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045.活路

 人の命を諦める。その選択をするのは生まれて初めてのことになる。

 ルカはあまり人間が好きではない。他人ひとに言えば自分も人間なのにと言われることだろう。己の見た目とか、村の仕打ちとか、そんなことはどうでもいいのだ。ただルカはどこか自分を冷たい人間だと思っていた。

 人が獣に襲われていたとして、なんとしてでも助けなければとは思わない。いままで誰かを援護した折は、魔獣を排除することがルカとリヒトの利になると考え、結果襲われている者も助けることになっていた。しかし本来であれば襲われている者が勝てれば生き残れるし、負ければ死ぬというだけで、こちらが助ける義理はない。負けるのが悪いというのではない。ただ弱い者は強い者の糧になるのが普通というだけだ。

 獣が人を襲い食うのなら、それは自然の摂理の一部であり、生命のサイクルだ。襲われている者を助けるということは、獣の糧を奪うということになる。その獣だって肉を食わねば力が出ないし、巣穴で待つ仔に乳をやれないかもしれない。人も獣も同じだ。同じ自然のなかで必死に生きているだけだ。ルカもいつか獣に負けるとき――もちろん自身が負けるのは嫌だし必死に抗うが、それでも負けたとき、彼らに食まれ土に還りたいと思う。



   *


 ルカはいつも、自分が暗闇のなかで宙に浮いているような気がしていた。

 星も月もない、真っ暗な空間に、ルカ一人がふわりふわりと胎児の姿勢で浮いている。ふと見ると、遠くでみなが楽しそうに寄り集まっていて、そこが地面なのだとわかる。人が本来いるべき場所を、不思議な気持ちで見つめている。

 みなが地面に足をつけているのに、自分だけ中空に浮いている。彼らと同じ高さのものを見ることができず、彼らがこちらを見ることもないと知っている。

 そういう暗闇のなかを、ずっと漂っていた。


 そんなルカを、いつからか、くん、と引く者がいる。

 見ると、黒いつぶらな双眸が、不安げにルカを見つめ服を引いているのだ。


 ――いかないでよ、兄ちゃん


   *



 ルカが自然の摂理に逆らって、命に代えても守りたい者はリヒトだけだ。それはいまも昔も変わらない。両親やヴォルフも大切だが、この者のためなら死んでもいいと思えるのはリヒトだけだ。


 だからリヒトをほかの者と一緒にさっさと逃がすべきだ。彼らを逃がさなかったからといってスカーレットが助かるわけではない。スカーレットの生きる目はもうないはずだ。だから合理的に考えて、さっさと次の行動に移るべきなのだ。でも攻撃を担っている彼らを逃がしたら、本当にスカーレットは死を待つだけになってしまう。ルカは動揺した。そして動揺した自分に驚いた。どうしようもない状況で死にかかっている、リヒト以外の者を惜しんでいる。なにかないか、なにかないかと、タイムリミットを引き延ばして一握りの希望を探している。



「……苦しんでる」

 リヒトが横でなにか呟いた。


「なんだって?」ルカはよく聞き取れなくて聞き返した。

「さっきからなにかに苦しんでる」

 リヒトがヒュドラを凝視しながらもう一度言った。見ると、ヒュドラは怒りをあらわにして首をうねらせている。前足を上げてはドスンと踏み鳴らし、獰猛さをさらに顕著にしていた。

「……先ほど光の刃でなぶられた傷が塞がっていないな」

 ルカも気がついた。男性教師の刃が掠って浅い傷をつくったところが塞がっていない。ねられた首すら再生するくせに。よく見るとあの足の踏み鳴らしも、痛がっているように見える。いや、痛がっているのだ。明らかに。


 護衛たちが最後の抵抗のように炎弾を繰り出すなか、兄弟はヒュドラをさらに観察した。

「リヒト、ヒュドラの体に紫色の液体が伝っているようだが」

 ヒュドラの体表に粘度の高い液体が伝った跡があった。よく見ると周囲の木々や岩々にも同じような粘液が大量に付着している。

「ああ、あれは吐いた毒が液体に戻って……そうか」

「どうした?」

「あの紫の液体は、ヒュドラの毒だよ。ヒュドラが噴霧した毒が風で追いやられて体にぶつかって、伝い落ちるときに先生の光の刃が当たったんだ」

「なるほど」

「そしてそこの傷は再生してない」

「ふむ……」ルカにもリヒトが言いたいことがわかった。

「あの毒は、自分自身にも効くんだ」


 リヒトとの簡潔な確認で、あの鱗は自身の毒から体の外身そとみを強固に守っているが、鱗を傷つけたところから染みた毒は確実に肉を蝕みつつあると推測した。しかも体表を伝わる程度の量でもかなりの効果がある。それは傷回りの、本来灰白色の鱗がじわじわと黒ずみはじめていることから確信に変わった。


「時間がないな」

 風はもうかなり弱まっていた。リヒトの導き出した答えを聞いて、ルカは矢筒に残る矢を撫でた。

「兄さん」

 ルカは矢を一本取り出すと、じっと見つめた。

「大丈夫だ。リヒトのおかげで希望が持てたよ」

「ほんと!?」

「ここで見ていなさい。スカーレットは私が助ける」

「……うん」


 ルカはいまや遠く離れた枝耳兎の皮についているマーカーを外した。これでもう、リヒトを一瞬で安全圏に逃がしてやることはできない。でもそれでいい。自分はヒュドラに勝つ。リヒトが見出した活路を、無駄にするわけにはいかない。



(十……)



 ルカは教師が最後の力を振り絞って行使している風の魔術の隙間を縫って一撃、ヒュドラの胸に撃ち込んだ。



(〈相互移動〉――)

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