037.変装石
夕方の風が涼しくなり、秋の気配が感じられるようになった。
リヒトは最近部屋に籠ってなにかやっていた。入学前のときとは異なり、悩んでいる感じではなかったので、おおかた新しい魔術具の開発にでも没頭しているのだろう。
リヒトといえば、スカーレットから預かった伝書鳥の料金を渡すと嫌そうな顔をしていた。どうやらルカに小遣い稼ぎをしているのを知られたくなかったようだ。才能を実利に活かせるなんて素晴らしいことなのだが、「もっとかっこいいことで稼げるようになってから言うつもりだったのに」と拗ねていた。返信機能つき伝書鳥なんて十分かっこいいと思うのに、なにが不満なのかルカにはわからなかった。
その後、親とヴォルフに帰れない旨の伝書鳥を出した。親は(主に母が)残念がっていたが、父からは「そんなもんだろうと思っていた」と書いてあり、ヴォルフに至っては「わかった」と一言だけだった。男は総じてそんなものなのかもしれない。
ある夜、リヒトが話があると言ってきた。ルカがベッドに座ると、リヒトはわざわざ廊下に誰もいないことを確認してきてから自分のベッドに座った。どうやら秘密の話のようだ。
リヒトは一粒の石を出した。以前二人で拾った蛍石だ。拾ってきたときと違い綺麗に磨かれてビーズにしてある。ルカは〈移動〉をリヒトに明かしてから、ちょくちょく二人で遊びに出かけていた。人の入らない山奥に行き、狩りや薬草採取、そして鉱物拾いを楽しんだ。この蛍石もそうやって手に入れたひとつだ。ルカは手のなかの涼し気な緑色をした蛍石を見た。拾いものにしては透明度が高く、向こうが透けて見える。
「魔術具に加工したのか?」
「うん」
リヒトは心なしかそわそわとしている。「それに魔力を入れてみて」
「……? 私に魔力はないだろう?」
魔術具には魔力がなくても使えるものもあるが、伝書鳥のように魔力が必要なものはルカは使ったことがない。家族やヴォルフへの手紙もリヒトが送ってくれていた。
「え? 兄さんは魔力あるよ? というか、魔力はみんなあるよ。多いとか少ないとかの差はあるけど」
「え、そうなのか?」
「うん、〈恩恵〉がそもそも魔力の発露の仕方だからね」
全然知らなかった。結構ショックである。
「そっか。僕は普通に本で読んで知ってたんだけど、ヴォルフとの生活や村だと意識しないもんね」
リヒトはルカを慰めるようにフォローする。「魔力を好きに使えるかってとこが魔法使いになったり魔術使いになったりのポイントなんだけど、魔力自体はみんな持ってるんだよ。それで、兄さんは〈相互移動〉の内容からしても、自分の思う通りに魔力が込められるはずだよ。伝書鳥、兄さんに送ってもらえばよかったね。そしたらそのときに説明してたのに」
「いや、リヒトに任せてしまっていたから……でも、そうなのか。私は魔力を込められるのか?」
「うん、兄さんが〈相互移動〉でつけてるマーカー、あれ、魔力だよ」
知らなかった。
「お前が見えなかったのに?」
「うん。たぶんあれを肉眼で見られる魔術使いはいないと思うね。見たわけじゃないから理論上だけど、それだけ微弱なんだ」
「そうなのか」
「イメージで言うと、水槽の中にガラスの小片を入れてる感じかな。確かにあるのにわからないって言うか。いま兄さんのマーカーを僕でも見られる方法を必死で探してるから、ちょっと待っててね」
そんなに見たいのか。自分の許可で見せられるものならいくらでも見せてあげるのに。ルカはふふ、と笑ってしまった。
「で、その石に魔力を込めてみてほしいんだ」
じっと蛍石の玉を見つめるが、できない。
「んー、じゃあ、マーカーをつけてみて」
言われてルカはマーカーを出す。ルカのマーカーは当たり障りのない物体に自動でつくので、案の定ぴたっと吸いついた。するとどうだろう。いままであまり意識したことはなかったが、体からほんのわずかに、なにかが流れ出る感覚があった。
「成功だね」
「……いまのは? なにか流れ出るような感覚があったんだが」
「うん、魔力を少しでも感知したら作動に必要な量を吸い取るように設計したから、いつもマーカーに使ってるよりもっと引き出されたんだと思う。でも微々たるものだよ。体調、おかしくないでしょ?」
「ああ」
「本当はマーカーをわざわざつけなくても魔力だけ流せるように、練習してもらいたいけど……圧力をかければ勝手に吸い取るようにこっちで設計すればいいか」
リヒトがさっそく改良点を挙げている。
「これはなにをするための魔術具なのだ?」
「……」
リヒトは用意していた手鏡をルカに見せた。そこには髪と目が茶色で、肌の色がリヒトと同じくらいになったルカがいた。
「〈変装石〉って名前をつけたんだ」
ルカは鏡に映る自分の姿が信じられず、ぺたぺたと顔を触る。髪をつまんだり、下瞼を下げたりして自分の顔であることを確認している。言葉が出てこない。
「……余計……だったかな」
リヒトはルカの沈黙を、善かれと思ってやったことがルカを傷つけたのではないかと誤解した。
「え……いや、違う。すごいと思って」リヒトの声が沈んだのに気がつき、ルカは慌てて言った。
「え?」
「これがあれば目立ちたくないところに行くときに目立たないで済む! リヒト、これ、もっといろんなパターン作れるか!?」
「……! うん!」
白髪白皙の特徴は、人の記憶に残りすぎる。白い狩人は知らないうちに王都の有名人だ。
(私の足跡は、この髪と肌がある限り誰にでも容易に調べ上げることができる)
そんなものは足枷でしかない。
「兄さんと言えば白って意識があるから、色を変えたらまずわかんないよ!」
そうだろう、弟よ。お前はなんて優秀なんだ。魔術の天才だ。
〈変装石〉の連続発動時間は一日程度で、魔力を込め直せば繰り返し使える。髪と目と肌の色を変える魔術を石に刻んである。この「色だけ変える」という魔術は、そういう〈恩恵〉持ちの魔法使いができることではあっても、まだ魔術具化が成功していなかった魔法である。
「じゃあそういう魔法使いに会ったのか?」
「兄さんももう会ってるよ」
「え……?」
「ジュールラックさ!」リヒトはいたずらが成功したように笑った。
「あいつか!」
リヒトによると、ジュールラックが色を変えるのを見て以来、ずっと考えていたそうだ。足繁く門に通い、最近ようやく解析に成功したらしい。「僕のためじゃない。兄のためだ」と言うと、ジュールラックは解析を了承したそうだ。肉の打算が働いたに違いない。明日は多めに持っていってやろうとルカは決めた。
それにしても、未発表の魔術具だなんて。
伝書鳥の改良もすごいが、まだ魔術具化されていなかったものを作るなんて、とんでもないことじゃないだろうか。
「新しい魔術具を発明したとなると、シルジュブレッタ先生に発表の仕方を聞いたほうがいいんじゃないか?」
「え? 僕はこれを発表する気はないよ」
「なぜだ? リヒトが正当に評価されなければ……」
「そういう魔術具が存在するっていうことが公になれば、兄さんが変装してるのがバレる可能性が高まるからだよ」
ルカは言葉を失った。リヒトは自分のために、せっかくの発明を黙っていると言うのだ。だからさっき、廊下に人がいないことを確認するほど用心したのだ。ルカのために。
「リヒト……」
「兄さんはこれから好きに町に溶け込める。まあ顔だちが綺麗すぎるから、完全に目立たないってことはないかもしれないけど」
「ありがとう……」
リヒトはおどけて言ったが、ルカは冗談にすることはとてもできなかった。
後日、リヒトはルカのために〈変装石〉を追加で作った。指でつまんで圧力をかければ自動で必要な量の魔力を吸い取るように改良も済んでいる。
蛍石だけでなく、黒曜石、天藍石、紫水晶を連ねてネックレスに加工した。石ごとに色の組み合わせを変えてある。
蛍石と黒曜石以外は王都の鉱物店で買った。透明度の高い石は値段も高いのだが、幸い大きい粒が必要なわけではないのでなんとかなった。伝書鳥の改良部分の権利を魔術学校に売ったのだ。ルカに知られると冬支度の毛布を買えばよかったと言われるのでこれは内緒である。なにしろリヒトにとってルカを守ることはなにより優先される事柄なのだ。白い狩人だなんて冗談ではない。ただでさえ狩人として優秀なのに、あんなに綺麗な顔をして、おかしなやつに目をつけられるのは時間の問題なんじゃないだろうか。すでに魔術学校の女子生徒にはファンがいる。スカーレットの「ルカさま」呼びも気にくわない。それで注目されるうちに、もし誰かに〈相互移動〉を見られたら――。リヒトは頭を抱えた。
(国に奪られたらどうにもならない……)
リヒトは少しでもルカの身を守る術を増やしたいのだった。
完成したネックレスを渡し、リヒトはひとまず満足する。
「蛍石は茶髪に茶色の目、黒曜石は僕と同じ黒髪黒目、天藍石はアレクを参考にして金髪碧眼だよ」
「わかった」
ルカは胸元にかかったネックレスを嬉しそうに指でなぞる。
「あれ? 紫水晶は?」
「ああ、それはちょっと特別製でね……」
リヒトはルカに耳打ちした。誰も聞いていないのだから、それは芝居がかった動作だった。
「……それはいいな」
これからはいろんな色のルカを見放題だ。きっといまより自由になれる。そして色がどうなろうと、リヒトに微笑みかける優しい顔は変わりようがないのだった。
色はアイデンティティでもありますが、人は自分の見た目を好きに決める自由があり、色を変える選択をすることもまた、ルカの心の自由です。