054.エイプリルとお話(2/2)
「ルカさんの能力について、私たちが無理に暴き立てることはありません」エイプリルは毅然として言った。「たしかに私含む魔術学校の幹部たちは、あの場に居合わせた者たちから『異常なことが起きた』と聞いています。ルカさんの〈恩恵〉についていくつかの推測が出たのも事実です。ですが詳細をこちらから追及することはないとお約束します。あの場にいた教師たちはもちろん、護衛も全員魔術学校所属の研究員たちです。あなたへの恩義があり、あなたの情報を漏らすことはありません」
「それを信じろって言うんですか」リヒトが問いかける。これは本気で疑っているわけではなく、続きを促す合いの手のようなものだ。
「話してもらえるならありがたいというのは否定しません。ですがこちらの好奇心を満たすためだけに、ルカさんへの心証を悪くするのは意味がないんです」
もともと能力が知られるのはやむを得ないとあの戦いの場で腹を括っていたので、魔術学校側から口を噤むと提案されたのは僥倖でしかない。ルカたちの表情から警戒が薄れたのがわかったのか、エイプリルは続けた。
「ただ我々と共有する利点はあるかと思います。我々が協力すればルカさんの〈恩恵〉をより有効に行使する手助けもできるでしょう。たとえばルカさんが我々の提供する魔術具の助けを借りればもっと……」
リヒトの視線が少し下がったのを見て、ルカはエイプリルの話を途中で遮った。
「たしかに魅力的なお話ですが、私の弟が誰か忘れていませんか」
いまのエイプリルの発言の"我々"にはリヒトは入っていなかった。リヒトを飛び越えてそんな話をされても、ルカが首を縦に振るはずがない。財力や待遇の問題ではないのだ。
「……そうでしたね」エイプリルはあっさりと引き下がった。
「ところでいまのお話だと、魔術学校はどこかと戦っているのですか」
べつにリヒトが国の官僚になろうと、魔術学校に不利に働くとは思えない。
「魔術学校はエルダーの森含め、豊かな領地を持っています。門の向こうには生息していない魔獣や薬草も、喉から手が出るほど欲しいという者は少なくありません。そして三権というのは互いに協力関係を保つと表向き言っていますが、実にやっかいな面があるんです。王家はこちらに少しでもほころびがあれば、魔術学校を手にしようとするでしょう。教会も似たようなものです。年に一度、入学式の日に教皇御一行をお招きしますが、我々がにこやかに出迎えている裏で魔術師団は厳戒態勢なんですよ」
「なるほど」
「でもたとえそのような理由がなくとも、極めて優秀な者は手元に置いておきたい。そういうものではありませんか?」
エイプリルはルカが口に出さなかった発言の意図を正確に捉えていた。小首を傾げて問われ、ルカも同意せざるを得なかった。
「わかりました。先ほどのあなたの提案は少し考える時間をください。ただ私はリヒトの味方なので、リヒトがここにいたいと思い続けられるようにしていただきたい」
「……尽力しましょう」
三者視線を交わし合い、この話はこれで終わりとばかり頷いた。
「ほかにはないですか」
大きな話題がひと段落したためか、エイプリルは心なし力を抜いて尋ねた。ルカは特になかったので肩をすくめると、「あ、じゃあもうひとつ」とリヒトが手を挙げた。
「コクトー先生、今日久しぶりに見たらすごく顔色悪かったんですけど、なにかあったんですか」
今日顔色が悪かった教師といえば、ヒュドラとの戦いで風の魔術を使っていた彼である。ルカは挨拶をしたときの青く強張った顔を思い浮かべた。
「コクトーは本日の報告会を最後にしばらく休職します」
「え!」リヒトは驚いて立ち上がりかけたが、すぐに続きを聞こうと座りなおした。
「そういえばリヒトは彼の研究に興味を持っていましたね」
「はい……」
「彼はスカーレットとプルメリアを見捨てる決断をしたでしょう。それで自責の念に耐えられなくなったのです」
「いや、あれはまだ毒のことにも気づいてなくて、どうしようもなかったから……!」
自分も死ぬ覚悟をしていたのに、リヒトの目がそう言っていた。
「もちろんわかっています」
「じゃあなんで」
リヒトは興奮して言葉遣いが乱れていたが、エイプリルがそれを気にする素振りはなかった。
「彼と少し話をしたのですが、彼はもし他人の身に同じことが起きたとして、『自分を責める必要はない』と慰めると言いました。つまり頭ではわかっているのです。しかし頭でわかっていることに心が追いつくことが、すぐにはできない場合もあるのです」
「そんな……」
「スカーレットもプルメリアも、誰も死なずにすみました。でも結果が良かったからといって、思い悩むことがなくなるわけではないのです」
「……」
納得のいかない顔で俯いているリヒトに、エイプリルは続けて別の話をした。
「実は頑なに口を噤んでいたプルメリアは、伝書鳥とヨルムンガンドの血という動かぬ証拠を突きつけられてもなお、意地を張って黙りこんでいたのです」
「え……?」
急に話題が飛んだのでリヒトは反射的に顔を上げた。
「でもコクトーのことを話したら、しばらく固まったあと力なく座り込んで、涙をこぼして本当のことを話してくれました。私たちが彼女の教師を続けたい、続けられると思ったのは、そのことがあったからです。最終的にエーデルリンク校長に彼女の更生の機会を訴えたのはコクトー自身ですけどね。……彼は強い人です。きっと戻ってきますよ」
エイプリルの言葉にルカは頷いて応えたが、リヒトは真偽を見定めるようにエイプリルの目をじっと見つめるだけに留まった。
「そうだわ。私からもよいですか」エイプリルは嘴をリヒトに向けて尋ねた。
「はい」
「ジェットは元気ですか。担任のムスタフェから聞くぶんには変わった様子はないそうですが、友達同士だと気づくこともあるのでは?」
ジェットにはとくに責任もないのだが、聴き取りの段階で自分がつくった伝書鳥が関わっていると悟られた。そのため、薬の正体はぼかしつつもプルメリアがどう利用したのかは伝えられていたという。リヒトは相手がエイプリルでも遠慮なく「なんだそんなことか」といった顔をした。
「いや、あいつは元気ですよ。心配するだけ無駄です。今朝も伝書鳥をいじってましたよ。それでシルジュブレッタ先生に『全部見せてみたまえ』って追いかけられてました」
ルカはその様子を見ていなかったが手に取るように容易に想像できた。シルジュブレッタは改造伝書鳥に生徒がどう挑戦したのか気になって、朝からクプレッスス寮に押しかけていたに違いない。そしてそれをマロルネも止めないに決まっているのだ。なぜなら自分も見たいから。
「ああ、あれは一年生にしてはなかなか良い研究ですものね」
エイプリルが仮面のなかでふふ、と笑う。その声はそれまでよりほのかに優しげに響いたのだった。
エイプリルの反省点:ルカを落としたかったら、まずリヒトから。