029.リヒトの悩み
もやもやしたものを抱えてハンターズギルドをあとにした。とりあえず今日も狩りに行くが、自分が王都周辺の森で比較的安全に狩りをできるのは王都の魔術具がほかの地へ魔獣を追い払っているからと聞いて、すがすがしい気持ちにはなれるものではない。しかも元凶の第一王子はその守られた王都の中心である王城でぬくぬくとしているのだ。
(腹立たしいな……)
「あれ、お兄さん?」
聞き覚えのある声に顔を上げると、目の前にアレクが立っていた。連れらしき男の子たちに「先行ってて」と手を振って笑顔を向けてくる。
「やあ、アレク。ひと月ぶりかな?」
「ちょうどそれくらいですね。お元気でしたか?」
相変わらず優しそうな顔を前面に出した少年である。
(この子も軍学校を出たら王国軍に行くのだったな。君の上司は大変な人物みたいだぞ。がんばれ)
ルカは心の中でいつも死んだ獣にする簡易の祈りを捧げた。
「リヒトは一緒じゃないんですか?」
「ああ、リヒトは入学前に予習がしたいって、毎日部屋に籠って勉強しているんだ」
「ええ!? ……さすがリヒト」
「アレクは結構町なかに出るのかい?」
「はい。僕らは……同じ入学前のやつ同士で仲良くなったんですけど、指示されてる訓練メニューをしたあとはたいてい外に出ています。使えるお金があるわけじゃないけど、歩いているだけでも楽しくて」
なるほど、同級生か。リヒトは自室か校内の図書館にしか行っていないようだが、大丈夫だろうか。そもそも寮のほかの部屋の住人を見たことがないのだが。心配になってきた。
(リヒトに友達できるかな……)
予習するリヒトは誰がなんと言おうと偉いが、友達をつくって王都に遊びに来るくらいしてもいいのではないだろうか。そういえば最近少し元気がない気がする。新しい環境だからと様子を見ていたが、アレクがこんなに楽しそうなのに、リヒトだけ元気がないのはなにか原因があるのではないだろうか。
「でもさすがリヒトですね。僕も言われたことだけじゃなくて、なにかやろうかなぁ」
「い、いや……うん……でもまた、リヒトとも遊んでやってくれ」
「もちろんです」
アレク少年は良い笑顔で別れを告げると、少し離れたところで待っていた同級生たちのところへ戻っていった。
(そうか、同級生か)
なるほどな。
「なあなあ、あれって話題の白い狩人だろ」
「アレク知り合いだったの!?」
「かっけー! あの手袋して弓引くの?」
少年たちのさわさわとした囁き声は、リヒトのお友達づくりに思いを馳せていたルカには届くことはなかった。
寮の部屋に戻ると、リヒトは出たときと変わらず机に向かっていた。
「リヒト」
「あ、おかえり」
どうやらルカの帰りに気づかないくらい集中していたようだ。
「リヒト、最近はどうだ?」
「え……うん、べつに、普通だよ」
「同じ寮の子に会ったりしたかい?」
「え? ああ、そうだね。でもだいたいみんな一階か二階だから、滅多に会わないね」
「え? みんな一階か二階?」
「うん、みんな二人一部屋なんだけど、僕らだけ二部屋ある特別な間取りだからね。ほら、従者枠申請したから」
「えっ?」
そんな、自分の存在でリヒトに友達ができないでいたなんて。
「私はそのへんの納屋でいいから、いまからリヒトが誰かと同室になれるよう言ってくる!」
ルカはすっくと立ちあがった。
「え? なんで!? いいよそんなの! せっかく兄さんと二人きりなのになに言ってるの!」リヒトが慌てて立ち上がりルカの腕を掴んで止める。
「だってお前、私がいるせいで友達ができないんじゃ……!」
「ええー……」
「最近元気なかったし」
「それは……まあ元気はなかったかもしれないけど……友達がどうとかじゃないから……」
リヒトは椅子に力なく腰掛けがっくりと肩を落とした。机の上には図書館の蔵書である標がついた『はじめての魔術具づくり』という本が載っている。ノートにもびっしりと文字が書いてあり、がんばっていることは傍目にも明らかだ。でも山小屋にいたときのように勉強が楽しくてやっているという顔をしていない。いったいなにをそんなに思い詰めているというのか。
「なにか悩みがあるなら話してほしい」
「…………魔術具って動いてるときに見ると仕組みがわかるんだ」
「……?」
リヒトはずいぶんと間を置いてから、きまり悪そうに話しだした。
「馬車のなかで少し話したけど、感覚で魔法を使えちゃう天才が魔法使いだって言ったよね」
「ああ」
「魔術使いはその天才がやってることを見て、他の人でもそれをできるようにするんだって」
「ああ、覚えているよ。料理に喩えたんだったな」
「うん。でも魔法を他の人でも使えるようにするっていうのはね、具体的に言うと、魔法を再現する魔術具を作るってことなんだよ」
「僕の〈恩恵〉の〈魔術使い〉っていうのは、魔力を使った操作や解析ができる力を総称してそう呼んでるんだけど、それを活かして魔術具を作るのが魔術師の最大の存在意義なんだよ」
「へえ」
となると、ものづくりか。それは手先が器用な父さんの息子らしいな、と急に納得がいった。
「個人によってできることとできないことに差はあるよ。魔法を解析するのが得意な人もいれば、まったくできない人もいる。そんな人が、誰かが解析した情報を使って実際に魔術具を作るのが得意ってこともある。魔術学校では自分が何ができて何ができないのかを把握しながら、できることをさらに伸ばすっていう方針なんだよ」
まだ正式に入学もしていないのに、教育方針を知っているなんて、我が弟はなんて優秀なんだろう。
「できないことができるようになるという方針ではないわけだな」
「それは不可能なんだ。兄さんだって、片腕の無い人に弓を引けなんて言わないでしょ?」
「なるほど。持って生まれたものは変えられないということか」
「そう」
「リヒトは、なにができるんだ?」
「まあ、大抵のことはできたよ……いままではね」
ん? できる・できそう、じゃなくて、できたのか? 確認済みなのだろうか?
最初の授業もまだなのに、我が弟はちょっと優秀すぎるのではないだろうか……。
「でもここに来てからできないこと……わからないことができた」
「そうか」
「門のカメレオンがなにをしているかわからなかった。『木の手』がどうやって動いているかもわからない。図書館でもいくつか魔術具を見たけど、すぐにはわからなかった」
リヒトはまるで罪の告白でもしているかのような顔をする。そんな必要はまったくないというのに。
「んー……リヒトは、魔術具が動いていると、仕組みがわかる。でも魔術学校の魔術具はわからなかった。そうだな?」
「うん……」
「とりあえず門のカメレオンについては、お前一回しか見ていないだろう」
「だってあれから何回話しかけてもあいつ動かないんだ!」
「『木の手』は? 何回見た?」
「それも一回。ちゃんとした用事がないってわかってるのか、出てきてもくれない……」
「つまりお前が悩んでいる二つとも、一回しか見ていないんだろう?」
「だっていままでは一回見るだけでぜんぶわかったんだよ!」
なんということだろう。リヒトは優秀すぎるがあまり、自分自身にとんでもなく高い要求を突きつけていたのだ。どこかの第一王子に爪の垢でも煎じて飲ませてやりたい。リヒトの薄桃色の爪に垢がないのが残念だ。
「それは素晴らしいことだが、一回見ただけでは普通はわからないよ。初めて見て、驚いているうちに大切なところは見逃してしまっているものだ。私がアカミミオオカミの狩りに何度失敗したと思っている」
「……」
「だいたいジュールラックが動いているところが見たいなら私についてくればいいじゃないか」
「だって通るだけならジュールラック動かないじゃん」
「ん? ……お前はなにを言ってるんだ?」
「兄さんが狩りに行ってるあいだ門には何度も行ったよ。ほかの人が通るときにも見てた。けど、あいつまったく動かないよ? 指輪の認証するのにあいつが動く必要ないし。最初だけだ。この魔術学校に入ってきたときだけ! だから入るときだけなのかなって思って一回門を出てすぐ入ってもみたけど、そのときも動かなかった!」
リヒトはちょっと涙目だ。それにしても、おかしいな。
「私のときはあいつ毎回よくしゃべるが……」
「え……?」
ルカはジュールラックとなかなか良い関係を築いている。毎回肉をやっているので王都へ出る場所もいまでは四ヶ所に増えた。
「まあいい。ジュールラックは肉でも与えればすぐに動く。明日にでも見に行こう」
「そんな……」
「『木の手』はいますぐにはわからないが、私も毎日話しかけるようにしよう。続けていればそのうち変化がくるかもしれないし」
「うん……」
「あとは? 困っていないのか?」
「んっと……この本がちょっとイメージ掴みにくいのが」
ルカはリヒトが目で示した『はじめての魔術具づくり』を手に取る。ぱらぱらめくるが、当然なにもわからない。
「わからないな」
「うん……」
「でもこれ実験の本だよな?」
「え? うん」
「じゃあ実験しながらじゃないと普通わからないんじゃないのか?」
「えっと、それはそうだけど。実験道具なんかないし」
「借りればいいだろう」
「え?」
「ここは魔術学校でリヒトはそこの奨学生になるんだよな?」
「うん」
「入学前に予習したいだなんて意欲のある生徒に道具も貸さない学校なのか?」
「うんんんん……? どうだろ。入学前だと一応生徒じゃないし」
「でも拘束してるじゃないか。奨学生として。不要なくらい早くに王都に招いておいて」
「ああ、うん。たしかに」
「じゃああとで『木の手』にそれを聞いてみよう。無理なら王都でそういったものを揃えられる道具屋がないかジュールラックに聞いてやる。お前は欲しい実験道具と材料を一覧にしてまとめておきなさい」
「わ、わかった……!」
もしかしたらけっこう図々しい申し出なのかもしれない。でもルカは自分の獲物の交渉は自分でしなければならないともう知っている。言うだけ言ってみて、駄目なら次の手を考えればいい、助けてくれる人を探せばいい。そう思えるようになったのは、確かな成長だった。
リヒトの悩みをなぎ倒していくスタイルのルカ。ジュールラックは肉さえ与えておけば逆立ちでもします。