くさそうに立たされた男はヴォルフに勝るとも劣らないくらい体格が良く、ルカは見上げると思わず口を開けてしまっていた。
「こいつが我が校の森番、ホッグウォッグだ」
エーデルリンクが男の隣に並び、ルカに自身の部下を紹介した。年は壮年に入って数年かといった頃合いで、金属的な光沢をもった茶色い髪が頭の上部にだけ芝生のように上に向かって生えている。正方形に近いくらいの輪郭の顔についたくりくりとした二つの目は体格に反して小動物のそれを思わせた。普段は森の中の小屋に住んでいるのだが、いまは魔術師団がまだ昼夜問わずエルダーの森に出入りしているため、留守を頼んで呼びつけたという。
ホッグウォッグはできるだけ威厳をもつように、腕を組んでルカを見遣った。そこへ森のほうから梟がホウ、と鳴いた。
「うひゃ!」
ホッグウォッグが拳を二つ胸の前で合わせ、広い肩幅をきゅっと縮める。たくましい上腕二頭筋に挟まれた胸筋が無駄に寄せられて盛り上がりを作る。ルカはめずらしくイラッとした。
(スカーレットが同じ仕草をしたら守ってやりたくもなるが……)
「な、なんだ。梟か。てっきり超大型魔獣でも来たのかと思ったぜ……。まあ、そんなのが来ても俺がいれば問題ないけどな!!」
ホッグウォッグは誤魔化すように咳ばらいをすると、また威厳を見せつけるように腕を組みなおした。が、ルカにはもうとっくにそんなものを感じる余白はなくなっていたのである。
(この図体でどうやったらそんなに臆病に育つのか)
エーデルリンクは心底残念そうな目を横の男に向けた。ホッグウォッグがいちいち物音にビビッて話が中断されるのもなんなので、ルカたちはいったん家のなかに入った。とはいえ玄関ホールでの立ち話である。
聞けば魔術学校における森番というのは魔獣を間引くのはもちろん、動植物の分布を調べたり、森の様相を敏感に感じ取り生態系に変化の兆候があるかなどを報告したりすることが主な仕事になるという。魔獣の捕獲や薬草の採取などで魔術師団や研究者の支援に回ることもある。つまり目の前の男はいまどう見えていようが、それだけの実力があるということになる。ルカは一転感心するも、エーデルリンクの口振りはプルメリアが例の伝書鳥を飛ばして森がざわついていたのを見逃したことを怒っていると示唆していた。今日情けなく見えるのはそういう事情があってのことだと信じたい。
「ルカは広く森の管理までする必要は、いまのところない。ホッグについて必要な場面で適宜魔獣狩りをしてほしい」
「なるほど」
ホッグウォッグはにんまりと笑ってふんぞり返った。
「まあ! 本来俺くらいのベテランの森番になるとだな! 一人でエルダーの森くらい管理できるんだがな! 優秀ゆえにいままで弟子がいなかったんだ! しかし! 校長先生に頼まれちゃあ、しかたがねぇっていうもんだ! お前みたいな生っちろい奴でも少しは役に立つだろうと……あ痛てっ! なんですか校長先生!」
この男はどうやら懲りない性分のようである。
「失礼なことを言うな馬鹿者! 誰がお前の弟子だ!」
「だって……!」
「だってじゃない!」
エーデルリンクが杖をぐっと前に出して見せるとホッグウォッグは今度は素早く頭を守った。下手をすれば神話級の魔獣が現れる森を「エルダーの森くらい」と言っては、それは怒られること至極当然といえよう。
「すまんなルカ。こいつはモテないんだ。それでただでさえ以前から女生徒のファンがいる君と自分を比べていたのに、君がヒュドラ討伐の実績まで得たものだから妬ましくてならんようなんだ」
「はあ」
「ちっ……違いますよ校長先生! なにを仰るんですか!」
女生徒のファンとやらはルカにはよくわからなかったが、たしかに森番としては管理している森で自分が駆けつけられなかった場面で、めずらしい魔獣を他人が倒してしまったとなれば、おもしろくなくてもしかたがない。言われるまでそんなことは思いもしなかった。
ルカはこれから森での仕事を教えてもらう立場のため、「よろしくお願いします」とあいさつをした。
「お……おう! しかたがねぇからこの俺が……」
「君はホッグの弟子ではない。同僚だ。なんなら狩りの腕なら君のほうが上なわけだし」
エーデルリンクはホッグウォッグがなにか言おうとしたのをわざと妨げてこき下ろした。
「校長先生! それはないですよ!」
「呼び方もホッグでいい。みんなそう呼ぶから。はじめは勝手がわからないだろうから教えてもらうことばかりだろうが、それはただ単にこいつが古株だというだけで偉いわけではない。それは知っておくように」
「はあ」
「お前も『はあ』じゃねぇよ!」ホッグは顔を紅潮させてその場で地団太を踏んだ。だがなんとか自分を取り戻し、三度目の正直とばかり威厳をもった顔をつくった。「あの森では中型以上の魔獣を狩る。小型は残しておいても問題はねぇ。足手まといにゃあ、なるなよ!」
「わかりました」
「獲った魔獣で食用になるものは寮や学内食堂に配られて、俺らのメシの足しになる」
なるほど、それは大切な仕事だ。ホッグがこれまで発信した情報のなかでもっとも重要なものだ。ルカはバルバラの手料理を思い出しながら、神妙な顔をしてうなずいた。
「よし、今日から俺がボスだ! ついてこい! あ痛てっ……痛てててて!」
ホッグの耳が思いっきり引っ張られている。あれは痛い。しばらくホッグを懲らしめたのち、エーデルリンクは場を修正するように咳ばらいをして言った。
「明日……はヒュドラの骨の買い取り金を受け取るんだったな。じゃあ明後日からホッグについて森を歩いてみるといい。なにかあれば私に伝書鳥をくれ」
「はい」
「じゃあ顔合わせは済んだ。もう用はないからとっとと帰れ」エーデルリンクはホッグにだけそう言った。
「そんなぁ!」
エーデルリンクの言い草にホッグはショックを受けている。でかい背中を丸めてすごすごと玄関へ向かうさまは、見る者にかぶりつく寸前で獲物に逃げられた熊のような哀愁を感じさせた。
「ルカ! 明後日は二の鐘に寮の下に出てこいよ!」
ホッグは玄関を一歩出たところででかい図体をくるりと翻すと、捨て台詞のようにルカに命令し、耳を引っ張られないうちに逃げていった。おそらく奴はまだ、弟子の件をあきらめていない。
※2022.12.22 誤字修正をしました。