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033.リヒト

 ルカの相談の最中ですが、リヒトの過去話です。

 リヒトはルカの〈恩恵〉を〈一撃必中〉かそれに準ずるなにかだと思っていたので、本当に家族に報告した通り〈移動〉だったと知って驚愕していた。

〈一撃必中〉は射手として軍学校に採られる、有名な〈恩恵〉のひとつだ。矢や投石を狙ったところに確実に当てることができる。ルカはなんらかの理由で聖石の検査ではじかれ、本来の資質を見出されないままに村に戻されたのだとリヒトは考えていた。

 そしてそれは狩人として山で生きたいと望むルカにとても都合が良いのだと。



 兄は白い人として生まれた。くだらない御伽噺のせいで、村の無知蒙昧な大人どもの悪意に晒された兄。兄はリヒトが物心つくまえにヴォルフに引き取られてしまったが、山に住むあの人が自分の兄だとは、信じられないくらい綺麗ないきものだった。


 いまでこそ村の差別主義者たちを軽蔑しているリヒトであるが、幼い自分は実はその愚かな豚どもの一員だった。


 村の中心である屈強な男衆がルカは劣っている、ルカは災厄を呼ぶ、ルカは差別されるべきだ、そう当然のように言い放ち、周りの大人たちも積極的な否定をしない。それが日常の会話の中で常識かのように語られていれば、幼子の視界が曇るのは不可抗力であった。


 リヒトはルカをいつしか馬鹿にするようになっていた。家族の前では態度に出さない。両親はなんだかんだと離れて暮らすルカを心配していたからだ。ただ心の中で、無根拠にルカは劣っていると信じ込んでいた。

 そして幼くして自分は〈魔術使い〉だとわかってしまってから、その妄想は酷くなった。


 リヒトが自分には魔術の〈恩恵〉があると知ったのは、八歳のとき。測定の魔術具を触ったのが最初だった。正方形の敷布であり、ものを載せるとそのものの体積や重量、長径、高さなどが表示される。庶民の生活に溶け込んだ、ありふれた魔術具だ。

 村の雑貨店に置いてあったそれを店のおばさんが使うのを、魔術具とも知らず見た。するとその瞬間、その布に編み込まれた魔術の内容が頭に流れ込んできた。

 載せられた物質を、布面から上へ向かって細かく輪切りにするように測り、空中でなにも切らなくなったら測定を終え、登録済みの計測項目に数字や単位を表示していく。その流れと仕組みのすべてがわかった。

 近くにいた店のおばさんも、母親も、リヒトに起きたことにまったく気づいていない様子だった。


 自分は特別な存在なのではないか。


 その甘美な驕りは瞬く間にリヒトの頭を支配した。


 自分はこの村で終わる存在ではない。そう確信したら次の行動は早かった。ヴォルフに勉強を教えてもらうことにしたのだ。ヴォルフのおかげでルカは読み書きもできるし計算もできると以前母親が父親に喜んで話していたのを聞いていた。リヒトも家族も簡単な計算はできるが、読み書きはほとんどできなかった。十二で学校に行くなら四年しかない。文字も書けずに同い年に馬鹿にされるわけにはいかなかった。


 押しかけてみるとヴォルフは極めて読書家で、ルカが意識せずその恩恵を享受しているのが腹立たしかった。リヒトは差を埋めようと必死に勉強した。ルカの読めない本も読めるようになったし、文字だけ読めても理解が難しいとされる数術の本も問題なかった。

 ヴォルフはリヒトが魔術関連の本を欲しがったのを見て思案気な顔をしていたので、〈魔術使い〉であることには早くに気づいていたと思う。追及してこなかったので、とくにリヒトから言うことはなかった。


 そうやって肥大したリヒトの慢心は、山では命取りだった。


 前年、ルカはアカミミオオカミを単独で狩っていた。ルカを無根拠に下に見ていたリヒトは、それがたいしたことではないと思い込んでいた。ルカが狩人として優秀であり、一定の技術を修得したからこそ成し得たことなのだと理解していなかった。


 リヒトはある日、実験に使う薬草を採るためヴォルフにもルカにも言わないで山に入った。そして帰り道がわからなくなり、どんどん迷い込むことになった。

 寒い季節はまだ先だったが、日が傾くと焦りは加速度的に酷くなっていった。太陽の沈む方角がわかっても、進もうとする方向へ自由に進めないのが山道だ。急斜面や崖が突然現れたり、茨や草に手を切られたり、縦横無尽に這いまわる木の根に足を取られたり。いったいヴォルフやルカは、こんな道もない山をどう歩いているというのか。

 そんな過酷な状況で、八歳の体力はまともに持たなかった。水筒はとうに空になった。川の位置もわからない。腹は減ったし、足はもう傷だらけで靴も片方壊れている。あたりはすっかり暗くなった。

 涙が滲んで、もう泣く、といったときに、荒い息遣いが聞こえた。獣だ。茂みを無遠慮に踏み倒し、出る音を気にしもしない。強い肉食獣であることは容易に想像がついた。リヒトは音のする方を確かめるため茂みの向こうを覗き込んだ。黒い野犬だった。いまは一匹しか見えないが、群れが近くにいるのだろうか。

 リヒトは息を潜めて遠ざかろうとしたが、木の根に足を取られて後方へ尻餅をついた。気づいた野犬が茂みの向こうから顔を出す。獰猛な小さい瞳の下で真っ赤な口が裂ける。足が震えて後ろへ下がることすらできない。長い舌をだらりと垂らし、野犬は唸りもしない。その価値すらないのだ。自分はなんの脅威でもない。この一瞬あと、飛びかかってきた野犬に、喉笛を食いちぎられるだけだ。


 野犬が一足駆けた。リヒトは目をかたく閉じた。そのとき。


 ギャウッ!


 短く鈍い声がはじけた。覚悟していた衝撃が来なかったため、リヒトは恐る恐る目を開ける。野犬は頭から血を流し、リヒトの目の前で倒れていた。近くに血のべったりとついた拳大の石が転がっている。視界の端から白い妖精がふわりと舞い出て、弓を構えた。近距離からまだ息のあった野犬に二本、三本と矢を放つ。野犬は息絶えた。


「探したよ、リヒト」


 弓を下ろした妖精は、満月の光を背に白銀の髪を垂らし、紫水晶アメシストの瞳を細めてリヒトに微笑んだ。


(特別なのは僕じゃない)


 気絶する直前そう思ったのを覚えている。

 リヒトは緊張の糸が切れて気を失ったあと、何日か熱を出した。反省していたのと怖い目に遭ったことでたいして怒られなかったが、熱が去るのと一緒に視界の曇りは透明に晴れてしまった。

 以降リヒトはルカに素直に教えを請い、ある程度山を歩けるようになった。ヴォルフやルカには到底敵わないが、自然の事物を観察するのに役立つ技術を身につけ、正しい自信につなげることができた。



 自分は特別ではない。一つ一つ力を積み上げて、そして今度は兄さんを守れる人間になるのだ。

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