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048.スカーレットのお見舞い

 マロルネと別れ、スカーレットの顔を見に行くことにした。

 薬草畑の横を通り、ドーム状の温室が現れ、その奥に隠れるようにしてそれはあった。

 薬草学の研究棟とのことだったが、シルジュブレッタの居るような石造りの荘厳な建物ではなく、三階建てのレンガ造りで、この学校の中ではこぢんまりとしたかわいらしい見た目のものだった。


 リヒトはしっかりと場所を把握しているようで、迷うことなく進んでいった。一階の玄関を入ってすぐのところに赤く塗られたアーチ型の木の扉があり、小さく割った不揃いな鏡がモザイクタイルとして色とりどりのビーズとともに扉の中央を装飾している。

 リヒトが扉を叩くと、中からしわがれた声が「入りな」と招いた。


「オクノ先生だよ」


 リヒトが小声でルカに教え、扉を開けて入っていく。急に濃密な薬草の匂いがルカの鼻をついた。外の薬草畑は季節柄かまばらではありつつも爽やかな様子だったが、ここは加工した後のあらゆる薬草の匂いがごったになって籠もっていた。それだけで異空間に迷い込んだような気さえする。

 さらには中の壁は扉同様赤く塗られており、鏡を色紐で装飾した飾りが至る所に吊り下がっていたり、濃い色の柄ものの布で棚やソファが飾られていたりと、ルカがいままでに見たことのない趣向の内装が施されていたのだった。


「リヒトと……兄のルカだね」

 先ほどリヒトとルカを招き入れた声の主が現れた。複雑な文様が刺繍された深い臙脂のケープを身に着けており、フードの下から色褪せた髪と年を重ねた褐色の肌が覗いている。

「スカーレットは奥にいるよ」

「失礼します」

 オクノは必要以上のことは話さず、体を横にどかしてリヒトとルカを通してくれた。



 衝立の向こうにベッドがふたつ並んでいて、スカーレットがそのうちのひとつに起き上がって座っていた。

「来てくれたのね!」

 スカーレットは声でリヒトとルカだとわかっていたのだろう。顔を輝かせている。血色が良く、悪いところはなさそうに見える。


「治癒魔法が使えるのになんでまだここで寝てるんだ」

 リヒトは憎まれ口を叩きながら空いているベッドに腰かけ、ルカも横に並んだ。

「お義理でも心配したよとか言えないの!?」

 スカーレットが声を張り上げて言い返す。極めて元気だ。良いことだ。


「顔を見たら安心したよ」

「ありがとうルカさま!」


 スカーレットはふんわりした素材の薄紅色のワンピースを着ていた。

 ベッド回りもまたすごく、柄ものの布を何種類も組み合わせて作ったクッションや上掛け、カーテンなどに囲まれている。そして鏡の飾りのほかに花籠やドライフラワーと化した薬草がいくつも吊るしてあった。ただ匂いは濃いものの、決して不快になるようなものではなく、不思議とずっと嗅いでいたくなるような感覚をいだいた。


 スカーレットとリヒトがやいのやいの言い合っているので、ルカはベッドの足側に無造作に置かれていた本を手に取った。美しい装丁で可憐な花の絵が表紙を彩っている。パラパラと頁を繰っていき、栞が挟んであるところに行き着いた。


「ふむ……『顔を見せてごらん、アガーテ。君がやったことではないのだろう? 君の心がウンディーネの棲まう湖のように美しいことは、私が一番よくわかっている』」


「ちょ、ちょっ……なに見てるの!?」

 真っ赤な顔をしたスカーレットは飛びかかるようにしてルカから本を奪った。

「少女小説か、くだらない」

「友達が暇だろうからって持ってきてくれたの!」

 自分のものではないと必死に主張しているが、リヒトの視線から庇うようにしっかりと抱きしめている。ルカとしては初めて見る種類の物語だ。たいへん興味深い。



「ふん、まあいい。今日はエルダーの森で起きたことを聞こうと思って来たんだ」

「なんでそんなに偉そうなのよ」

 言いながらスカーレットはさりげなく本を背後に置いた。

「あの馬鹿女、相当厳しく取り調べられてるらしいぞ」

 リヒトが言っているのは黒髪の女の子、プルメリアのことだろう。マロルネはそんなことは言っていなかったので、同級生から様子を聞いたに違いない。彼女は直前の行動に違和感があったし、スカーレットに悪感情を持っていたのは傍目にも明らかだったので、しっかりと聞き取りがされているのだろう。


 スカーレットはぎゅっと上掛けを握った。

「お前なにか見たんだろ?」リヒトが問う。

「わからないわ。ほんとにいきなり茂みから出てきて、むこうもわたしたちの班を見て驚いてたもの」

「じゃあ出くわしたこと自体は偶然ってことか」

「たぶん」

「なにかへんな動きはなかったか」

「あ、伝書鳥メールバードを……出そうとしてたのかな。手の中にあったわ。野外実習中にそんなの使うなんて変だって思ったから、見間違いじゃないわ」

「伝書鳥?」

 ルカが聞く。リヒトはもう知っているというような顔をしていた。


「ええ。わたしたちの班と出くわして、わたしを一度睨んだあと、なにも言わずに少し離れていったの。目に見える程度の距離だけど」

「それで?」

「わたしたち魔法使いクラスは各班一人か二人しかいないでしょ? わたしの班はわたしだけだったから、魔術使いクラスの子は気を遣って『話しかけてきたら?』って言ったの。魔法使いクラスじゃ、わたしたちの仲が悪いことはみんな知ってるから、ぜったい言わないけど」

「うん」

「で、クラスメイトと仲が悪いの、なんて初対面の子たちに言えなくて、しかたなく話しかけに行ったの」

「スカーレットにも問題があるのかもと思われるからな」

 リヒトは一定の理解を示した。


「うん……それでわたし一人であの子に近づいて行ったら、手の中に伝書鳥があったの。それが変なんだけど、革袋から小さな小瓶を取り出して、伝書鳥に中身の液体を振りかけていたのよね」

「それから」

「そしたら地面が揺れて、なにか大きなものが近づいてくる気配がして、木々を越えてそれが首を出して、……みんなその場からろくに動けなかったわ」

「それがヒュドラか」

 スカーレットはうなずいた。


「ヒュドラはわたしたちのほうにまっすぐ向かってきた。ほとんど同時に、わたしたちの班の護衛の人がシグナルストーンを使ってくれた。わたしたちはそれに考えが及ばないくらい頭が真っ白になっていたの」

 無理もない。戦う術もなくあんなものを突然見たら足が竦むのは当然だ。


「ヒュドラが周りの木々をなぎ倒して、わたしとあの子は木の下敷きになるところだった。そしたら班の子が檻を発動させながら投げつけて、わたしたちを檻に閉じ込めることで木の下敷きになるのを回避してくれた。そこからは記憶がないの。昨日、お見舞いに来てくれた班の子に聞いたら、檻が不安定に傾いて横倒しになって、わたしたちは揉み合うように倒れこんでお互いの頭をぶつけたみたい。まぬけよね。わたしたちが気を失ったあと、すぐに先生たちが駆けつけてきて、班の子たちは避難することになったそうよ。あとは……リヒトのほうが知ってるでしょ」

「ああ」


 怖かった記憶を整理したスカーレットは、一息つくとルカに向き直った。

「ルカさまが助けてくれたって聞いたわ。ありがとう」

「私だけではないよ。ずっと君を守って戦っていたのは先生や居合わせた護衛たちだし、ヒュドラに自身の毒が効くのを見つけたのはリヒトだ。みなでの勝利だな」

 そう言うと、スカーレットは琥珀のような目を潤ませてじっとこちらを見た。なにかまずいことを言っただろうか。いまいち女の子の扱いはルカにはわからない。


「おいブス。二度と兄さんをそんな目で見るんじゃない」

「ブッ……! ブス!? このわたしに向かってブスですって!? わたしは町一番の美人になるって言われてたのよ!?」


 スカーレットは立ち上がり、目を剥いて怒った。おそらく生まれてこのかた言われたことのない暴言だったろう。


「はいはい親の欲目親の欲目」

「リヒト、女の子にそんなひどいことを言ってはいけない」

「ごめんなさい」

「謝るの早っ!」

「スカーレットは……そこそこかわいいだろう」

 ルカはスカーレットの顔をまじまじと見たあと裁定を下した。

「……ほら! ルカさまはかわいいって!!」

「黙れそこそこ」

「なんでそこを抜き取るのよ!」

「お前だって都合のいいところだけ抜き出しただろ」

「ぐぅっ!!」


 スカーレットが身悶えている。もしかしてヒュドラの毒の症状がいまごろになって現れてきたのではあるまいか。ルカは心配した。


「なんなの!? ほんとなんなの!? 人の顔見て真剣にそこそこだなんて! あとなんでリヒトの頭撫でてんのルカさま!?」

「え、場を和ませようとしてわざと露悪的な言葉を言ってしまったリヒトがいじらしくてかわいくて」

「なにその曲解! ちがうわよ! わたしがただ単純に罵られただけよ! そいつに和ませようなんて意図があるわけないでしょ!?」

「リヒト、お前の心がウンディーネの棲まう湖のように美しいことは私が一番よくわかっている」

「聞いて!? あとその台詞せりふこの本からの引用よね!?」

 スカーレットは後ろに隠していた本をずずいと押し出した。

「でもいくら他の意図があったとしても、その薔薇の花びらを食んだような愛らしい唇で、いたずらな言葉を紡がないでくれ」

「うんわかった」

「オリジナル……!!」

「どうだ。私の応用力もなかなかのものだろう」

「さすが兄さん」


 ルカに頭を撫でられて頬を染めている男は、スカーレットからしたら悪魔にしか見えない。


「……!! どこが……!! 薔薇の……!!」

「よく見ろスカーレット」

 リヒトはルカと微笑み合っている顔をまったくこちらに向けることなく話しかけてきた。

「なにをよ!」

「美しい顔というのは兄さんのような顔を言うんだ」

「……!!」


 スカーレットはルカの顔を見た。妖精の王と見紛みまごうばかりの幻想的な美貌がそこにはあった。


「まけ…………た……」

「勝った……」

 スカーレットはがっくりと膝をつき、なぜかリヒトの勝利宣言で応酬は終了した。




 スカーレットは知らなかった。

 ルカにとって「かわいい」はリヒトしかおらず、「そこそこかわいい」が二番目に強い称号であることを。

 素直にしろ天邪鬼にしろ、スカーレットが生きていてくれて嬉しい兄弟。作者も嬉しい。

※2024.05.08 誤字修正をしました。

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