034.リヒトと〈恩恵〉実験その1
衝撃から覚めたリヒトはルカの相談を改めて聞いた。
「獲物の、目だけかぁ。細胞がつながっている生物の一部だけにはマーキングできないってことかなぁ」
とりあえずリヒトに〈相互移動〉を見せながら、二人で実験してみることになった。
「最初は無生物で見せてね。いまここには兄さん以外の生物は僕しかいないから」
リヒトの目だけにマーカーをつけるとか、できたとしてもしたくない。ルカは想像で青ざめてしまい、何度もうなずいた。
リヒトは自分の部屋から魔術具の素材が入っている箱を持ってきてルカの机の横に置いた。中をごそごそと漁っている。
「さっき拾ってきてくれた黒曜石と……木の欠片でいっか。これを〈相互移動〉してみて」
ルカはまだ磨かれていない鈍い黒曜石と、リヒトがつくったマリオネットの魔術具の残りと思われる木片にそれぞれマーカーをつける。そして〈相互移動〉した。
「わ……! ……すごい」
リヒトはびくりと背筋を伸ばし、目の前で起きた現象を驚愕の眼差しで受け止めた。話していたときの感じから、ルカの話をまったく疑っていなかったのはわかるが、やはり目の前で直に見るのは驚いたのだろう。
「いまって、マーカーつけたの?」
リヒトはふたつの物体を指差しながらルカに尋ねた。
「ああ」
人前でやったのは初めてなので今まで気がつかなかったが、マーカーはルカにしか見えないようだ。どういう仕組みなんだろう。
「僕には兄さんのマーカーが見えないから、つけたら教えてね」
「わかった」
リヒトは革袋に黒曜石をいくつか入れた。革袋の外に木片が置いてある。
「この革袋にマーキングできる?」
「できる。いまつけた」
「うん。じゃあ、木片にもつけてみて」
「つけた」
「じゃあ〈相互移動〉して」
「……」
「うん……やっぱりすごいな」
〈相互移動〉されたあとの革袋をリヒトは調べている。
「袋に入れた黒曜石も一緒に〈相互移動〉されてるね。外を包んでいるものに中のものは同じ扱いを受けるんだね」
「そうだな」
「じゃあつぎは、革袋のなかを覗き込んで、どれかひとつだけ黒曜石にマーキングして」
「した」
「そしたら革袋の口を閉じて、木片のマーカーは……ついたまま?」
「ああ」
「じゃあ二つを〈相互移動〉して」
「……」
二つが入れ替わったのを見てリヒトが革袋を開ける。果たして黒曜石しか入っていなかったはずの革袋のなかにはひとつだけ木片が入っており、テーブルの上には黒曜石がひとつ載っている。
「これが"視界から外れてもマーカーさえつけておけば〈移動〉できる"ってやつか」
「そうだ」
「これを応用すると、手元の小石にマーカーをつけてから屋根の上に放り投げて、兄さん自身と〈相互移動〉することで簡単に屋根の上に上がれるってことだね」
リヒトはルカが説明したことを丁寧に検証していった。
そのあとは立ち上がって部屋に少しスペースを空け、椅子とルカの〈相互移動〉も見せた。
「兄さんが〈移動〉するとき、服もちゃんと一緒に〈移動〉してるよね」
怖いことを言わないでほしい。〈移動〉後全裸になった自分を想像してしまった。
「ということは、たとえば獲物を手に持って〈移動〉しても大丈夫なわけだね」
ルカは頷く。それはいままで何度もやってきていた。
「僕を一緒に〈移動〉させてくれない?」
ルカはリヒトと手をつなぎ、先ほどと同じように椅子とルカたちを〈相互移動〉させた。
リヒトは〈移動〉した自分の立ち位置を見回すようにして、うんうんとなにやら納得している。
「つまり、兄さんの意識の問題なわけだ」
「……?」
「兄さんが無意識レベルで『これとこれはセット』って思ったら、一緒に〈移動〉できるってことだよ。服は着てて当たり前。手に持ってる獲物を置いてくるなんてありえない。手をつないでいる僕を……セットって思ってくれたのは嬉しいけど」
「私がお前と自分を別個と思うわけないだろう」
リヒトは顔を赤らめ小さく「うん……」とうなずく。
「それでね、獲物の眼球を指定してマーキングできない理由もそこにあると思うんだよ」
「うん?」
「つまり獲物とその眼球は当然セットだって兄さんが思っているからマーキングできないんだ」
「ふむ……たしかに、そもそもその生き物の体の一部なわけだからな。独立して考えるほうがおかしいというものだ」
「うん。でも逆に言うと、別のものと考えることができればマーキングできるかもしれない」
「〈恩恵〉の能力は、そんなに主観に左右されるものなのか?」
そう言うと、リヒトはにやりと口の端を上げた。
「神がなにを与えようが、それを扱う人間が無知無能であればそのようにしか扱えないからね」
リヒトは少し意地悪そうな顔をして続けた。
「聖石もそうだよ。あれは他人の〈恩恵〉がわかるっていう、一種の鑑定魔法の術式を組み込んだ魔術具なんだ。あれが発明されるまでは、その特殊な鑑定魔法の使い手が一人一人確認しないと、人の〈恩恵〉はわからなかった」
ルカは驚いた。礼拝所に設置しているものだからなにか神聖なものかと思っていたが、魔術具だったのか。
「だから聖石は、当時あれを開発するために解析の対象になった鑑定魔法の使い手が知っている〈恩恵〉しか表示できない」
「ふむ。参考にされた魔法使いの知識にないものは判定のしようがないわけか」
「そう。それでもわからないものを〈不明〉と正直に表示するだけの公正さが、当時の開発者にはなかったんだね。よくわからないものでも、近似する〈恩恵〉の名前を推測して表示するようになってるんだ。無駄に高性能とも言えるけど」
ルカはふと疑問に思った。
「リヒトはなんでそんなこと知ってるんだ?」
「検査のときに解析したから」
「検査のときって……手をかざすだけだろう?」
リヒトはにこりと微笑んだ。そうだ。リヒトは言っていた。魔術具は動いているときに見ると仕組みがわかると。そして魔術学校に来てからわからないことができたと。言い換えればそれまでは仕組みのわからない魔術具などなかったということだ。当然聖石も。あのときはリヒトが思い悩んでいるほうが心配で、流してしまっていた。
リヒトは、検査で調べる前から自分が〈魔術使い〉だと知っており、魔法を解析する技術を検査の日までに身に着けていた、ということだ。
(天才なのかな)
ルカは息を呑んだ。これは本当に、将来国の重鎮になってしまうかもしれない。
「あのガラクタを作った人には感謝してるよ。まさか兄さんの特殊能力を、〈移動〉なんて単純な言葉に置き換えてくれたんだから。しかも量産に際し製作者の技量によってその性能はピンキリときてる。最高だよ。それがなかったら兄さんとの二年九ヶ月はなかったし、いまこうして一緒に過ごす機会もなかった。先人が無能で感謝したのは初めてだ」
リヒトはなかば恍惚とした表情すら浮かべて言った。先達を腐しながら感謝するという器用なことをして、本当に楽しそうだ。ルカはリヒトが楽しければ先達がどうなろうと気にならないのである。
もうひとつ、すぐにできそうな実験をすることにした。そして
・液体へのマーキング可否は状態による
ということが判明した。
コップに入っている水には、水だけにマーキングできた。
それを机の上に置いた小石と〈相互移動〉すると、コップの中に入った小石のマーカーは外れていなかったが、机の上に広がった水からは自動的に外れてしまった。
「形を保てないものにはマーカーがつかないってことかな」机を拭きながらリヒトは逡巡している。
さらに小鍋に水を入れてマーキングしてから沸かしてみたら、湯気のほうにはマーカーは移らず、鍋の中でどんどん体積が減っていってる水につき続け、やがてあと一息で鍋が空になる、というところでマーカーが外れた。
「いまマーカーが外れた」とリヒトに伝えると、リヒトはすぐに鍋を火から下ろして中の水を確認した。
「もう蒸発寸前の水の玉だな。重さで言うと一クロルくらいかな。こうして見てる間にもどんどん小さくなってる。あ、消えた。……体積や重さの限界値は、測定の魔術具を手に入れてから詳細に検証することにしよう」
熱されて空焚き状態になった小鍋にじゅわっと水をかけながらリヒトが意気込む。
ルカとしてはそこまで詳細に詰めなくてもよいのだが、リヒトの目がキラキラと輝いているのでまあいいかと受け入れた。リヒトは昔から山で採れた草木や鉱物の重さを計ったり粉末にしたり、水や油に溶かした液体の性質を調べたりということが大好きだったのだ。入学前の気の張る時期に、新しい気晴らしが手に入ったなら良いことだと思った。
それに、やはりリヒトに相談したのは正解だ。ルカ一人では液体にマーキングするなどという発想は出てこなかっただろう。
最後に、リヒトにねだられてルカは〈相互移動〉をフル活用して部屋の模様替えをした。正確には、リヒトの使っている広めの部屋にルカとリヒトのベッドを並べ、ルカの使っている小さめの部屋にはルカとリヒトの机を並べた。リヒトはずっとこうしたかったらしいのだが、大幅な模様替えは下の階に響く。だがルカの〈相互移動〉を使えばリヒトの机とルカのベッドを簡単に入れ替えられるのだ。使わない手はなかった。
かくして兄弟はお互いのベッドに寝転がりながら秘密の会話を楽しむ環境を手に入れたのだった。
※一クロル=一グラム
※2022.04.27 誤字を修正しました。