040.エルダーの森
「ルカさん、ぜったいに落ちませんから身を乗り出して下を見ても大丈夫ですよ」
マロルネが笑って言う。ルカは恐る恐る絨毯の縁に顔を出し、真下から後ろに流れていく景色を見た。
(あ! いま木のてっぺんを通り過ぎた!)
ルカは一人ではぜったいに見られない景色にいつのまにか夢中になっていた。絨毯のスピードがどんどん速くなっていることもまったく気にならなかった。鳥とはいつもこんな景色を見ていたのだろうか。時間を忘れて光景に見入っていると、やがて減速し、気づけば森の入り口に到着していた。
御者となった男性教師に礼を言い、森の端に立つ。残り二枚の絨毯はかなり離れたところにそれぞれ向かったらしい。班に分けたあとさらに大きなグループに分けて、並行して森歩きを進めるようだ。ルカはリヒトはここに来るだろうかと不安になったが、次の絨毯で問題なくやってきた。
念のためリヒトには朝、部屋を出るときにマーカーをつけた紐を手首に結ばせている。なにかあったらその紐をほどいて何度か小刻みに振ってから地面にでも放ってくれれば、すぐに紐と〈相互移動〉して助けに行けるからだ。小刻みに振るのは、最近マーカーの感知精度が気のせいとは言えないくらいに上がっており、マーカーが不自然な動きをすればすぐにわかるようになったからだ。リヒトによると〈恩恵〉は使い慣れることでその感覚が鋭くなるのだそうだ。リヒトも魔術具をどんどん作ることで魔術解析の能力は日を追うごとに上がっているらしい。
ここのルートには四~六人の班が六班、合計三十三人の生徒がやってきた。一年生担任の教師の一人と、もう一人教師がいる。護衛はルカを入れて六人なので、一人当たり一つの班を見ることになる。教師二人は全体を見る役割だ。
班は一定時間を置いて順番に森に入り、入ったあとは目標の薬草を探すため自由に行動してよい。
ルカは男性教師から担当する班を教えられ、リヒトの班ではなかったのでしょんぼりした。
「四人ってことは、私たちが一番優秀ってことよね!」
急に甲高い声が聞こえてきてルカはそちらに目を遣った。先ほど見た、リヒトと同じ班の女の子だ。同じ班の男の子二人は気まずそうな顔をしており、リヒトは……みんなが降りたあとの絨毯を観察するのに忙しそうにしている。
「リヒトくんはこないだの定期試験で魔術使いクラスの首席、フッタールくんとジェットくんも平民では二位と三位でしょう? 一緒の班になれて光栄だわ」
彼女はリヒトの優秀さを正しく理解しているようだが、なんだか話し方に違和感を覚える。ほかの班員三人に話しかけているようでいて、その声を別の誰かに聞かせようとしているようなのだ。彼女の眇めた目の先には、今日は綺麗に長い髪を三つ編みにしたスカーレットが立っていた。
「私なんて治癒魔法みたいな才に恵まれているわけじゃないから、自信なかったの! でも三人と一緒の班に選ばれるなんて、思ってもみなかった! 今日はよろしくね!」
なんだろう。魔術使いクラスの男子三人が、非常に面倒くさそうな顔をしている。今日はよろしくね、なんて雰囲気が微塵も漂っていないが大丈夫だろうか。彼女はユニコーンの銀バッヂだから、スカーレットと同じ平民の魔法使い――つまりクラスメイトのはずだ。
「まあよくあることですよ」
ルカの視線の先に気がついたのか、マロルネが話しかけてきた。「治癒魔法の使い手って、どうしても妬まれちゃうんです」
「そうなんですね」
「ええ。ただでさえ稀少な魔法使いのなかでもさらに稀少だし、人々から感謝されますしね。将来も安泰だし。教会でも群を抜いて優遇されるんですよ」
「なるほど」
「今日の班分けは、人数調整でひとつだけ四人の班ができてしまいました。それで少数でも対応できるように優秀な子を割り当てたのは事実ですが……正直、浅はかさを成績に加味できるのでしたら彼女はあの班にはいなかったでしょう」
マロルネは黒髪の彼女に冷めた目を向けたままそう言った。
スカーレットが鼻にかけないのでルカはそこまで意識したことがなかったが、たしかに存在するだけで頼もしく、はっきりと有益な存在だ。大切にされるのもわかるし、妬む者も出るだろう。
スカーレットはぐっとこらえているような顔をしていたのでルカは少し気になったが、スカーレットの班の担当ではないので見ていてあげることはできない。しかし意地悪な彼女もまた、スカーレットの班ではない。一時的なものならば、とりあえず今日は別行動になるはずなので大丈夫だろう。
スカーレットの班、そしてリヒトたちの班を先に見送って、ルカの班もエルダーの森に入った。この班はみんな和やかに協力して進んでいる。良い子たちだと思う。
気になっていたエルダーの森は、オークやマツ、ツバキにナンテンなど、細かい種類はいろいろあるのかもしれないが、ルカが見慣れた木々も多くあった。あれの仲間だろうと判別しづらい種類はざっと見たところ三割ほどあり、植相はポルカ村や王都の森とは少し違うと言える。リヒトにも大変刺激になっているはずだ。また、森の端だからだろう。比較的若い木が多い。樹齢は数十年といったところか。
「ここは浅いところだから、もっと奥に行くと木の高さも幹回りもぜんぜん違ってきますよ。太い根が波打って歩けないくらい」
マロルネが隣に来て言う。担当の班はいいのだろうか。聞くと護衛は安全を図るためなら多少離れてもよい。担当班の位置は把握している、とのことだった。ルカもマロルネと話しながら自分の担当班と少し距離が離れたが、あんなに騒がしく歩いていては見失うほうが難しいというものだ。
ルカはところどころ黄色や赤に色づいた葉の陰に、時折秋の実りを見た。
「私の故郷ではこういうどんぐりなんかを食べているうちに、普段は麓まで来ない種類の鹿が下りてきたものです。それは冬の前に山が与えてくれる恵みのひとつでした」
「豊かな山だったんですね」
「ええ」
マロルネは歩きながら、野草を摘んでは採集用の鞄に入れていく。
「せっかくですから自分の分も採らないと」
いたずらっぽい目をしてルカに微笑みかける。手にしている野草はルカの知らない種類だった。
「それはなんというものですか?」
「オコラセソウ」
そう言ってマロルネはアザミに似た、怒髪天を衝くような赤い花をルカの目の前に出した。なんというか、少し身を引きたくなるような感覚を覚えた。
「魔獣が魔法を使うように、植物にも魔法を使うものがあるんです。動物と違って積極的に使うわけじゃないから、作用とか性質とか言ったほうがいいのかもしれないけど。このオコラセソウは、燃えるような真紅の花びらに他者を威圧する魔法が含まれていて、これをオイルで抽出すれば人や獣を威圧する薬になります」
なるほど。先ほど後ずさりしたくなったのは、その威圧の魔法があったからだろう。
「大量に採取して染料に加工すると、すっごく怖い女の人のドレスも作れるんです」
そんなに怖い女性のドレスをいったいなんの目的で使うのだろうか。マロルネは目を輝かせているが、ルカにはそのドレスを着る場面がまったく想像できなかった。
「マロルネさんはドレスをつくりたいのですか?」
「いやだ、私は違いますよ!」
ばんっ! っと肩を平手で叩かれる。痛い。
「私のお目当ては威圧の薬です。マンドラゴラを引き抜くときにその周囲に撒いておくと、マンドラゴラが震え慄いて鳴かなくなるんです。あ、マンドラゴラって知ってます?」
「いや……」
「マンドラゴラっていうのは……」
その後しばらくマロルネの植物講義は続いたが、ルカにわかったのはマンドラゴラ氏が威圧の薬によって泣きたくても否応なく黙らされたあと、水分を断たれ切り刻まれすり潰されるという悲惨な末路を辿ることだけだった。
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