036.授業開始と冬の予定変更
授業が始まってしばらく経つ。まだまだ暑いが、虫の声の変化で夏が終わりかけているのがわかる。リヒトはとくに困ったこともなさそうだ。というより授業が簡単すぎてつまらないらしい。試験に通れば出席日数は問わないとわかるや、シルジュブレッタにつきまとって研究室に入り浸りになった。ちなみにリヒトはもう小さくなれる。正確には「体を小さくする魔術具製作に成功した」。ルカはそれを見せてもらったのだが、よく磨かれた黒曜石の小石にしか見えなかった。光に透かして見ると石の中になにか文様のようなものが見える。リヒトはそれを指先でつまんだだけで、その魔術具ごと縮んでしまったのだ。危ないのでシルジュブレッタの研究室以外では使わないように約束させた。誤ってリヒトを踏んづけてしまっては、悔やんでも悔やみきれない。
ルカのほうはいままでどおり森で狩りをしている。
例のヨルムンガンドの血の件は、相変わらずハンターズギルドを騒がせていた。クロムウッドら二等級ハンターに指名依頼が来て、王国軍の補佐として討伐に行っている。「おじさんへとへとだよぉ~」と絡んでくる程度には元気なようで、ルカは胸を撫でおろしていた。
そして今年の冬は森の安全性が確認できないため、王都以外から来ている生徒は帰れないことが魔術学校から通達された。
「三権の長で話し合った結果、そうなったんだってさ」
リヒトがクラスで聞いてきたことを教えてくれる。
街道の往来が完全に途絶されるわけではないが、奨学生は将来国に報いる義務があるため、護衛を雇える者でないと通行許可が下りない。平民には当然そんな金を持っている者はほとんどいないのだ。
「貴族は王都に屋敷のある人も多いし、領地から来てても護衛を雇うのも余裕だしね」
「そうか、しかしヨルムンガンドの血で突然変異体になっている魔獣だ。護衛を雇っても危ないかもしれないな」
ルカはリヒトにヨルムンガンドの件を話していた。ルカが単純に忘れているという場合を除いて、リヒトに秘密などないのである。
「まあ、王都の高級宿で冬を越してもいいわけだし、なんとでもなるよ。問題は僕らだよ。冬のあいだの食料や薪は最低限学校が用意するって言ってたけど、最低限がどのラインなのかいまいちわかんないんだよね。魔術学校は冬は結構雪も降るらしいし」
たしかにそれは困る。ポルカ村はまだ雪が少ないが、魔術学校の気候が違うなら心構えが必要だ。王都で過ごすことは当然できない。冬休みはふた月もある。そのあいだ王都で過ごせるだけの金はない。ルカは狩りで結構稼いできていたが、それでもあの物価高の王都で冬ごもりできるとは到底思えなかった。
ある日狩りから戻り、門の近くでスカーレットに会った。
「ルカさまじゃないの!」
ラベンダー色のローブをはためかせて駆け寄ってくる。彼女の赤い髪と同系色でまとまっていて、とても似合っている。リヒトと同じ銀色のバッヂをつけているが、意匠は角の生えた馬だった。ユニコーンという伝説的な魔獣で、教会のシンボルになっているらしい。
「そうだルカさま、リヒトに返信機能つき伝書鳥、二十枚追加って伝えてちょうだい。はいこれ、銅貨一枚」
ルカは銅貨を押しつけられて意味がわからず戸惑った。
「ああ、いいが、返信機能つき伝書鳥ってなんだ?」
「ルカさま、伝書鳥って知ってる?」
「ああ、鳥に変身する手紙だろう?」
「そう。あれって魔力を一定量与えないと使えないんだけど、白紙の便箋をもう一枚つけて、送る側があらかじめ魔力を封入しておくことで、誰でも返信ができるようにリヒトが改良したの」
「へえ、すごいな」
「リヒトはそれを生徒に売って商売してるのよ」
「えっ」
リヒトは学内で商売を始めていたらしい。知らなかった。頭がいいだけじゃなくてたくましいのだ。これはお小遣いを上げてあげてもいいかもしれない。
「あれのおかげで魔力がうまく扱えないお母さまとも手紙のやりとりができてるの」
「そうか。そんなに遠くまで行けるのか。じゃあこの冬に帰れないことを手紙に書けるな」
「あ、そうよね! わたしはもう何度かやりとりしてるんだけど、冬には帰れると思ってたからショックだったわ。わたしは親から冬の防寒具や毛布を送ってもらうことになったの。学校ではそこまでは面倒みられないらしいわ。ルカさま、どうする?」
「そうなのか?」
スカーレットによると、魔術学校の冬は想像よりかなり厳しそうだった。お金のある子は入学後も実家から結構荷物が送られてきている。イレギュラーのことで、冬に実家に帰ることを推奨しないと通達が出てからは、冬になる前にと、分厚い布団やもこもこの毛布なども送られてきているそうだ。
「街道の輸送費も上がってるしね。まだ秋にも入ってないけど、みんな不安で早めにやってるの」
ヨルムンガンドの血の件は収まりつつあるはずなので、今後状況が酷くなるとは思えない。しかし冬に帰らないことが決まっている以上、防寒具などを買う伝手はないと困る。
「スカーレットの親御さんはどこで買うんだい?」
「うちは商会だもの。その伝手があるわ」
「頼めば私たちの注文も受けてもらえる?」
「いいわよ。ただ値引きは頼んであげるけど、どうしてもタダというわけにはいかないわ」
「もちろんだ」
「じゃあ、遅くても収穫祭のころまでに私に注文を頂戴ね。毛布と防寒具二人分、ぎりぎりまで取り置きしておくから」
これは金策に走らねば。収穫祭まで狩りをがんばれば、なんとかなるだろう。
※およその通貨価値
金貨 10万円
銀貨 1万円
銅貨 1000円
小銅貨 100円
鉄貨 10円
返信機能つき伝書鳥は一通50円也。