042.赤い狼煙
ルカの担当班は男女バランスの取れた六人の班だ。時告草には辿り着けていないが、それ以外の有用な薬草や木の実は順調に採取している。
「あ! 枝耳兎!」
魔術使いの女の子が小さな声でルカも見慣れた小動物を指差した。すでに騒ぎすぎて臆病な小型魔獣を何度も取り逃がしてきたので、さすがに学習したらしい。枝耳兎は魔獣ではないが、このままでは狩りを体験する前に時告草が資料通りになってしまいそうなので、ルカはあれを狩ろうと提案した。
「えっと、まず雷撃石を持って……」
「魔力を流す前に杖で方向性を決めるのよ」
「わかってるよ」
班長の男の子が代表して攻撃することになった。周りの子は興味深そうにその子を取り囲んでいる。自分もやってみたくてうずうずしているのがわかって微笑ましい。男の子は左手に雷撃石を握りこみ、右手に杖を持って茂みの陰から枝耳兎に狙いを定めた。
「行くぞ……」
ビシッ
小さな雷が枝分かれしつつもターゲットに撃ち込まれた。枝耳兎は一瞬で倒れこんだ。
「やった!」
「やったね!」
みんな飛び跳ねて喜んでいるが、あれはそばに立っていたら枝分かれした雷が流れてきて結構危ないのではないだろうか。
(リミッターがついていてよかった……)
今日帰ったらリヒトにはぜったい使わないよう言い聞かせなければならない。狙いが適当な武器など言語道断である。
「あのー……ルカさん?」
生徒の一人に話しかけられ、ルカは我に返る。
「ああ、そうか。とどめか」
「お願いします」
とどめは大人が立ち会っているときと説明はあったが、生徒がとどめを刺してはいけないということではなかった。
「じゃあ、誰か代表でとどめを刺して捌こうか」
「えっ」
自分たちがとどめを刺すとは思わなかったのだろう。一様に青い顔をしている。しかしせっかくの狩猟体験なのだ。獲物を苦しみから手早く解き放ち、その肉や皮を最良の状態で手に入れるところまでやるべきだ。ルカは涙目の子どもたちに一から丁寧に手順を教え、枝耳兎は綺麗に肉と皮に分かれた。
「では食べようか」
「え」
また驚いている。なにかおかしなことを言っただろうか。
「ここで食べるんですか」
「……? そうだ」
ルカは乾いた折れ枝を拾ってきて、先ほど撃った子以外の子たちに雷を何度か撃たせることで火を起こした。私物として火打石は持っていたが、生徒たちのありもので済ませるべきであろう。ナイフで手早く串をつくり、肉を刺していく。
「塩も持っているんですね……」
野営用に最低限、塩の入った小瓶を持ち歩いている。リヒトも持っているはずだ。塩味がないと物足りないのでこれだけはサービスしてやることにする。この子たちは山や森で一人で生きていくのは無理だな、とルカは思った。
「美味しい!」
焼けた肉を頬張って歓声が上がった。ただの塩味の焼肉なのだが、狩ったばかりの新鮮な肉だ。なにより自分たちで獲ったという達成感もあるのだろう。ルカも勧められてご相伴にあずかる。小さな兎なので七人ですぐに食べきってしまったが、みな一様に満たされた顔をしていた。
「皮は切り分けてお揃いのキーホルダーをつくろうと思います」
班長の男の子の言葉にほかのメンバーもうなずきあっている。なかなか良い体験学習になったのではないだろうか。
とここで、ちょうど四の鐘が遠くで鳴るのが聴こえてきた。良いタイミングだ。
「ではそろそろ本腰を入れて目標の薬草を探そうか」
そう言ってみんなの重い腰を上げさせたときだった。
どーん!
赤い狼煙が上がった。
「色音石!」
子どもたちに動揺が走る。
「あれは……私たちより早くに入った班の位置だな」
ルカは言いながらマーカーの位置を感じ取り、リヒトのいる場所ではないと確信する。しかし……
(リヒトにつけたマーカーが……狼煙の上がった位置に近づいている)
「どうしましょう、ルカさん」
不安げな声を聞き、ルカは子どもたちの顔を見た。
「君たちがすべきことは緊急避難だ。とにかく脅威から離れなければならない」
「はい」
「私は赤い狼煙が上がったら援護に行かなければならないが、君たちの安全が優先だ。森を出る道はわかるか?」
「はい」
念のため班ごとに違う色の紐を枝に括りつけながら歩いてきた。特にこれまで難所もなかったので、落ち着いてさえいれば彼らだけでも問題ないはずだ。
「紐を回収しながら戻るんだ。なにかあったら迷わず君たちも色音石を使うように。私が必ず駆けつける」
「はい!」
万が一のことを考えて、班長の男の子が腰に結わえた枝耳兎の皮にマーカーをつけた。マーカーは二つまでしかつけられない。リヒトの手首に結んだ紐とこれで、打ち止めだ。
ルカは子どもたちを励まして送り出すと、狼煙の上がったほうへと全速力で駆けていった。
(リヒトのマーカーは、まだ小刻みに振られていない)
それはリヒトがまだ危機に瀕していないという望みをつなぐ理由だ。しかし紐を外して振る余裕すらないということもあり得る。なぜわざわざ脅威が起きているところへ近づいているのか。ルカはいますぐリヒトの紐と〈相互移動〉したい衝動を抑え、狼煙の場所まで辿り着き、茂みを掻き分けた。
現場に近づくにつれ、風がどんどん強くなっていくのがわかる。いったいなにが起きているんだろう。夏の大嵐でも、ここまでの風はなかなかない。
そうして駆けていると、紐が小刻みに振られた感覚があった。
ルカは心臓が止まりそうな思いで、リヒトの紐と自身を〈相互移動〉した。
次の瞬間、目の前にはリヒトがいた。
「兄さん!」
「リヒト! 無事か!?」
目を開けているのもやっとという凄まじい強風のなかで、ルカはリヒトを引き寄せて無事かどうか確認した。とくに怪我はしていないようだった。リヒトは雷撃石と杖を持っていた。
「お前に怖い思いをさせた者はどこだ」
ルカはリヒトがいままで見たこともないくらい厳しい目をしていた。
「兄さん、とりあえず僕は大丈夫。それより先生たちとスカーレットが大変なんだ」
リヒトの指差した方向では、三日月型の光の刃や雷、炎のつぶてが飛び交っていた。攻撃の光が靄のようになっていて視界が悪い。教師とほかの護衛たちが次々と魔術を放っている後ろ姿があった。誰もがこちらを気にする余裕を失っているようだ。
風はルカたちにとって追い風となっている。煙や土埃の立ち昇る隙間から、なにかがその灰白色の長い首をもたげたのが見えた。
風が一段と強く、ごうと吹き、刹那、その全容が露わになる。
ルカが目にしたのは、一つの屋敷ほどもある、見上げるほど大きな生き物だった。
御多分に洩れず、ルカは魔獣の名前を知らない。しかしトカゲのようにびっしりと鱗に覆われた四本足の青白い巨躯から、ひとつひとつが丸太のように太く長い首が何本も生えたその姿は、この国の子どもたちが寝物語に聴くような古代神話や御伽噺で度々描写されてきたものだ。
――ヒュドラ。
創世の記より語られる、鏖殺の神がそこにいる。