056.ウルハイ族と飛羊(アウルルク)
「お食事はもう少しお待ちになってね」
言いながらサニカは応接間の席に着いたルカたちにお茶のカップを並べ、忙しなく台所へ向かっていく。彼女一人で切り盛りしているらしい。
「今日は急にすまなかったね。一度ゆっくり話してみたいと思っていたんだ」
エーデルリンクは長い髭をさすりながら二人を見て話しかけた。
招き入れられた部屋は仕立ての良い家具に囲まれ、一見裕福な庶民の家といった雰囲気だが、ところどころオクノの医務室で見たような柄物の布を組み合わせて作ったクッションやタペストリーが紛れている。壁際のチェストの上にはやはり医務室で見たような鏡を使った飾りが吊るされていた。
「奥様はもしかしてガジュラ先生と同じご出身なんですか」
リヒトが聞くと、エーデルリンクはにっこりと頷いた。
「そうだ。ウルハイ族といってね、歴史の授業で習うんだが、たしか二年生だったかな」
「はい。まだ授業では習っていません。でも東の亡国の生き残りをこの国が受け入れたと聞いたことがあります」
エーデルリンクはリヒトを見、いかにも優等生を褒めるように頷いた。
「うん。王国を東に行き山々を越えると、いまは閉山している金鉱山がある。そのさらに向こうだ。彼らの国というのは私たちが想像する国とは少し違ってね、もともと遊牧の民だったんだよ。羊や馬を連れて、それらが食む草を求めてゆっくりと移動するんだ」
「拠点はないんですか」
「家ごと移動するからね。夏と冬で大体いる場所はあるんだが、そこら一帯としか言えないな。でも〈精霊の岩〉と呼ばれている神聖な地を中心にして、一年に一度はそこに戻っていたそうだよ」
エーデルリンクは五十年ほど前、遠く遠く東で起きた複合災害によって、彼らの放牧地が死の土地となったことを教えてくれた。ウルハイ族は大干ばつと異常気象による厳冬に立て続けに見舞われ、飼料は枯渇し、人にも動物にも多く被害が出た。生き残った者たちは安息の地を求め、西へ西へと移動した。いつか必ず〈精霊の岩〉の元へ戻ると誓って。
当時からウルハイ族と王国は魔法の絨毯を使った交易をしていたので、王国側でも彼らの事情は理解していた。王国には彼らを受け入れる理由があった。彼らの連れている動物のひとつ、飛羊――それこそが魔法の絨毯の原料だったのだ。歴史上、王国は幾度も野生の飛羊を捕らえては飼養に挑戦していたが、一度も成功したことはなかった。そしてウルハイ族だけが遊牧の形で飼育管理に成功していたのだ。彼らは飛羊の飼育に関して王国に協力することを良しとしていなかった。飛羊は彼らにとって神聖な魔獣であり、その毛は飛羊が邪魔になったぶんだけを刈って生活に利用するという姿勢を貫いていたのだ。そのためただ絨毯を量産したいという王国の要望を受け入れることは長らくできなかった。
「魔法の絨毯。あれが高級魔術具なのは、原料になる飛羊の数の減少が原因なんだ。一頭の飛羊から取れる量がわずかでね。全身使えればいいんだが、首の下の柔らかいところしか魔法の絨毯の原料にはならないんだよ。いま少しずつ数が増えているんだけど、一時は災害のせいもあって絶滅に近いところまでいったからね。まだしばらく一般庶民には手が出ないだろうな」
王国へ下るということは、飛羊の家畜化に協力するということだ。ただでさえ数が減った彼らは内部で意見が割れ、王国へ下る者とこのまま新天地を求め旅を続ける者とで二分された。旅を続ける者は進路を北に取り、去っていった。しかし王国へ下った者たちも民族の誇りを忘れたわけではなかった。その名残が独特な布の装飾だったり、ウルハイ族のお守りだという鏡の工芸品だったりするのである。
そして王国は飛羊飼育に協力するのと引き換えに彼らの権利を保証して受け入れる運びとなった。
「彼らは私たちとは魔法や魔術に対する考え方から違う。使う言葉も違うんだ。そうそう、飛羊を"飼育"なんてウルハイ族の前で言ってはいけないよ。"ともにある"と言うんだ。うちの妻は慣れてしまった部分もあるんだが、それは私と結婚したからで、ウルハイ族同士で血を繋いでる家だとまだ厳格に言葉を使い分けている」
初めて聞く他民族の話だったため、ルカもリヒトもすっかりひきこまれていた。
「結局飛羊の繁殖には成功したんですか?」
繁殖という言葉も怒られそうではあるが、リヒトは気遣うあまり気になることが聞けなくなるほうが嫌なのではっきりと質問した。
「うん、それなんだが……蓋を開けてみたら、なんでウルハイ族だけ上手くやれているのか、彼ら自身にもわからなかったんだよ」
「なんですかそれ」ルカもそう思う。
「どうやら囲いがあるところで飼うのは絶対駄目というのはわかったんだ。しかしそれはウルハイ族を受け入れる前から想定してたんだが」
そのためいまは国としては旧金鉱山付近に放牧地をつくって地道に数を増やしているという。
「実は魔術学校も門の反対側で飼ってるんだ。ちょっと離れているから生徒たちは知らないんだが。君たちも知っている通り、魔術学校もウルハイ族を受け入れたからね。王国のやつらのところより増えているんだよ」
エーデルリンクは誇らしげに胸を張って言った。
「あ、だからプルメリア」リヒトが思いついたようにはっとして言った。
「そう! あの子に飛羊の管理を手伝わせられないかと思っているんだよ! どのくらい役に立つかは未知数ではあるけど、いやぁ、いい拾いものをした。ラッキーだったな。怪我の功名。教会の馬鹿どもめ。そこに気がつかずあっさり手放して。上手くすれば王家に高値で売れたのにな」
エーデルリンクは心からホクホクした顔で笑っている。二人は敬愛すべき鳥仮面の女性を同時に思い出した。どうやらエーデルリンクは損得勘定のほうに重心が傾いていたらしかった。
「彼らが五十年経ったいまも〈精霊の岩〉のもとへ戻らないのはどうしてですか」
ルカは気を取り直して気になったことを聞いてみた。五十年間ずっと干ばつや厳冬が続いているわけでもあるまい。気候が変わってしまったにしろ、いまでも民族の誇りを持って装飾品を作り続けているのなら、オクノやガジュラも戻りたいのではなかろうか。
「ああ、もちろん様子は見に行ったんだよ。数年経ってからね。しかし『〈精霊の岩〉にもう精霊は御座しではなかった』と言ったんだ」
「精霊が御座しではない?」リヒトが反復する。
「うん。それで彼らは王国に留まることにした。まあこのあたりはガジュラやオクノに聞いてみるといい。彼らの言葉遣いは、勉強になるよ。ルカ殿にも、リヒトにもね」
そしてエーデルリンクは、彼らが「半身」と呼んだ北に進路を取った者たちの行方も杳として知れなかったとついでのように話した。
※2022.12.22 誤字修正をしました。